TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
伯爵令嬢ロザモリア
朝日を受けた白い石造りの屋敷が、やわらかな金色に染まっていた。
広い庭では庭師たちが季節の花を手入れし、門の向こうでは荷馬車が忙しそうに行き交う。街へ続く大通りには、魔力で動く荷車が静かな音を立てながら進み、商人たちが笑顔で挨拶を交わしていた。
アルヴェイン伯爵家の屋敷は、小高い丘の上に建っている。
ここからなら、領都の様子がよく見える。
「お嬢様、お召し替えのお時間でございます」
「はぁい」
侍女のアンナに呼ばれ、ロザモリアは窓辺から離れた。
ふわりと揺れる金色の髪を整えてもらい、淡い青色のドレスへ袖を通す。まだ五歳の小さな身体では、一人で着替えるのは少し難しい。
「今日もよくお似合いでございます」
「ありがとう、アンナ」
◇
鏡の中には、青い瞳の少女が映っていた。
母のセレスティアはよく「お人形さんみたい」と褒めてくれるが、ロザモリア自身にはあまり実感がなかった。
ドレスは好きだし、綺麗な髪も嫌いではない。
けれど今日の楽しみは、それ以上に別のところにある。
「リリーはもう来ていますか?」
「いいえ。本日は午前中にいらっしゃる予定ですよ」
「そう……」
まだ来ていないらしい。
少しだけ残念に思いながらも、ロザモリアは先に朝食を済ませることにした。
食堂へ向かうと、長いテーブルにはすでに父と母が席についていた。
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはよう、ロザミー」
父――エドマンド・アルヴェイン伯爵は厳めしい顔立ちをしている。
領民の前では威厳ある領主として知られているが、家族の前では穏やかによく笑う人だった。
「おはよう、ロザミー。今日は髪がいつも以上に綺麗ね」
母のセレスティアが優しく微笑む。
ロザモリアは、母はいつ見ても綺麗だと思っていた。
屋敷で働く侍女たちでさえ、ときおり見惚れているほどなのだから。
「お兄様はまだですか?」
「朝稽古だ。もうすぐ来るだろう」
父が答えた直後、食堂の扉が開き、少しだけ息を弾ませた兄が入ってきた。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「おはようございます、お兄様」
「おはよう、ロザミー」
兄のクリストファーは七歳。
次期当主として剣術や礼儀作法を学び、朝の鍛錬を欠かさない。
それでも妹には、いつも優しい笑顔を向けてくれる。
「今日はリリアン嬢が来る日だったね」
「はい!」
思わず声が弾んだ。
その様子を見て、クリストファーは微笑む。
「そんなに楽しみかい」
「もちろんです。リリーと遊ぶ約束をしていますから」
「なら、お兄様も一緒に遊ぼうかな」
「だめです」
反射的に答えてしまい、ロザモリアはすぐにはっとした。
「えっと……今日は女の子のお話をする予定なので……」
慌てて言い添えると、クリストファーは肩を落としながらも困ったように笑う。
「そうか。それなら仕方ないね」
「クリストファー、妹を困らせてはいけませんよ」
母が穏やかにたしなめた。
「申し訳ありません、母上」
「ロザミーも、お兄様をあまりいじめてはいけません」
「はぁい……」
やがて朝食が運ばれてくる。
焼きたてのパンに香り豊かなスープ。
新鮮な野菜と卵料理。
どれも領内で採れた食材だと料理長から聞いたことがある。
父はパンを口へ運びながら窓の外へ目を向けた。
「今年は西地区の工房も順調らしい」
「新しい魔力機織機でしたか」
母が尋ねる。
「ああ。職人たちも扱いに慣れてきたようだ」
「それは喜ばしいことです」
二人の話は少し難しかった。
工房では魔法を使った道具がたくさん作られていると聞いたことはある。
生活を便利にする道具や、農作業を助ける道具。
領地が豊かなのは、そうした職人たちのおかげでもあるらしい。
「ロザミーも、もう少し大きくなれば工房を見学できるぞ」
父がそう言った。
「本当ですか?」
「ああ。ものづくりを知ることは、領主の家に生まれた者には大切だからな」
「楽しみです」
工房とは、どんな場所なのだろう。
職人がたくさん働き、不思議な道具が並んでいるに違いない。
そんな光景を思い浮かべると、自然と胸が弾んだ。
食事を終えると、父は執務室へ向かった。
領主としての仕事が待っている。
毎日のように書類を読み、人と会い、街や村のことを考える。
幼いロザモリアにも、大変な仕事なのだということだけは伝わっていた。
「ロザミー」
母が優しく呼びかける。
「今日はお客様がお見えになります。アルヴェイン家の娘として、きちんとお迎えできるようになさい」
「はい、お母様」
「でも、堅く考える必要はありませんよ。リリアンさんは、あなたの大切なお友達なのですから」
「はい」
礼儀は大切。
けれど、友達と遊ぶときまで緊張する必要はない。
その加減は、まだ少し難しい。
そんな娘の様子を見て、セレスティアは頭をそっと撫でた。
「あなたは真面目ですものね」
「そうでしょうか」
「ええ。でも、その優しさは大事にしなさい」
そう言われると、ロザモリアは少し照れくさくなった。
屋敷の玄関へ向かう途中、窓の外へ目を向けると、一台の豪華な馬車がゆっくりと正門をくぐってきた。
馬車の扉が開く。
最初に降りてきたのは、上品な装いの伯爵夫妻だった。
そして、その後ろから小さな少女が勢いよく飛び降りる。
銀色に近い金髪が朝日にきらりと輝いた。
少女はロザモリアを見つけると、ぱっと笑顔になる。
「ロザー!」
元気いっぱいの声が庭へ響く。
その声を聞いたロザモリアも、思わず玄関へ駆け出した。
「リリー!」
勢いよく飛び出したものの、階段を下りきる前で足が止まる。
走ってはいけません。
母から何度も教えられてきたことだった。
友達に会えたからといって、令嬢としての振る舞いを忘れてはいけない。
そう思い直して歩こうとした、その時だった。
「もう、ロザったら!」
リリアンの方が先に駆け寄ってくる。
その姿が可笑しくて、ロザモリアの口元には自然と笑みが浮かんだ。
「おはよう、リリー」
「おはよう!今日も遊べるわね!」
手を取り合う二人を見て、それぞれの両親も穏やかな表情を浮かべる。
「ごきげんよう、アルヴェイン卿、セレスティア様」
「ようこそ、ハートウェル卿、ヴィヴィアン様」
大人たちが挨拶を交わしている間も、ロザモリアとリリアンは嬉しそうに見つめ合っていた。
「ロザ、今日は何をして遊ぶの?」
「お庭へ行きませんか? お花がたくさん咲いているんです」
「行く!」
両親から許可をもらうと、二人は庭園へ向かった。
アルヴェイン伯爵家の庭は広い。
季節ごとの花壇が整えられ、小さな池には澄んだ水が流れている。
庭師が丹精込めて育てた花々は色鮮やかで、甘い香りが風に乗って漂っていた。
「綺麗……」
リリアンが花壇の前で目を輝かせる。
「この白い花、好き」
「わたくしは、あちらの青いお花も好きです」
「じゃあ一緒に見よう!」
小さな手に引かれながら、ロザモリアも花壇の間を歩いていく。
「あっ、ちょうちょ!」
一羽の蝶が花から花へ舞っていく。
リリアンが追いかけると、蝶はひらりと逃げていった。
「待ってー!」
「あまり走ると転びますよ」
「だいじょうぶ!」
そう答えた直後、小さな石につまずき、リリアンの身体が前へ傾いた。
「きゃっ」
ロザモリアは慌てて手を伸ばす。
幸い勢いは弱く、二人は支え合うような格好になった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……ありがとう」
少し恥ずかしそうに笑うリリアンを見て、ロザモリアは胸をなで下ろした。
「ロザはやっぱりしっかりしてる」
「そんなことありません」
「あるもん」
頬を膨らませるリリアンを見ていると、少しくすぐったい気持ちになる。
「リリーは元気ですから」
「それ、褒めてる?」
「もちろんです」
そう答えると、リリアンは安心したように笑った。
庭の奥には、小さな東屋がある。
二人はそこへ腰を下ろし、侍女が用意してくれた果物をつまみ始めた。
「ねえ、ロザ」
「はい?」
「ロザは大きくなったら何になりたい?」
突然の質問だった。
ロザモリアは少し考える。
将来について深く考えたことは、まだほとんどなかった。
「お父様みたいに領地のお仕事をする方は、とても立派だと思います」
「ロザはできそう!」
「そうでしょうか」
「うん。いつも真面目だし」
真面目。
今日だけで何度も耳にした言葉だった。
「リリーは?」
「わたし?」
リリアンは少しだけ考えてから、にこりと笑う。
「ロザのお友達!」
「……それは、今もですよ」
「大きくなっても!」
その一言で、ロザモリアはようやく意味を理解した。
「それなら、わたくしもです」
「ほんと?」
「はい」
「約束?」
「約束です」
◇
二人は小指を絡めた。
子ども同士の、小さな約束。
それでもロザモリアには、とても大切な約束のように思えた。
昼が近づき、屋敷の鐘が鳴る。
そろそろ帰る時間だった。
玄関では両家の大人たちが話を終え、二人を待っている。
「もう帰るの?」
リリアンが名残惜しそうに尋ねる。
「またすぐ会えます」
「ほんと?」
「はい。また遊びましょう」
「約束だからね!」
「ええ」
馬車へ乗り込む直前まで、リリアンは何度も手を振っていた。
ロザモリアも、その姿が見えなくなるまで手を振り返す。
やがて馬車は門を出て、小さくなっていった。
「寂しいですか?」
後ろから母が声を掛ける。
「少しだけ」
「それだけ大切なお友達ということですね」
「はい」
セレスティアは微笑み、ロザモリアの肩を優しく抱いた。
「友とは、何度会ったかではなく、会いたいと思える相手かどうかです。リリアンさんは、きっとあなたにとってそういう方なのでしょう」
ロザモリアは門の向こうを静かに見つめた。
先ほどまで賑やかだった庭は、いつもの穏やかな静けさを取り戻している。
それでも心の中は不思議と温かかった。
また会える。
また一緒に笑える。
その約束があるだけで、今日という一日はとても素敵な日になった。
ロザモリアは小さく微笑むと、母と並んで屋敷の中へ歩き出した。