カッツェ平野。
そこは、アンデッドの多発地域である。
その平野の一角で、死の宝珠は儀式を行っていた。
カジットから奪い取った身体。
そして、これまで長い年月をかけて蓄えてきた力。
それら全てを利用し、かつて失った力を取り戻すための儀式である。
「……始めるぞ」
禍々しい魔力が周囲へと広がっていく。
大地が震え、空気そのものが歪む。
死の宝珠を中心として、膨大な死の力が渦を巻いていった。
そして――
「……ククク」
儀式が終わった。
そこに立っていたのは、もはやエルダーリッチですらない。
「スーパーリッチ……」
死の宝珠は、新たな身体を見下ろした。
「レベル44か」
満足げな声が漏れる。
長い年月。
マジックアイテムとして存在し続けながら蓄えてきた力。
そしてカジットという器。
全てがようやく一つになった。
「これならば……」
死の宝珠は思い出す。
かつて、自分が遭遇したことのある化け物。
あの存在と同等――あるいは、それに近いほどの力を感じさせる老人。
あれと再び遭遇するのは危険だった。
「ここに長居する必要はないな」
せっかく取り戻した力を、失うつもりはなかった。
「逃げるぞ」
そう呟くと、死の宝珠――いや、スーパーリッチとなった初代ズーラーノーン盟主は、転移魔法を発動させた。
⸻
転移した先。
そこは、かつて彼が活動拠点としていた建物だった。
長い年月を経ても、記憶の中にある姿とほとんど変わっていない。
懐かしい。
そう感じると同時に、胸の奥から奇妙な感情が込み上げてくる。
自分がインテリジェンスアイテムへと身を変えてしまうまで、何度も足を運んだ場所。
ここには、彼が作り上げた組織――ズーラーノーンがある。
そして。
「お――お父様!」
声が響いた。
「いや、ズーラーノーン初代様!」
建物の奥から、一体のアンデッドが現れる。
禍々しい漆黒のローブ。
その身から漂う濃密な死の気配。
ナイトリッチ。
突如として現れた未知の存在を警戒していたはずの彼は、その姿を見た瞬間、驚愕に目を見開いた。
「魔法の深淵であるあなた様を、私はずっとお待ちしておりました!」
彼は疑っていなかった。
姿は違う。
身体も違う。
それでも――
「間違えるはずがありません」
ナイトリッチは、恭しく頭を下げる。
「その魂の輝きは……間違いなく、お父様のものです」
彼は、初代盟主の息子だった。
そして現在のズーラーノーンを率いる存在でもある。
ナイトリッチとスーパーリッチ。
どちらもエルダーリッチからさらに進化した上位種。
レベル帯も近く、一般的には同格とされる存在だ。
しかし――
スーパーリッチは特殊な進化個体。
いわば、極めて稀なレア進化種である。
同程度のレベルであったとしても、そのステータスは通常のナイトリッチを上回る。
そんな存在が、目の前にいる。
「おお――!」
スーパーリッチとなった初代盟主は、息子の姿を見て目を細めた。
「息子よ! 久しいな!」
そして、まじまじと息子の身体を眺める。
「元気にしていたか? おお! エルダーリッチからナイトリッチに進化したのか!」
嬉しそうな声。
「よくやったぞ!」
「はい、お父様。ありがとうございます」
息子は深々と頭を下げた。
「あなたが残したズーラーノーンは、さらなる成長を遂げております」
そして、ずっと聞きたかった疑問を口にする。
「ですが……今まで、いったいどこにいらしたのですか?」
初代盟主は少しだけ黙った。
「それはな――」
そして、長い長い過去を語り始めた。
⸻
「以前にも言った通り、私はかつて『深淵なる躯』という組織に所属していた」
深淵なる躯。
それはアンデッドからなる魔法詠唱者の集団。
そして、深淵なる躯は――
圧倒的な力を持つ「あの存在」に謀反を起こした。
「我々は、あれと戦った」
初代盟主の声が低くなる。
当時、彼はスーパーリッチだった。
そして、スーパーリッチだった頃の彼は「あれ」を恐れていた。
だが。
「私は進化した」
スーパーリッチのさらに上。
ハイパーリッチ。
その領域へと到達したことで、彼は考えるようになった。
――今なら勝てるかもしれない。
さらに魔法の深淵を覗き込み、第九位階魔法にまで到達した。
そして、ついに「あれ」と戦った。
「……だが、あれは私が思っていた以上に強くなっていた」
自分がかつて教えた位階魔法。
それすらも、あれは自在に操った。
「成長していたのだ」
互角。
いや。
「最終的には、私を上回っていた」
初代盟主は敗北を悟った。
このままでは自分が殺される。
そして、自分だけではない。
深淵なる躯の構成員たち。
そして何より――
「あれに存在を知られているかもしれない、私の大切な息子」
その命まで奪われる。
そう考えた。
だから、最後の賭けに出た。
「私は禁呪を発動した」
命を。
存在そのものを賭けた、最後の一手。
「そして……企みは成功した」
「あれ」を殺し切った。
しかし――
「私もまた、死んだ」
正確には、相打ち。
初代盟主は、そこで終わるはずだった。
だが、彼には最後の切り札があった。
「私は隠し持っていた秘宝と、自ら作り出した禁呪魔法を使い、復活を試みた」
しかし。
「復活は……失敗した」
そして起きた不測の事態。
肉体を失った魂は、秘宝へと取り込まれ――
「私は……アイテムになった」
それが、死の宝珠だった。
⸻
「深淵なる躯の者たちに助けを求めるという方法もあった」
だが、初代盟主はそれをしなかった。
「どうも、信用できなくてな」
もしも、彼らに現在の自分が弱いと判断されたら。
利用される。
あるいは――
「殺されるかもしれん」
幸いにも、深淵なる躯の者たちは自分が死んだと思っているらしい。
ならば。
「わざわざ声をかける必要もない」
初代盟主は、アイテムとなった身体で長い年月を生きた。
そして考えた。
どうすれば復活できるのか。
どうすれば、失われた力を取り戻せるのか。
その答えを求めて、彼は力を蓄え続けた。
マジックアイテムである以上、魔法使いの手に渡ることもあった。
持ち主が変わるたびに、彼は静かに力を蓄えた。
そして――
最後に辿り着いた所有者が、カジットだった。
「カジットは、それなりに才能があった」
初代盟主は淡々と語る。
「だから、私にとって都合がよかった」
そして、ついに。
カジットが所有者となった時。
必要な力が蓄えられた。
禁呪魔法。
そして、それを発動するための膨大な力。
全てが整った。
「本来ならば、次の所有者がもっと格好のいい身体だったなら、その身体を奪って復活するつもりだった」
だが――
「あの化け物と遭遇した」
計画を前倒しするしかなかった。
「身体の外見など気にしている場合ではなかった」
生き残るため。
復活するため。
初代盟主は、カジットの身体を奪った。
「そして、逃げてきたというわけだ」
⸻
「何故、私たちに協力を仰がなかったのですか?」
息子は心配そうに尋ねた。
「ずっと……お父様が生きていると信じていました」
初代盟主は苦笑する。
「アイテムの姿のまま、お前たちの前に帰るのは恥ずかしくてな」
完全復活してから帰還したかった。
それが本音だった。
「ところが、不測の事態が起きた」
「はい」
「復活は不完全なものとなった」
初代盟主は自分の身体を眺める。
「だが、まあ……ギリギリ及第点というところだ」
そして、息子へ向けて笑った。
「だから戻ってきた」
その再会は、長い長い話になった。
父と息子。
どちらも既に人間ではない。
肉体を捨て、アンデッドとして長い時を生きる存在。
それでも。
親子であることに変わりはなかった。
一日。
二日。
時間を忘れるように、二人は語り合った。
そして、その話を聞きつけた者たちが集まってくる。
かつて――初代盟主の弟子だった者たち。
現在のズーラーノーン十二高弟。
その中でもナンバー1からナンバー3に位置する三人。
彼らもまたアンデッドとなっていた。
不老の身体。
死を超えた存在。
彼らは師匠が死んだと、ずっと考えていた。
復活させるために大量虐殺を行い、禁呪とも呼ばれる第七位階の儀式魔法まで発動した。
それでも。
師匠は戻らなかった。
だからこそ――
「お師匠様……!」
「本当に、お戻りになられたのですね!」
「我々は、ずっとお待ちしておりました!」
三人は心の底から喜んだ。
長い年月を経て。
失われたと思っていた師が帰ってきたのだ。
その喜びは、アンデッドとなった彼らの身体からでも明確に伝わってくるほどだった。
⸻
そして話題は、カジットへと移った。
「そういえば、カジットという男がいましたな」
息子が思い出したように言う。
「確か、亡くなった母親を蘇生させるため……などと言って組織に入ってきた男でした。才能があったから入れてやったがな」
そして。
「それにしても……」
息子は笑った。
「まさか、お父様の復活のための生贄となるとは」
「なんという素晴らしい成果を上げたのでしょう」
十二高弟の誰一人として成し遂げられなかった偉業。
「彼の名は、後世まで語り継がなければなりませんな」
息子の言葉に、初代盟主も笑った。
「そうだな、息子よ」
「彼奴は、よくやってくれたよ」
そして親子は、顔を見合わせる。
「わしの生贄になって、本望だろうよ!」
「その通りです、お父様!」
二体のアンデッドは、声を上げて笑い合った。
⸻
その頃。
エ・ランテルは、まさに阿鼻叫喚の渦中にあった。
原因は――
初代ズーラーノーン盟主。
彼が転移魔法によって逃亡する直前に発動させていた、最後の置き土産だった。
いわば、逃げた後に残された爆弾。
その名は――
第七位階魔法『不死の軍勢(アンデス・アーミー)』。
大量のアンデッドが、エ・ランテルの各所に出現する。
街中から悲鳴が上がった。
「逃げろ!」
「アンデッドだ!」
「助けてくれ!」
人々は逃げ惑う。
建物から飛び出す者。
子供の手を引いて走る者。
家族を探して叫ぶ者。
あちこちで混乱が発生し、死者が次々と増えていく。
冒険者たちも事態を知ると、すぐに武器を手に取った。
王国兵士たちもまた、街の防衛に動き出す。
「冒険者は東地区へ!」
「兵士は住民の避難を優先しろ!」
「アンデッドを街の外へ誘導するんだ!」
だが。
災害のような混乱を利用する者も現れる。
殺傷沙汰。
強盗。
誘拐。
混乱に乗じて好き勝手に動く犯罪者たち。
エ・ランテルは、まさに地獄へと変貌していた。
⸻
『不死の軍勢(アンデス・アーミー)』。
この魔法は、ズーラーノーン内部では有名なものだった。
そしてカジットもまた、その存在を知っていた。
ズーラーノーンの拠点。
その書庫。
そこでカジットは、偶然にもこの魔法に関する記述を見つけていた。
さらに――
その魔法を完成させるための実験過程。
そして、自らをエルダーリッチへと変えるための禁書。
カジットは、それらを読んだ。
そして決意した。
不老になろう。
永遠に近い時間を手に入れよう。
そうすれば――
母親を蘇らせるための研究を、永遠に続けられる。
そのためならば。
数万の命など、カジットにとってはどうでもよかった。
全ては実験のため。
全ては母親を蘇らせるための生贄。
クレマンティーヌと手を組んだのも、その目的を達成するためだった。
だが。
カジットは知らなかった。
自分自身が――
最後の生贄になることを。
信じていた死の宝珠。
その正体が、自分を利用して力を蓄えていた存在だということを。
「……私は、利用されていた?」
その答えを知る頃には、もう遅かった。
肉体も。
魂も。
何もかも奪われた。
そして、死の宝珠は新たな存在として復活を果たした。
⸻
その頃。
ナザリック地下大墳墓、執務室。
モモンガは大量の書類と向き合っていた。
机の上には、山のような書類。
建国に関するもの。
税制。
行政。
外交。
治安。
都市運営。
どれもこれも、モモンガが今までほとんど触れたことのない分野だった。
「つまり、こちらの制度を採用する場合には――」
アルベドが丁寧に説明する。
「なるほど……」
モモンガは頷く。
「……つまり、そういうことか」
一つ理解する。
そして、また一つ分からない言葉が出てくる。
「この表現は……」
「はい。こちらは王国で一般的に使われている行政用語でございます」
「なるほど……」
毎日が勉強だった。
モモンガはアンデッド。
肉体的な疲労は存在しない。
頭が疲れることもない。
だが。
難しい言葉。
独特な言い回し。
大量の情報。
それらに慣れていない精神は、長時間のデスクワークによって疲労を感じていた。
「……少し休もう」
そうして寝室へ向かったモモンガは、アルベドを呼んだ。
二人は浴室へ向かい、湯に浸かって身体を休める。
しばらく穏やかな時間が流れていた。
その時だった。
モモンガへ、一通のメッセージが届いた。
送り主は――
セバス。
「……ん?」
そして。
「…………」
沈黙。
アルベドが首を傾げる。
「モモンガ様?」
「……なんだと?」
エ・ランテルで発生した事件。
アンデッドの大量召喚。
謎の強敵。
セバスが交戦した存在。
そして――
街で発生している大量の被害。
モモンガの頭の中に、一気に情報が流れ込んでくる。
「……」
そして。
「よくも……」
声が低くなる。
「何の罪もない者たちを、自分が進化するための生贄にしたな……」
握った手に力が入る。
「躊躇いもなく……!」
モモンガの怒りが膨れ上がる。
「クソォが――――ぁぁぁぁぁっ!!」
エ・ランテルに召喚された大量のアンデッド。
そのアンデッドたちによって生まれる、多くの犠牲者。
そして。
それが起こると分かっていながら、何の躊躇もなく大量のアンデッドを召喚した存在。
モモンガは激怒していた。
「アルベド」
「はい」
「今すぐ仕事だ」
先ほどまでの空気が、一瞬で消えた。
「ハンゾウを動かせ!」
アルベドは即座に立ち上がる。
そして風呂場であろうとも関係なく、モモンガへ向かって片膝をつき、恭しく頭を垂れた。
その視線が一瞬だけ別の場所へ向いた。
しかし、アルベドはすぐに表情を引き締める。
流石は守護者統括。
仕事と私生活の切り替えは早い。
「拝命いたしました」
アルベドは静かに告げる。
「モモンガ様。必ずや、モモンガ様の理想を叶えましょう」
モモンガは頷いた。
「よろしく頼むぞ。我が愛する妻よ」
「はい」
アルベドは微笑む。
そして――
「ご・主・人・様♡」
甘い声を響かせた。
先ほどまでの穏やかな時間は終わった。
これから始まるのは――
ナザリックによる、エ・ランテル救援。
自らの将来の領地で起きた惨劇に対する、モモンガの介入だった。