碌でもない人間がいる、お前らのことである 作:かりほのいおり
7
雨が降ると大体決まって頭痛がする。
カメラ付きインターホンの映像を見た時に感じたその頭痛は、果たして天気が原因だったか、それとも招かざる客が来たことが原因だったか。
人の気も知らないで、にこやかな笑顔でそこでじっと待っていればいつか出て来るだろうと思い込んでる様に一瞬イラっとする。
無視することも視野に入れたけれども、彼女が被っている帽子を見て、そう言えば取られっぱなしだったことを今になってようやく思い出した。
「おっ、野崎くんじゃーん。元気にしてる?」
「元気な様に見えるかよ」
玄関の扉に寄りかかって、彼女の方を見やる。
まだ敷地にも入れさせてくれやしないというのに、松浦さんは上機嫌にクルクルとビニール傘を回して、雨粒を周りに跳ね散らかしていた。
「で、誰からここを教えて貰った?」
「そりゃ、神様仏様星野様に決まってるでしょ」
思わずため息を吐く。
「彼氏に個人情報の大事さについてちゃんと教育しといてくれよ」
「まあ、昨日一緒にいたから仲が良い認定されて僕なら教えて良いんじゃない?」
「……それで、今日は何の要件で?」
帽子を返しに来るためだけに、ここに来たとは到底思えなかった。
案の定、彼女は別の目的を口にした。
「あいつのことで話があるんだけど、とりあえず家に入れてくれない?」
「……彼女がいる彼氏の家に入り込む女って、どう思う?」
「時と場合によるかな、うん。今となっては僕も桜庭さんのことを許して良いんじゃないかって思えるよ」
「納得してもらえて何よりだよ、ほんと」
昔の自分が吐いた言葉すら容易に翻すのを見て、全く都合がいい奴だなと思ったけれども、松浦さんを家にあげることへの拒否感はすっかり薄れていた。
8
「あいつ、やっぱり頭おかしいの?」
そう言うなり、注いであげた麦茶を一気に喉に流し込んで、元気よく「おかわり!」と声を上げた。
自分で注げよと言えば、彼女は渋々動き始めた。なんでわざわざ自分より遠くにいるやつを顎で使おうとしてるんだ。
引っ張り出してきたちゃぶ台と一つの座布団、そこに松浦さんがちょこんと座っていて、俺はベッドのヘリに腰掛けていた。
「おかしくはない、人より少しずれてるけれど」
「少しぃ!? あれで!?」
「……悪い奴ではないんだよ」
悪いやつではない、間違いなく善性の人だと断言できる。
それでも、やっぱり、常人と価値観が違うのだ。
ある程度の模範はある。
ただ、人から何かを要求された時に、自分の意思が乗らないのだ。
「ほら、前にカフェで行っただろ? 君があいつと付き合えたのは先に告白したからだって。もしも、それこそ、松浦さんじゃなくて桜庭が先に星野に告白していたら、どうなったと思う?」
「桜庭さんが勝ってたって言いたいの?」
「そ。でも、その相手が桜庭だったからとかそんな理由じゃない。あいつが可愛いからとか、幼馴染だったからとか、そういうことを見てるわけじゃないんだ。別に誰だっていいんだ、別に誰が告白しても変わらない」
「その告白の返答にあいつの意思は乗ってないんだよ。相手のことがどれだけ好きか嫌いかなんて、判定もない。告白された、断る理由がない、それなら付き合ってもいいだろう、そういうプロセスを淡々と進めていっただけなんだよ」
冗談めかして「俺が告白したら流石に断られるけどな」と言って見たけれども、その言葉に返事はなく、少しだけ傷ついた。
恋愛は早い者勝ち。松浦さんはそう言ったし、俺も確かにそう思う。
星野のそれに関しては究極の早い者勝ちだ。誰だろうと構わない、一番先に告白さえすればそれで勝ちが決まってしまう。
そこに何のありがたみもないけれども。
恋愛は勝ったものが正義、そうして得た恋人で他人にマウントを取る人間が世の中にはいるけれども、誰にでも容易く取れるものに価値が生まれるはずがなかった。
「でも、そんなことあり得るの? 誰でもいいって、好き嫌いの価値観がないってことじゃん。人としてそんなことがあり得るの?」
「もしかしたら、うっすら嫌いとかうっすら好きとかあるのかも知れないな。それでも、その好き嫌いで星野が他人の意見を否定することを俺は今まで一度も見たことがない」
友人という位置に置いておくなら、星野ほど良い奴はいないだろう、決して悪い奴じゃない。
人を決して悪く言わないし、そういう人間は得てして場を緩やかに保ってくれる。
じゃあ、彼を恋人に置いたのなら?
あいつに付き合ったとして、それに何の意味がある?
ただ得られるのは肩書きだけだ。
勝ち取ることはできたかも知れないけれど、それは自分が選ばれた訳じゃない。
「星野と付き合えたしても、それだけじゃあいつの特別な存在になれる訳じゃないんだ。もちろん、他人と二股をかけるとか絶対に起こらない」
「二股は良くない、だから断る理由になる、そういうこと?」
「そういうこと。そういう意味では特別ではあるけれど、あいつにとってはそれ以上の意味はないんだ」
恋人だから、それを理由にすれば星野はきっと動いてくれるだろう。でも、そこにいるのが誰だって変わらない。
それは怖いのだ、それは気持ち悪いのだ、それを悲しく思って、人は寂しくなってしまう。
だって自分を求められていないのだから、そうしてようやく、私の居場所は誰だって構わないということに気付くのだ。
だから星野に近づいた人は自然と離れていく、気がつけば誰も彼を相手をしなくなった。
気が付けば部屋がシーンとしている。
チラッと視線を向ければ松浦さんは口を噤んで、ぼんやりとコップの表面を撫でていた。
「ショックか?」
「いや、うん、そうなんだけど」
そういう割には何ともない様子で、一口麦茶を飲んで言った。
「でも、昨日のうちに何となく飲み込んだから、今日は再確認しただけ」
9
「桜庭はそれを治したかったんだよ」
もうとっくに俺は諦めたけれども、もうどうしようもないなと匙を投げたけれども、彼女は変わらなかった。
「あいつなりに、何か特別なものを見つけて欲しかった。何も欲しがらない、その場その場で何となく迎合して生きてる奴に、全部投げ打ってもいいと思えるような、そんな何かを見つけて欲しかった。まあ実際、人が生きていて全員が全員それを見つけられるかどうかなんてわからないけど」
「そういう言い方をされるとさ、僕がそれを邪魔した悪者みたいな言い方じゃない? 均衡を保ってたのに、何も知らない奴が突っ込んでみたいなって」
「まあ部分的にそうかな。でも、別に星野の特別になれるのは桜庭だけじゃないんだ。別に誰だってそうなれるのかもしれない、もちろん松浦さんもこれからそうなれるのかもしれないし、俺としてはどっちが特別になろうがどうでも良いんだけど」
自分だけが特別、だって幼馴染なんだから。
そんな自惚れなんて桜庭には一切無いだろう。あくまで手段の一つでしか無いのだから。
ベッドに身体を投げ出して、ぼんやりと天井を見上げる。
まあ、でも、自惚れはなかったにしてもどれだけ人に迷惑をかけるんだという身勝手な苛つきはあるのかもしれない。
「結局、何も変わらない。星野が松浦さんと付き合おうが、俺と桜庭が付き合おうが、一向にあいつはペースを崩さない。こうなってくるともうどうしようもない、お手上げだよお手上げ」
「……へー、ふーん、ほーん」
よくわからない相槌が聞こえてきて、頭だけ軽くベッドから持ち上げると、松浦さんは頬杖をついて何か考え込んでいる様子だった。
こちらの視線に気づいたのか、チラッと俺を向き直って彼女は言った。
「僕には一つ気になったことがあるんだけど、今までは試さなかったの? 今回みたいに当てつけ代わりに付き合うのって」
「ない、そもそも俺から桜庭に一度告白して振られてるしな。まあそれはあの建前とか、当てつけとかそういう計算抜きの話だったけど」
「へー、なるほどね。そういう感じ、一度告白して振られた、と……はーん、ふーん、ほーん」
それだけ聞けば満足と言わんばかりに視線を切られて、彼女は麦茶を喉に流し込み、けっと悪態をつくばかりだった。
というか、彼女はいつまでここに居る気なんだろうか。ベッドの上でモゾモゾと姿勢を変え、頬杖を付いて彼女を観察する。
まともに絡みがあったのがあのショッピングモールとカフェでの2回だけ、それぐらいの接点しかない男子の家に上がり込んで平然としているのはなかなかの胆力の様に思える。
俺のことを何も知らないのに。まあ隠してることも特に無いし、あらかた話したことから自分の内面をほぼほぼ把握してしまっているのかもしれないけれど。
それは自分が内心弱っていたというのもあるかもしれないし、それをうまく引き出す技量が松浦さんに備わっていたというのもあるのだろう。
つまりは、距離感を掴むのが上手い。
まあ、人選びのセンスは全く無いのが玉に瑕ではあるけれど。
「話を変えよっか、あの後野崎君と桜庭さんとで話をした?」
「してないけど、なんで?」
「何でってそりゃ」
何を当たり前のことを聞くのかというように、彼女はやれやれと首を横に振った。
「あの気まずい場面になってさ、なんで何もしないの? まさか何もしないつもり? そうして隠して蓋をして、表面上だけ何もしなかったことにすれば全部解決すると思ってるの?」
わかってる、それじゃダメだってことも。
それでも俺は、確認することが怖くて全部後回しにしていた。スマホのメッセージを確認するのも嫌で、全部から逃げていた。
「ねえ、本当に桜庭さんに昨日何をしていたのか確認しなくていいの?」
「……なにって、デート以外に綺麗な納得する答えはあるのか?」
「無いと思うよ、少なくとも僕はね」
でもね、君は彼女のことを信用してないの?
そう彼女に言われてフッと笑いが漏れた。
信用、信用か。果たしてそんなものがどこにあったのだろうか。
「してないよ。結局俺たちは当てつけというきっかけでしか付き合えなかった、その前の俺の告白はあっさり断られた」
だから、別に傷つく必要も悲しむ必要も無い。
だって元から自分のものではなかったのだから、俺に取っては全部どうでもいいことだった。
「所詮、俺と彼女は偽りの関係なんだから。どのツラして昨日のことを尋ねろって言うんだよ」
部屋はシーンと静まり返り、聞こえるのは家の外で響く雨音ばかりだった。
天気が悪いから気が滅入るのだ、反論しようともできない存在を目の敵にして、心の内で呟いた。
「……野崎君はどうして桜庭さんのことを好きになったの?」
沈黙を嫌ったのか、松浦さんはそんな事を言い始めた。
随分、切り込んでくるなと思いつつ、けれども返事をする義理もないなと思ってればふらっと近づいてきて、俺の身体を揺らして答えをせがんでくる。
「ねー教えてよー、ほらカフェで僕も教えてあげたじゃん。僕が星野に告白した理由、だから野崎君も教えてよ、等価交換でしょ」
「……教えてもらったって言っても、お前、面食いでしかないじゃん」
「何を言ってんの、顔も立派な理由だよ」
「そうか、じゃあ俺も桜庭の顔が好きだったんだ」
「嘘じゃん、絶対。そんな取ってつけた様な理由を誰が信じるっていうのさ、それに桜庭さんの顔がいいってなら絶対に僕の方が可愛いんだから」
この顔、ねえ。気が付けば手の届く範囲に来ていた松浦さんのほっぺたを無言でもにもにと引っ張る。
顔の良さがどっちが上かは、少なくとも俺は桜庭の方が上だと思うけれども。
ほっぺたの柔らかさだけで評価するとなると、なかなかの弾力と柔らかさ、その手の愛好家なら結構なお値段を付けてくれそうである。
何をするんだよーと言う抗議の声を無視してしばらく堪能するも、腕を払い除けられて真面目に言えと怒られた。
僕の頰を味わった分、と請求を掛けられれば身を正して真面目に考えざるを得ない。
「……なんでか、なんでだろうな」
胸の内を覗き込んでも、意外とこれだと一言で断言できる様なものはなかった。
「俺はさ、わりかし星野のことをいい奴だとは思うけれど、それはそれとして、もうどうしようもないんじゃないかと思ってるんだ」
「それでも桜庭はまだ希望を持っている。明確にこれが欲しいと、自分の事を選んでくれる日がいつかくるんじゃないかと夢見てる」
それが叶うのか。本当に起こりうることなのかはわからないけれども、少なくともそれを聞かされた時に俺は思ったのだ。
「ああ、星野が羨ましいなって思ったんだ。それだけ自分を想ってくれる相手がいるなんて。その矛先があいつじゃなくて、俺なら良かったのにってね。俺なら彼女が望むものを全部あげることができるのに、何だって差し出してあげるのって思ったから、だから俺は桜庭に告白したんだ」
それでもダメだった。
結局、俺は選ばれることはなかった。
「でもね、もしその告白に乗られたら逆に桜庭に幻滅してたと思う。本当に身勝手ではあるけれど、俺が知っている彼女であるならば、その告白に首を縦に振らないとわかってたんだから」
「俺と桜庭が付き合ったら、星野が一人っきりになる。幼馴染三人のうち、一人だけが取り残されることになる。それをわかっているならば、桜庭がそれをよしとするはずがなかったんだから」
「……それって合理化じゃない? 振られた理由を探してさ、都合がいいものを拾ってきて、それを当てはめて自分を納得させようとしてるだけじゃない?」
「まっ、そうかもしれないな」
「しかもさ、それが本当なら君は一生報われないんじゃない? あいつがあいつである限り、ずっと一人で置いて置けないじゃん。治れば何とかなるって言ってもさ、本当に治るのかもわからない、そもそもあれが正常なんじゃないの?」
そうかもしれない。
推測が正しいのであれば、ずっと俺は片恋を続けることになるだろう。
それに、そもそも星野が他者を欲する様になった時に、桜庭が俺と星野どっちを選ぶかと言われれば答えは明白だった。
ふはっ、と変な笑いが漏れたけれども、彼女はむっと不満そうに頬を膨らませていた。
「否定しろよ、例えばさ、ほーんと碌でもない野崎君のことを他に好きになってくれる奴がいるかもしれないじゃん? 全部忘れて、あの二人から離れた新しい恋を見つけられるかもしれないじゃん」
「無理そー」
思わず鼻で笑い飛ばす。
こんな情けない自分を好きになってくれる相手が、どこにいるというのか。
心の底から、本当にそう思っていた。
ベッドが軋む金属音がして、気が付けば松浦さんは俺の隣に腰掛けていた。
何ともなしに距離を取ろうとして、それより先にずいっと彼女が近づいてくる方が早かった。
唇に何か柔らかい感触がして、頭の中がパッと真っ白になった。
理解が追いつくはずがなかった。
松浦さんには彼氏がいて、俺にも彼女がいて、それでいてこの状況に辿り着くためには、幾つもの過程をぶっ飛ばしているのだから。
廊下からコトッと何かが動いた様な物音が聞こえて、そうしてようやく松浦さんのことを突き飛ばして距離を取った。
「いきなり、いきなり……なにをして」
「そんなに汚いものに触れたみたいに拭わなくてもいいじゃん。傷つくなー、もー。貴重な僕のファーストキスだよ、わざわざ君にあげたって言うのに」
「違うだろ、全部間違ってる。だってお前には別に彼氏がいるじゃねえか」
俺の指摘に何の悪びれた様子もなく、彼女はイタズラっぽく微笑うばかりだった。
キスをしたのかという発言に顔を赤らめていた昨日と打って変わって、人が変わった様に何よりも嬉しそうに、蠱惑的に。
「別に良くない? 僕は傷ついてない、野崎君が悲しんでるなら謝るよ、初めてだったりした? それなら悪いことをしたかもしれない、大事に大事に取っておいたかもしれない」
返す言葉もなく無言を保っていると、それなら良かったと松浦さんは言った。
「君が傷つかないならさ、誰も気にしないんだよ。星野君もそう、僕が何をしようが彼は気にしない。君の彼女もそう、建前での付き合いなんだから野崎君が何をしようが気にしない」
「だってほら、彼女だって君以外とデートしてたんだし、これで全部あいこだよ」
そう言われて、俺は返す言葉もなかった。
誰も傷つかない。
少なくとも俺は驚いたけれども、それが嫌だとは思っていなかったのだから。
ふらっと立ち上がって廊下に出る。
出たところのすぐ近くに、小さな紙袋が横倒しに倒れていた。おそらくあのタイミングでバランスを崩したのだろうけれども、少なくとも俺はこれに見覚えがなかった。
「お前のか?」
「いや、知らないけど。中身は?」
キスした直後なのに顔も赤らめず、俺の知ってるいつものペースだった。
まるでドギマギしている俺がおかしいと言われてるかの様だった。
中身を覗き込めば、綺麗にラッピングされた何かが入ってる。全くわからない、知らないうちに親が置きにきたのだろうか。
「僕は、わりかし本気だよ」
紙袋から顔を上げれば、彼女は身支度を終えて部屋から出ようとしていた。
「結構ね、野崎君のことを欲しくなっちゃったんだ」
「……嘘こけ」
「そのうちわかるよ。また明日、学校で会おう」
お見送りはいらないからね、その言葉を残してバタンと扉が閉まった。
そして俺が一人部屋に取り残される。
まるでさっきまでのことが全部夢だったかの様に、部屋には静かに雨音が響いていた。
10
僕が野崎君の家から出て少し歩けば、外で傘を差して突っ立っている人影が見えた。
案の定だ。唇を軽く舐めて、そのポニーテールの少女に向けて歩みを進める。
まず間違いなく、彼女の目的は僕だろうとわかっていた。
その上で火種に近づいたのは、少なくとも僕には絶対に負けないという確信があったから。それがわかっていて、わざわざ自分から尻尾巻いて立ち去る必要もなかった。
「少し歩こっか、ここだと近所迷惑になりそうだしさ。最近美味しいパフェを食べれる喫茶店を見つけたんだ、ちょうどいいからそこに行かない?」
「……どういうつもりなの?」
「へ?」
振り返ればまだ彼女はそこで足を止めていた。
こんな場所で立ち話をしてもつまらないのに、思わず舌打ちをしそうになるけれども我慢する。
「どういうつもりで、幸二にキスしたの?」
「どういうつもりって言われてもなー」
半分、衝動的な行動だった。
初めてキスをしたのは彼に言った通り事実だったし、こんなに自分が軽く動ける理由はわからなかったけれども、少なくとも後悔は一ミリもしてなかった。
だから、理由を言えと詰められても困るのだ。
それでもついうっかり、と言ったところで納得してもらえる気がしなかった。
クルクルとビニール傘を回して今も雨が降り続いている空を見やる。
でも、どうしてそうしたいと思ったのかは、何となく見えた様な気がした。
「彼が可哀想だったから、かな」
「嘘」
「嘘じゃないよ、本当だよ」
間髪入れない断言に思わず苦笑する。
「まあ、野崎君を傷つけた張本人は絶対に認めたくないかもしれないけどさ。ちゃんと桜庭さんもわかってるでしょ?」
「……そんなつもりじゃなかった」
「知ってるって。隠してた理由も、ちゃーんと僕はわかってる。星野と桜庭さんの二人でさ、誕生日プレゼントを買いに行ってたんでしょ。だから秘密にしたかった、サプライズ先である彼には言いたくなかった」
星野に聞けば、一発だった。
買い物に行くまで知って、そこで満足して立ち止まらなければ良かったのだ。
「来週、だったっけ。予定空けといてって言ったから、野崎君もちゃーんと予定を空けて置いてくれてるんだろーね」
でも、自尊心が低かったからこそ気づけなかったのだろう。それでも引き返すポイントは有ったはずだ、答えを教えてもらうチャンスは間違いなくあった。
野崎君の致命的な失敗は、そこだった。
桜庭さん、もしくは星野にあの場で直接聞けば良かったのだ。
彼自身が喫茶店で言った通りに、シンプルに、単刀直入に。何をしにここに来たのかって聞けば、少なくとも星野は快く答えてくれただろう。
それで全部、解決する話だった。
「桜庭さんも、あの場で釈明すれば良かったのにね」
何でもやれば良かったのだ。
野崎君の知らないところで遊びに行く予定を立てなければ良かったし、秘密にするにしても目的だけを伏せていれば良かったのに。
だからこうやって、容易く僕に揺さぶられる。どうせついてくるだろうと思いながら、僕は足を進めた。
「もしかしてさ、今日あいつの家に行ったのは釈明するつもりだった? あの廊下にあった紙袋がそうだったりした?」
くるりと振り返れば、彼女がぎゅっと手のひらを握りしめるのが見えた。
彼女はちゃーんと野崎君の家までやってきていた。ただ、僕より少しだけ遅かっただけ。
先にくれば全部洗いざらい説明できたのに、何もできないまま、無様を晒していた。
「桜庭さん、かっわいそーっ! ふふっ、全部失敗しちゃったね、桜庭さーん」
でもさ、全部自業自得じゃない?
ゆるりと距離を詰めれば、彼女はびくりと肩を揺らした。
「でもまあ、仕方ないよね。二兎を追って一兎も得ずってだけなんだから。桜庭さんはちゃーんと、一番好きなのは野崎君だもんね」
第三者の僕からしてみれば、そうだった。
当事者からしてみれば全くわからないかもしれないけれど、その事で野崎君が悪いという気はなかった。
それも無理はないだろうと思えたから、だからこそ彼が可哀想で可哀想で居ても立っても居られなかった。
「だーかーらっ、酷いことしてるって言ってんの。野崎君のことを好きならちゃんと好きだって言えば良かったじゃん。そんな曖昧な状態に置いておいて不安にさせなければ良かったじゃん」
それを決めたのは彼女だ、野崎君ではない。
怒りを奮い立たせて、ゆらっと桜庭さんが右手を掲げるのが見えた。
行き先はきっと僕、それでも一向に怯む気はなかった。別に、一度や二度くらいなら構わない。
「桜庭さんが当てつけで付き合おうなんて提案したのってさ。もしかして、不安になっちゃったんじゃない?」
腕は、振り下ろされなかった。
核心をつけたことに気づいて、僕はいよいよ笑みを噛み殺せなくなっていた。
「僕はね、あのタイミングで桜庭さんが野崎君にその提案をした理由がまーったくわからなかった」
「だってさ、考えてもみて? それを言うのはそこのタイミングじゃなくていい。星野に彼女ができたのは何回でもあって、その度に機会があったはずでしょ。それでも、毎回それを逃してた」
気が付けば手も下げられて、彼女もすっかり縮こまって見えた。
「本当に偶然かなー、それってさ。あの時、あのタイミングである必要があったんじゃないの? そのための動機が君にもあったんじゃないの?」
「……やめて」
「やめない」
一言で切って捨てる。
本当に碌でもない理由、それを見逃す理由も優しさも、野崎君にはあったかもしれないけれど、今ここにいる僕にはなかったから。
「不安になっちゃったんでしょ、桜庭さんは。野崎君を他の誰にも渡したくなかった、もしかしたら、彼にもいい出会いがあって彼女ができるんじゃないかって」
もしかしたらこれまでも邪魔していたのかもしれない。実際のところはわからない。でも、今回の手段をとった様な人がそれまで何もせずに傍観してるとも思いづらかった。
「だから、星野を使ってさ、野崎君に建前の付き合いを迫ったんでしょ。ねえ、桜庭さん。その提案を断られるわけないとわかってたでしょ?」
彼女の様子をみれば、その推測が正鵠を射抜いていたことは一目瞭然だった。
よろよろとふらめいて後退りして、けれども僕の視線に射抜かれて逃げることすらできない。
胸のうちから笑いが込み上げてくる。
僕も大概良い人間とは言えないけれど、それでも、彼女ほど酷くはないだろう。
「ほんとっ、最低だよねーっ! 他人にあげたくないからって仮の関係で縛って、本当にそれが許されると思ってるの?」
気にも留めないぐらい図太い人間ならそれで良かった。
建前であったとしても、望みはあると前を向ける努力できる人であるならば、そういう関係は否定できないだろう。
でも、野崎君はそうではなかった。
「彼がどんな気持ちだったか、ちゃんと分かってる? 分かっててやってるなら最低だし、分かってないならもっと最低だよ」
返事はなかった。
言葉にならない呻きをもらすばかりで、これじゃあまるで弱いものいじめをしてるみたいだった。
実際、そうなんじゃないか?
なら仕方ないか。そう見切りをつけて、再度ゆっくりと歩き始めた。
「そんな碌でもないやつに、僕は彼をあげたくないんだよね。まっ、安心してよ。碌でもないやつは君だけじゃない。僕も君も、あいつも彼もみんな碌でもないやつなんだから……ってあれ?」
もう一度振り返ってみれば、桜庭さんの姿が見えなくなっていた。
後を追うことは一切考えず、初志貫徹して喫茶店に足を向けた。すっかりパフェの口になっていたから仕方がない。
その代わりにどこに行ったのだろうか、ぼんやり考える。
野崎君の家に行ったかな? 真っ先に思いついた考えはすぐさま否定された。
まあでも、あれだけ詰めた後でそんな事は無いだろう。もしその厚かましさがあるのなら、碌でもない奴の殿堂入りだろう。
その殿堂入りに一番近いのは、きっと僕だ。
一番酷い人間だと指弾されれば、真っ向から反論しただろう。それでも、お前が一番碌でもないと言われたらきっと否定できないのだから。
きっと道を正してあげることもできたのだ。そうすることが出来る位置に僕はいて、他の誰かほど困難な事でもなかった。
一番関係が浅く、一番根底の問題に迫った自分だからこそ、軽い結び目を解くぐらいチョチョイのちょいで解決してしまえただろう。
そうするのが、野崎君にとって一番幸せだった。選択肢を提示すれば、真っ先にそこに飛びついてきただろう。
でも、そうしなかった。
それじゃあ、僕が許せない。
自分の取り分がないからとか、そういうことではない。手の届く範囲の人間はなるたけ幸せであるべきだと思うし、優しくあって欲しいと思うのだ。
それでも、そうだとしても。
だって、野崎君を欲しくなっちゃったのだから。
どうしても欲しくなってしまったのだ、あまりに可哀想な彼を。それが大事に大事にしまわれた桜庭さんのモノだったからこそ。
それこそが、僕の悪癖だった。
こっちに転校してきて、真っ先に星野に近づいたのはそれが理由。
きっと彼をみんな欲しがっているに違いない。そんなハリボテに踊らされたのは、間違いなく僕の失態だった。
でも、転んだ先で面白いものを見つけることができた。
碌でもない人に囲まれて気づけなかっただろうそれに、きっと唯一に近い方法で近づくことができた。
あんなに可哀想で、甘い人間は僕が守ってあげなくちゃいけない。
ふんふんと鼻歌を口ずさみながら道を行く。
無理やりキスを奪った時のことを思えば、頰が熱くなった様な気がした。
ああ、この胸の高鳴りこそ恋というものなのだろう。
その時、ようやく僕は自覚をしたのだ。