TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
魔法学研究科専用の実習棟は、通常の講義室とは雰囲気がまるで違っていた。
壁際には様々な魔力媒体や測定器具が整然と並び、机も講義用ではなく実験用に広く作られている。室内には静かな緊張感が漂い、研究科の学生たちは皆、課題用紙が配られるのを黙って待っていた。
教壇へ立ったのは、白髪混じりの壮年教師だった。
「私は本日の実習を担当するクロフォードです」
穏やかな声だったが、研究者らしい無駄のない話し方をする先生だった。
「本日は実験そのものではなく、実験計画を立案していただきます。研究において結果と同じくらい重要なのは、どのように検証するかです」
そう言って、教卓へ課題用紙を置く。
「二人一組で取り組んでください。組み合わせはこちらで指定します」
私は配られた名簿へ目を落とした。
「アルヴェイン嬢――ハーバル君」
(また、ハーバル様ですか)
初実習でも一緒になったばかりだ。
偶然なのか、それとも先生方が意図して組ませているのかは分からない。
私は教材を抱え、ハーバル様の向かいへ腰を下ろした。
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
短いやり取りだけで準備を終えると、課題用紙へ視線を向ける。
そこには一文だけ書かれていた。
『魔力効率の悪い魔法式の原因を調べる実験を設計せよ』
私はその一文を二度読み返した。
実験結果ではない。
実験方法を考える課題だ。
「実験対象となる魔法式は資料二枚目です」
クロフォード先生が続ける。
「魔力消費量は標準より約三割高いことだけが分かっています。原因は未解明です」
教室中で紙をめくる音が重なった。
私は資料へ目を通しながら考え始める。
(原因はいくつも考えられますね)
魔力の流れに補助構文同士の干渉。
媒体との相性や構文配置。
どれも可能性がある。
しかし、一度に全部調べることはできない。
前世で何度も経験した障害調査と同じだ。
原因候補を列挙し、一つずつ切り分けていくしかない。
私は紙へ最初の見出しを書く。
『仮説その1 補助構文の配置による干渉』
続いて検証方法。
補助構文だけを書き換えた比較用魔法式を用意する。
その他の条件は一切変更しない。
消費魔力量を測定し、差が出るか確認する。
差がなければ次の仮説へ進む。
(対照実験も必要ですね)
比較対象がなければ、何が原因だったのか判断できない。
続けて仮説その2、仮説その3……。
私は順番に書き進めていく。
途中で何度も見直し、条件が重複していないか確認する。
変数は一つだけ。
他は固定。
そうしなければ原因を特定できない。
自然と筆が進んでいた。
この作業は嫌いではなく、むしろ好きだ。
どこに原因が潜んでいるのか、一つずつ可能性を削っていく時間は、前世でシステムの不具合を追っていた頃を思い出す。
「……」
ふと隣を見る。
ハーバル様も黙々と書いていた。
ただ、様子が少し違う。
ほとんど迷うことなく、一定の速さでペンが走っている。
書いては止まり、考える。
そんな様子がない。
最初から答えが見えているかのように、さらさらと書き続けていた。
(ずいぶん早いですね)
私は自分の紙へ視線を戻す。
まだ仮説は三つ目だ。
検証方法も細かく詰める必要がある。
実験回数、測定方法、誤差への対応。
考えることはいくらでもあった。
一方、ハーバル様の紙は、遠目にも文字数が少ないことが分かる。
(まさか、もう終わるのでしょうか)
そう思った矢先だった。
ハーバル様は最後の一文字を書き終えると、静かにペンを置いた。
実習開始から、まだ十分ほどしか経っていない。
私は思わず時計を見上げる。
終了時間までは、まだかなり余裕がある。
(そんなはずは……)
実験計画というのは、もっと慎重に組み立てるものではないだろうか。
私が細かな条件を書き並べている間に、ハーバル様は数行を書いただけで手を止めている。
その内容が気にならないと言えば嘘になる。
けれど、隣の提出物を覗き込むわけにもいかなかった。
私は小さく意識を切り替え、再び自分の課題用紙へ向き直る。
まずは、自分の考えを最後までまとめること。
他人のやり方を気にするのは、そのあとでも遅くはないのだから。
教室には、紙をめくる音とペン先が走る音だけが静かに響いていた。
私は最後の仮説を書き終え、大きく息を吐く。
(これで一通りでしょうか)
もう一度、最初から読み返す。
仮説ごとに実験を分け、変数は一つだけ変更する。
比較対象も用意した。
測定方法も記載した。
再現性を確認するため、各実験を複数回行うことも書き加えてある。
研究として不足はないはずだ。
それでも、小さな不安が残る。
何か見落としてはいないだろうか。
そう思いながら紙へ視線を落としていると、隣から静かな声が聞こえた。
「終わりました」
ハーバル様が席を立ち、教卓へ提出へ向かう。
私は思わずその背中を見送った。
(やはり提出されるのですね)
あの数行だけで。
私なら、とても提出する勇気は出ない。
教卓ではクロフォード先生が一枚ずつ課題へ目を通している。
ハーバル様の提出物を受け取ると、先生は内容へ視線を落とした。
その表情はほとんど変わらない。
ただ、一瞬だけ眉がわずかに動いたように見えた。
すぐに元の落ち着いた表情へ戻り、提出物を脇へ置く。
「ありがとうございます」
それだけだった。
評価も感想もない。
ハーバル様は軽く一礼し、自分の席へ戻ってくる。
私はその様子を横目で見ながら、自分の課題を仕上げた。
最後に誤字がないことを確認し、教卓へ向かう。
「失礼します」
クロフォード先生は私の提出物へ目を通し、小さく頷いた。
「丁寧に組み立てられていますね」
「ありがとうございます」
「研究計画としては十分成立しています」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
少なくとも、大きく間違ってはいなかったらしい。
席へ戻る途中、私は隣のハーバル様へ声を掛けた。
「ハーバル様」
「はい」
「一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「構いません」
相変わらず簡潔な返事だった。
「先ほどの実験計画ですが……」
言葉を選びながら続ける。
「ずいぶん簡潔にまとめていらっしゃいましたよね」
「はい」
「その内容だけで、原因を特定できるのでしょうか」
純粋な疑問だった。
批判したいわけではない。
本当に分からなかったのだ。
ハーバル様は少しだけ考え、それから静かに答える。
「原因を列挙する必要はないと思いました」
「え……?」
思わず聞き返す。
「効率が悪い原因は複数考えられます」
「ですが」
ハーバル様は机の上へ指先を置く。
「そのすべてを最初から調べる必要はありません」
「まず最も影響が大きい要素を切り分けます」
「それで違えば、次です」
私は首を傾げる。
「ですが、その『最も影響が大きい要素』をどう判断するのですか」
「魔法式を見れば、おおよそ予測できます」
あまりにも自然に言われた。まるで当然のことのように。
私は思わず資料を開き直す。
魔法式を見つめる。
何度見ても、私にはそこまでは分からない。
効率が悪そうな箇所はいくつも思い付く。
だからこそ、一つずつ確かめようと考えた。
「私は……」
少し迷いながら口を開く。
「すべて可能性として考えられました」
「ですから、順番に検証する計画を立てました」
「合理的です」
ハーバル様はすぐに頷いた。
「その方法でも原因は特定できます」
否定されたわけではない。
むしろ認められた。
それなのに、胸の中へ小さな引っ掛かりが残る。
「ですが」
ハーバル様は続けた。
「時間が掛かります」
「……」
「今回の課題は実験計画です」
「限られた時間で原因へ到達する方法を考えました」
それだけ言うと、ハーバル様は話を終えた。
私は返す言葉が見付からない。
確かに、その考え方にも一理ある。
限られた時間、限られた資材。研究ではそれも重要だ。
けれど。
(本当に、それで原因を絞れるのでしょうか)
私にはまだ納得できなかった。
経験の差なのか、才能の差なのか。
あるいは、研究そのものに対する考え方が違うのか。
答えは分からない。
その時、クロフォード先生が教壇へ立った。
「時間です」
教室が静かになる。
「本日の課題はここまでとします」
提出物を手に取りながら先生は続けた。
「次回は、皆さん自身が設計した計画をもとに、実際に実験を行います」
「結果がどうなるか、自分の予想と照らし合わせながら検証してください」
実際に試す。
その言葉を聞いて、私は資料を握り直した。
(そうですね)
議論だけでは結論は出ない。
研究は結果がすべてだ。
実験すれば、どちらの考え方がより適しているのか分かる。
そう思う一方で。
教室を出ていくハーバル様の背中を見つめながら、私は小さく息を吐いた。
(やはり……)
(あの方の考え方は、私にはまだよく分かりません)
その疑問を抱えたまま、私は静かに実習室をあとにした。