TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夏期休暇初日。
学院の正門前は、大きな旅行鞄を抱えた学生たちで賑わっていた。
「いよいよ夏休みだね」
リリーが弾んだ声で言う。
「ええ。あっという間の前期でした」
入学した日のことを思い返す。
王都へ来たばかりの頃は、見るものすべてが新鮮だった。
講義や実習、新しい友人との出会い。
そして、ハーバル様という、自分より遥か先を歩く才能との出会い。
ほんの数か月なのに、ずいぶん濃い時間だったように思う。
「お嬢様、お荷物はこちらでお持ちいたします」
アンナが私の旅行鞄へ手を伸ばした。
「ありがとう、アンナ」
「当然でございます」
いつもの穏やかな笑顔に、自然と気持ちが和らぐ。
リリーの後ろでは、ハートウェル家の侍女も荷物を整えていた。
「それでは、駅まで参りましょう」
四人で学院を後にする。
夏の日差しが王都の石畳を明るく照らし、人通りも普段より多い。
帰省する学生だけではなく、夏休みで商売が活気付く商人たちも行き交っていた。
ほどなくして王都中央駅へ到着する。
巨大なアーチ状の屋根に覆われた駅舎には、何本もの線路が伸び、その先には銀色の車体を持つ魔道列車が静かに停車していた。
「何度見ても立派だよね」
リリーが感心したように見上げる。
私も頷く。
魔道鉄道は、この国が世界へ誇る技術だ。
巨大な魔力媒体へ標準充填式で蓄えられた魔力を動力とし、複数の魔道具が連動して列車を走らせる。
前世でいう蒸気機関車や電車とは仕組みこそ違うが、大勢の人や荷物を遠くまで運ぶという役割は同じだ。
(これも魔法式の集合体なんですよね)
考え始めると、つい構造が気になってしまう。
床下には、どんな魔法式が組まれているのだろう。
魔力の供給はどのように制御しているのだろう。
そんなことを考えているうちに、アンナが小さく笑った。
「お嬢様」
「また魔法式を考えていらっしゃいますね」
「分かりましたか?」
「お顔を見ればすぐに」
少し照れくさくなり、私は咳払いを一つする。
「その……少しだけ気になりまして」
「帰省の間くらいは、お勉強はお休みになさってくださいませ」
「努力します」
そう答えると、リリーがくすりと笑った。
「ロザらしい」
「学院へ入ってから、ますます魔法がお好きになったように見えます」
「否定はできません」
ハーバル様へ追い付きたい。
そう思うようになってから、魔法式を見るたびに新しい疑問が浮かぶようになった。
分からないことを理解したい。
その積み重ねが、以前よりもずっと楽しく感じられる。
発車を告げる鐘が鳴り響く。
私たちは乗車券を提示し、寝台車へ乗り込んだ。
貴族用の個室は二人部屋になっており、向かい合う長椅子は夜になると寝台へ変わる造りになっている。
窓も大きく、長旅でも窮屈さを感じにくい。
私はアンナと同室になり、リリーは隣室だった。
荷物を棚へ上げ終えると、列車がゆっくりと動き始める。
王都の街並みが窓の外を流れていく。
高い塔に石造りの建物。
学院の尖塔も、少しずつ小さくなっていった。
(しばらくお別れですね)
気付けば、学院はもう「通う場所」になっていた。
入学した頃のような緊張はない。
後期が始まる頃には、またあの教室へ戻るのだ。
そんなことを考えていると、列車は速度を上げ、王都の城壁を抜けて緑豊かな平原へ出た。
窓から吹き込む風が心地よい。
夏草が揺れ、その向こうには小さな村や畑が点々と続いている。
「お嬢様、お夕食までまだ少し時間がございます」
アンナが荷物を整理しながら言った。
「リリアン様とお話しになってはいかがでしょう」
「そうですね」
私も同じことを考えていた。
学院では毎日のように会っていたけれど、長い休暇の間はそれぞれ実家で過ごすことになる。
夕食までまだ時間はある。
私は個室を出て、隣の扉を軽くノックした。
「リリー、いらっしゃいますか?」
すぐに扉が開き、見慣れた笑顔が現れた。
「ロザ、ちょうど私もお誘いしようと思ってた」
「では、少しお話ししませんか」
「もちろん」
リリーの個室には、既に紅茶の香りが漂っていた。
「どうぞ」
向かいの席へ腰を下ろすと、リリー付きの侍女の方が丁寧に紅茶を注いでくれる。
列車は一定のリズムで揺れ続けている。
窓の外では夕日が平原を茜色に染め、どこまでも続く線路が地平線へ伸びていた。
「こうしてゆっくりお話しするのも久しぶり」
「学院では毎日会ってたのに」
私が笑うと、リリーも頷いた。
「でも、講義や実習のお話ばかりでしたもの」
確かにそうだった。
授業が終われば課題があり、実習があればその反省をする。
気が付けば魔法の話ばかりしていたような気がする。
「ロザにとって、学院生活はどうだった?思っていたのと同じだった?」
リリーが穏やかに尋ねる。
私は少しだけ考える。
「同じでした。それに楽しかった」
それは迷いなく言えた。
「想像していた以上に学ぶことが多くて、毎日が新鮮でした」
「ロザらしい答えだね」
リリーはくすりと笑う。
「私は最初、寮生活が不安だった。私、ロザみたいにしっかりしてないし」
「でも、お友達もできたし、講義も思ったより楽しくて、気付けばあっという間だったかな」
私も頷く。
エレノアさんと知り合い。
リリー、ガブと一緒に街を歩き。
色々な出来事があった。
「それに」
リリーが少し悪戯っぽく笑う。
「ロザにも目標ができたみたいだし」
「目標、ですか?」
「ええ」
紅茶へ口を付けながら続ける。
「ハーバル様です」
思わず苦笑してしまった。
「分かりやすかったでしょうか」
「とても」
即答だった。
「最初は苦手そうにしてたみたいだけど、最近はお話しする時の顔が少し違う」
私は窓の外へ視線を向ける。
流れる景色がゆっくりと夕闇へ溶け始めていた。
「……負けたくない相手です」
自然と、その言葉が口をついて出る。
リリーは何も言わず、静かに聞いてくれている。
「試験でも実習でも、届きませんでした」
「でも」
私は小さく笑った。
「だからこそ、もっと勉強したいと思えるんです」
「追い付きたい?」
「はい」
その一言に迷いはなかった。
リリーは嬉しそうに微笑む。
「良かったです」
「え?」
「ロザが夢中になれるものに出会えて」
私は少し驚いた。
「私は勝ち負けのお話ばかりしていましたのに」
「そうですね」
リリーは優しく頷く。
「でも、私にはそう見えました」
「悔しい気持ちもあるのだと思うけれど、それ以上に魔法の研究そのものを楽しんでいるように見える」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
確かにそうかもしれない。
悔しい。
追い付きたい。
それは本当だ。
けれど、それだけではない。
ハーバル様の発想を知るたびに、新しい世界が見えてくる。
理解できなかった理論が理解できた時の喜び。
新しい魔法式へ触れる楽しさ。
学院へ入ってから、その気持ちはますます強くなっていた。
「ありがとう、リリー」
私は素直に頭を下げた。
「少し気持ちが整理できました」
「ふふ」
リリーは嬉しそうに笑った。
「後期も、一緒に頑張ろうね」
「もちろんです」
その約束を交わした頃には、窓の外はすっかり夜になっていた。
◇
翌朝。
列車はハートウェル領の最寄り駅へゆっくりと滑り込んだ。
「それでは、ロザ」
ホームへ降りたリリーが振り返る。
「夏休みを楽しんでくださいね」
「リリーも、後期にまた学院で」
「はい!」
互いに手を振り、別れを告げる。
列車が再び動き始めると、リリーの姿は少しずつ遠ざかっていった。
「少し寂しくなりますね」
私が呟くと、アンナが微笑む。
「またすぐお会いできますよ」
「そうですね」
アルヴェイン領までは、もう少しだけ列車の旅が続く。
窓の外には、見慣れた風景が増えてきた。
広大な麦畑。
魔力で動く灌漑設備。
街道沿いに建つ工房。
学院で見た王都とは違う、穏やかな故郷の景色だった。
「見えてまいりました」
アンナの言葉に顔を上げる。
遠くに、見覚えのある駅舎が見えた。
列車がゆっくりと速度を落とす。
ホームにはアルヴェイン伯爵家の紋章が入った馬車が停まり、馴染みの使用人たちが整列して待っていた。
扉が開く。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その声を聞いた瞬間、不思議と肩の力が抜けた。
「ただいま帰りました」
私は小さく微笑みながらホームへ降り立つ。
夏休みが始まった。
そして、懐かしい我が家での日々が、これからまた始まろうとしていた。