魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
「……では、今回の監査はこれで終了とする。機動六課の運用体制は、承認要件を満たした」
監査官は分厚いファイルを閉じ、アタッシュケースに収めた。
六課の面々が(モニター越しのジェイル・スカリエッティも含め)深く安堵の息を吐いた直後、監査官は無表情のまま告げた。
「次回監査までに、是正項目が三点あります。セキュリティポリシーの再策定、ならびに特命課との正式なSLA(サービスレベル合意書)の締結。期限は今月末です」
「えっ」
はやてが思わず声を上げる。
「あ、あの……今回の抜き打ち監査で『三脳の介入』という重大なバグを見つけたんですから、細かい書類仕事は免除とかには……」
「それとこれとは別です。では、失礼する」
監査官は微かに帽子に手を当て、一切の妥協なくブリーフィングルームを去っていった。
「……ブレない人だ」
紗雪が微かに口角を上げる横で、ティアナは自分の作成した全600ページの仕様書(バインダー)を抱きしめ、うつむいていた。
(……私は、役に立っている。私の作ったドキュメントが、六課のシステムを守った)
スバルやキャロから「ティア、すごかったね!」と声をかけられ、ティアナは曖昧に笑って誤魔化した。
だが、抱え込んだバインダーの重さは、そのまま彼女の「前衛(フォワード)としての劣等感」の重さだった。
(私は、バックオフィスで褒められるために執務官を目指してるんじゃない。最前線で、なのはさんたちと肩を並べるエースになりたいのに……!)
その夜。ティアナの端末から、密かに数行のコマンドが実行された。
翌日。第1演習場。
フォワード陣による連携訓練の最中、その「破綻」は唐突に訪れた。
「スバル! 私が先に行く、ついてきて!」
「えっ、ティア!? 待って、そのルートじゃエリオとキャロのカバーが――」
スバルの制止を振り切り、ティアナは単独で前線へ突出した。
手にしたクロスミラージュが、異常な熱を帯びて明滅する。
(教官のファイル"MOIRA網" が設定した安全閾値(リミッター)……そして、本局(あの人)が組んだカーネルの負荷分散機能を……手動で切断(バイパス)する!)
ティアナは、自身が作成した「アダプタ層」の構造を逆手に取り、管理者権限(ルート)を一時的に奪取。デバイスの安全装置をすべて外し、全魔力を単一の攻撃プロセスへと強制的に割り当てた。
「クロスファイヤ・シュート……オーバー・ドライブッ!!」
ティアナの放った魔力弾が、巨大な光となって空中の模擬標的を粉砕する。
(やれる……! 私だって、Sランク級の火力を出せるんだ!)
だが、無理なオーバークロックに耐えきれず、クロスミラージュの排熱システムが悲鳴を上げた。
「くっ……!」
腕に激痛が走り、ティアナの射線がブレる。孤立した彼女の背後に、訓練用の自動反撃ビットが一斉に照準を合わせた。
「そこまでだね」
上空から、高町なのはの冷たい声が響いた。
なのはは一瞬でティアナの前に降り立つと、容赦のないカウンターの魔力弾を放ち、ティアナの無理な体勢を物理的に叩き落とした。
「あ……っ!」
激しい土煙と共に、ティアナは地面へと叩きつけられた。
「ティア!!」
スバルが悲鳴を上げて駆け寄る。
咳き込みながら立ち上がろうとするティアナの前に、なのはと、そして静かな足音と共に芹葉紗雪が降り立った。
「……安全装置を外して、無理な特訓を続けてたよね」
なのはの瞳には、一切の妥協も優しさもない。
「少し、頭を冷やそうか」
「わ、私は……っ! まだやれます! 私は、教官やなのはさんみたいに、一人で道を切り拓ける火力が欲しくて……っ! 後ろで事務仕事ばっかりやってる場合じゃ――!」
涙目で叫ぶティアナに対し、なのはがさらに厳しい言葉を紡ごうとしたその瞬間。
紗雪が一歩前に出て、なのはを手で制した。
そして、ティアナの足元に転がったクロスミラージュのログを拾い上げ、静かに告げた。
「……ルート権限を不正奪取し、負荷分散を切り捨て、無限ループの魔力生成プロセスをハードコーディングしたな。デバイスが焼き切れることすら前提とした、一回限りの使い捨て(スーサイド)スクリプトだ」
「……っ!」
「ティアナ。私がなぜ、パッと見ただけでお前がどんな『クソコード』を書いたか分かると思う?」
紗雪は、ティアナの目の前で膝をついた。
その声は、怒っているわけでも、呆れているわけでもなかった。
「……10年前。私もお前と全く同じ、この世で最も醜いコードを書いたからだ」
「え……?」
「AAA+という魔力は、常人から見れば天才だ。だが、私の隣にはいつもS+の怪物たちがいた。彼女たちの背中を見るたびに、自分の才能のなさに絶望した。結果が必要なら、自分が壊れるまでシステムに負荷をかければいい。そうやって、自分の限界を罰するような無茶(バグ)を量産し続けた」
紗雪の脳裏に、ファイル"MOIRA網" の最深部に刻まれた、A's時代の血の滲むような記憶――「全部自分でできなければ意味がない」と泣き叫んだ九歳の自分の姿がフラッシュバックする。
「お前の焦りは痛いほど分かる。標準化の才能を褒められても、それはお前の欲しい役立ち方じゃなかったのだろう。だがな、ティアナ」
紗雪は、ティアナの震える肩へそっと手を置いた。
「自分自身を壊して出す火力に、何の価値もない。それは『自分を痛めつけることで、できない自分を許してもらおうとする』ただの逃げだ。そんな脆弱なシステム(心)では、戦場の誰一人として守ることはできない」
その言葉に、ティアナの息が止まった。
図星だった。才能のない自分が許せなくて、体を痛めつけることで「これだけ頑張っているんだから」と言い訳をしたかったのだ。
ティアナの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……私が、お前たちを正しく繋ぐための設計図(ネットワーク)は用意してある」
紗雪は立ち上がり、ティアナを見下ろした。
「だから、二度と自分を罰するようなクソコード(無茶)を書くな。……いいな?」
「……はいっ……! はいっ……!!」
ティアナは両手で顔を覆い、しゃくりあげながら、何度も頷いた。
なのはは、厳しかった表情をふっと和らげ、紗雪に向かって小さく頷いた。
同刻。本局技術部特命課ラボ。
『警告。機動六課・第1演習場にて、未承認の管理者権限奪取(オーバーライド)を検知。デバイスに軽微な損傷』
メインモニターに表示されたエラーログを見つめながら、ジェイル・スカリエッティは無言でコーヒーを啜っていた。
「……私が組んだ安全装置(リミッター)の隙を突いて、インターフェース層から無理やりバイパスしたか。……ティアナ君。君のその『仕様の裏をかく』執念は、やはり本局(うち)の技術部向きなのだがね」
呆れながらも、スカリエッティの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「だが、彼女の上にはあの口うるさい『教官』がいる。……全く、あちらのデバッグ(心理ケア)も一筋縄ではいかないらしい」
天才技術者はそう呟くと、ティアナのデバイスが二度と危険な発熱を起こさないよう、密かに排熱効率を30%引き上げるサイレントパッチ(修正プログラム)の作成を始めるのだった。