TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
アルヴェイン伯爵家の屋敷へ戻ると、玄関先には父と母、それに兄まで揃って待っていてくれた。
「お帰り、ロザモリア」
「ただいま戻りました、お父様」
「お帰りなさい」
母は以前と変わらない優しい笑みを浮かべている。
「学院生活、お疲れさまでした」
「ありがとうございます、お母様」
その隣では兄が腕を組みながら笑っていた。
「聞いたぞ」
「研究科で次席だったそうじゃないか」
「クリストファーお兄様」
「さすが俺の妹だ」
相変わらず少し大袈裟だ。
私は思わず苦笑する。
「首席ではありませんでしたから」
「二位でも十分すごい」
兄は迷いなく言い切る。
「学院は王国中の秀才が集まる場所なんだからな」
その言葉に父も静かに頷いた。
「努力した結果だ」
「よく頑張った」
家族が素直に喜んでくれている。
そのことが嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
◇
夕食は久しぶりに家族全員で囲む食卓だった。
学院での出来事を一つずつ話していく。
講義に実習。それから王都でできた友人。
魔法学研究科の雰囲気。
父も母も興味深そうに耳を傾け、兄は時折質問を挟みながら楽しそうに聞いていた。
食後、紅茶が運ばれてきた頃だった。
父が母へ一度視線を向ける。
母は小さく頷き、私へ優しく微笑んだ。
「ロザモリア」
「はい?」
「実は、お話ししたいことがあります」
少し改まった口調だった。
自然と背筋が伸びる。
「何でしょうか」
母はそっと自分のお腹へ手を添えた。
その仕草だけで、何となく察してしまう。
「私、お腹に赤ちゃんを授かったの」
一瞬、時間が止まったような気がした。
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
「本当ですか?」
「ええ」
母は幸せそうに頷く。
「まだ安定期ではありませんから、公にはしていませんけれど」
「家族には先に伝えておきたかったのです」
私は母のお腹を見つめた。
そこには、まだ見た目の変化はほとんどない。
けれど、その中には新しい命が宿っている。
「おめでとうございます、お母様」
自然と笑顔になっていた。
「ありがとう」
母も嬉しそうに微笑む。
父の表情も、普段よりずっと柔らかい。
兄は少し照れたように頭をかいていた。
「また家が賑やかになるな」
その一言に、私はふと気付く。
(そうか……)
赤ちゃんが生まれる。
つまり。
「ロザモリア」
母が穏やかに言う。
「あなた、お姉様になりますのよ」
その言葉が、胸へ静かに落ちてきた。
(お姉様……)
私は前世では一人っ子だった。
弟も妹もいない。
だから「兄」や「姉」という立場を経験したことがない。
今世では兄がいて、可愛がられる妹として育ってきた。
けれど今度は違う。
私が年上になる。
私が、お姉様になるのだ。
「何だか、不思議ですね」
思わず本音が漏れる。
「妹のままだと思っていました」
兄が笑う。
「俺もロザに弟か妹ができるなんて想像してなかったよ」
「でも」
父が静かに言う。
「お前なら、きっと良い姉になれる」
「そうでしょうか」
私が尋ねると、母も優しく頷いた。
「ええ」
「ロザモリアは昔から面倒見の良い子ですもの」
そんなふうに言われると、少し照れてしまう。
「まずは元気に生まれてきてくれれば、それだけで十分です」
その言葉に、家族全員が頷いた。
◇
夜。
自室へ戻った私は、窓辺へ立って夏の夜空を見上げていた。
星が静かに瞬いている。
(私が、お姉様……)
昼間は素直に祝福できた。
もちろん今も嬉しい。
でも、一人になると少しだけ現実味が増してくる。
前世では経験したことがない立場。
弟として振る舞ったこともなければ、兄として誰かを導いたこともない。
今世でも、私はずっと守られる側だった。
父や母にお兄様。
アンナやヴィオレット先生。
たくさんの人に支えられてここまで来た。
そんな私が、誰かの「お姉様」になる。
(ちゃんと、なれるのでしょうか)
その問いに、まだ答えは出ない。
魔法なら勉強すれば覚えられる。研究なら努力すれば前へ進める。
けれど、姉になるための勉強など聞いたことがなかった。
私は窓へ映る自分の姿を見つめ、小さく笑う。
「考えても仕方ありませんね」
赤ちゃんが生まれるまで、まだ時間はある。
その間に、少しずつ考えていけばいい。
そう自分へ言い聞かせながら、私は静かに夜空へ視線を戻した。
◇
数日後。
夏空には白い雲がゆっくりと流れ、屋敷の庭では蝉の声が響いていた。
「ロザ!」
聞き慣れた声に振り返る。
「リリー」
ハートウェル伯爵家の馬車から降りたリリーが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「久しぶりです」
「ほんの数日ぶりですのに、不思議ですね」
学院では毎日のように会っていた。
それが帰省してからは、それぞれの領地で過ごしている。
たった数日でも、こうして顔を見ると嬉しくなる。
二人で庭園の東屋へ向かう。
使用人が用意してくれた冷たい紅茶を前に、自然と会話が弾んだ。
「ご実家はどうですか?」
リリーが尋ねる。
「とても落ち着きます」
私は素直に答えた。
「やはり、生まれ育った家ですから」
「私も同じ」
リリーも微笑む。
「学院も好きだけど、実家に帰ると安心しますよね」
その気持ちはよく分かる。
王都での生活は充実していた。
けれど、この屋敷には学院とは違う安心感があった。
しばらく学院での出来事や休暇中の予定を話したあと、私はふと思い出したように口を開く。
「そういえば」
「リリーへお伝えしたいことがありました」
「何でしょう?」
私は少しだけ笑う。
「母が懐妊しました」
一瞬、リリーは目を丸くした。
そして次の瞬間、花が咲くような笑顔になる。
「まあ!」
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「とても素敵なお話です」
心から祝福してくださっていることが伝わってきて、私まで嬉しくなる。
「ですから」
私は少し照れながら続けた。
「私、お姉様になるそうです」
「ふふ」
リリーは嬉しそうに笑った。
「ロザがお姉様ですか」
「まだ実感がありません」
私は苦笑する。
「前世……いえ」
危うく口を滑らせそうになり、慌てて言い直す。
「私は兄しかおりませんでしたから」
兄妹はいても、自分より年下はいなかった。
姉になるという感覚が、どうにも想像できない。
「ちゃんと務まるのでしょうか」
本音が口から零れる。
「魔法なら教えられると思います」
「勉強も見てあげられるでしょう」
「でも」
私はティーカップへ視線を落とした。
「姉として何をしてあげればいいのか、よく分からないんです」
リリーは少しだけ考え、それから穏やかに微笑んだ。
「難しく考えなくてもいいのではないですか?」
「え?」
「ロザは、ロザらしくいればいいんです」
「私らしく……」
「ええ」
リリーは迷いなく頷く。
「私が知っているロザは、とても優しい人です」
「困っている人がいれば手を差し伸べますし、一度決めたことは最後までやり遂げます」
「そんなお姉様なら、きっと誰だって大好きになります」
思わず笑ってしまった。
「少し買いかぶりすぎではありませんか?」
「そんなことないです」
リリーは真剣な表情で言う。
「学院でもそうでした」
「エレノアさんが安心してお話しできるようになったのも、ロザが自然に寄り添っていたから」
「私は……」
そんなつもりはなかった。
ただ友達になりたいと思っただけだ。
「意識していないからこそ、自然なのでしょうね」
リリーは優しく紅茶へ口を付ける。
その言葉を聞いているうちに、不思議と肩の力が抜けていった。
(そうかもしれません)
姉になろうと気負いすぎていたのかもしれない。
最初から立派なお姉様になろうとしなくてもいい。
今まで通り、自分にできることをすればいいのだ。
「ありがとうございます、リリー」
私は自然と笑顔になっていた。
「少し安心しました」
「それなら良かった」
リリーも嬉しそうに笑う。
庭を渡る風が、木々の葉を優しく揺らした。
私は青く澄んだ夏空を見上げる。
まだ顔も見たことのない、小さな命。
男の子なのか、女の子なのかも分からない。
でも。
(元気に生まれてきてくださいね)
その時には、私はもう少しだけ、お姉様らしくなれているだろうか。
そんな未来を思い描きながら、私は穏やかな夏の空へ微笑みかけた。