「……で、あるからしてここの公式はここに……」
黒板を模して作られた大型モニターには、数学教師が数式に公式を当てはめて解説をしている。
時刻は十二時二十二分。授業が終わるまではあと三分だ。が、今の俺の頭の中には、教師の解説など入っていなかった。
頭の中にあるのは、一日限定十個しか作られない購買の激レアパンのことだけである。噂によるとそのパンは、コロッケパンであるらしい。一口食べれば、SAO内のS級食材の極上料理にも匹敵すると言われたそれは、ゲーマーとしてはなんとしてもゲットしたいところだ。
というか、今日は寝坊しかけたので朝飯を食べていない。なので非常に腹が減っている。もはや三時限の終わりあたりで、腹の中は空腹の
なので今日はそれを狙う。限定十個……聞いただけで心が躍る。
再び時計を見ると、時刻は午後十二時二十三分。そろそろアップを始めなければ。
ペンをそっと置き、首を回し、走るときに傷めないように足首と手首も念入りに回しておく。時計の長針が二十四分を指し示す。
さぁ、そろそろだ。
『大人気の購買のパンをゲットするには、チャイムダッシュは基本である』。
二年前、高校三年だった俺の友人がよく言っていた言葉だ。彼は小太りだったが、何故か昼飯時は異常なまでに動きが俊敏で、加速装置でもついているのではないかと思った。
だが、彼の言葉によって俺はいま助けられている。
「……と、こうなることでこの数式の解はこうなる。っと、もうこんな時間か。そろそろチャイムが鳴るな」
教師も時計が指し示す時刻に気が付いたのか、大型モニタの電源を落とす。そして彼が再び立ち上がり、日直に声をかけ、日直の女子が「起立」と言ったときだった。
――時が来た。
授業の終了を報せるチャイムが鳴ったのだ。瞬間、俺はすぐさま席から飛び退き、身体を反転させて教室の後ろの扉から廊下に飛び出した。
俺の席が廊下側の一番後ろの席だったことが幸をそうし、廊下に出た時にはまだ誰もいなかった。この好機を逃すわけには行かない。
教室では俺が飛び出したことに気が付いたものも数人いるだろうが、そんなものは放っておく。
……行けッ!
グッと足に力を込め、力が溜まったところで一気に足を伸ばす。グンッ! という加速の感覚に襲われながらも、俺は廊下を走り始める。リノリウムの床を上履きでしっかりと踏みしめ、見る見るうちに加速。周囲の景色が後方に流れていく。
SAOの時はこれよりもはるかに速度が出ていたが、現実世界ではこんなものだろう。
購買があるのは二階にある食堂の手前だ。俺が今いるのは三階だ。最短ルートに通じる階段を見つけ、俺はクイックターンで階段に差し掛かる。背後からは俺と同じように購買か、昼飯のために食堂へ急ぐ生徒達が迫る音が聞こえる。
だが、遅い。
勢いをそのままに階段の最上段から、一気に踊り場へジャンプ。着地した踊り場でしゃがみながらも体を反転させ、今度は二回に分けて階段から飛び降りる。
そのまま再び体を回転させると、視線の先には購買部が見えた。教室が近い生徒が数人見えるが、余裕で抜ける距離だ。
再び俺は駆け出す。一迅の風になって俺は廊下を駆け抜ける。途中女子達が短い悲鳴を上げていたが、彼女達には心の中で謝っておく。
前にいた数人を抜き、俺が先頭になった。そして購買部の入り口が迫った瞬間、回していた脚の動きを止め、廊下を滑るように移動する。ブレーキをかけているので、キュキュ! という甲高い音が聞こえ、廊下をみると、車のブレーキ痕のように筋が残っていた。摩擦によって溶けたのだろう。
購買の目の前で止まった俺の前には、『限定十個! コロッケパン!!』と書かれたチラシの前に置かれた、神々しいまでの光を放っているかのように見えるコロッケパンがあった。
購買のおばちゃんたちは、俺の登場の仕方に驚いていたようだったが、俺は財布を取り出しながら告げる。
「おばちゃん。限定コロッケパン二つと、焼きそばパン、メロンパン、チョココロネ、あとカレーパンにロースカツパン、チキンカツパンを一つずつ頼むわ」
こうして俺は限定昼飯をゲットするという高度なミッションを完了させたのであった。
「むぐむぐ……」
食堂の一角。中庭のベンチが梢の隙間から見られる窓際の席で、俺は昼飯の戦利品を食していた。目の前にはそれなりの数の惣菜パンやら菓子パンが並んでいる。普段からよく食べる方なのでこれぐらいは余裕である。
「おー……さすが限定。他のパンとは明らかに食感が違うな」
焼きそばパンを平らげ、いよいよ限定コロッケパンを喰らう。ひき肉とじゃがいも、にんじん、タマネギがちょうどよく混ぜ合わされた極上のあんを、サクサクの衣が包み込み、その衣には、濃厚でいて、しつこくないソースがかけられている。パンとコロッケの間には千切りのキャベツもあり、食感も飽きさせない。完璧なものだった。
「うまうま」
満足しながらコロッケパンを食べ終えてから、お茶を口に運んで、外を見る。
季節はすでに五月と言うこともあり、窓の外には新緑が広がっている。
ALO内での須郷伸之の悪事が世間や警察に露見してから、四ヶ月近くが経った。
明日奈が入院していた病院で逮捕されたあの男は、何者かに相当痛めつけらたらしく、頭髪は全て剃り落とされ、小便を漏らし、身体には細かい切り傷が無数にあったという話だ。
勿論、それをやったのは俺の姉である椿だ。彼女の曰く「殺されなかっただけましだろう?」とのことだ。
後から詳しく話を聞くと、あの後、すなわちALOでの一件の後、須郷は和人を殺そうと、明日奈がいる病院に先回りしていたらしい。まぁそのまま和人を殺せれば、あわよくば明日奈の貞操でも奪おうとしたのだろう。どこまでも見下げ果てたヤツだ。
逮捕されたヤツは、素直に自白するはずもなく。足掻きに足掻きまくったという。黙秘を貫き、否定に否定を重ね、最終的には茅場晶彦に全てを背負わせようとした。
が、彼の部下が重要参考人として引っ張られた瞬間、状況は一変。部下はすんなりと全てを告白し、須郷の逃げ道は完全になくなった。そのまま公判に持っていかれた現在では、精神鑑定を申請しているらしい。まぁ確かにあの男には精神鑑定が必要だろう。いろんな意味で。
主な罪状は和人に対する傷害になるが、略取監禁罪も適応されるかもしれないと、マスコミは取り上げている。
因みに、ヤツが散々『神の業』云々とほざいていた魂の操作、人間の記憶の操作や感情の操作は、ナーヴギアでしか出来ないということも判明した。結局のところ、ヤツは最後まで茅場晶彦という天才に勝てなかったのだ。
不幸中の幸いだったのはSAO未帰還者たちに人体実験の際の記憶はなく、全員SAOにいたの時の記憶しかなかったことだ。
が、ヤツが引き起こした猟奇的な犯罪により、レクトプログレスとALO、果てはVRMMOというコンテンツそのものが、回復不可能な打撃を受けた。
まぁVRMMOそのもの社会的不安は、SAO事件の時からあったので、今回の事件で完全に引き金が引かれたということだろう。須郷は全世界のVRMMOファンを敵に回したといっても過言ではない。
須郷の非人道的で猟奇的な実験の影響で、最終的にはレクトプログレスは解散。レクト本社も痛烈な打撃を受けたが、社長以下経営陣を刷新することで、なんとか乗り切ろうとしている。
親父もレクトプログレスがなくなったことについては「それなりに痛手だ」と溜息をついていた。とは言っても、うちの警備会社が警備するビルは多いので、大した打撃にはなっていないらしいが。
無論、レクトプログレスが解散したことで、ALOの運営は中止。その他のVRMMOもユーザーの減少は微々たるものの、未だ世間からの風当たりは強いので、中止になるだろう。
が、これらのことを力技で捻じ曲げてしまったものが、あの決戦の後、俺と和人が茅場晶彦から渡された『世界の種子』である。
因みに、茅場晶彦は現実世界で死亡していたことが確認されている。これは二ヶ月前に明らかになったことだ。人里離れた山荘で発見されたらしい。
彼のナーヴギアには所謂《死の枷》は付いておらず、いつでもログアウトできるようであったらしい。けれど、血盟騎士団の団長としてのログイン時間は最長で一週間ぶっ通しだったと言う。
また、その間彼の介助をしていたのは、茅場と同じ工業系大学に在籍し、彼とおなじ研究室に入っていた、神代凛子という女性だった。須郷も同じ研究室に在籍していたことは、陽子さんから聞いていたので、あの時須郷が『あんたは何でも攫って行く』と吼えていたのは、須郷は神代という女性が好きだったのだろう。あとあと陽子さんから教えてもらったら、再三にわたって求愛していたという。
因みに俺は神代凛子という女性に対して興味がなかったので、これらのことは全て彼女と実際に会った和人から教えてもらったことだ。
そこで、和人は旧SAOサーバー内で彼と話したこと、そしてALO内で彼に救われ、世界の種子というものを託されたことを話したらしい。
『――私は、彼の潜伏していた山荘を、彼を殺すために訪れたのです。でも、殺せなかった。そのせいで多くの若者が命を奪われました。彼と私のしたことは到底許されるはずがない。彼を憎んでいるのなら、託されたものを消去してください。でも、もしも……もしも憎しみ以外のものが貴方と、萩月さんの中にあるのなら…………』
その言葉はALOを去っていく茅場が残した言葉と似ていた。というか、殆ど同じだった。
「……まぁ、俺は別段恨んじゃいねぇし」
ロースカツパンに手を伸ばして封を切った。すると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あ、いたいた! アウ――じゃなかった、葵!」
カツパンに齧り付きながら声のしたほうを見ると、昼食がのったトレイを持った茶色い髪の少女が見えた。顔にはそばかすが見えるが、充分美少女で通る範疇だろう。
彼女は篠崎里香。SAOでのキャラネームは、リズベットだ。二月あたりに和人共に会ってからは、このようにSAOの時と同じような感じで接している。
里香の隣には、背の小さい少女がいる。こちらも美少女である。
少女の名は綾野珪子と言い、キャラネームはシリカと言う。SAO内では直接話したことこそないが、彼女は中層で何度か俺を見かけたことがあるらしく、初めて会ったときはキャラネームがわからなかったのか、通り名の『宵闇さん』と呼ばれた。
彼女も和人の紹介で出会い、友人関係である。
二人に対し、軽く手を上げると、彼女等はササッと動いて、それぞれ俺の正面の席に落ち着いた。
「いやー、混む前にアンタ見つけられてよかったわー」
「ホントですね。というか、葵さん。パンの量が……」
珪子は苦笑い気味に目の前に並んでいるパンの数々を見ていた。
「俺にとっては普通なんだよ。まぁ男子と女子じゃ食う量だって違うだろ」
「そりゃあ、そうよねぇ――ってぇ!? アンタ、これって購買の一日限定十個のコロッケパンじゃない!!」
「おう。さっき全力疾走して買ってきた」
「よくやったわ! あたしのBLTサンドと交換しない!?」
身を乗り出して言ってくる里香だが、俺はそれに対しカツパンの残りを口に放り込んで「却下」と返す。
「なんでよー!」
「俺の限定コロッケパンと、お前のBLTじゃつりあわん。物々交換の基本は等価交換だろう?」
「むー、ケチー!」
「ケチで結構。つか、そんなに欲しいなら自分で走って買えよ」
「男子はズボンだからいーわよ。けどね、こちとら女の子なんですからね。スカートで走ったらそれこそパンチラものだって」
不服そうにBLTサンドを食べる里香。まぁ、彼女の言うことも最もではあるが、残念なことにこの世は弱肉強食である。スカート如きを気にしていては、美味いものは手に入らない。
「あ、それじゃあ、こうするのはどうですか?」
不意に珪子が人差し指を立てて提案した。
「うん?」
「里香さんが食べる分の限定パンを葵さんに買ってもらうって言うのは……」
「それだ! 葵!!」
「オレパシリニサレンノイチバンキライ」
カタコトで返しておいた。というか、珪子も可愛い顔をしておきながらもなかなかえげつないことをいいやがる。今度頭をグリグリしておかねば。
「ちぇー、結局自分で買うしかないかぁ。はーぁ……」
里香は頬杖を付いてイチゴヨーグルトドリンクを飲む。俺はそれに肩を竦めてみたが、視界の端の中庭のベンチに見慣れた後姿があるのが見えた。
そこにいたのは和人と明日奈だ。現実世界に明日奈が戻ってきたことにより、彼等は付き合い始めている。今日も王子様とお姫様が密会しているのだ。
とりあえず、俺は目の前でドリンクを啜っている里香と、エビピラフを食べている珪子に聞こえるように言ってみる。
「あー、あそこにいるのは和人くんに明日奈さんじゃないかー。今日も仲睦まじいなー」
俺の言葉に、里香と珪子は揃って中庭のベンチで肩を並べて昼食をとっているであろう二人を見た。
珪子は複雑というか、羨ましそうな顔をしていたが、里香はというと呆れ混じりな顔をしていた。が、ずっと吸い続けていたドリンクが終わったのか、ズゴゴゴゴという女子が出してはいけなさそうな音を出した。
「もう、里香さん。はしたないですよ」
「だってさぁ、あーぁ、キリトのヤツあんなにくっついちゃって……」
「あの二人リアルに帰って来てもべったりだからなぁ。まぁ無理もねぇが」
「それにしたってよ!? もうちょっと距離置いて座るんじゃないの、普通は!」
「まぁ確かに里香さんの言うとおり、密着しすぎな気もします」
二人が大きく溜息をついた。気持ちはわからないでもない。俺から見ても二人は密着している。殆ど肩をあわせているし、明日奈にいたっては時折キリトの肩に頭を乗せている。ずっと見ていると胸焼けしそうだ。
「というか、ダメですよ覗き見なんて!」
「ちがうちがう、これ覗き見じゃない。偶々俺がここに座ったら、偶々中庭が見えて、偶々明日奈と和人があそこに座ってて、偶々イチャついてるだけだから。偶発的だって」
「ホントそうよねー。偶々よ偶々」
「……そこまで偶々が続くとそれはもはや故意というのでは……」
エビピラフのご飯粒を頬につけたまま珪子は溜息をついた。
「つか、アイツ等があんなにイチャついてんのは、お前等が一ヶ月休戦協定とやらを結んだからだろ? 身から出た錆ってヤツだわな」
ケラケラと笑いつつ、カレーパンの封を開けてそれを喰らう。うむ、サクサクのパンと少し辛口のカレーが上手くマッチしている。美味だ。
「今考えれば、なかなかに愚かな協定だったわね……」
「先に言い出したのはリズさんですからね。というか、色々甘いですよリズさん! 一ヶ月間あの二人にらぶらぶさせてあげようなんて」
「あー、はいはい。あとシリカ、ご飯粒付いてるよ」
里香が指摘すると、珪子は慌てた様子でご飯粒を頬から取り、口に含んだ。
まぁ里香の気配りもわからないでもない。明日奈にとっては、和人といられる時間が何よりも大切だろう。愛する人といるというのは、それだけで安心できるらしい。これは、薊が言っていた。
「そういえば、あんた達は今日のオフ会行くの?」
「もちろんですよ。リーファ……直葉ちゃんも来るそうです。リアルで会うのは初めてなので、楽しみだなぁ」
「そういや、珪子は直葉と仲が良かったか」
「はい。……というか、葵さん。みんながいるときはアレですけど、私達ぐらいしかいないときは、普通にキャラネームで呼んでいいですよ」
「あ、それ私も気になってた! アンタ、よくキャラネームで呼んじゃわないわよね。あたしなんていまだに呼んじゃうんだけど」
「そう難しいことでもないだろ。多少気をつければいいだけさ。まぁ確かにいつものメンツでいる時くらいはキャラネームで呼ぶことにするよ、シリカ、リズ」
「あー、やっぱそっちの方がしっくり来るわー」
リズはBLTサンドの残りを口に放り込んで大きく息をついた。が、そこで何かを思い出したのか、おもむろに俺に問いを投げかけてきた。
「そうだ。今日のオフ会って、ツバキも来るの?」
「ああ。行くって言ってたよ」
「ツバキさんとも会うの初めてなので楽しみです。アウストさんのお姉さんなんですよね?」
「おう。まぁ雰囲気としちゃあゲームでもリアルでも大してかわんねぇよ」
「うん? そういえば、アウストの苗字って萩月だったわよね。ツバキが本名だとしたら、萩月ツバキってなるわね。もしかして、アンタのお姉さんって割りとミーハー?」
少しだけ意地が悪い笑みを浮かべるリズ。俺の苗字とツバキのキャラネームを繋げれば萩月ツバキとなり、剣帝と称される萩月椿と同名になるように設定したと思っているのだろう。
……まぁ本人なんだけど。
姉貴のリアルでの正体を知っているのは今のところ明日奈と和人だけだ。リズやシリカ、リーファには伏せてある。理由としては、現実世界で姉貴が暇な時と、他のメンツが暇な時がかみ合わなかったことと、姉貴が海外へ試合に行くために日本を離れていたことなど、主にこの二つが上げられる。結果、ズルズルと現在に至るまで紹介することが出来なかったのだ。
萩月という苗字は珍しいといえば珍しいかもしれないが、同じ苗字の人間はそれなりにいるらしい。なので、二人は俺があの萩月椿と無関係だと思っているのだろう。
とりあえず、言いたい、バラしたいという欲求を押しとどめて、俺は肩を竦めた。
「さてね。その辺は今日会ったら聞いてみな」
最後のパン、チョココロネを食べてお茶を飲む。時刻を見ると、まだ昼休み終了にはそれなりの時間がある。
「……もう一つくらいパン買ってくるか」
「よく入るわね。アンタ……」
本日の授業が全て終了し、放課後になった。荷物をパパッと纏め、登校用バッグを肩に担ぐと、背後から声をかけられた。
「おぅい、葵ー。帰りゲーセンよってかねー?」
振り返ると、そこには休み時間や体育の授業で、よくつるんでいる友人達がいた。
「悪いな、今日はこれからデートなんだ」
「デートォ!? おま、いつの間に……!」
「下級生か、同級生か!?」
「どんな子だ!? かわいい? 胸おっきい!?」
デートと言う言葉に反応し、矢継ぎ早に聞いてくる友人達。だが、男にここまで近寄られるとさすがに暑苦しい。
「あー今の冗談だよ。本当はオフ会なんだ。だから今日は付き合えん。すまん」
「なーんだ。ビックリさせんなよー」
「まぁオフ会の会場までは、女の人と二人きりだけどな」
「爆ぜろ! リア充!!」
血涙を流しそうな剣幕で言われた。というか、制服を着てはいるが、俺たち自身今年で二十一になるので、そんなことは言っていられないと思うのだが……。まぁ少しの間だけの高校生活だ。楽しんで損はないだろう。
なんとなく背後から殺意に似たなにかを覚えつつも、俺は下駄箱から靴を取り出して乱雑に上履きを押し込んでから外に出た。まだ、オフ会には早いが、来るまで移動する分もあるので、開始時刻の五分くらい前には到着できるだろう。
校門を抜け、通りに出てしばらく進んだ路肩で、サングラスをかけた美女が白のスポーツタイプの車の車体に体を預けているのが見えた。
恰好としては、下半身はスカートではなくタイトジーンズにハイヒール。七部袖のシャツに薄手の上着を羽織っている。殆ど白と黒のモノクロで調整されており、彼女らしさがうかがえる。
「姉貴」
俺が声をかけると、彼女はこちらを見て言葉を発さずに乗るように指示してきた。
素直に乗り込むと、姉貴は自販機で買ったと思われるお茶を放り投げてきた。
「サンキュ。てか待ったか?」
「いや、五分前に着いたところだ。では、行くとするか。シートベルトを忘れるなよ」
姉貴の指示に返答してからシートベルトを締めると、彼女は車のエンジンをかけて都内にあるオフ会会場へ向かった。
しばらく走ったところで、不意に姉貴が問うてきた。
「なぁ、葵。今日のオフ会とやらは《アインクラッド攻略記念パーティー》なのだろう? なのに私が行っていいのか?」
「行って良いも何も、今日行かなけりゃあんたを紹介できねぇだろうが。つか、それ以前に明日奈と和人……あぁ、いちいち呼び方かえるのめんどくさくなってきた。ようは、アスナとキリトが『ツバキさんも誘え』って言ってきたんだよ。だから姉貴が来ても問題なし」
「ならいいが。そういえば、リーファは来るのか?」
「ああ。多分俺たちよりも少し遅くな。キリト達に伝えた時間は少し遅めなんだよ。なにせ、SAOクリア最大の功労者はアイツだからな」
「なるほど。主役は最後、というわけか。だが、リーファが来るのか、そうかそうか」
「……まぁ姉貴がいたら驚くだろうな。まぁ他の奴らもかなり驚くだろうけど」
内心で椿が現れた時の皆の反応を楽しみにしながら、姉貴の運転する車に揺られる。
車に揺られること二十分。都内にある、エギルの店《ダイシー・カフェ》に到着した。車は近くの有料駐車場に停めてある。
「ここか」
「ああ。姉貴はエギルともあったことがあったよな」
「うむ。中々に背の高い男だったな」
椿はうんうんと頷きながら満足げにしていた。その様子からして仲良くはやれているようだ。
黒い扉をカランとドアベルを鳴らしながら入ると、中にはかなりの人数が集まっていた。この店の店主であるエギルは言わずもがな、昼休みに学校で一緒だったシリカとリズベットは勿論のこと、クラインや彼がギルド長を務めていた風林火山のメンバー。さらには、はじまりの街で孤児院をやっていたサーシャ、元《軍》のマスターであるシンカーにユリエールの姿もあった。
もちろん、誘っておいたのでマシューとヨミの姿もある。
「ウィーッス」
言いながら入ろうとすると、一番近くにいたリズに思い切り手を引かれた。
「ちょちょちょッ!」
「アウスト、アンタねぇ。もうちょっと時間考えて来なさいってば! 早くしないとキリト達来ちゃう……で……」
だが、彼女の言葉は最後のほうで尻すぼみになって行った。やがて、ざわついていた店内が段々と静かになり、店内にはアルゲードでNPCたちが奏でていたBGMだけが響く。
皆の視線を追うと、全員俺の後ろにいる椿に注がれている。
「は……」
誰かが声を漏らした。が、次の瞬間、店内にいた全員の声がハモる。
「萩月椿!!?」
驚愕と疑問のが混じったような声が店内に木霊する。とりあえず俺はリズに握られていた手を離し、小さく咳払いしながら姉貴に掌を向けた。
「えーっと、知ってる人が大半だと思うけど紹介しておくぞ。俺の姉貴の萩月椿だ。ALOでのキャラネームはツバキな」
紹介してみたはいいものの、先ほどの声が響いていこう、店内には沈黙しかない。どうしたものかと頭を悩ませていると、今度はカウンター近くにいたヨミに腕をつかまれた。
「ちょっと、アウスト!? 聞いてないんだけど、アンタのお姉さんがあの萩月椿だなんて!」
「お、おう。説明してないからな。というか、もしかしたら俺の苗字で察してくれるかもと思ってたし」
「苗字なんて被ることくらいあんでしょーが! あぁもう、なんでアンタはいっつもいっつも肝心な説明がないのよ」
「わかった、わかったからヨミ! アウストさんの腕はそっちの方向に曲がりませんのことよ!?」
何故か興奮状態のヨミに腕を捻り上げられてしまった。危うく腕がとんでもない方向に曲がるところだった。
俺たちがこんなやり取りをしていると、姉貴が小さく咳払いをして沈黙が続く店内にいる皆に告げた。
「皆、愚弟の説明不足を許して欲しい。そして、今愚弟が説明したことは真実だ。ALOでのツバキはこの私、萩月椿だ。このように遅い説明になってしまい、本当にすまない。願わくば、皆の仲間に今一度入れてほしい」
背筋をピンと伸ばし、凛とした張りのある声で彼女が言うと、一番前にいたリズが一瞬慌てた様子を見せながらも返答した。
「え、えっとそんな謝らなくてもいいですよ! あたし達もホラ、急にテレビで見る有名人が出てきて驚いちゃっただけなんで。ねぇ、クライン!?」
「お、おうよ! それに俺たちはとっくの当に仲間でしょう、ツバキさん! そんなかしこまんなくて良いですって!」
二人の言葉に、店内にいた全員が動揺しながらも頷いた。どうやら、姉貴の人柄でなんとか乗り切れたようだ。
「そうか、ならばよかった。が、リズ、クライン、敬語は使わなくても構わない。いつもの調子で話してくれ。他の皆もそれで頼む」
薄く笑みを浮かべて彼女が言うと、緊張していた店内の空気全体が再び緩んだ。どうやら、これで驚きによる硬直は終わったようだ。
「なんとか乗り越えたな」
「アンタのせいでしょーが!」
「すみません」
ヨミに軽く叩かれた。まぁ、確かに空気を硬直させてしまったのは俺のせいであるのでそこは素直に謝っておく。
その後、姉貴はリアルでも皆と簡単に打ち解け、リズやシリカも普通に話せるようになっていた。それに、ユリエールやサーシャとは歳が近いこともあるのか、すぐに仲良くなれたようだ。
俺はと言うと、ヨミやマシュー、クラインたちと主に話し、サーシャには子供たちの件で再び感謝の言葉を送られた。
ある程度皆が姉貴の存在になれたところで、不意に店のドアベルがカランと鳴った。視線を向けると、そこには結構な人数がいることに驚いているキリトと、割かし楽観的なアスナ、ポカンとしている直葉がいた。
そんな彼等にリズがいつもの笑みを浮かべながら近づくと、キリトは小さく漏らす。
「おいおい、俺たち遅刻はしてないぞ」
「へっへ、主役は最後に到着するもんだからねぇ。アンタには最初からすこし遅めの時間を教えてたのでした。それよりもホラ、入った入った」
リズに腕を引っ張られながら三人は店内に引き込まれてきた。が、そこで直葉が椿を見て素っ頓狂な声を上げた。
「うええぇぇぇぇぇぇぇ!? な、なんで萩月椿さんがここにいるの!?」
最高の反応であった。これこそ隠していた甲斐があったというもの。先ほどのあの反応とは違う、純粋な驚きである。
椿も直葉の声に反応し、そちらを見やると、彼女に近づく。が、しかし、そんな二人に大してリズが「ちょい待ち!」と声を上げる。
「直葉ちゃん。驚くのも無理はないけど、今は抑えて! ホラ、キリト、さっさとここに上がって! エギル、照明」
リズの指示に従い、エギルが照明とBGMを絞り、簡素な壇上に上がったキリトにスポットライトが向けられる。
「それでは皆様、ご唱和ください。せーのぉ……」
「キリト、SAOクリアおめでとー!」
リズの音頭に続いて全員が唱和した。当のキリトはいまだに状況がいまいち飲み込めていないらしく、ポカンと口をあけていた。が、ポカンと口をあけているのは、赤れだけでなく、彼の妹も同じであった。
とりあえずその後、椿から直葉へ自己紹介と、今まで黙っていたことの謝罪が送られた。直葉はしばらく放心状態だったが、しばらくしてようやく理解し、椿と握手を交わした。かなりぎこちなく、ブリキの人形のようであったが。
主役の登場により、いよいよオフ会が始まった。和人には報せていなかったスピーチをさせ、エギルが用意したピザやらジュースやらを飲みながら、パーティーはこういった大人数でありがちなカオス状態に突入した。
和人は俺を含めた男連中から荒い祝福を受け、女性陣からは打って変って手厚い親密な祝福が送られていた。まぁ、姉貴はそれに加わらず壁際で直葉と共にオレンジジュースを飲んでいた。
「エギル、ハイボール。あとレモン」
あいさつ回りを終えて、カウンターに座り、店主のエギルに注文する。
「そういやお前さんはもう二十歳だったか。ホラよ」
カウンターの上を淡い琥珀色の液体と、ロックアイスが入ったタンブラーがスライドしてきた。タンブラーの中を見てみると、ソーダがパチパチと気泡を弾けさせている。
貰ったタンブラーを軽く持ち、そのまま煽って口に含む。最初に来たのはシュワっとしたソーダの爽快感。次に味覚、というよりは嗅覚に反応したのは、トウモロコシと、焦がした樽の匂いだった。
「これってバーボンか?」
「ああ。つっても、アルコール濃度はかなり抑えてある。この後仕事があるやつもいるからな」
「俺とかな」
言いながら背中にのしかかってきたのは、風林火山のギルド長、クラインであった。本名は確か壷井遼太郎という名前だ。
彼の腕には和人がいたので、どうやら女性陣と話しているところを引き摺られてきたらしい。
和人はクラインの腕から脱した後、なにやら変な雰囲気を出しながらエギルに告げた。
「マスター、バーボンを」
「なにかっこつけてんだガキんちょ」
スパァン! と俺が放った平手が和人の頭を捉えて快音を響かせる。
「いったぁ!? 急になんだよ!」
「いや。なんか雰囲気がイラついた」
「そんだけ!?」
「ああ。そんだけ。つか、お前みたいなお子様がバーボンなんて飲めんのかよ」
ハイボールを煽りながら聞くと、エギルが和人の前に俺のタンブラーに入っているものよりも、濃い目の琥珀色の液体が入ったタンブラーを出した。
まさか本当に出されるとは思っていなかったようで、和人は一瞬たじろいだ様子だったが、恐る恐るタンブラーに口をつけて僅かに液体を啜る。
「な、なんだ烏龍茶か……」
「自分で注文しといてビビんなよ」
「いやだって、まさか出てくるとは思ってなかったしさ。というか、バーボンってどんな味なんだ?」
「味ねぇ……。なぁクライン、ウィスキーとかの酒って味と言うか匂いで楽しむのが強くね?」
俺の右隣に座り、本物の酒を煽るクラインに問うと、彼もやはり少々悩んだ。
「まぁ結局はウィスキーの一種だからなぁ。俺の聞いた話じゃ色と香りと味の三つを楽しむって話だったぜ」
「ふぅん。薊は香りを楽しむとか言ってけど、なんかそっちが正しそうだな。で、本職のエギルさんはどういう見解なわけ?」
ちびりとハイボールを飲み、口に含んで香りと味を楽しんでみる。
「その辺は個人の自由でいいんじゃねぇかな。細かく考えすぎてもアレだしな」
「だそうだぜ、キリト。あ、なんか和人って呼ぶのややこしいからもうこっちでいいよな」
「ああ、それは別にいいけど」
カウンターで話すアウスト、キリト、エギル、クライン、そしてあとから加わったシンカーを見やりながら椿はオレンジジュースを飲む。本当は酒を飲みたい気分であるのだが、今日は車で移動しているので、酒は飲めない。
視線を外し、女性陣に目を向ける。皆一様にピザやらジュースやらを飲んだり食べたりしながら、笑顔を零れさせて話している。因みに、ユリエールと話しているサーシャはアウストに何かしらの恩義があるらしく、礼を言っていた。
……まぁSAO関連のことは深くは聞くまい。
SAOのこと自体がトラウマになっている者もいると聞く。不用意に問いを投げかけるのは無粋と言うヤツだろう。とは言ってもここにいる皆は気にしなさそうな気がするが。
「あの、椿さん」
不意に声をかけられた。
見ると、若干緊張した様子のリーファもとい、直葉がいた。その様子はなんとなく、ヨツンヘイムでトンキーの頭に乗ったときに話していた雰囲気と似ている。
「どうした、直葉」
「え、えっと、さっきは驚いたまま固まっちゃって挨拶できなかったんで」
「そういえばそうだったな。では、改めて……」
背を預けていた壁から離れ、直葉を正面にする形で相対する。正面から見てみると、なおのこと直葉が緊張しているのがわかった。
ガチゴチになっている彼女を見て、椿はついつい口元に笑みが浮かんでしまうのを感じた。
「大丈夫か?」
「は、はい。なんとか、アハハ……」
「ふむ……」
なんとか答えてくる直葉に対し、椿は少しだけ声音を緩める。
「直葉、そう緊張しなくていい。確かに私は萩月椿だが、基本はALOにいるときと変わりはない。ツバキだと思って話してくれればいい」
「それでも、ツバキさんはわたしにとっての憧れの人なんで……。緊張しちゃいますよ」
「憧れの人か……。やはり、面と向かって言われるのは、気恥ずかしいものがあるな」
椿は自分でも頬が僅かに熱くなったのを感じた。キリトから聞いた話では、直葉は椿の試合を観戦した時から、ファンになったらしい。
椿のファンはそんじょそこらのアイドル以上にいる。とは言っても、おっかけなどは椿自身がやめて欲しいと言ってあるので、押しかけられたりすることはない。
だから、このように自分に憧れている少女と面と向かって話すこと自体が初めてなのだ。ファンサービスとしてサイン程度は書くこともあるが、このように密接に関わることは皆無と言っていい。だから、椿も知らず知らずのうちに気分が昂ぶっているのだ。
すると、頬を赤くさせ顔をポリポリと書く仕草に直葉が僅かに噴き出した。
「うん?」
「あぁ、すみません。椿さんでもそういう反応するんだなって思って」
「おいおい。私は感情のないロボットではないぞ? それとも、試合で見た私と雰囲気が違ったか?」
「はい。リアルの方の椿さんは、常に冷静沈着で表情をあまり崩さない人ってイメージが強かったんで、そういった表情を見れて少しだけ可笑しくて」
「まぁ、葵の話ではテレビに出るときとこのような場所では性格が違うらしいからな。その差異だろうさ。が、そのおかげでお前の緊張も少しは解れたようだな」
言いながら椿は右手を差し出す。直葉はすぐにそれに反応し、椿の手を握ってきた。
「改めて自己紹介と行こう。萩月椿だ。よろしく」
「桐ヶ谷直葉です。こちらこそ改めてよろしくお願いします。ツバキさん」
握手を交わした二人の顔にはそれぞれ微笑があった。
二人は手を離し、椿は壁に背を預け直葉は近くにあった樽に腰掛ける。
「椿さん、聞いても良いですか?」
「答えられる範疇であれば答えよう」
「えっと、じゃあ椿さんがALOを始めたきっかけは? お兄ちゃんを助けてくれるため、ですか?」
「三十パーセント正解と言ったところだな。残りの七十パーセントは、まぁなんというか、葵があそこまで熱中しているオンラインゲームがどんなものなのか、気になってな。だからいい機会だと思って始めてみたんだ。最初、私にとってオンラインゲームと言うのは、大切な弟の自由を奪った憎悪の対象だった。が、次第に憎悪は興味へと変貌した。結果、やってみたいと思ったのさ。直葉、お前は?」
「わたしも椿さんと同じ理由です。SAOにお兄ちゃんが閉じ込められて、いつ死んじゃうかもわからない状況を作り出したオンラインゲームのことは本当に嫌ってました。でも、椿さんと一緒で怒りとか恨みが興味に変わって、結果的にALOを始めたんです」
「なるほど。本当に似ているな。もしかすると私達は似たもの同士なのかもしれないな。リアルでは剣道、剣術をやっていて、ALOを始めた理由も肉親からの影響……ふむ、やはり似ている」
椿は満足げに頷くと、直葉の顔を覗き込む。
「直葉。剣道、私が鍛錬しようか?」
「ぶッ!?」
女の子らしからぬ音と共に口に含みかけていたオレンジジュースの飛まつが中を舞った。幸い店内に流れるBGMと皆の声で椿以外は気付かなかった。
しばらく直葉は口を半開きにしていたが、口元に付着したオレンジジュースをハンカチで拭き取る。
「い、いいんですか!?」
「ああ、勿論だ。幸運なことに向こうしばらくは大きな大会もないし、言ってしまえば暇なんだ。道場の方も私以外の師範代に任せられるしな」
「もし椿さんが家を離れられないんだったら私が行きますよ?」
「いや、私の家だと私に対するチャレンジャーが来る場合もあるからな……。それでもいいなら、構わないが」
「それは全然大丈夫です!」
直葉の表情は本当に嬉しそうであった。それもそうだ、憧れの人物である椿が直々に鍛錬してくれるのだから、嬉しくないはずがない。
「では、私から連絡しよう。直葉の都合が悪ければ、私が行き、直葉が私の家に来られれば来る。ということにしよう。それならば問題あるまい」
「はい。じゃあ、アドレス交換しましょう! ALOではメッセージ送れますけど携帯のアドレスはまだ知らないんで」
直葉に言われ、椿は携帯を取り出して赤外線通信でアドレスを交換する。
その後、椿はアスナやリズベット達ともアドレスを交換し、オフ会はカオスな状態を保ちつつも、大いに皆を楽しませた。
オフ会からの帰り、実家に戻る車内で葵が問うてきた。
「そういや姉貴、直葉とは随分仲良くなったみてぇだな」
「まぁな。最初は黙っていたことに対して嫌われてしまうかとも思ったが、そんなことはなくてよかったよ。それに、他の皆も私に壁を作らずに受け入れてくれた。本当にいい仲間達を持ったな、葵」
フッと小さな笑みを浮かべながらいうと、葵は気恥ずかしそうに頬を掻いた。が、彼はすぐに話題を変えてきた。
「今日、二次会には行くよな?」
「無論だ。午後十一時にイグドラシル・シティに集合だったな。リズが言うには内緒にしていることがあるらしいが?」
「それは見てのお楽しみってヤツだわな。けどまぁ、姉貴はあきないと思うぜ。アレを見たらな」
「言ったな? 私を満足させるなら相応のものが用意されていると思って良いわけか」
ニヤリと不敵とも取れる笑みを浮かべる椿。葵はそんな彼女を見て少々表情を固めていたが、「ま、まぁ大丈夫だろ」と頷いていた。
しばらく無言のままでいると、椿が声を漏らした。
「時に、お前達がカウンターで話していた《ザ・シード》とやら。随分と世界に広まったようだな」
「聞こえてたのかよ」
「いいや、唇の動きで大体わかった」
「……アンタ本当に現実でもチートスペック存分に発揮するな。まぁいいや、エギルから聞いた話じゃミラーサーバだけで約五十、ダウンロード数は十万。稼働中の大規模サーバが三百ってトコらしい。まったく、茅場先生はとんでもねぇモンを残してくれたもんだぜ」
肩を竦めて笑う葵に対し、椿は静かに頷き、以前葵や和人から離してもらったことを思い出す。
須郷との決戦の時、葵は死んだはずの茅場晶彦の残留思念のようなものに助けられたらしい。そして彼から《世界の種子》と呼ばれるものを託されたという。
その後、和人のナーヴギアに送られた種子は、エギルの元で発芽するに至った。
つまるところ、《世界の種子》というのは、フルダイブ・システムによる全感覚VR環境を動かすための、《ザ・シード》という名が冠せられたプログラム・パッケージだったのだ。
が、ALOをやっていても、そういったプログラム面には疎い椿にはよくわからなかった。しかし、葵によってかなり噛み砕かれた説明をされてようやく理解できた。
ようは《ザ・シード》はVR世界を作りたいと望む者が、誰でも気兼ねなく作れてしまうプログラムなのだ。必要なのは回線が太いサーバを用意することだけらしい。
葵達は話し合った結果、この《ザ・シード》を世界中の全ての人間がダウンロードできるように、世界のあちこちのサーバにアップロードしたという。結果として、先ほど葵が言っていたような状態になったのだ。
また、《ザ・シード》の影響はゲームだけに限った話ではない。それは教育や、コミュニケーション、観光などに至るまで、日々新たな世界を生み出している。
そして、ALO自体がなぜ今生き残っているかと言うと、ALOは現在解散したレクト・プログレスからほぼ無料でゲームデータを引き継いだベンチャー企業の関係者達が、新たに設立した企業で運営されている。
表向きは《ザ・シード》規格になっているが、中身は以前と同様、SAOサーバのコピーであり、カーディナルシステムとやらもフルスペック版となっているとのことだ。
無論、生み出された世界はALOだけに留まらず、VRMMOは拡大し続けているらしい。
日々新たな世界が生まれ続ける状態を思い浮かべ、椿は大きく息をついた。
「茅場は大量殺人者ではあるかもしれんが、私は嫌いではない。寧ろ、彼のことを尊敬する」
「へぇ」
「彼は己の志を貫いた。たとえそれが世界中の人間から疎まれ、軽蔑され、恨みを持たれようともだ。その姿勢は充分すぎるほどの評価に値する。強靭な精神がなければ出来なかったはずだ」
「姉貴は身体的に強い者も好きだけど、そういった精神が強いヤツも好きだよなぁ。あり? でもそうなると須郷も当てはまんじゃね?」
「アレはダメだ。確かに私に向かってくるところは評価するが、外道の道へ足を踏み入れた時点で、評価対象外だ」
「ハハッ、そりゃあちがいねぇわ」
葵は可笑しそうに笑った。
椿にとって、勝負事の勝敗自体は問題ではない。肝心なのは自分に挑んでくる相手の志だ。志を貫く者の心は、素晴しい光を宿していると、椿は思っている。
とは言っても、このように思えるのは、彼女が絶対的な強者であるからだ。強者であるがゆえに、彼女はいつか自分を倒せる相手を望んでいる。
……強者を打ち倒すのは、いつだって志を貫く弱者だ。だから、戦いは面白い。
「ALOが残ってくれて本当によかった。あそこでなら、現実世界で味わえない戦いに身を投じることが出来る」
「……俺の姉がこんなに戦闘狂のわけがない」
最後、葵がそんな言葉を漏らしたが、家に帰った後、彼の頭に手刀のような何かが叩き込まれたのは言うまでもない。
午後十時四十五分。
ALOのイグドラシル・シティにはオフ会に参加していたメンバー含め、多くのプレイヤーが広場に集まっていた。
シルフ領、ケットシー領、の領主であるサクヤ、アリシャもその中におり、サラマンダーのユージーンとその部下達の姿も見える。
俺の周りには今日オフ会に参加していたメンバーが殆ど集まっていた。殆どと言うのは、キリトとリーファがどこかへ飛んで行ったのだ。まぁ彼等はお楽しみにはしっかり戻ってくることだろう。
いや、アイツ等はいい。俺をイライラさせていたのは姉貴である。
「……遅いな」
「ログイン状態ではあるみたいですけどね、ツバキさん」
「どこ行ったかなーあの戦闘狂は。どっかでモンスター狩りでもしてるんだろうか」
「けど二次会のことは伝えといたんだろ? だったら平気じゃねぇの。ツバキさんはしっかりしてそうだしよぉ」
クラインはああいうものの、いざ面白い相手を見つけた姉貴は周りが見えないことがある。できればその様なことがないことを祈るばかりである。
が、十一時五分前になっても来なかったので、「仕方ない」ということでメッセージだけ送って、俺たちはいっせいに空へと飛び立った。
しばらく飛び続けると、雲の切れ間に月光に照らされる二人の人物が見えた。先に上がったキリトとリーファだ。しかし、彼等の姿よりも更に目立つものが、月食さながらに月の前に現れた。
一見すると不恰好な円錐のような巨大な浮遊物は、ゆっくりと青い光を放つ月の前に出る。
瞬間、浮遊物が眩い光を四方に放った。一瞬目がくらむが、そんなことは些細なことで、俺は並行して飛ぶヨミやマシューと競争するように飛ぶ速度を速めた。
いくつもの薄い層を重ねて作られた巨大な浮遊物の隙間からは光が漏れ出し、底から垂れ下がった三本の柱の先端からも光が放たれている。
「戻ってきたね」
「ああ。今度こそ完全攻略してやるぜ」
ヨミに言われ、俺は答えると、寄り添うキリトとリーファのすぐ横を駆け抜ける。
「先行くぜ、お二人さん。ヨミ、マシュー! さっさと行って一層クリアしちまおうぜ!!」
「あ、ちょいまてーや、アウスト!」
「もう。本当にこういうときだけは子供っぽいんだから!」
なにやら二人が行っているが、俺はおかまい無しに視線の先にある浮遊物――アインクラッドを目指す。
浮遊城アインクラッド。かつてデスゲームの舞台となった、全百層からなる鋼鉄の城だ。
かつては途中で俺とキリトがヒースクリフの正体を看破したことで、七十五層で終わったが、今度は百層までクリアしてやる。
すると、俺の後ろを飛んでいたはずのヨミやマシュー、リズ、シリカ、エギル、クラインたちも追いついてきた。
「あんま速度出しすぎてバテんなよ。アウスト」
「わーってるよ。つか、それはお前もじゃねぇの? クライン」
「あー、それは当たってるかもねぇ」
「あんだとぉ!?」
「やれやれ……おまえらなぁ、こういうのはもうちょっと静かに飛ぶもんだぜ」
和気藹々を言い合いながら浮遊城を目指す俺たちであるが、キリト達に声をかけようと俺が振り返ったときだった。
彼等の背後から何かが超高速で近づいてくるのがわかる。その速度たるや、先週行われた《アルヴヘイム横断レース》のキリトとリーファを凌駕する勢いだ。
余りの速度のためか、雲海には空気の振動による飛沫が立っている。時折、空気の層を突き破るようにして動くため、衝撃波に似たようなものも見える。
やがて影はこちらに近づき、どんどんとその姿が鮮明に鳴ってくる。あまりに速く飛んでいるためか、空気を切り裂く音も聞こえてきた。
なんとなく、嫌な予感を覚えつつ、俺は頬をひく付かせる。
そして影が凄まじい速度で俺たちを追い抜いていった。
「うわっぷ!?」
「わひゃ!?」
「な、なんだぁ!?」
シリカとヨミが変な悲鳴をあげ、クラインが驚きの声を上げる。そして通り過ぎていった影を追うと、そこには漆黒の衣に身を包み、漆黒の髪を靡かせた女性が悠然と滞空していた。
「あーやっぱりかよ……ツバキ」
俺が漏らすと、眼前にいるスプリガンの麗人、ツバキは腰に手を当てて言ってきた。
「いやはやすまなかったな、皆。三時間ほど速くログインしていたからな、すこし遊んできたんだ」
「どこで遊んできたんですか?」
いつの間にか追いついてきたリーファが問う。キリトやアスナ、ユイを含め、その場にいた全員がツバキに対して疑問符を浮かべる。
すると、彼女は不敵な笑みを見せて告げてきた。
「なに、すこしばかりヨツンヘイムに行って来てな。邪神を三体程狩ってきた」
「……はぁッ!!??」
全員の声が重なった。ヨツンヘイムといえば、あのヨツンヘイムだ。一撃でも喰らえば即死確実なあの邪神達が跋扈する世界だ。
「えっと、まさかヨツンヘイムに入るためのダンジョンを抜けたんじゃないよな?」
「無論、トンキーを使わせてもらった。下まで送ってもらって、その後再び上に送ってもらった。いやぁ、久方ぶりに心躍る戦いだったぞ! 特に最後、二体同時に相手取った時など最高に楽しかった!!」
まるでおもちゃを手にした童女のように喜び跳ねるツバキに対し、俺たちはなんとも言えない表情を浮かべてしまったことだろう。
「あんたのお姉さんって……」
「言うなッ。言ったら負けだ!」
ヨミの言葉を受け流していると、ツバキはくるりと俺たちに背を向け、アインクラッドを見やった。
「なるほど。アレがお前たちが闘っていたアインクラッドか……ふむ、実に面白そうだ」
その瞬間、俺は姉貴の瞳にギラリとした凶暴な光が灯るのを見逃さなかった。
「ヤベェッ!? お前等、急ぐぞ!! 姉貴よりも速くつかねぇとあっという間に第一層のボス倒される!」
「もう遅いッ!!」
言うが早いか、姉貴は凄まじい加速でアインクラッドに向けて飛んでいった。
ぽかーん、とした様子でいたものの、俺たちはすぐに正気に戻り、告げた。
「い、急げぇ!!」
あわただしく加速し、アインクラッドへ向かって行く。
が、俺たち全員の誰にも、悲しげな表情はなく、皆それぞれ楽しそうに笑顔を浮かべていた。
それは俺も例外ではなく、先を越されそうであっても、この状態を楽しんでいた。だから俺は言った。高らかに。
「さぁ、存分に楽しむか!!」
《フェアリィ・ダンス編 完》
はい、お疲れ様でした。
今回は二万字にあと八十〇文字足りませんでしたね。
長くて済みませんでした。
恐らくいつものように誤字もあるでしょう。見直しはしたんですが……
これにてALO編もとい、フェアリィ・ダンス編完結です。
次回はオリジナル編をちょっと挟んで、その後GGO編に入りたいと思います。
もうツバキさんについては突っ込んではいけません。突っ込んだら負けです。あの人は感情でシステムを凌駕するんじゃなくて、強靭な強さで凌駕するのです(錯乱)
茅場先生もビックリ。
ヨツンヘイムがあるかどうかは若干心配なところではありましたが、多分あるでしょう。だってそのまま持ってきたわけですし。
あ、葵がどれくらいまで学校に通うかは都合上入れられなかったんですが、次回でちゃんと補足するので大丈夫です。
では、感想ありましたらよろしくお願いします。