碌でもない人間がいる、お前らのことである 作:かりほのいおり
#4
ある日、暇潰しに本を読んでいると俺の部屋の扉をズバーンと大きな音を立てて開かれた。
読んでたら本を取り落とし恐る恐る振り返ってみれば、不愉快そうに頬を膨らませている桜庭が廊下に突っ立っていた。
勝手に親が家に入れたのだろう多分、きっと。
「また、誠に彼女ができたらしいわね」
「……とりあえずノックして入ってこないか?」
桜庭はその言葉に従い、再び部屋の外へと出て行った。無言で俺はその扉を開かない様に押さえたけれども、数秒の攻防ののちに無様に敗れて押し戻された。
「で、誠に彼氏ができたらしいんだけど、知ってた?」
「知ってる、今度は転校生だってな」
星野は他クラスではあったけれども、その話はちゃんと届いていた。
去年、同じクラスであった友人があいつと同じクラスで情報源。
そいつは昼食の時にわざわざ俺の教室までやって来ていたし、会話の種の一つとしてそのことに触れられるのも、それほどおかしいことでは無かった。
「まあ、星野も顔がいいからな」
本に視線を戻しつつ、けれども文字は一向に頭の中に入ってこない。
そういう話題でなければ彼女が家にやって来るのは全然歓迎ではあった、ただ星野が話に絡んでくると全くベクトルが違うものになる。
だって、彼女は星野のことが好きなのだから。
「まあ、結局恋愛なんて早い者勝ちなのは当然のことなんだってのは私も分かってるんだけど」
「はいはい、あいつに告白しても意味がないってね。そりゃ俺も分かってるよ」
本当にめんどくさいことに。
俺からしてみればさっさと告白して、仲を深めていくのが一番気持ちが楽になる。そうすれば次の恋を探しに行こうとさっさと諦めが付く。
けれども彼女はそうしようとしない、一生俺のことを生殺しにし続けている。
「ねえ、野崎はいい加減彼女も出来そう? 候補の一人や二人見つかった?」
「居たらこんな休日に一人寂しく本読んでねーだろ」
掛けていた眼鏡を外し、椅子ごと振り返ってみれば彼女はベッドのヘリに腰掛けていつも使ってる枕をポンと膝の上に置いていた。
「そう、それは良かったね」
「何も良かねーだろ、何笑ってんだよ」
薄く微笑んでいたけれど、何も面白くない話だ。
中学校の頃に彼女に振られて、その後浮いた話は一切なかった。まあそもそも、今も昔も桜庭 美羽一筋であったから、他の誰かに好かれたいとかそういう願望はなかったのだけれども。
「私、ちょっと考えたんだけどさ、方向性を変えるべきなんじゃないかなーって思ったんだ」
「方向性? なんの?」
「こう、押してダメなら引いてみろって奴があるじゃん。そういうこと、さっさとやり方を変えるべきだったんだ」
「誠が自分に近づいて来るものに興味を持たないなら、離れていくものにこそ執着を持つんじゃないかってこと」
「それが引くってこと? 一切合切あいつと縁を切るって、それは無理があるだろ」
星野のことを好きであるならば、そんな事を言うはずがなく、確かに彼女の言葉は俺の予想外を行っていて、自分から離れていくものに執着するんじゃないかという可能性は、まさに俺のことを指し示しているかの様だった。
もしかしたら、俺から着想を得たのではなかろうかと思ったけれども。
その役を俺に当てはめる残酷さを彼女は一向に気づかないまま、心底嬉しそうに言ったのだ。
「星野への当てつけがわりにさ、私たちも付き合わない?」
結局、その言葉に乗った俺も同罪ではあるのだろうけれども。
それでも、俺の立場に陥ってその言葉に首を横に振れる奴がどれだけ多く居ると言えるのだろうか。
5
結局土曜日になって、適当に帽子と読書用の眼鏡で軽い変装をして家を出たのはなんでだっただろうか。
間違いなく、何も起こらないとわかっている筈なのに、それでも居ても立っても居られない気分だったから、簡単に説明するとそうなる。
良くも悪くもそういう奴だから。腹芸が出来ないというより、する必要がないだけではあるのだけれども、わからないことがあったら彼に聞けば良い。
そうすればあいつの知っていることを全部洗いざらい教えてくれるのだから。
ただ、そうだとしても、あいつにとってはとただの買い物というだけで。
桜庭にとって、その買い物がどう意味合いを持ってるのかはわからないのだけれども。
問題はそこだった。
星野が浮気をする気は無いとは言え、桜庭の好意が何かとんでもないことをやらかすんじゃないかという、嫌な予感があった。
ただ星野と買い物に行くだけならば、素直に俺に言うことも出来ただろうし、それをしなかったということは疾しいことが裏にあるってことで。
何も起こらない、と言うのは自分の希望的な観測のような気がして。先日の彼女に、つまりは松浦さんに何も起こらないと言った以上、その言葉の責任を取らなければいけない、そんな強迫観念に迫られていた、というのも確かにある。
まあ結局、それら全部建前で、彼女が別の男と遊びに行くのを嫉妬してるだけでしょ? と言われたらまあ否定はできないのだけれども。
そうしてやってきたショッピングモールではあったけれども、日付と場所はわかっていたけれど、集合場所と出発地点が正確にわかっているわけでもなく、仕方なく当て所なく俺はフラフラと彷徨っていた。
こうしてる時に、あいつらが映画を見ていたら全く無駄足。
こんなことを回避する為の方法は一つだけ思いついていたけれど、俺は実行しなかったのだから、まあ自業自得と言われればそうなのだろう。
単純明快に、星野に土曜の予定を聞けば良かった。あいつなら快く予定を洗いざらい教えてくれただろうし、きっと俺を含めて三人で遊ぶことを提案しただろう。
全く、笑えない。
当然そんな話に乗れるはずがない。
それを断ったところで、俺が星野に予定を尋ねたこと、誘いを断られたことが星野から桜庭に情報が漏れることを予想することは容易かった。
でも、本当の本当に、全部を邪魔したいのならそうすれば良かったな。
目的の人物が見当たらず、少し歩き疲れてそこらへんに置いてあったソファーに腰掛けた。
そうして足を止めて仕舞えば、汗と一緒にどっと馬鹿らしさが吹き出してくる。
俺は何をやってるんだろ。
そもそも建前の付き合いでしかないのだから、桜庭が休日に何をしようが、彼女の勝手だろう。
家に帰って適当に本でも暇でも潰そう、そう一つ体に伸びを入れて帰ろうとしたところで、俺の目の前で誰かがぴたりと足を止めた。
「なんか見覚えある後ろ姿だなぁと思えば、やっぱり野崎君じゃないですか」
顔を上げる気力も失せてげんなりとする、こういうところで無駄な運を使わなくても良いだろう。
そんな俺の気を知ってか知らずか、俺が被っていた帽子をひょいと取り上げ、松浦さんはない胸を張ってニンマリとした笑みを浮かべていた。
「やっぱり、野崎君も気になってたんじゃないですか」
俺のことを全部見透かしたかのように、彼女は言う。
「幼馴染三人の筈なのに、君の知らないところで男と遊ぶ予定を立てて一人仲間はずれにされて、やっぱり桜庭さんの事を信じていないんですね」
「……俺はたまたま買い物に来ただけだ」
「ほーん、ふーん、じゃあ今日は何を買いに来たのか、僕に答えられます? わざわざそんな下手くそな変装までして」
無言の回答はそういうことだった、いよいよ松浦さんの笑みは深くなるけれども、全くお手上げでしかない。
こうして現行犯で捕まえられれば言い逃れしようが無い。彼女は自慢げな笑みを浮かべながら、俺のことをソファーから引っ張り上げた。
「それじゃあ、いこっか」
言うが早いが彼女は足早に歩き始めて、俺まで手を引かれて、つんのめりながらもそれに従った。
「いくって、どこに行くんだよ」
「そりゃあ決まってるじゃないですか? 僕と野崎君の初めの目的をしに、ですよ」
ピッと伸ばされた指の方向に視線を向ければ、あいつらがいた。
「彼らのストーキングをしに、ですよ」
後ろ姿、しかも遠目ではあったけれども、星野やっぱり人目を惹く容姿だった。
後ろから眺めていれば、通り過ぎていく人が彼に視線を惹かれるのがありありと分かる。
パッと目についたブラウン色の髪は周りから浮かんで見えた。染めた訳ではなく、父親からの遺伝した地毛らしい。
その隣を、いつも通りポニーテールをシュシュでまとめた桜庭が歩いていた。
こうして二人並んで歩いているのを遠巻きに見ると、まあお似合いの美男美女カップルだ。
あれで星野の欠点がなければ完璧なのに、もしくは隣にいるのが俺だったらもっと良かったのに。
隣で妬みから歯軋りをしてる隣人に向けて、俺は尋ねた。
「松浦さんは、星野のことをどれぐらい知ってる?」
「……身長は165センチと体重は56.9キロ、誕生日は12月21日とクリスマスに近い日で血液型はAB、趣味は天体観測、特技は人の顔を覚えること、あと彼の友人関係も」
「いや、星野の友人関係は知らなかっただろ」
ぐぬっと喉を詰まらせた彼女に畳み掛ける。
「俺たちが幼馴染だってことも知らなかったし、昔の交友関係も知らないだろ?」
もし松浦さんが、星野の交友関係を知っていたのならそれを避けれただろうかとふむと顎に手を当てた。
顔がいいと理由で惹かれていたのなら、結局変わらなかったのかもしれない。自分なら彼をモノにできると自惚れて、また同じ道を辿ったのかもしれない。
まあ確かに松浦さんが、そんじょそこらの女子高生を千切っては投げ千切っては投げ出来るぐらいの可愛さを持っているのは確かで。
でも人選びのセンスは最悪だよなぁとぼんやり彼女の顔を眺めていると、何を見ているのかこてんと首を傾げられて深くため息をついた。
結局、実感するしか無いのだろう。
そうして一人痛い目をみて、それで気がつくしかない。
言葉による説得は早々に放棄した、何もそこまで面倒を見てやる筋合いはないのだから。
まあでも、忠告ぐらいはしてやるべきだろう。そのままだと、後々俺の夢見が悪くなるような気がした。
「それで、星野とどこまで行ったんだ?」
「……デリカシーのない発言だなぁ」
植栽の物陰に隠れながら、彼女はジロリと俺のことを睨みつけた。
「キスぐらいは? まあでも付き合ってそれほど時間も経ってないし、してなさそうだな」
「僕の言葉をちゃんと聞いてるの!?」
あいつらが服屋から出てくるのを見て慌てて追いかける。松浦さんがバリバリと背中を引っ掻いてくるのも無視。
代わりに、忠告を残す。
「あらかじめ言っておくけど、あいつからキスしてもらおうなんて夢見ても無駄だからな」
「……何を言ってるんです?」
「俺は本気でアドバイスしてる。乙女みたいに最初は相手からなんて、そんなことを星野に求めるのは無駄だってこと」
だってあいつはそういう奴だから。
そう言葉を残したところで、後ろからついてくる足音が止まったことに気がついた。
振り返れば、俺のことを蔑むような視線で見られている。
「彼の評価を下げようだなんて、最低だな」
「……まあ、そう言われると思ったよ」
やっぱり言わなければ良かったな、後悔後先に立たずではあるのだけれども。
結局全部手遅れだった。会話も途絶え幾分温度も冷えたような空気感の中で、それでもあいつらの背中を追って後を追いかける。
服屋、服屋、本屋といたって普通のデートにしか見えないけれど、ただの買い物と言われたらそれもそうだろうとしか言いようがない。
結局、俺はここに来て何をしてるんだろうと思うけれども、同行人がいる今となっては「それじゃあ、俺先に帰るから」とも言い出せず、ただ地獄の空気を味わうことしかできない。
追いかける二人がトイレの通路に入り込んだのを見て、俺たちはその手前で足を止めた。
ムッとした表情のまま、口を噤む彼女に向けて俺は口を開いた。
「つまりだな……俺が言いたかったのはお前らがこれから先上手くいかないとか、そういうことを言いたかった訳じゃないんだよ」
腕を組みながら憤然とした表情で、話の先を促してくるけれども、意外と言葉選びが難しい。
「やりたい事を選んで星野に提示すれば、間違いなくやれるんだよ。松浦さんからあいつにキスしたいとか、ABCをフルコンプしたいって言ったらそれこそ全部解決する、一瞬で終わる」
「本当に何を言ってるんですか!?」
ボッと一瞬で顔が真っ赤に染まって、大きな声で喚かれる。慌ててトイレの方向を見やるも気付かれた様子はない。
ほっと胸を撫で下ろし、どう説明しても無理じゃねーかと自嘲する。
「だから松浦さんにはあらかじめ言っとく。それはやめといた方がいいって事を、俺が言った言葉は比喩でも何でもなく、実際にそうなんだから」
理解できないという表情を浮かべているけれども、俺からは伝えられることは全部言ったつもりだった。
これだけ言って失敗したのなら、彼女の自業自得だ。何も教えてくれなかったなんて、俺が責められることもない筈だろう。
また二人揃って通路から出てくるのを見て、俺は歩き始める。それに少し遅れて足音が付いてくるのが聞こえた。
6
少なくとも、俺の中では上手く尾行出来ているというつもりだった。
二人を見失うこともなく、一定の距離を保って後を追いかけ続けるという行為は簡単に思えて、意外と面倒ではあったけれども。
歩くペースがゆっくりであるから、必然的にこちらの歩くペースも落とさなければならない。目標点を点々とばら撒いて、そこに至る時間を合わせるなら簡単なような気がするけれども、ペースを他人に委ねているのだから煩わしいことこの上ない。
だからペースを見誤って、ほんの少し近づき過ぎてしまったのが失敗だったのかもしれない。
そうしたことによって、話し声がふとあいつの耳に届く距離にまで踏み込んでしまっていたのかもしれない。
星野が不意に足を止めるや否や、くるっと百八十度振り返るまでほんの一瞬のことで、俺たちが物陰に身を隠す暇は全くなかった。
視線で射抜かれたと感じた瞬間にバレないことを祈るより先に、あああいつなら気がつくだろうなと感じたからこそ、身を翻して俺の陰に隠れた松浦さんと違って俺は身動きが取れなくなっていた。
俺から強奪した彼女が今も被っている帽子があれば、何か変わっただろうか?
そんなことはないだろう。星野が振り返る前に物陰に隠れられなかった時点で勝敗は付いていた。
そうこう考えている内に、星野は俺の目の前までやってきていた。隣にいた桜庭に声も掛けずにほっておいて俺の目の前まで一目散に辿り着いていた。
「こんな休みに会うなんて、奇遇じゃないか」
なんかいつもと違うから気づかなかった、と言葉を繋ぐけれども嘘こけとしか思えない。一目見た瞬間に、あいつは野崎だと見抜いて歩き始めていたじゃないか。
「それで、幸二の後ろにいる彼女は誰?」
ビクッと彼女が揺れるのが掴まれた服の袖越しに感じた。渋々影から這い出て来たけれども、哀れなことに松浦さんは顔を青ざめさせていた。
まあ、当然か。
もしかしたら、星野から怒られると思っているのかもしれない。
あいつからしてみれば、星野から土曜に女友達と遊びに行くと伝えていたのに、僕はそれを信用しきれずにストーキングしていたと見抜かれるかもしれない、なんて想像を含まらませている最中なのだろう。
「ああ、松浦ちゃんか。こんなところで何をしてるの?」
綺麗な、淀みのない笑顔であいつは言う。まるで疾しいことはしてないよね? と言わんばかりに、それを見てあ、う、と言葉にならない声を漏らすばかりでしどろもどろな様を晒していた。
貸し1だな、彼女が下手なことを言わない内に俺は先手を打つことにした。
「こいつも俺と一緒で買い物だってさ」
「へえ」
それで、と言葉の先を促すように星野は目をすっと細めた。大丈夫なのかと隣からちらちらと視線を感じるけれども、こいつだけなら何の問題もないことをちゃんとわかっているからこそ、俺は落ち着いていた。
「偶然会って、彼女に話しかけられたんだ。どうやら俺と星野が幼馴染だってことを知っていたらしいんだ」
「ああ、確かに。彼女には俺と幸二と美羽が幼馴染だってことも最近伝えたよ」
「だろ? だから俺が知っているお前の古い話を聞かせて欲しいってせがまれてさ、そうしたら偶然も偶然、ジャストタイミングで星野と桜庭が歩いてるのを見えたし、それならと話しかけようと思ってな」
全部出鱈目だ、そんな言葉が普通は信用されるはずがない。「なるほど」と深く頷くのを見て、松浦さんがひゅっと息を呑んだ。
それでも、星野なら。
お前がお前であるのならば。
「そっか、幸二と松浦ちゃんが仲良さそうで俺は嬉しいよ。幸二っていい奴だろ?」
「あっ、えっ、へ? 幸二って誰の事?」
「野崎 幸二、前聞かれた時に下の名前を教えてなかったっけ?」
星野の説明を聞きながら、彼女は目を白黒とさせていた。いつもと変わらない様子の星野を見て、拍子を抜かれた様子で。
「えっ、その説明で納得するの……?」
口を滑らせて下手な事を言ったけれども、星野はそれを一向にも気にせず、ただ「なんで?」としか調子をずらさなかった。
「もしかして、なんか幸二の説明に嘘があったりした?」
「……ない、けれど」
「偶然ここで会って、偶然目撃したからそこにいる、何か違ったりした?」
「違わない、ですけど」
星野の調子は何も変わらない、いつも通りのあいつだった。ただそれだけだと言うのに、その様子に飲まれたのか彼女は抱えたポーチをぎゅっと握りしめていた。
「それじゃあ偶然あったことだし、四人で一緒にお昼でも食べよっか。歩き疲れてもうすっかりお腹ぺこぺこだよ」
今度の今度こそ、誰も何も言えなかった。
おずおずと居た堪れない空気に背中を押されたのか、松浦さんは言った。
「それは、それは流石に一緒に来てる人に先ずは確認取らないとダメじゃない? 一応僕は君の彼女ではあるのだけど」
ずっと蚊帳の外に置かれていた、俺が無理やり目を逸らしていたところにとうとう矛先が向いた。
見たくなかったのに、何もなかったことにしたかったのに。
仕方なく目を向けた先にあったのは、気まずさだった。
隠しごとがバレた時の子供の表情。今から怒られるんじゃないかという恐れと、失望されるんじゃないかと不安をないまぜにした、そんな色。
確かに嘘はついていない。
土曜は予定があるから無理だと前もって断られていたし、俺もそれ以上深掘りすることはなかった。
ただ、優先度をつけただけなのだ。
俺と星野を並べてあいつのことを優先した、ただそれだけの事。
隠す必要もなかったと思う。けれどもそれを言わなかったのは、彼女なりの罪悪感があったからだろう。
曲がりなりにも付き合っているのだから。
建前とは言え、当てつけとは言え、俺が彼氏と置かれているのだから。
彼氏より他の男を優先した、そこに引け目を感じる。
それなら、それならやるなよと思うのだ。
俺は別に気にしないことにしたのに、お前まで悪いと思ってるのなら、俺はどうなってしまうんだよ。
まるで、俺が本当に酷いことをされてるみたいじゃないか。
嘘をついたから、真っ当に言えばいい
言わなかったのはきっと罪悪感があったからで
それならと思うのだ、だったらやるなよと
お前も悪いと思ってるなら、俺が本当に酷いことをされてるみたいじゃないか。
「悪い星野、提案してもらって悪いけど、この後予定詰まってるから俺はもう帰るわ」
「そっか、残念だな。久しぶりに三人が集まったのに」
何でもない様子で、心底残念そうにそんな事を言える星野が一番怖かった。
お前が、お前を遊びに誘った桜庭もいて、本当にこの状況が分かってるのか。
分かっていないのだろう、分かってたらそんな事を言えないに決まってる。
彼女がお前のことを、俺を除いた二人で遊びに誘うなんて、彼女の振る舞いからしてどんな朴念仁だって一瞬で悟るはずなのに。
それでも気づけないのは、星野が星野であるから。
彼の頭の中では勝手に理論が成立してしまっていた。あいつには彼女が居て、コブ付きの男に誘いをかける奴なんて誰も居ないと思い込んでいる。
気持ち悪かった、どうしてここまで人から離れられるのだろう。人の好意にどうしてそこまで鈍くあるのだろうか。
こんなやつを差し置かずに俺が振られたのが、星野に彼女ができて当てつけでもなければ付き合えなかったのが、所詮こんなやつの代替品でしかないのが無性に悔しくて、それでもひた隠しにするしかないと分かってるからこそ、ぎゅっと手を握りしめることしかできなかった。
「それじゃあ、またな星野」
「ああ、いつでも家にこいよ。ずっと待ってるから」
「その台詞は俺じゃなくてそこの彼女に言ってやれってーの」
冗談めかして、さっさと俺はその場を逃げ出した。ここまですれば十分だろう、やっぱり何も変わらない、星野も桜庭も何も変わらないまま、時間だけが前に進んでいくのだろう。
後ろから松浦さんと星野が何かを話している声だけが追いかけて来る。
結局、彼女も「僕も家に帰るよ」という言葉が聞こえたから、あいつら二人だけが買い物を続けるのだろう。
目についた曲がり角に折れて進み、タイミングよく扉が開いていたエレベーターに飛び込んで扉を閉めた。
これで一人になれた、ようやく俺を一人にしてくれた。
再度扉が開いた先でエレベーター待ってた家族が、チラッと心配そうに俺に視線を向けたけれども、結局何も言われることはなかった。