TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います   作:Fiomia

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少しだけ失礼な方

春の陽光が差し込む魔法学研究科の教室は、昨日までとは違う静かな熱気に包まれていた。

入学式が終わり、今日からはいよいよ本格的な授業が始まる。

机の上へ教本と筆記具を並べながら、私は自然と背筋を伸ばした。

 

(ようやく始まりますね)

 

幼い頃から憧れ続けてきた学院の授業。

ヴィオレット先生から教わってきたことが、どこまで通用するのか。

期待と少しの緊張が入り混じっていた。

やがて教室の扉が開く。

入ってきた人物を見た瞬間、思わず目を見開いた。

 

「皆さん、おはようございます」

 

燃えるような赤い髪。

穏やかな赤い瞳。

見慣れた笑み。

 

「ヴィオレット先生……!」

 

思わず小さく声が漏れる。

先生は私へ一瞬だけ視線を向けると、教室では教師として軽く頷くだけだった。

 

「本日より魔法理論を担当します、ヴィオレット・アスターです」

 

教室のあちこちから感嘆の声が上がる。

王立アステリア学院でも若くして教壇へ立つ研究者として有名なのだろう。

 

「本学科では、既存の魔法を覚えるだけではなく、『なぜそうなるのか』を考える姿勢を重視します」

 

その言葉に、自然と口元が緩んだ。

昔から変わらない。

答えだけを教えず、自分で考えさせる先生らしい授業だ。

 

「では最初に確認です」

 

先生は黒板へ美しい字で魔法式を書き始めた。

標準照明式。

学院へ入学するまで、何度も見続けてきた魔法式だった。

 

「標準魔法式は完成された構文だとされています」

 

教室を見回しながら続ける。

 

「ですが、『完成されている』と『理解している』は別の話です」

 

数人の生徒が小さく頷く。

 

「今日は、この標準照明式を題材に基礎実習を行います」

 

教室の空気が少し引き締まった。

 

「課題は単純です」

 

先生は机へ小さな魔力媒体を並べる。

 

「標準照明式へ補助構文を追加し、魔力効率を改善してください」

 

教室がざわつく。

 

「もちろん、大きな改変は認めません」

 

先生は穏やかに笑った。

 

「基礎実習ですから」

 

魔力媒体と記録用紙が配られる。

私は配布された魔法式へ目を落とした。

 

(懐かしいですね)

 

幼い頃。

ヴィオレット先生と何度も研究した課題だ。

もっとも、当時の私は補助構文どころか、標準照明式そのものへ手を加えてしまっていた。

今回は基礎実習。

求められているのは奇抜な発想ではなく、既存理論を正しく応用する力だ。

 

(やりすぎないようにしましょう)

 

私は羽ペンを取り、慎重に構文を書き始めた。

照明式の本体には触れない。

魔力の流れだけを整理する。

学院で一般に教えられている理論の範囲で説明できる構文だけを選ぶ。

自然に手が動く。

気付けば、考えるより先に構文を書き終えていた。

 

「……よし」

 

魔力媒体へ刻印し、ゆっくり魔力を流す。

白い光が灯る。

安定している。

魔力消費も少ない。

何度か確認してから、結果を記録用紙へ書き込んだ。

 

周囲ではまだ試行錯誤が続いていた。

構文を書き直す音。

魔法が失敗して小さく光が弾ける音。

皆、一つひとつ確かめながら進めている。

 

その中で、教室の前方に座るノア・ハーバル様だけは違った。

一度だけ構文を書き直すと、すぐに実験へ移る。

失敗した様子もない。

そのまま淡々と記録を書き始めていた。

 

(ずいぶん早いですね)

 

さすが首席というべきだろうか。ただ、それ以上は考えなかった。

私は自分の結果をもう一度見直す。

計測値に誤りはない……補助構文も問題ない……提出できる状態だと思う。

 

「できた方から提出してください」

 

私は記録用紙を持って教壇へ向かった。

ヴィオレット先生は一枚ずつ目を通している。

私の番になると、先生は結果へ視線を落とした。

 

「……なるほど」

 

小さく頷く。

 

「補助構文の選択が適切ですね」

 

「ありがとうございます」

 

「魔力消費もよく抑えられています」

 

先生は穏やかな表情で記録用紙を返してくださった。

 

「基礎を正確に積み重ねた、良い結果です」

 

その言葉を聞き、胸の奥が温かくなる。

飛び抜けた成果ではない。

けれど、求められた課題へ正しく応えられた。それが何より嬉しいと感じた。

 

席へ戻る途中、教壇の横へ積まれた提出用紙が目に入る。

一番上には、ノア・ハーバル様の名前。

そのすぐ下に、私の記録用紙が重ねられていた。

 

(首席の次……ですか)

 

少しだけ驚いた。

もちろん、順位が発表されたわけではない。

それでも、努力してきた年月が無駄ではなかったのだと思うと、自然と歩く足取りも軽くなっていた。

実習終了を告げる鐘が鳴ると、生徒たちはそれぞれ結果を語り合い始めた。

 

「思ったより難しかったな」

 

「補助構文を一つ増やしただけで失敗しました」

 

そんな会話が教室のあちこちから聞こえてくる。

私は提出した記録用紙を思い返していた。

基礎実習としては悪くない結果だった。

ヴィオレット先生からも「基礎を正確に積み重ねた」と評価していただけた。

まずは良いスタートを切れたと言っていいだろう。

その時だった。

 

「アルヴェイン様」

 

静かな声が聞こえた。

振り向くと、ノア・ハーバル様が立っていた。

教室で初めて交わした挨拶以来、二度目の会話になる。

 

「ハーバル様」

 

私も立ち上がる。

 

「何かございましたか」

 

ノアは私の机の上へ視線を向けた。

そこには、返却されたばかりの記録用紙が置かれている。

 

「実習結果についてです」

 

そう前置きしてから、淡々と話し始めた。

 

「補助構文の選択は適切でした」

 

その言葉に、少し意外な気持ちになる。

褒められたのだろうか。

そう思った次の瞬間。

 

「ですが」

 

ノアは記録用紙の一か所を指差した。

 

「魔力制御が二段階目で少し乱れています」

 

「え……?」

 

私は思わず記録用紙へ目を落とす。

 

「ここで魔力の流れが一度広がっています」

 

さらに別の場所を指差す。

 

「こちらも最適ではありません」

 

「この二か所を修正すれば、効率はもう少し上がるはずです」

 

そこまで言うと、ノアは説明を終えたように口を閉じた。

私はすぐには返事ができなかった。

確かに、言われた箇所は魔力効率を優先して妥協した部分だった。

もっと細かく調整すれば改善できる可能性はある。

理屈としては理解できる。

けれど。

 

(いきなり……?)

 

初対面に近い相手だ。

普通ならまず「良い結果でしたね」とか、「参考になりました」といった言葉があるのではないだろうか。

そういう前置きもなく、改善点だけを次々と指摘される。

何となく、試験で減点された答案を返されたような気分になる。

 

「もちろん」

 

ノアは続けた。

 

「現時点でも高水準です」

 

「クラスでは二番目です」

 

「ですが、一番との差はそこです」

 

その口調には嫌味も優越感も感じられない。

本当に、結果を説明しているだけ。

だからこそ、余計に返事に困ってしまう。

 

「……そうですか」

 

ようやくそれだけ答える。

 

「ご指摘ありがとうございます」

 

貴族として失礼な態度は取れない。

だから礼を述べる。

ノアは小さく頷いた。

 

「では」

 

それだけ言って、自分の席へ戻っていく。

あまりにもあっさりしていた。

周囲の生徒たちも、一連のやり取りを不思議そうに見ている。

 

「ロザ、大丈夫?」

 

いつの間にかリリーが教室の入口まで迎えに来ていた。

共通教養の教室へ移動する約束をしていたのだ。

 

「ええ」

 

私は慌てて笑顔を作る。

 

「少し、お話をしていただけです」

 

「そう?」

 

リリーは首を傾げながらも、それ以上は聞かなかった。

二人で廊下へ出る。

 

「ハーバル様って、どんな方だった?」

 

何気なく尋ねられた。

私は少し考える。

昨日までは「少し変わった人」。

今日、その印象は少しだけ変わった。

 

「……優秀な方なのでしょう」

 

それは間違いない。

実習も一番だった。

改善点の指摘も、おそらく正しい。

けれど。

 

「少し……」

 

言葉を選ぶ。

 

「失礼な方かもしれません」

 

「え?」

 

リリーが驚いたようにこちらを見る。

 

「そうなの?」

 

「いえ」

 

首を横に振る。

 

「悪気があるようには見えませんでした」

 

それが一番困るところだった。

見下されたようにも。

馬鹿にされたようにも。

感じなかった。

ただ事実だけを並べている。

だからこそ、どう受け止めればいいのか分からない。

 

「初対面で、あそこまで改善点だけをお話しされるとは思いませんでした」

 

「そういう方なのかもしれないよ」

 

リリーは穏やかに答えた。

 

「ええ」

 

私は頷きながら歩き続ける。

廊下の向こうでは、ノアが一人で次の教室へ向かっていた。

誰とも話さず。

一定の歩幅で。

その背中を眺めながら、私は胸の中で静かに結論を出す。

 

(優秀なのは間違いありません)

 

(ですが……)

 

(あまり関わりたくはありませんね)

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