魔法少女リリカルなのは ~コード・イレイザー~ 作:長谷川広軌
ミッドチルダ・機動六課 隊舎ロビー。
数日前のパトロール中、スバルとティアナによって偶然保護されたオッドアイの少女・ヴィヴィオは、キャロやエリオと一緒にお絵描きをして遊んでいた。
その微笑ましい光景を横目に、ティアナは分厚いファイルを持って芹葉紗雪の執務デスクへ駆け寄った。
「芹葉教官! 指示通り、ヴィヴィオちゃんの『時空管理局・未成年者緊急保護規程』および『ミッドチルダ児童保護法』に基づく登録手続きが完了しました。中央司法局・家事審判部からの正式な受理通知も届いています!」
「よくやった、ティアナ」
紗雪はファイル "MOIRA網"の戦術データと、法務局のログを並べて表示しながら頷いた。
「彼女が古代兵器『ゆりかご』と高い適合性を持つ人工生命体であるという技術的事実は消えない。だが、技術的関連性があろうと、それによって彼女の人格権と時空管理局の保護義務が消えるわけではない。……緊急保護指定中の未成年者を、本人の福祉と無関係な軍事目的で移管するには、福祉・医療・司法の三部門による独立した解除審査が必要だ」
「はい! もし最高評議会が命令を下してきても、これなら……」
「ああ。拒否するのではなく、『保護児童を戦略兵器の認証媒体として使用する旨を明記した命令書を、司法局同報で提出しろ』と要求できる。奴らにそんなログは残せない」
偶然の出会い(第一層)、六課の意志(第二層)、法的人格の固定(第三層)、そして複数部署の承認系(第四層)。
幾重にも張り巡らされた官僚と法の冗長化(レッドテープ)が、ヴィヴィオを強固に守っていた。
その時、紗雪の直通回線に、本局技術部特命課のジェイル・スカリエッティから通信が入った。
『……芹葉君。状況は最悪だ』
モニターに映るジェイルは、完全に血の気を失った、IT現場のPM(プロジェクトマネージャー)の顔をしていた。
『あの化石ども(最高評議会)が、私の技術部権限を管理者権限(ルート)で上書きし、安全インターロックを無視して『聖王のゆりかご』の強制起動プロセスを叩いた』
「……は? 待て、本番環境のDB(基幹システム)に、役員が直接ログインして手動でコマンドを打ったということか!?」
『そうだ!!』
ジェイルは頭を抱えて絶叫した。
『当然、システムは異常な半起動状態に陥り、魔力暴走(メモリリーク)が発生している! 通常の停止系(セーフモード)まで応答不能だ。もはやロールバック(切り戻し)は不可能……首都への墜落は免れない!!』
紗雪は深くため息をついた。
「……それで? 技術的に安定起動させるために、ヴィヴィオを寄越せと要求してくるのか」
『まさか! 経営層(上)はそう要求してくるだろうが、私がそんな技術的に無意味な提案をするわけがないだろう。今更認証トークンを繋いでも、暴走したレガシーシステムは止まらん』
ジェイルは忌々しそうに吐き捨てる。
『だが、君ならどうせ、既にあの子供の保護手続きを法的に済ませているのだろう?』
「ああ。司法局の承認まで終わっている」
『……君、仕事が早すぎないか? その子が聖王の適合体だと分かっていたのか?』
「知らん。数日前のパトロール中に倒れていたから保護しただけだ」
ジェイルは目を瞬かせた。
『……本当に? 君にしては珍しく、先読み(未来予測)なしだね』
「今の私に未来予測(チート)はない。だが、倒れている子供を拾うのに、未来予測は要らんだろう」
その言葉に、ジェイルはふっと息を吐き、口角を上げた。
『……違いない。……芹葉君。私は、安全インターロックの解除には明確に反対し、警告した。ログにも残っている』
「ああ。確認した」
『私は世界征服がしたかったのではない。自分が管理する美しいシステムを、正しく運用したかっただけなのだ。……こんなクソコードを書く経営層に、これ以上の忠誠は誓えんよ』
天才技術者は、ついに障害報告書(ログ)を武器に、最高評議会からの離反を宣言した。
「ならば、手伝え。ヴィヴィオ(認証キー)抜きで、暴走した起動系だけを停止させる代替経路(第五層)を構築する」
『……最高に難易度の高い要求仕様だ。だが、腕の鳴る仕事だね』
数十分後。ミッドチルダ上空、浮上した『聖王のゆりかご』内部。
「みんな、道は開けるよ! 全力全開でいくよっ!」
高町なのはとフェイト・T・ハラオウンが、圧倒的な火力と速度で防衛機構を制圧し、六課のフォワード陣が避難経路を確保していく。
後方の指揮所では八神はやてが全体のトラフィック(戦況)を統括し、モニターの向こうではジェイルとシャーリーがゆりかごの深部構造をリアルタイムで解析していた。
『旧仕様(レガシー)の魔力パスと、現行の標準規格にズレがあります! 私がアダプタ層(変換インターフェース)を挟んで繋ぎます!』
ティアナが自身の構築した結線記法で、暴走する魔力流の迂回路を作り出す。
そして最深部。
すべてを破壊するのではない。A'sの時と同じだ。システム全体を壊すのではなく、不具合だけを消し去る。
芹葉紗雪は、暴走の根本原因(ルートコーズ)となっている起動系コアの前に立ち、ノーブル・コレッジを構えた。
「――局所消去(サージカル・イレイズ)、実行(エンター)」
極小の閃光が、暴走コードの急所だけを精密に削り落とす。
その瞬間、巨大な質量体は機能を停止し、空中で静かに沈黙した。
戦場に、勝利の歓声が響き渡る。
子供を兵器の部品にしなくても、大人たちの連携(冗長系)でシステムを止められることを、見事に証明したのだ。
エピローグ。
機動六課のロビーでは、ヴィヴィオが「なのはママー、みんなまだ帰ってこないの?」と呑気にキャロへ尋ねていた。彼女は最後まで「鍵」になることなく、ただの子供として守り抜かれた。
「……結局、全部の始まりって、あの日パトロールでヴィヴィオちゃんを見つけたことなんですよね」
帰還後、ティアナが温かいコーヒーを啜りながら呟く。
「教官、珍しく計画外(イレギュラー)だったんですね」
「そうだな」
紗雪はロビーで笑うヴィヴィオを見つめながら、静かに答えた。
「だが、計画外だからといって、守らない理由にはならん」
一方、時空管理局本局・技術部特命課ラボ。
「――スカリエッティ課長」
氷のような眼差しを持つ監査官が、ジェイルの前に立っていた。
「ゆりかご強制起動によるインフラ大規模障害に関する、詳細な障害報告書の提出を求めます」
ジェイルは目の下に凄まじい隈を作りながら、虚ろな目で答えた。
「……現時点で、別紙を含め428ページある。……読むかね?」
監査官は無表情にバインダーを受け取った。
机に突っ伏したジェイル・スカリエッティは、静かに、そして痛切に呟く。
「……世界征服の方が、よほど楽だったのではないか……」