TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います   作:Fiomia

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第一章
入学式


春の朝の澄んだ空気が、王立アステリア学院の正門を包み込んでいた。

白い石造りの校舎は朝日に照らされ、どこか神殿のような荘厳さを感じさせる。

私は門の前で足を止め、その光景を静かに見上げた。

 

(ここが、王立アステリア学院)

 

幼い頃から目標にしてきた場所。

ヴィオレット先生が「より広い世界」と教えてくださった場所。

胸の奥では期待が膨らんでいる。それと同じくらい、これから始まる新しい生活への緊張もあった。

 

「お嬢様」

 

隣を歩いていたアンナが、小さく声を掛ける。

 

「こちらで失礼いたします」

 

学院では学生と同行する侍女の生活区域が分かれている。

アンナは従者用宿舎へ、私は学生寮へ。

同じ学院にいても、屋敷のように毎日顔を合わせられるわけではない。

 

「ここまでありがとう、アンナ」

 

私が頭を下げると、アンナも丁寧に一礼した。

 

「お嬢様こそ、お身体には十分お気を付けください」

 

その口調はいつもの侍女らしい落ち着いたものだった。

けれど、長年一緒に過ごしてきた私には分かる。

少しだけ寂しそうだ。

 

「アンナも無理はしないでください」

 

「ありがとうございます」

 

アンナは柔らかく微笑んだ。

 

「学院でも、お嬢様のお力になれるよう励んでまいります」

 

「ええ」

 

「何かございましたら、いつでもお呼びください」

 

「その時は頼りにしています」

 

短い会話を交わし、私たちは別々の道へ歩き始めた。

これまで当たり前のように隣にいてくれた存在が見えなくなると、思っていた以上に心細い。

前世では一人暮らしをしていて、誰かと生活することに慣れていたわけではない。

それなのに、十五年という歳月の中で、アンナが傍にいることが当たり前になっていたらしい。

 

でも、これは私自身が選んだ道だ。

立ち止まってはいられない。

私は新入生の列へ加わり、講堂へ向かった。

 

 

学院の講堂は、外観以上に広かった。

高い天井には巨大な魔導照明が吊るされ、壁には歴代学院長や著名な研究者たちの肖像画が並んでいる。

席へ着くと、周囲から控えめな話し声が聞こえてきた。

 

「緊張しますね」

 

「首席は誰なのでしょう」

 

そんな声を聞きながら、私は配布された資料へ目を通す。

学科ごとの講義、共通教養、研究施設の利用規則。

どれも興味深く、つい読み込んでしまいそうになる。

 

(前世の高校と大学を合わせたような感じでしょうか)

 

やがて鐘が鳴り、講堂は静けさに包まれた。

学院長が壇上へ立ち、歓迎の挨拶を始める。

 

学院で学ぶ意味。

知識を積み重ねることの大切さ。

魔法が社会を支えているという責任。

一つひとつの言葉には重みがあった。

 

私は自然と背筋を伸ばしながら耳を傾ける。

挨拶が終わると、司会役の教師が一歩前へ出た。

 

「続きまして、新入生総代による宣誓を行います」

 

講堂全体の視線が一か所へ集まる。

 

「本年度首席入学――ノア・ハーバル」

 

その名前が呼ばれた瞬間、一人の生徒が静かに立ち上がった。

茶色の髪に理知的な印象を受ける瞳。

整った顔立ちではあるものの、表情の変化はほとんどない。

歩幅は一定で、周囲を見渡すこともなく演台まで歩いていく。

 

(あの方が首席……)

 

首席なら優秀なのだろう。

そんな当たり前の感想を抱きながら、その姿を目で追う。

 

「新入生代表、ノア・ハーバル」

 

落ち着いた声が講堂へ響いた。

宣誓は簡潔だった。

学院で学ぶことへの感謝、仲間と切磋琢磨する決意。

学問へ真摯に向き合う意思。

必要なことだけを、過不足なく述べていく。

話し終えると、一礼。

 

講堂から拍手が起こる。

新入生代表として当然向けられる拍手だ。

けれどノア・ハーバル様は振り返ることも、会釈を返すこともなく、そのまま静かに自分の席へ戻っていった。

拍手は少しだけ途切れ方がぎこちなかった。

私も思わず、その背中を見送る。

 

(……少し変わった方ですね)

 

失礼な態度、とまでは思わない。

ただ、普通なら軽く会釈くらいはするものだ。

拍手そのものを気に留めていないようにも見える。

それ以上のことは分からない。

 

首席ということ以外、その人となりを判断できる材料は何もなかった。

入学式はそのまま滞りなく進み、閉式が告げられる。

教師の案内に従って、新入生たちはそれぞれの学科ごとに講堂を出始めた。

私は資料を抱え、人の流れへ加わる。

 

今日から始まる学院生活。

そして、先ほど壇上へ立っていた、少し変わった首席の生徒。

それが、この時点でのノア・ハーバルという人物に対する、私のすべての印象だった。

講堂を出ると、春の陽射しが石畳へ降り注いでいた。

教師たちが各学科の案内板を掲げ、新入生を誘導している。

私は案内板へ目を向けながら歩いていると、不意に聞き慣れた声が耳へ届いた。

 

「ロザ!」

 

振り返ると、銀色に近い金髪を揺らしながらリリアンが駆け寄ってくる。

その隣には、背の高い青年が穏やかに歩いていた。

 

「リリー」

 

思わず笑みがこぼれる。

 

「入学おめでとうございます。リリー」

 

「ロザも、おめでとうございます!」

 

リリアンは昔と変わらない明るい笑顔だった。

 

「お久しぶりです、ロザ」

 

ガブリエルも貴族らしく一礼する。

 

「ガブリエル様も、ご入学おめでとうございます」

 

「ありがとう」

 

八歳のお茶会で出会った頃とは見違えるほど成長していたが、人懐っこい雰囲気は変わらない。

 

「ロザは魔法研究科だったよね?」

 

「はい」

 

「リリーは貴族教養科、俺は魔法騎士科だ」

 

「学科は別々ですね」

 

少し残念そうに言うと、リリアンはすぐに首を振った。

 

「でも、同じ学院だし」

 

「ええ」

 

「お昼休みもありますし、お休みの日もあります」

 

リリーと話していて少し安心した。

知らない人ばかりの学院生活ではなく、幼い頃からの友人が同じ学院にいるというのは心強いものだ。

 

「ロザなら、すぐにお友達ができますよ」

 

リリアンがそう言う。

私は曖昧に笑みを返した。

 

「そうでしょうか」

 

研究の話なら何時間でもできる。

けれど、初対面の人との雑談は、あまり得意ではない。

 

「じゃあ、また後でな!」

 

ガブリエルが手を振る。

 

「はい。また」

 

三人はそれぞれ自分の学科へ向かって歩き出した。

 

 

魔法研究科の教室は、講堂から少し離れた研究棟の一角にあった。

一般教室より机の間隔が広く、後方には実験器具を収納する棚まで備えられている。

 

(さすが研究科ですね)

 

教室を見回しながら、自分の席を探す。窓から二列目。

席へ着き、配布資料を整えていると、教室の扉が開いた。

 

静かな足音。

何気なく視線を向ける。

入ってきたのは、入学式で首席宣誓をしていた生徒だった。

ノア・ハーバル。

彼は教室を見回すこともなく、名札だけを確認しながら歩いてくる。

そして、私の隣の席で足を止めた。

 

(隣なんですね)

 

椅子を引き、静かに腰を下ろす。

それだけだった。

周囲では「あの人が首席らしい」「すごかったね」と小声が聞こえる。

本人はまるで聞こえていないように、鞄から一冊の本を取り出して読み始めた。

 

(集中が早い方ですね)

 

話し掛けるか迷う。

これから三年間、同じ教室で学ぶ相手だ。

挨拶くらいはしておいた方がいいだろう。

 

「あの」

 

私が声を掛けると、ノアは本から目を上げた。

 

「初めまして」

 

軽く会釈をする。

 

「わたくしはロザモリア・アルヴェインと申します」

 

数瞬の間があった。

 

「ノア・ハーバルです」

 

簡潔な返答だった。

必要なことだけを口にする。

そんな印象を受ける。

 

「これからよろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ」

 

返事も短い。

そこで自然と会話は終わった。

気まずさはない。

だからといって、話が広がる気配もない。

ノアは再び本へ視線を戻す。

私も無理に話し掛けることはせず、自分の資料へ目を落とした。

 

(やっぱり、少し変わった方ですね)

 

無愛想というわけではない。

挨拶も返してくださった。

礼儀を欠いている印象もない。

ただ、人と積極的に話そうという様子は感じられなかった。

 

首席だから特別なのか。

もともとの性格なのか。

今の私には判断できない。

分かっているのは、優秀な方なのだろうということと、少し変わった雰囲気を持っているということだけだった。

 

その時、教室前方の扉が開く。

担当教師が姿を見せると、教室内の空気が引き締まった。

私は背筋を伸ばえ、机の上へ両手を揃える。

王立アステリア学院での生活が、いよいよ始まろうとしていた。

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