TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
昼休みを告げる鐘が学院中へ響き渡ると、教室のあちこちで椅子を引く音が重なった。
「ようやくお昼ですね」
リリーが教本を閉じながら微笑む。
「今日は食堂へ行こう」
「賛成です」
私は鞄へ教本をしまう。
学院の食堂は学科も身分も関係なく利用できるため、昼時にはいつも賑わう。
「エレノアさんもご一緒にいかがですか?」
「は、はい……!」
エレノアさんは少し緊張した様子ながらも頷いた。
その時だった。
「そうだ」
ガブが何かを思い付いたように教室を見回す。
「せっかくだし、もう一人誘ってみよう」
「もう一人ですか?」
誰のことだろうと思っていると、ガブは迷いなく教室の後方へ歩いていく。
その先には、一人だけ席へ座ったまま本を読んでいる男子生徒がいた。
(まさか……)
嫌な予感というほどではないが、何となく行き先を察してしまう。
ガブは机の前まで行くと、いつもの調子で声を掛けた。
「ハーバル!」
本から視線が上がる。
「昼飯、一緒に食わない?」
あまりにも自然な誘い方だった。
相手が首席だとか、平民だとか、そんなことはまるで気にしていない。
教室の近くにいた学生たちも、思わず視線を向けている。
私も返事が気になってしまった。
ハーバル様は少しだけガブを見つめ、それから静かに答える。
「構いません」
即答だった。
(えっ)
私は思わず瞬きをする。断らないのだろうか。
てっきり「結構です」と言って、一人で本を読み続けるものだと思っていた。
ガブは嬉しそうに笑う。
「よし、決まり!」
それだけ言うと、まるで昔からの友人でも誘ったかのように踵を返した。
ハーバル様も何事もなかったように本を閉じ、鞄へしまう。
「では行きましょう」
本当に、それだけだった。
「ロザ?」
リリーが小声で話し掛けてくる。
「少し意外だったね」
「ええ」
私も同じ気持ちだった。
「断られると思ってた」
「私もです」
エレノアさんも小さく頷く。
「わ、私も……」
三人とも同じことを考えていたらしい。
やがてガブが戻ってくる。
「ほら、行こう!」
その後ろにはハーバル様が静かについて歩いていた。
◇
食堂へ向かう廊下を五人で歩く。
先頭はガブ。
その隣にリリー。
私はエレノアさんと並び、少し後ろを歩いていた。
ハーバル様は一番後ろだ。
「ハーバル」
ガブが振り返る。
「食堂って初めて?」
「はい」
「研究科って忙しいもんな」
「そうですね」
短い返事。
会話はそこで終わる。
けれどガブは気にした様子もない。
「おすすめの定食があるんだ」
「量も多いし、うまいぞ」
「そうですか」
「楽しみにしててくれ」
「分かりました」
また会話が終わる。
普通なら少し気まずくなりそうなものだが、ガブはまるで気にしていない。
一つ返事が返ってくれば、それで十分と言わんばかりに次の話題を探している。
(すごいですね)
以前、討論の時にも思った。
ガブは相手との距離を測ろうとしない。
話しやすい人にも、話しにくい人にも、同じように接する。
だから相手も、変に身構えずに済むのだろう。
「ロザ」
リリーが私へ笑い掛ける。
「賑やかになりましたね」
「そうですね」
五人で歩く廊下は、思っていたより自然だった。
もっとぎこちない空気になるかと思っていたが、ガブがいるだけで不思議と会話が途切れない。
私は少しだけ後ろを振り返る。
ハーバル様は相変わらず無表情だった。
それでも、無理に離れようとする様子も、面倒そうにしている様子もない。
ただ誘われたから来ている。それだけなのだろう。
(この方は……)
やはり少し変わっている。
けれど、以前思っていたほど他人を拒絶しているわけではないのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、五人は学院食堂の大きな扉の前へと辿り着いた。
食堂の扉を開くと、昼食時らしい賑わいが耳へ飛び込んできた。
料理の香りと学生たちの話し声が広い空間を満たしている。
「空いてる席、あった!」
ガブが窓際の長机を見つけて手を振る。
五人で向かい合うように席へ着き、それぞれ昼食を並べた。
「いただきます」
挨拶を交わし、食事が始まる。
最初は静かな時間が流れた。
それを破ったのは、やはりガブだった。
「ハーバルって、実家は王都?」
「いいえ」
ノアはスープを一口飲んでから答える。
「王都の北にある村です」
「へぇ」
「毎日通ってるの?」
「寮です」
「なるほど」
話は短い。
けれど、ガブは気にせず次の話題へ移る。
「研究科って、授業どう?」
「興味深いです」
「だよな!」
ガブは大きく頷いた。
「俺は騎士科だけど、魔法理論は結構苦戦してる」
「体を動かす方が性に合ってるな」
「ガブらしいね」
リリーがくすりと笑う。
そのやり取りに、エレノアさんも小さく笑みを浮かべた。
私はその様子を眺めながら、少し感心していた。
(本当に自然ですね)
ガブは、会話を無理に続けようとはしない。
返事が短くても、それを責めない。
話題を変えながら、相手が答えやすい方向へ少しずつ進めていく。
だからハーバル様も、特に嫌そうな様子は見せていなかった。
「そういえば」
ガブがフォークを置く。
「ハーバルって、休みの日は何してるんだ?」
「薬学です」
間髪入れずに返ってきた。
ガブは数秒きょとんとしたあと、思わず吹き出した。
「いやいや」
笑いを堪えながら手を振る。
「それは研究だろ」
リリーも口元へ手を添える。
エレノアさんも肩を震わせ、私も思わず笑みが零れた。
確かに趣味を聞かれて「薬学」と答える人は珍しい。
ところが当の本人だけが、少し首を傾げていた。
「違いがありますか?」
真剣そのものの表情だった。
ガブは思わず笑ってしまう。
「あるだろ!」
「趣味っていうのは、こう……息抜きとかさ」
「好きだからやることです」
ノアは落ち着いた口調で答える。
「薬学も、好きだからやっています」
「いや、それは分かるけど」
ガブは腕を組んで考え込む。
「例えば釣りとか、読書とか」
「読書はします」
「おっ」
「薬学書ですが」
「結局薬学じゃないか!」
食堂の一角が、小さな笑いに包まれた。
リリーは笑いを堪えながら言う。
「ハーバル様は、本当に薬学がお好きなのですね」
「はい」
ノアは当然のように頷く。
「一生かけても学びきれません」
その言葉には、迷いがなかった。
好きだから学ぶ。
もっと知りたいから学ぶ。
ただ、それだけ。
研究への向き合い方が、その一言だけで伝わってくる。
「なるほどなぁ」
ガブは感心したように笑う。
「そこまで好きなら、もう趣味でいいか」
「そうかもしれません」
ノアもあっさり頷いた。
そのやり取りに、また皆が笑う。
私は湯気の立つ紅茶へ視線を落とした。
(……不思議な方です)
以前の実習では、改善点を淡々と並べられ、失礼な人だと思った。
その印象は、今も完全には変わっていない。
けれど今目の前にいるハーバル様は、誰かを困らせようとして話しているわけではなかった。
質問されたから答える。
思ったことを、そのまま口にする。
ただ、それだけなのだ。
だからガブの冗談にも、皮肉にも受け取らない。
真面目に考えて、真面目に返している。
(やっぱり、変わっていますね)
今まで出会ったことのないタイプだった。
失礼なところは、相変わらず少し気になる。
けれど、その言動には裏表も悪意も感じられない。
そう思うと、以前ほど身構える必要はないのかもしれない。
「ロザ」
リリーが微笑む。
「どうしたの?」
「いえ」
私は首を横へ振った。
「少し考え事をしていただけです」
「研究のこと?」
「……それもあります」
嘘ではなかった。
ハーバル様という人は、まだよく分からない。
それでも、一緒に食事をして分かったことが一つだけある。
この方は、人付き合いが苦手なのではない。
たぶん、人との距離の測り方が少し違うだけなのだ。
その結論を口にすることはなく、私は静かに昼食を続けた。
窓の外では、春風が学院の木々を心地よく揺らしていた。