ゾウクラゲ邪神ことトンキーの背に揺られること十数分。トンキーは凍った川に沿って北上し続けた。
キリトやアウストはこっくりこっくりと舟をこいでいて、リーファは彼等の緊張感のない行動に呆れ、時折二人の頭や肩に積もった雪を払いつつ、起している。
そんな彼等とは別に、ツバキは胡坐をかいたまま視線だけを周囲に向ける。
視線の先には、人間型とはいえない異形型の邪神が木々の間からこちらをジッと見ていた。しかし、邪神はトンキーから視線を外し、また別の方向へ歩いていった。
……またか。
トンキーに運ばれてからと言うもの、このように何度か邪神達とニアミスしている。けれどもどの邪神も、トンキーを襲っていた三面邪神のように襲ってくることはなかった。
考えられることは、トンキーのような異形型の邪神と、三面邪神のようなわりかし人に近い形をしている邪神とで、争っているのではないか、ということだ。
だとすればこの状況にも充分納得がいく。
「ツバキさん」
ふとリーファが声をかけてきた。
「なんだ、リーファ」
「えっと、さっきから邪神達が襲ってこないのって、気付いてます?」
「ああ。ちょうど私もそのことを考えていた」
「答えって出ました? 私は人型じゃない邪神がトンキーを襲ってこないので、トンキーの仲間なのかなって思ったんですけど……」
少々緊張した様子で彼女は言った。思い起こしてみれば、彼女は初めて会ったときからツバキに対してどこか緊張している様子があった。
「私もそう思ったよ。こちらの姿を確認しているにも関わらず、襲ってこないということはそうなんだろうさ。ようは、人型邪神と異形型邪神との間では領地争いにも似たことが起きているのだろう」
「領地争い、ですか」
「ああ。例えば、トンキーのような邪神が元々このヨツンヘイムに住んでいて、人型邪神の方が侵略してきた、とかな」
「それはさすがにないんじゃ……」
「まぁ最後のつけたしだ。推測の域を出ない戯言だよ。というかそんなことよりも、私はお前の方が気になるがね」
「え?」
リーファは気になると言われ、ツバキを見た。そしてツバキは彼女に対して問いを投げかける。
「なに、お前が妙に緊張しているようだったからなぁ。そこが気になっているんだよ」
「あー……わかっちゃいました?」
「わかるさ。アウストやキリトと話すときの声のトーンが違ったからな。それに気付いているか知らないが、私と話すとき、目が合わないようにしているだろう」
「あうぅ、そこまで見抜かれてるなんて」
リーファは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。様子からして図星であったのは間違いなさそうである。
「年上は苦手か?」
「いや、えっと、年上の人が苦手ってわけじゃないんです。アウスト君とも話せますし。その、ツバキさんと話すときに緊張しちゃうのは、なんていうか……似てるんです。あたしが憧れてる人に」
「ほう。それは中々光栄だな。それで、リーファが憧れているのは誰なんだ? 世間的に知られている人か?」
「はい。ツバキさんとは名前も同じ、ニュースのスポーツ特集とかで取り上げられてる、萩月椿さんに憧れてるんです」
リーファが若干照れくさそうに言ったのに対し、ツバキはほんの一瞬だけ頬が強張った。それはそうだ。なぜならリーファが憧れている萩月椿は彼女なのだから。すぐ強張った頬を直したツバキはリーファに対し静かに頷く。
……こういった場合は、やはり黙っていた方が良いのだろうな。というか、ここで私が萩月椿だと言っても、信じてもらえるかどうか危ういものだし。
とりあえず事が終わるまでは黙っていようと、ツバキは自己完結する。
「なるほどな。萩月椿か。彼女は確か剣術の達人だったな。現実では『剣帝』と呼ばれていたな」
「本当にすごいですよね。ネットだと最強剣士とか、勝てる人がいないとか言われてますし、最近だと剣術以外の挑戦者の相手もしてるらしいですよ」
「それはなかなかだな。だが、彼女に憧れているということは、リーファも剣術を?」
「ええ。剣術じゃなくて、剣道ですけどね。あの人ぐらい強くなりたいってわけじゃないんですけど、あの人に挑戦して笑われないぐらいには強くなりたいです」
「……そうか。だが、リーファならきっと強くなれるさ。っと、そろそろ丘の終わりが見えてきたな」
確かに彼女の言うとおり、トンキーはいよいよ上ってきた丘を越えようとしていた。
ツバキはトンキーの背中で立ち上がり、丘の先に何が見えるのかを見やる。
そしてトンキーは丘を登りきったところで、ついに前進とやめた。
同時に、ツバキとリーファの口からそれぞれ嘆声が漏らされた。
「ほぅ…………」
「うわぁ…………」
立ち上がった彼女達の先に広がっていたのは、穴だった。
それも単なる穴ではない。まさしく尋常ではないという言葉が当てはまる巨大すぎる垂直孔だ。対岸もギリギリ見える程度で、穴がいかに巨大なのかを表している。
ぽっかりと口を開けた大穴のそこは見えず、切り立った絶壁は上から白、青そして黒と見事なグラデーションを描いている。
その様子からまるで冥府へ誘う地獄の門のようだ。
「……ヨツンヘイム自体、八寒地獄のように見えるしな……」
「ツバキさん?」
「いや、なんでもない。それよりも、そこの居眠り中の男子二人を起せ。雪を背中にでの流し込めば一発で起きるだろう」
「あ、はーい」
リーファは特にためらった様子もなく、アウストとキリトの背中に大量の雪を流し込んだ。二人はそれぞれ「つぁッ!?」やら「ふぎッ!?」と言った短い悲鳴を上げた。冷感エフェクトの直撃をモロに喰らった影響であろう。
「つめてー、何すんだよリーファ」
「勝手に寝ちゃう二人が悪いんですー。わひゃっ!?」
二人に対して注意をしたリーファが声を上げた。
トンキーがグラリと今までの態勢を変えたのだ。見ると、職種のような足を、器用に折りたたみながら座り始めている。
いや、座るという表現が正しいのかはわからないが、とにかく態勢を変えている。
そのままトンキーは足を全て丸め頭もしまい、最終的に残ったのはツバキ達が座っていた甲羅のような背中だけになってしまった。
四人は顔を見合わせた後、とりあえずトンキーの背中から降りることにした。
結局トンキーは四人全員が降りても、特に大きなアクションを起さず、饅頭のように丸まったまま微動だにしなかった。
「これは……どうすりゃいいんだ?」
「うーん。クエストが達成されたってことなのかな……」
「しかし、なんの報酬もなしか?」
ツバキが首を傾ける傍らで、リーファが数歩進み、トンキーの毛を叩いてみる。
「おーい、トンキー。あたし達どうすればいいのよう!」
が、残念なことに返答はない。リーファに続き、ツバキがトンキーを軽く叩く。その時、彼女はトンキーの体の変化に気が付いた。
「トンキーが少々硬くなったな。気付いたか、リーファ」
「はい。心臓の鼓動みたいなのも聞こえるんで、死んじゃったわけではないみたいですけど……」
「HPも見事に全回復してるしなぁ。ただ休眠してるだけなのか、なんかのアイテムが必要なのか」
「どっちにしろヒントもなにもナシじゃわからないな。……ん?」
キリトは少々悩んだ後に、ヨツンヘイムの天井を見上げた。
「どした?」
「いや、上見たらなんか凄くてさ」
彼の言葉に三人も天井を見上げる。
彼等の視線を追うと、世界樹の根が張り巡らされた天蓋に、氷柱が垂れ下がっており、その中にはダンジョンの構造のようなものが見えた。
「確かアウストの話だと、あの氷柱のさきっぽに《エクスキャリバー》があるんだっけ?」
「ああ。だからあのダンジョンみてぇなのは、《エクスキャリバー》を手に入れるためのダンジョンなんだろうよ」
「仮にそうだとしたら凄い広さだよ。ALO中で最長だと思う」
リーファも驚嘆の声をもらす。それだけ彼等の視界にあるダンジョンらしき構造物は広大なのだ。
「だがどう考えても行ける距離ではないだろう。いや、インプであれば可能かもしれんな。よし、ものは試しだ、アウスト飛んでみろ」
「アホか。飛んだとしても途中で飛べなくなって穴にまっさかさまだっつの」
二人は適当なやりとりをしてみたが、不意にキリトの肩に乗っていたユイが声を張り上げた。
「皆さん、東から他のプレイヤーが接近中です! 数は一人……いえ、その後ろから二十三人!」
「……!!」
ユイの情報に、リーファが息を呑む音が聞こえた。
二十四人という人数から考えて、邪神討伐を目的とした連結パーティであることには間違いないだろう。彼等に事情を話せば、パーティに加入して階段ダンジョンを抜けてアルンヘ上れるかもしれない。
だが、彼等がここに降りてきているということはつまり……。
リーファだけでなく、ツバキたちもそれを理解しているようで、少々顔が険しくなっている。
シルフ族であるリーファの耳には、既にこちらに接近してくるパーティの足音が聞こえている。
リーファはプレイヤー達がやってくる方向に手をかざし、看破魔法を詠唱しようとした。しかし、それよりも早く十メートルほど離れた空間が水面のように歪みはじけた後に、一人のプレイヤーを出現させた。
姿を現したのは、青白い肌をした男性だった。装備品や外見からしてウンディーネ族であろう。
装備品の状態からして、
鋭い眼光を見せたスカウトは、こちらに一歩進んで声を発した。
「あんたら、その邪神、狩るのか狩らないのか」
彼の質問は四人が思っていたとおりだった。というか、二十四人の連結パーティでヨツンヘイムに降りてくる時点で、彼等の目的などわかりきっている。
すぐに答えられない状態に、男は眉間に皺を寄せて言葉をつないだ。
「狩るのであれば攻撃してくれ。狩らないのなら離れてくれ。我々の範囲攻撃に巻き込んでしまう」
彼が言っている最中にも段々と彼の背後からザッザッという雪を踏む音が聞こえてくる。しかし、まだリーファは答えない。彼のパーティが種族混成パーティであれば望みはある。
しかし、彼女の期待はあっけなく裏切られる。男の背後から現れたのは、全員が青系統の装備品で固めたウンディーネ単一の部隊だった。どうやら彼等はわざわざはるか遠い三日月湾からやって来たウンディーネの精鋭部隊のようだ。
もしも彼等がレネゲイドで構成された混成部隊であったならば、まだレネゲイド同士で見逃してくれたかもしれないが、ウンディーネ単一で構成された彼等はウンディーネを代表してきているのだ。
四人はそれぞれ他種族なので、キルすれば彼等には名誉ポイントが加算される。それに、四人という少数では恰好の獲物であることには間違いない。なので彼の警告は充分良識があると言えるだろう。
だとしても、今のこちらにとっては、どうしてもここをどくわけにはいかない。ここで退けば、確実にトンキーは殺される。だからリーファは笑われたり、嘲笑されることを承知で口を開く。
「……マナー違反だということは承知でこの邪神は――」
「――この邪神は俺達に譲ってくれや」
リーファが言い終えるよりも早く、アウストが彼女の前に出て告げた。それに驚いていると、男の背後に展開している中から苦笑する声が聞こえた。
「まさかヨツンヘイムでそんなセリフを聞くことになるなんてな。いいか、アンタ。『この狩場は俺の』とか『このモンスターは俺の』なんてのは、通じないってことぐらいわかるだろう」
「まぁ分かっちゃいるさ。こっちがどれだけ無粋なことを頼んでるかなんてな。けど、頼む。コイツだけは俺達に譲ってくれや」
アウストは実に軽い口調でいうが、声音は真剣なものであった。キリトも前に出て彼に続こうとしたが、アウストは右手を上げてそれを制した。
「……ここは俺に預けろ」
彼の声に、キリトは若干顔をしかめて小声で返した。
「あまり無茶すんなよ。お前は色々過激なんだから……」
「わーってるよ。まぁでも、やる時はヤルけどな」
瞬間、リーファは彼の頬が吊りあがったのが見えた。その笑みは一瞬であったものの、かなり凶悪であったのはわかる。そしてツバキがユージーンと闘った時と同じ殺気も感じた。
アウストの考えがやや不安になったリーファは、ツバキに声をかけようとした。しかし……。
「あれ、ツバキさん?」
ツバキはいなくなっていた。ログアウトしたのであっても、まだアバターが残っているはずだ。トンキーの後ろを見ても彼女の姿はない。
一体何処に行ったのだろうと周囲を見回していると、アウストが話を進める。
「そちらさんがウンディーネの精鋭だってのは充分わかってる。種族のために奉仕するのも、しっかり理解はしてる。でも、コイツは譲れないんだ」
「……解せないな。君はその装備から見ても中級、いや、上級プレイヤーであることはわかる。なのに、そこまでその邪神にこだわるということは、なにか重大な理由があるのか?」
「まぁな。別に構いやしないだろ? ここには邪神が馬鹿みてぇにいるんだからよ。ほかのところ探して闘えばいいじゃねぇのよ」
「そうはいかないんだよ。俺達はさっき大きめの邪神に壊滅されかけてね。狩れる対象は狩っておきたいんだ。見たところその邪心、動かないようだしね」
「そっか……」
男の返答は一貫してトンキーを狩るという物だった。アウストも少々押され気味で、声も低くなってきた。
やはり無理なのか、とリーファの中で諦めが顔を出し始める。すると、アウストは大きく溜息をついた後、背負っている身の丈ほどの大剣を抜いた。
その行動に、男性も含め、背後のパーティのメンバーも武器を抜いた。
「じゃ、あんた等全員殺せばいっか。幸いこのゲームはPK推奨だしな」
彼の物言いに、リーファは「はぁ?」と言った表情を浮かべ、キリトは「やっぱり……」と言うように額に手を当てる。
そして目の前のウンディーネ部隊は、スカウトの男を皮切りに遠慮のない笑いを飛ばした。
「正気かアンタ? この人数を相手にあんた等三人で勝てるとでも?」
「誰が三人で闘うなんて言ったよ。俺一人であんた等全員を殺すんだ」
言いながらアウストは大剣を振るう。雪原に向かって剣を振り下ろすと、その場にあった雪が風圧で少しだけ吹き飛んだ。
その様子にウンディーネ部隊は笑いをおさめて、メンバー全員が戦闘態勢を取った。そして彼等を代表するように、スカウトの男が弓を抜いた。
「そこまで言うならいいさ。まぁアンタ一人でこっちを崩せるとは思わないが、こちらはアンタを倒したらそこの邪神を倒さなければならないんでね。支援魔法はかけさせてもらう。メイジ隊、
彼が手を上げて告げ、最後部に控えているあろうメイジが支援魔法をかける――はずであった。
「う、うわああああああッ!?」
支援魔法の代わりに飛んできたのは、メイジ隊と思われる人物の絶叫であった。
「どうした!? 邪神か!」
「ち、違います! スプリガンの女が急に出てきて、メイジ隊が半数やられました! 既にメイジ隊は壊滅状態です!」
唐突の悲鳴によってただでさえ動揺していたウンディーネ部隊は、さらにどよめき始めた。
そして、そんな彼等に対してアウストは大剣を構えて、走りながら先頭に立っていたスカウトの体を袈裟斬りに斬りつけた。
パーティに指示を出していたところだった男は、それに反応することが出来ず、彼の身体には赤いダメージエフェクトが奔った。
「悪いねぇ。さっき俺一人であんた等と戦う、つったけど……ありゃ嘘だ。本当はあんた等のメイジ隊を殺したスプリガンの女と二人で、殺す。だった」
「くっ! 残ったメイジは回復に努めろ! 相手はたかが二人だ、数で押せば簡単に倒せる!」
スカウトが後退しながら言うが、そんな彼に絶望の一言が告げられる。
「た、隊長! メイジ隊は……いま、全滅しました。その他にも数人やられています!」
「相手はたかが一人だぞ! 何をやっている!!」
「あ、もう一つ言い忘れてたわ。今後ろで戦ってる女は、サラマンダーのユージーンを倒したこともあるから、気ぃつけな」
アウストは笑みを浮かべながらスカウトの男の首下目掛けて大剣を突き出す。アーマーがまったくない首下は、絶好のウィークポイントであり、男のHPは一気に半分以上削られた。
しかし、男もハイランクプレイヤーであることに変わりはない。すぐさま攻撃から離脱して、弓を構え、アウストに向かって三本の矢を射る。
勿論アウストも反撃が来ることはわかっていたようで、三本の内二本は大剣を盾にすることで防ぐ。残った一本は太ももの辺りに突き刺さったようだが、彼はそんなことたいした風に思っていないのか、男をさらに追い詰めていく。
弓使いにとって、距離を詰められるということはそれだけで脅威だ。そもそも弓使いは中、遠距離からの狙撃が役割だ。相手に肉薄して戦う剣士や戦士などの役割は向いていいない。
だからアウストの行動は、弓使いにとって最悪な状態なのだ。そして男がアウストの大剣を弓で防御した時、後ろの部隊から恐怖の絶叫が上がった。
「ダメです、この女強すぎます! 止められない!」
リーファとキリトはウンディーネ部隊の背後に目を凝らす。
そこには白銀の刀を流れるように振るうツバキの姿があった。彼女の周りには青いリメインライトが揺らめいていて、彼女がそのリメインライトの数だけプレイヤーをキルしたことを物語っている。
ツバキの周囲には、重武装の槍使いプレイヤーと、剣士プレイヤーが円を描くように展開し、次々に彼女に向かって攻撃を仕掛けてる。が、彼等の攻撃はことごとく防がれ、回避され、ツバキによってダメージを蓄積されていく。
「早く撤退した方がいいんじゃねぇか。ウンディーネの隊長さんよ。ヨツンヘイムまでわざわざ来て、邪神にやられましたならまだ説明もつくけど、PKされたなんて知られたら恥だろう?」
「……クソッ! 総員撤退、撤退だ!」
最後にアウストに警告され、スカウトはツバキを囲んでいるメンバーに撤退を指示した。それに従い、ウンディーネの部隊はわらわらとその場から撤退していった。
残ったツバキとアウストはそれぞれの得物を納め、リーファたちの下へと戻った。
「よし、これで解決!」
「どこがだよ!? あの感じどう見たってお前悪役じゃん!」
「しゃーないだろー。あの状況だったら、ああするのがベストだったんだって。ツバキにだって本気出すなって言ったから、あっち側の被害も最小限だろ。なぁ、ツバキ」
「そうだな。メイジ隊は残すと面倒だったので、全滅させたが、そのほかほんの六人ほどだよ」
「充分戦力削ってますよそれー! というか、ツバキさんはいつの間に相手の後ろに移動したんですか?」
リーファの問いは最もである。スカウトは最初からこちらのことを三人だと思いこんでいたようだったので、少なくともその前に移動したことになる。
「あれはユイが知らせてくれた時に、アウストに言われてな。隠密魔法で気配を遮断していたんだよ」
「いつの間に……」
「かなり小声で言ったからな。それでやつ等の背後にまで移動し、メイジ隊が動いた瞬間に行動を開始したというわけだ」
「ナイス連携だったな」
「そうは言うけど、少し過激すぎだよ。二人とも。先にマナー違反をしちゃったのは私達だし……」
「そうは言ったって、あのまま放っておいたら確実にトンキーは狩られてた。お前等はそれを黙って見ていられるか?」
アウストが肩を竦めながら言うと、リーファとキリトはそれぞれ顔を見合わせて顔をしかめる。
確かに彼の言うとおり、あの場でトンキーが攻撃を受ければ、確実にウンディーネに攻撃を仕掛けていたかもしれない。どちらにせよ戦いになっていたと思えば、トンキーが傷つかなかった分、まだマシと考えた方が良いのだろうか。
リーファはキリトに視線を送ると、彼は苦笑した。どうやら彼もリーファと同じ考えに至ったようだ。
が、そこでトンキーの方からパキリ、という何かがひび割れるような音が聞こえた。
四人がそちらに目を向けると、トンキーの背中の部分がひび割れ、中から光が漏れていた。リーファが心配して駆け寄ろうとしたが、彼女の目の前でトンキーを眩い光が包み込み、その光は中天に舞い上がる。
そして光が晴れたときに現れたのは、四対八枚の翼を携えたトンキーの姿だった。トンキーは一度ひゅるるる、と鳴いてから地上にいるリーファ達の下へ戻ってきた。
「なるほどな。トンキーがああいう状態になったのは、脱皮、いや、自身を進化させるためだったのだな」
「所謂、蛹になってたってわけだ。まぁでも、これでなんとなくわかったな。おぅい、トンキー。ちょっくら乗せてくれや」
アウストの声が通じたのか、トンキーは長い鼻で彼をつかむと、ひょいっと背中に乗せた。彼に続き、ツバキ、キリト、リーファもトンキーの背中に導かれる。
トンキーは全員が乗ったことを確認したのか、一度大きく鳴いてから、翼をはためかせてゆっくりと上昇を開始した。
上昇していく先を見ると、そこには世界樹の根からぶら下がった巨大な氷柱が見える。
そのままグングンと氷柱に近づいったところで、アウストが氷柱の先端を指差す。
「見てみろよ。あそこ」
彼に言われ、リーファが短い魔法のスペルを唱えて掌に扁平の氷を召喚した。遠くのものを見る望遠鏡の役割を果たす《遠見氷晶》の魔法だ。
彼女が召喚した氷晶を、キリトとツバキも覗き込んだ。
「うばっ!?」
リーファが妙な声を上げた。それに続き、ツバキとキリトが氷晶から視線を外した。そしてリーファが驚嘆の声を漏らす。
「本当にあった……《聖剣エクスキャリバー》」
「マシューの情報は当たってたってわけだ。まっ、ここまで来れば。もうわかるよな、トンキーの役割が」
「トンキーは自分を助けたプレイヤーを、エクスキャリバーが置いてあるダンジョンまで導く案内人だったってことか?」
「多分な。でなけりゃあんなところを目指さねぇだろ」
アウストが顎をしゃくって指した方向には、氷柱の中ほどから突き出したバルコニーのようなものがあった。トンキーの進路からして飛び移ればダンジョンに入れるのだろう。
そしてそこから更に上にを見ると、世界樹の根元のあたりに、階段が伸びているのが見えた。ルートからして間違いなくアルヴヘイムへ戻るための階段だ。
「アレが脱出ルート……」
「だろうな。アレなら階段ダンジョンを越えなくても、多分地上に出られるはずだ」
「ではこのルートは所謂、裏ルートと言うことか」
「ああ。トンキーを助けることによって、唯一開かれるルートだな。それで、どうする? エクスキャリバー取って来るか?」
氷柱から突き出したバルコニーを指すアウストに対し、ツバキは特に興味なさそうに瞳を閉じ、リーファとキリトは互いに視線を交わすと、一度頷いて首を横に振った。
「また来よ。今度は仲間をもっと連れて」
「ああ。今はアルンヘ行くことが先決だからな」
「よし。んじゃ、エクスキャリバーはまた今度って感じで。じゃ、地上へ戻りますか」
四人はそのままトンキーの上から動かず、バルコニーを見送る。その時、彼等の視界の中には、エクスキャリバーを守護しているであろう、おどろおどろしい姿の邪神が写った。外見はトンキーのように異形ではなく、人間のそれに近い。
恐らくはヨツンヘイムの中で最強の部類に入る邪神だろう。
トンキーはそのまま上昇を続け、ようやく天蓋近くの階段の入り口へ到着した。背中から四人が階段へ降り立つと、トンキーは少しだけ寂しげな声を発した。
長い鼻を伸ばしたトンキーに対し、それぞれ握手を交わす。
「またね、トンキー。また来るから、それまで他の邪神に苛められちゃダメだよ」
リーファの言葉に答えるようにひゅるる、と短く鳴いたトンキーは、次にキリトに鼻をむけ、その後、アウスト、ツバキともふれあい、最後にユイもトンキーの鼻に生えた毛の一房を触って別れの言葉を告げた。
「またいっぱいお話しましょうね。トンキーさん」
彼女の言葉に答えるようにトンキーは喉声を発すると、翼を折りたたんでそのままヨツンヘイムへと消えていった。そして姿が完全に見えなくなったところで『ひゅるるるるる!』という声が聞こえた。
「また来てねって言ってるのかな」
「かもな」
リーファは目尻に涙が浮かんだが、それを拭うと、三人に向き直って階段を指差した。
「よし! それじゃあ階段を上ろう! 世界樹の根を通るってことは、間違いなくこの上はアルンだよ!」
「じゃあ競争でもするか。ビリは今日の宿代よろしくなー!」
アウストは言いながら先に駆け出し、ツバキとキリトもそれに続いた。
「あ、ずるーい! まてー!!」
リーファも三人に置いていかれない様に階段を全力で駆け上がっていく。
リーファが追いついたところで、キリトが皆に告げた。
「なぁ! エクスキャリバーのことはここだけの内緒ってことにしとこうぜ!」
「あー、なんかその発言で一気にいろんなものが崩れた気がしたー」
「まぁネットゲーマーなんてそんなもんさ。けど、今回の思い出だけは、内緒にしといた方がいいかもな」
「ああ。ゲームとはいえ、なかなか面白い体験が出来た」
四人は急な階段を駆け上がりながら笑い合う。
階段を駆け上がること十分以上。ついに視線の先に一筋の光が見え始めた。その光が見えた瞬間、ほぼ並走した状態からツバキが前に出た。
「先に行くぞ」
「あ、ずっけぇ!」
「アウスト君がそれを言うー?」
「ハハ、確かにリーファの言うとおりだ」
「うっせ。けど、宿代のおごりはご勘弁なんで、ラストスパートだ!!」
アウストは先に出たツバキを追いかけ、足の回転を早める。リーファも今度は置いていかれないために全力で階段を駆け上がる。
スパートをかけた四人はほぼ同時に光が差し込む木の壁の開いたうろへ突っ込んだ。
そして四人が目を開けると、そこに広がっていたのは古代遺跡を思わせる建造物が縦横に何処までも広がっている様子だった。
夜と言うこともあり、街を照らす街灯や街明りはまるで星屑をちりばめたようだ。が、それから少し目を別方向に向けると、一見壁ではないかと思うほど巨大な樹木、世界樹が聳え立っていた。
「やっと着いたな。アルンに」
アウストが溜息とともにもらした。確かに彼の言うとおり、やっとという感じだ。特にキリトとリーファは特にそれが強いだろう。
すると、キリトの胸ポケットからユイが出てアウストの頭に乗った。
「わあ……! わたし、こんなにたくさんの人がいる場所に来たの初めてです!」
彼女の素直な感想に、リーファも内心で頷いた。
彼等はしばらく高台からアルンの街並みを眺めていたが、そこでパイプオルガンのような音と共に、柔らかい女性の声でアナウンスが入った。どうやら定期メンテナンスが時刻が迫っているようだ。
「メンテか。そんじゃあ今日はここまでだな。適当な宿屋探してログアウトしようぜ」
「確かメンテナンスって今日の午後三時だっけ?」
「ああ。まぁそれまでは休憩ってことで。それでいいだろう、キリト」
「ん、ああ。大丈夫だ」
キリトは説明を聞く反面、世界樹の枝葉を眺めていた。事情を知るアウストとツバキは、特に勘繰らないようにした。リーファも彼のテンションが少し下がったことに気が付いたのか、心配そうな視線を送ったが、特に勘繰ることはしなかった。
「それじゃ宿を探そう。って、さっきの最後尾って結局誰だったんだ?」
「そういえばそうだな……」
「私は四人ほぼ同時だったようにも見えたが」
「うーん、どうなんだろう。ユイちゃんわかる?」
「はい。わかりますよ。えっと、最初にゴールしたのはツバキさん、次はリーファさん、その次はアウストさん。そして最後はパパです。なので、宿代はパパ持ちですね」
「だってよ。パパ」
「お、俺かぁ!?」
キリトは素っ頓狂な声を上げたが、既に三人はキリトにおごられる気まんまんのようだ。
「では、頼むぞキリト」
「よろしくねー、キリト君」
「お前も乗り気で走ってたもんな。拒否はなしで」
「……はぁ、わかったよ。でも、俺、今素寒貧だから。安宿だぞ?」
「サクヤ達にあんなにお金あげるからだよ。それでユイちゃん、パパはああ言ってるけど。近くに安い宿はある?」
ユイはリーファの問いに頷くと、周囲の宿屋を検索し、すぐに目当ての宿を発見した。
「ええ、ありましたよ。あっちに降りたところに激安のところがあります!」
「げ、激安かぁ……」
激安という言葉にリーファは思わず頬を引き攣らせるが、キリトを含めた三人は特に気にした様子もなく、ユイが指示した方向へ向かう。
仕方なくリーファも彼等について行くが、たどり着いたのはまぁいかにも激安感漂う宿屋であった。
リーファは内心で「うへぇ」と思ったが、キリトは振り返って問うてきた。
「ここでいいだろ?」
「どうせログアウトするだけだしな。じゃあキリト、部屋取って来て――」
「待て、アウスト。私達はやることがある。まだメンテナンスとやらには一時間以上あるだろう?」
アウストの声を途中で遮るようにしてツバキが言った。それに対し、アウストは「あー……」と言う風な顔を浮かべる。
「わりぃけどキリト。四人分部屋取ったら先にログアウトしててくれ。俺達はちょっとやることがあった」
「大変なら手伝うぞ?」
「いんや、俺等だけでいいさ。もう時間も時間だし、戻って寝な」
アウストは、ツバキと共にどこかへ行ってしまった。
残されたキリトとリーファは怪訝な表情をしていたが、勘繰るのもよくないと思ったのか、宿屋に入っていった。
キリト、リーファと分かれたアウストとツバキはアルンの街の上に浮かんでいる浮島にやって来ていた。因みにここまでは暗所飛行が可能なインプであるアウストが運んだのだ。
二人はある程度間隔をあけて向かい合うと、アウストは大剣を抜き放ち、ツバキは抜刀態勢に入る。
「まぁ呼び出された時からなんとなくわかったけどさ。そんなに我慢が効かなかった姉貴」
大剣を構えたアウストが問うと、抜刀姿勢に入っていたツバキは静かに頷く。
「ああ。なにせ今日はお前との試合を邪魔されたからな。それに、ヨツンヘイムで闘った連中もいまいちだったからな。フラストレーションが溜まって仕方がなかった。だから、メンテナンスの二十分前までは付き合ってもらうぞ」
ツバキの瞳は爛々と輝き、このときを待ちわびていたというのを表現していた。元々満たされない日々が続いていたこともあったのだろう。ここに来てフラストレーションが限界に達したと見える。
「別に闘うのはいいけど。殺してくれるなよ?」
「安心しろ。寸止めは慣れている。だが、お前も手を抜くなよ。私を殺すつもりで来い」
「わーってるよ。んじゃ、始めるか!」
「来い! 葵!!」
そうして萩月姉弟の全力の試合が始まったのであった。
因みに、この試合は本当にメンテナンスのギリギリまで続いた。
アウストとツバキが闘っている時、世界樹の枝葉の中に設けられた大きな鳥かごの中には一人の少女がいた。
長い栗色の髪に、しばみ色の瞳。綺麗に整った顔は、一目で彼女が美少女だということを物語っている。
アスナ/結城明日奈がこの鳥かごに幽閉されてから、既に六十日近くが経過している。けれど彼女はひたすら待っている。自身が愛した一人の少年を。
「キリトくん……」
想い人の名を呟くが、その声は未だに彼に届かない。
しかし、彼女はまだ知らない。彼女の想い人と、彼の仲間が彼女を救うためにすぐ近くにまで来ているということを。
はい、とりあえずヨツンヘイム脱出しました。
トンキーが進化したのは脱皮だと思うので、けっして攻撃は関係ないはず。
とりあえず次回の頭はアスナとオールバック野郎との絡みをやって、アスナが出そうする辺りまではやりますかね。なので、次回はアスナ回です。
その次はキリトが無茶して世界樹攻略に挑んで、妹ちゃんと一悶着ある感じで。
では、感想などありましたらよろしくお願いします。