人類最強の大国。
そう呼ばれる国家がある。
――スレイン法国。
その国内にある、とある一室。
そこは法国の中でも極めて重要な場所だった。
壁、床、天井。
あらゆる場所に何重もの魔法が施され、盗聴や覗き見を防ぐための高度な対策が取られている。
そんな厳重な部屋に、法国の権力者たる六人の神官長が集まっていた。
しかし、普段ならば国家の未来について冷静に議論する彼らの表情には、明らかな焦燥が浮かんでいる。
理由は一つ。
カルネ村へ送り込んだ特殊部隊――陽光聖典が、帰還していない。
「陽光聖典が帰ってきていないのは……本当かね?」
重苦しい沈黙を破り、一人の神官長が尋ねた。
「はい。間違いありません」
別の神官長が答える。
「巫女姫が監視に当たっていました。しかし……途中から見ることができなくなりました。本人も、突如として監視ができなくなったと言っています」
「何らかの妨害を受けた……ということか?」
「その可能性が高いでしょう」
「ならば、何者かと接触して陽光聖典は全滅したというのか!」
声が荒くなる。
だが、他の者も同じ疑問を抱いていた。
陽光聖典。
彼らは決して弱い部隊ではない。
隊長ニグン・グリッド・ルーインは第四位階魔法の使い手。
さらに、最上位天使を召喚できる秘宝まで持たせていた。
各隊員も第三位階魔法を扱える。
人類社会の中では、間違いなく精鋭中の精鋭だ。
「そんな馬鹿な……」
「隊長のニグンは第四位階魔法の使い手だぞ。それだけではない。最上位天使を召喚できる秘宝まで持たせていた」
「各隊員も第三位階の使い手だ」
「どうしてこうなったのだ……」
別の神官長が頭を抱える。
「陽光聖典がいなければ、人類の生存圏を維持できないぞ。ただでさえ我々は、ぎりぎりのところで戦っているというのに……」
「そうだ。あのレベルの特殊部隊を育てるために、どれだけの資源と時間を費やしたと思っている」
「そう、ぽんぽんと才能あるものが湧いてくるわけではないんだぞ……!」
苛立ち。
焦燥。
そして恐怖。
それらが部屋の中に渦巻いていく。
やがて、一人が口を開いた。
「……ガゼフ・ストロノーフにやられたのか?」
「それはないな」
即座に否定される。
「巫女姫の監視の目を誤魔化せるほどの妨害系魔法を使ったはずだ。王国の人間がそこまで高度な魔法を扱えるとは考えにくい」
「そもそも……大儀式魔法だ」
その言葉に、全員が黙る。
「それを防ぐとなると……相手の力はいかほどだ?」
「まさか……竜王に運悪く遭遇したというのか?」
誰かが口にした。
だが、別の神官長がすぐに首を横に振る。
「しかし、奴らは基本的に寝ている」
「それに……竜王が現れたというなら、陽光聖典だけが滅んだとは考えにくい。国全体に被害が出るはずだ」
「記録では……数日の間に国が三つも滅んだと書いているんだぞ」
「……つまり竜王ではない、と?」
「では、何なのだ?」
沈黙。
誰も答えられない。
「ニグンが……召喚モンスターの制御に失敗して自爆したというのか?」
「分からない」
「……」
「とりあえず、戻ってこないのは事実。そして、監視ができなくなったのも事実」
神官長は重々しく言葉を続ける。
「そこから導き出せるのは――」
全員が理解していた。
「陽光聖典の……全滅」
「……くっ!」
法国の誇る特殊部隊。
その一つが、まるで何事もなかったかのように消えた。
そして彼らはまだ知らない。
その部隊を消滅させた存在が、すでに一つの国を建国しようとしていることを。
⸻
一方。
リ・エスティーゼ王国の都市、エ・ランテル。
その冒険者組合では、一人の老人が冒険者として登録を終えていた。
名は――セバス・チャン。
もちろん、これは仮の姿である。
主から与えられた任務を遂行するため、セバスは人間社会へ溶け込んでいた。
そして、ただ登録するだけではなく、実際に冒険者として活動を始めていた。
「カルネ村までの護衛依頼ですか?」
受付嬢が依頼書を確認する。
「はい」
セバスは穏やかに答えた。
これまでにも簡単な雑用依頼。
薬草採取。
ゴブリン討伐。
そうした依頼を一つずつこなしてきた。
結果――。
セバス・チャンは銀級冒険者へと昇格していた。
もちろん、セバスにとってはあまりにも低い評価だ。
しかし、それでいい。
そして、彼は一人で活動している。
冒険者チーム名は――
「白銀」
その名前がエ・ランテルの冒険者たちの間で知られるようになったのには理由があった。
ある日のこと。
セバスがゴブリン三体に囲まれた。
周囲にいた冒険者たちは、老人の危機だと思った。
しかし――。
次の瞬間。
「――!」
セバスの姿が消えた。
いや。
正確には、目で追えなかった。
一瞬。
わずか一瞬の間に、三度の拳撃。
ドドドッ!!
ゴブリン三体の頭蓋骨が陥没した。
そして、その場に立っていたのは何事もなかったかのようなセバスだった。
それを目撃した金級冒険者たちは、言葉を失った。
やがて、その話は冒険者組合中へと広がっていった。
――音速の拳士。
それがセバスに付けられた異名だった。
「彼は拳士だ」
「しかも、その拳の速さは異常だ」
「おそらく、彼オリジナルの何らかの武技を発動しているのでしょう」
「私でさえ、どのように動いたのか分かりませんでした」
金級冒険者。
冒険者としては、一人前と呼べる実力者たち。
そんな彼らが口を揃えて言うのだ。
「最低でもミスリル級の実力はある」
「いや……オリハルコン級かもしれない」
いつしかセバスは、エ・ランテルの冒険者たちから恐れと尊敬の入り混じった目で見られるようになっていた。
そして今日も――。
「護衛依頼ですか?」
セバスは受付嬢へ尋ねた。
「はい。指名依頼となります」
受付嬢は依頼書を確認する。
「今回の依頼主は、銀級冒険者チーム『漆黒の剣』と、セバス様個人に依頼を出しています」
「漆黒の剣の皆様と合同依頼になりますが、よろしいでしょうか?」
「問題ありませんよ」
セバスは穏やかに微笑む。
「護衛依頼ですから、人が多い方が守りやすいでしょう」
「ありがとうございます。それでは、漆黒の剣の皆様をご紹介します」
案内された部屋。
そこには四人の冒険者が待っていた。
「初めまして」
最初に立ち上がったのは、金髪碧眼の青年だった。
比較的整った顔立ち。
剣と盾を装備している。
「私が銀級冒険者チーム『漆黒の剣』のリーダーを務めています、ペテル・モークです」
真面目そうな青年だった。
「チームの前衛戦士を務めています」
続いて、一人の少年……に見える人物が口を開いた。
「私は魔法使いのニニャです。第二位階魔法まで使えます。よろしくお願いします」
濃い茶色の髪。
青い瞳。
杖を持った魔法使い。
セバスは一瞬だけ違和感を覚えた。
――この方は女性ですかね?
どうやらチームのメンバーには隠しているようだ。
しかし、詮索するのは野暮というもの。
セバスは何も言わなかった。
続いて、金髪の男が勢いよく口を開く。
「俺はチームのレンジャー! ルクルット!」
弓を背負い、ショートソードも装備している。
痩せ気味の体型。
「いち早くモンスターを発見して、安全を確保するぜ!」
軽い口調の男だった。
チームのムードメーカーといったところだろう。
最後に、髭を生やしたガッチリとした体格の男が名乗った。
「私はダインと申す」
メイスを手にしている。
「チームの治癒と支援を務めている。メイスでの攻撃も可能である。よろしくお願いする!」
「私はセバスと申します。よろしくお願い致します」
セバスは、執事として鍛え上げられた見事な一礼をする。
その所作に――。
漆黒の剣の四人は思わず見惚れた。
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
ペテルも慌てて一礼を返す。
「音速の拳士の名は聞き及んでいます。一緒に依頼を受けられて光栄です」
やはり真面目な青年らしい。
しかし――。
「音速って、そんなに早いか疑問だけどな」
ルクルットが口を挟む。
「ルクルット! 失礼ですよ」
「冗談だって」
ルクルットは笑う。
だが、セバスへ視線を向けると、その笑みが少しだけ引きつった。
「相対しているだけでこの威圧感……」
そして小さく呟く。
「これは大物だぜ」
その時だった。
「皆さん、依頼主のンフィーレア・バレアレさんが到着しました」
受付嬢に案内され、一人の少年が部屋へ入ってくる。
彼は有名人だった。
有名な薬師の孫――。
ンフィーレア・バレアレ。
ルクルットが早速、口を開く。
「ンフィーレアさん、依頼主にこんなことを聞くのはなんだが……」
「あなたには、あらゆるマジックアイテムが使えるようになるタレントがあるってのは本当なのか?」
「どうも信じられなくてな。みんなに周知された事実らしいけど、本人に聞いてみたくてな」
「――はい。本当です」
ンフィーレアは答えた。
「私は確かに、あらゆるマジックアイテムが使えるようになるタレントを持っています」
「おーー!」
ルクルットが驚く。
「それはすげえ!」
「ニニャの魔法の習熟が倍近くなるタレントよりすげえじゃねえか!」
「『あらゆる』ってマジかよ!」
「ちょっとルクルット!」
ニニャが慌てて止める。
「さっきから失礼ですよ」
「わりい、わりい」
しかし、その会話を聞いていたセバスの表情は変わらない。
内心では――。
――危険ですね。
あらゆるマジックアイテムを使用できる。
それは、どれほどの可能性を秘めている?
――ギルド武器さえ使えるのか?
――それとも……。
セバスは、ンフィーレア・バレアレという人物を記憶に刻み込む。
これは早急にモモンガ様へ伝える必要がありそうだ。
そう判断した。
冒険者組合から少し離れた場所。
そこに、最近になって建てられた巨大な建物があった。
――神殿。
しかし、異常なのはその建設速度だった。
なんと昨日の夜。
人々が眠る前には、そんな建物は存在していなかった。
それが――。
朝になれば、そこに巨大な神殿が建っていた。
まるで、最初からそこに存在していたかのように。
そして、その神殿では一人の神官が人々へ語りかけていた。
ルプスレギナ・ベータ。
彼女が伝えるのは――。
一つの神話だった。
「神話の時代――」
ルプスレギナは明るい声で語り始める。
「神、アインズ・ウール・ゴウンは、四十一柱の子孫をこの世界に生み出しました」
「四十一柱の神の子孫たちは、この世界を冒険しました」
最初は弱かった。
しかし、数々の苦難を乗り越え――。
やがて世界屈指の実力者へと成長していった。
「しかし――」
ここでルプスレギナの声音が少し変わる。
「神話の時代、この世界には邪神一族が存在していたのです」
神アインズ・ウール・ゴウンは、この世界を邪神から守るために奔走した。
しかし――。
一人では守ることが難しい。
そう判断した神は、子孫を生み出した。
「そして神の目論見通り、四十一柱の子孫たちは、邪神軍を食い止められるほど強く、そして優しく成長しました」
だが――。
その時だった。
神アインズ・ウール・ゴウンと邪神。
両者の直接対決が始まった。
天空が一度で灼熱へと変わる。
雷が空を覆う。
その余波だけで、世界が震撼する。
壮絶な戦い。
神は苦戦を強いられた。
それでも――。
最後には邪神へと、とどめを刺した。
「しかし……」
神は、全ての力を使い果たしていた。
このままでは死んでしまう。
邪神は倒した。
だが、邪神の子孫たちはまだこの世界を狙っている。
自分の眷属たちはいる。
それでも――。
この世界の人々を守らなければならない。
「どこまでも優しかったアインズ・ウール・ゴウン神は――」
残された全生命力を使い果たし。
自らの身体を――。
邪神族を迎え撃つための巨大基地へと変えた。
その名は――。
ナザリック。
そして神の意思を受け継いだ四十一柱の子孫たちは、力を合わせて邪神の子孫たちの襲撃を防いだ。
しかし――。
一人。
また一人。
神、アインズ・ウール・ゴウンの子孫たちは死んでいく。
誰もが勇敢だった。
この世界を守るために戦い抜いた。
そして――。
ついに戦争は終結した。
アインズ・ウール・ゴウン族と邪神族の戦争。
その結末は――。
邪神族の滅びだった。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
「神アインズ・ウール・ゴウンの長男――」
「最も偉大なる光を除き……」
「全てが滅びてしまったのです」
最も偉大なる光は、兄弟たちが滅んだことに心を痛めた。
邪神族の掃討を確認した後。
彼もまた――。
自らを封印した。
そして、長い長い眠りについた。
――これが、神アインズ・ウール・ゴウンと四十一柱の子孫たちにまつわる伝説だった。
「おー!」
話を聞いていた老人が目を輝かせる。
「アインズ・ウール・ゴウン様!」
そして、さらに驚いたようにルプスレギナを見る。
「そして、その子孫様!」
「なんと! こんなことがあなたの故郷に伝わっているのですか、ルプスレギナ様?」
「はい、そうっすね」
ルプスレギナは笑顔で答える。
「私の故郷は、ここよりずっと遠くなんですけど……代々、この伝説が伝わっているんです」
「多分、私の子孫様たちが、大事に大事に過去に存在した神様を忘れないように伝承してきたのでしょうね」
老人は感心したように頷く。
ルプスレギナは、少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「実は……モンスターたちの襲撃を私の故郷は受けまして」
「壊滅しちゃったんです」
「それで、こっちの地域に流れ着いたんですけどね」
そして、いつもの明るい笑顔へ戻る。
「私の故郷の伝説、私たちが死んだら途絶えちゃうじゃないですか?」
「だから、私が多くの人にこの話を伝えるんです」
「そしたら、私の意思を受け継いでくれる人も現れるかなって」
老人はしばらくルプスレギナを見つめ――。
やがて、優しく微笑んだ。
「おー! 若いのに立派ですな。ルプスレギナ様は」
「私も孫に、この神話を伝えましょう」
「それに――」
老人は腰をさする。
「腰の痛みも治してくれましたしな」
「ほんとっすか!」
ルプスレギナが嬉しそうに笑う。
「それは嬉しいっす!」
「私も今日から、神アインズ・ウール・ゴウンを信仰する教徒の一人ですな」
「当たり前のことですな」
老人は楽しそうに言う。
「私の目的は伝説を伝えることですから」
ルプスレギナは胸を張る。
「それが広まるなら、無料で治療とかしちゃうっすよ」
「私の一族も八人しかいなくなっちゃったっすから」
「伝説が途絶えないように、多くの人に伝えるっす」
「元気な神官様ですな」
老人は笑った。
周囲にいた老人や老婆たちも、いつしかルプスレギナの話へ耳を傾けていた。
最初。
彼らは、この新しく現れた宗教を怪しんでいた。
当然だ。
突然現れた神殿。
聞いたこともない神。
そして――。
「無料で簡単な病気なら治せますよ!」
「私は回復魔法が使えるっす!」
「入信すれば、重い持病でも治してさしあげます!」
そんな言葉。
普通なら怪しいと思う。
だが――。
無料。
その一言が、老人たちの心を揺さぶった。
「腰が痛くてねぇ……」
「それなら、ちょっと見せてくださいっす」
「本当に治るのかい?」
「任せてほしいっす!」
そして――。
本当に治った。
長年悩まされていた腰の痛みが消えた。
身体が軽くなった。
痛みに顔をしかめていた老人が、まるで子供のように笑った。
その後、ルプスレギナが語る神話を聞いた。
最初は治療のついでだった。
だが――。
いつの間にか、その話を聞くこと自体が楽しみになっていた。
「アインズ・ウール・ゴウン様は――」
「その子孫たちは――」
ルプスレギナが語るたび、老人たちは目を輝かせる。
そして気がつけば――。
「アインズ・ウール・ゴウン様……」
いつの間にか、彼らは神の名前に「様」を付けるようになっていた。
信仰心は、確実に芽生えていた。
彼らは感謝していた。
長年の持病を治してくれた。
ちょっとした腰の痛みまで癒してくれた。
そして何より――。
自分たちを笑顔にしてくれた神官へ。
だからこそ彼らは決意する。
家族に伝えよう。
友人に伝えよう。
知人に伝えよう。
この神話を。
神、アインズ・ウール・ゴウンの偉大なる物語を。
ナザリック教へ入信すれば、本来なら高額な費用を払わなければ受けられない治療を――。
無料で受けられる。
もちろん、人が増えれば予約制になるらしい。
それでも――。
口コミは、確実に広がり始めていた。
一人から。
二人へ。
二人から十人へ。
そして――。
エ・ランテルの人々の間に、少しずつ。
「アインズ・ウール・ゴウン」
という名が刻まれ始めていた。