TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
春の柔らかな陽射しが、侯爵家の広い庭園を優しく照らしていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、噴水の水音が心地よく響く。
今日は王都近郊の有力貴族が集まる春のお茶会。
「ロザ、こちらです!」
少し先でリリアンが笑顔で手を振る。
最近はリリーも言葉づかいが少しづつ淑女らしく変わってきている。
俺もドレスの裾を整えながら歩み寄った。
「お待たせしました、リリー」
「ちょうど始まるところでした」
八歳になった今でも、リリアンとは頻繁に会っている。
互いの屋敷を行き来し、一緒に勉強をしたり庭を散歩したり。
以前と変わらず、何でも話せる大切な親友。
「今日は少し緊張しますね」
俺が小声で言うと、リリアンはくすりと笑う。
「ロザは真面目すぎます」
「そうでしょうか」
「大丈夫ですよ。今日は楽しくお話しする日なんですから」
そう言われても、前世が一般家庭育ちだった俺には、貴族同士の社交はまだ少し肩が凝る。
礼を失しないように、言葉を選んで、そして相手の立場も考えて。
魔法式を考えている方が、ずっと気楽だと思う。
「そうだ」
リリアンが何かを思い出したように辺りを見回す。
「紹介したい方がいるんです」
「紹介、ですか?」
「はい」
その視線の先から、一人の少年が歩いてきた。
短い金髪に青い瞳。
まだ幼さは残るものの、姿勢はまっすぐで、貴族らしい所作も身についている。
剣術を習っているのだろうか。
歩き方にもどこか力強さが感じられた。
「ガブ!」
リリアンが嬉しそうに呼ぶ。
少年は笑顔でこちらへ駆け寄り、途中で思い出したように速度を落とした。
「危ないですよ」
リリアンが小さく注意すると、
「ごめん、ごめん」
と頭をかく。
その様子が少し可笑しくて、俺も自然と口元が緩んだ。
「ロザ、紹介します」
リリアンは嬉しそうに二人を見比べる。
「こちらが婚約者のガブリエル様です」
「初めまして」
俺はスカートの端を摘まみ、礼をした。
「ロザモリア・アルヴェインと申します」
「ガブリエル・ウェストウッドです」
少年も丁寧に一礼する。
快活そうな印象とは裏腹に、礼儀はしっかりしていた。
「いつもリリーから話を聞いてるよ」
「そうなのですか?」
「うん」
ガブリエルは気さくに笑う。
「魔法がすごく好きで、勉強ばっかりしてるって」
「……そんなに話しているんですか」
少し恥ずかしくなる。
リリアンは照れたように笑った。
「だって、本当のことですもの」
「あとね」
ガブリエルは続ける。
「昔、リリーを助けてくれた話も聞いた」
蝶を追い掛けて転びそうになった時のことだろう。
あんな小さな出来事まで話しているとは思わなかった。
「大したことではありません」
「リリーはずっと嬉しそうに話してたよ」
そう言って笑うガブリエルへ、リリアンが少し頬を赤くする。
「もう、ガブ」
「本当じゃないか」
二人のやり取りはどこか自然だった。
婚約者だから気を遣っている、というより、昔から友達だったような空気がある。
「そうだ」
ガブリエルが俺へ向き直る。
「一つ聞いてもいい?」
「はい」
「リリーみたいに、俺も『ロザ』って呼んでいいか?」
少し意外だった。
貴族同士なら、家名や正式な名前で呼ぶ方が普通だ。
それでも、その問い方には馴れ馴れしさではなく、「仲良くなりたい」という素直な気持ちが感じられた。
俺は少し考えてから微笑む。
「もちろんです」
「ありがとう!」
「その代わり」
俺も一つお願いする。
「わたくしも、ガブリエル様ではなく『ガブ』とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん!これからよろしくね、ロザ!」
「ええ」
その笑顔はとても屈託がない。
人懐っこく、それでいて相手への礼儀も忘れない。
(なるほど)
俺は心の中で頷いた。
リリアンが惹かれるのも分かる。
快活で、一緒にいて肩の凝らない相手だ。
「では、行きましょう」
リリアンが楽しそうに二人を促す。
春の庭園では、他の子どもたちも思い思いに談笑を始めていた。
俺も二人と並んで歩き出す。
この時はまだ、これから二人の様子を見て、自分自身の将来について改めて考えることになるとは思っていなかった。
三人で庭園を歩いていると、子どもたちの輪へ自然と加わることになった。
芝生の上では年の近い貴族子弟たちが楽しそうに談笑し、その周囲では保護者たちが穏やかに見守っている。
「リリー」
ガブリエルが足を止めた。
「喉、渇いてない?」
「少しだけ」
「じゃあ取ってくるよ」
返事を待つより先に走り出そうとして、ガブリエルは一歩踏み出したところでぴたりと止まる。
周囲の大人たちへ目を向け、小さく一礼してから歩き始めた。
さっき注意されたことを覚えていたらしい。
「ふふっ」
リリアンが思わず笑みを零す。
「ちゃんと直してる」
ほどなくしてガブリエルは果実水の入ったグラスを二つ持って戻ってきた。
「はい」
「ありがとうございます」
リリアンが受け取ると、ガブリエルは満足そうに頷いた。
その様子を眺めながら、俺も自分の飲み物へ手を伸ばす。
「ロザの分も持ってきたよ」
「ありがとうございます」
「甘いのが苦手じゃなかったよね?」
「あ……」
少し驚いた。
「リリーから聞いたんだ」
ガブリエルが照れくさそうに笑う。
「せっかくだから、好きそうなのを選んでみた」
口に含むと、果実の香りはするものの甘さは控えめだった。
確かに飲みやすい。
「美味しいです」
「よかった」
それだけ言うと、ガブリエルは嬉しそうに笑った。
特別なことをした、という顔ではない。
自然に気を配っているだけなのだろう。
(気遣いができる子だな)
人当たりが良く、礼儀もある。
リリアンが安心して笑っていられる理由が少し分かった気がした。
「ガブ」
「ん?」
「あそこ、お花が咲いてます」
「あ、本当だ」
リリアンが指差した花壇へ、二人は並んで歩いていく。
「綺麗ですね」
「リリー、この花好きそう」
「はい。春になると毎年咲くんですよ」
しゃがみ込んで花を眺めるリリアンへ、ガブリエルも隣へ腰を下ろす。
二人とも楽しそうだ。
無理に話題を探している様子もない。
ただ同じ景色を見て、同じ時間を過ごしている。
俺は少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
(いい関係だ)
自然にそう思えた。
婚約者だからではなく、二人とも一緒にいることを心から楽しんでいる。
その空気が伝わってくる。
「ロザ!」
リリアンが振り返る。
「こちらのお花も綺麗ですよ!」
「今、参ります」
俺も花壇へ歩み寄る。
三人で花を眺め、他愛ない話をする。穏やかな時間。
やがてガブリエルが別の子どもへ呼ばれ、「すぐ戻るね」と手を振って離れていく。
その背中を見送りながら、リリアンが小さく笑った。
「ガブって、少し落ち着きがないでしょう?」
「そうですね」
「でも、とても優しいんです」
その言葉には、飾り気がなかった。
誰かへ言わされているわけでもない。
心からそう思っているのだ。
「リリーが嬉しそうで、わたくしも嬉しいです」
そう伝えると、リリアンは照れたように微笑んだ。
「ありがとう」
その笑顔を見ていると、こちらまで温かい気持ちになる。
前世でも、恋人同士を見て「お似合いだな」と思うことはあった。
今も、その感覚は変わらない。
二人には幸せになってほしい、心からそう願える。
(だけど……)
そこで、自分自身へ視線が向く。
もし俺がリリアンの立場だったら。
婚約者と並んで歩き、笑い合い、将来を共にする。
そんな姿を想像してみる。
すぐに違和感が生まれた。
相手がどれほど優しい人でも、どれほど誠実な人でも。
男性と夫婦になる未来だけは、どうしても現実として思い描けない。
前世の二十数年間が、心の奥底に残っている。
理屈……ではない。感情……でもない、と思う。
もっと根本的な、自分という存在の在り方だ。
だからといって、結婚そのものを否定したいわけではない。
目の前の二人を見れば、それはよく分かる。
リリアンは幸せそうだし、ガブリエルもそんな彼女を大切にしようとしている。
それは、とても素敵なことだと思う。
(俺は俺だ)
歩む道が違うだけだ。
俺が追い掛けたいものは、魔法だ。
まだ誰も解き明かしていない理論。
新しい魔法式。世界の仕組み。
それらを考えている時間の方が、ずっと胸が躍る。
「ロザ?」
リリアンが不思議そうに首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いえ」
俺は穏やかに微笑み返した。
「お二人を見ていて、とても仲が良いのだと思っていました」
「えへへ」
リリアンは嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
春の風が花壇を渡り、小さな花びらを空へ運んでいく。
その景色を眺めながら、俺は静かに心の中で呟いた。
――やっぱり、俺には結婚は無理だ。
その考えは、この微笑ましい光景を見ても変わらなかった。
だからこそ、自分の進む道もまた変わらない。
ロザモリア・アルヴェインとして。
一人の魔法研究者を目指して生きていこう。
その決意だけは、春風に揺らぐことなく胸の奥で静かに根を張っていた。