TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夏期休暇は、驚くほどあっという間に過ぎ去った。
母のお腹に宿った新しい命。
リリーとのお茶会。
家族と過ごす穏やかな時間。
どれも大切な思い出になったけれど、気付けば王都へ戻る日がやって来ていた。
「お嬢様、お忘れ物はございませんか?」
「大丈夫です」
アンナの確認に頷き、私はもう一度だけ屋敷を振り返る。
玄関には父と母、それに兄が見送りに出てくれていた。
「行ってまいります」
「体には気を付けるんだぞ」
父が穏やかに言う。
「勉強も大事ですが、無理はしてはいけませんよ」
母も優しく微笑んだ。
「次に帰ってくる頃には、もっと強くなってるからな」
兄は相変わらず意味の分からない対抗心を燃やしている。
「お兄様も、お稽古を頑張ってください」
そう言うと、兄は少し照れたように笑った。
私は家族へ一礼し、アンナとともに馬車へ乗り込む。
王都行きの魔道列車は、今日も定刻どおり駅を出発する予定だった。
◇
ホームには、既に見慣れた銀色の車体が停車していた。
「ロザ!」
聞き慣れた声に振り返る。
「リリー」
ハートウェル伯爵家の馬車から降りたリリーが、嬉しそうに手を振っていた。
「また一緒ね」
「ええ」
私は自然と笑顔になる。
夏休みの始まりも一緒なら、終わりも一緒だった。
二人で並んで寝台車へ乗り込む。
アンナは私の荷物を手際よく運び、リリーの侍女も静かにその後へ続いていた。
列車がゆっくりと動き出す。
見慣れた故郷の駅舎が少しずつ遠ざかり、窓の外には夏の田園風景が広がっていく。
「少し寂しいですね」
リリーが窓の外を見つめながら呟いた。
「ええ」
私も頷く。
「家族と離れるのは名残惜しいです」
「でも」
リリーはくすりと笑う。
「学院へ戻るのも楽しみではありませんか?」
その言葉に、私は少し考えた。
学院での講義や研究、日々の研鑽を共にする友人たち。
そして――。
(ハーバル様)
夏休みの間も、時折考えてしまっていた。
あの実験計画。
試験結果。
どうすれば、あの発想へ近付けるのか。
実家へ戻っても、魔法式の本を開くたびに思い出していた。
「楽しみです」
私は素直に答える。
「後期は、もっと勉強したいことがありますから」
「ロザらしいね」
リリーは嬉しそうに笑った。
「私はエレノアさんとまたお話しできるのが楽しみ」
「きっと喜ばれます」
エレノアさんも、きっと同じ気持ちだろう。
学院へ入学してからできた大切な友達。
後期も四人で過ごす時間は、きっと増えていくはずだ。
◇
翌日の昼前。
魔道列車は王都中央駅へ到着した。
学院の馬車へ乗り込み、見慣れた正門をくぐる。
「戻ってきましたね」
アンナが懐かしそうに辺りを見回す。
「ええ」
私は石造りの校舎を見上げ、小さく息をついた。
ほんの数週間前まで毎日見ていた景色なのに、ずいぶん久しぶりに感じる。
教室へ入ると、既に何人もの学生が席に着いていた。
「あ、ロザ!」
ガブが真っ先にこちらへ気付く。
「久しぶり!」
「お久しぶりです、ガブ」
「ロザモリアさん」
エレノアさんも柔らかく微笑む。
「またよろしくお願いします」
「こちらこそ」
四人が揃うと、自然と夏休み中の話になった。
「ロザはどうだった?」
ガブが興味津々で尋ねる。
「家ではゆっくりできた?」
「ええ」
私は頷く。
「家族と過ごす時間が多かったですね」
「母が懐妊したこともありまして」
「えっ!」
三人の声が重なる。
「おめでとうございます!」
リリーが笑顔で言うと、ガブも大きく頷いた。
「ロザがお姉さんか!」
「何か想像できますね」
「そうでしょうか?」
まだ実感は薄い。
けれど、その言葉に自然と笑みがこぼれた。
そんな話をしていると、教室前方の扉が開き、担当教員が入室してきた。
すぐに教室が静まり返る。
「皆さん、お帰りなさい」
教員は出席簿を閉じると、そのまま続けた。
「後期最初の実習について説明します」
黒板へ大きく書かれた文字を見て、私は思わず身を乗り出した。
『素材採取実習』
教室のあちこちで、小さなどよめきが起こる。
「実習地は学院管理区域の森林です」
「各班ごとに指定された素材を採取していただきます」
魔法式ではなく、実際の野外実習。
初めての学外での活動に、私の胸は自然と高鳴っていた。
講義が終わると、教室のあちこちで素材採取実習の話題が上がり始めた。
「野外実習なんて初めてだな!」
ガブは椅子へ座ったまま大きく伸びをする。
「何だか冒険みたいで楽しそうじゃないか」
「ガブったらもう。授業なのですからね」
リリーがそう言って笑う。
「私は……少しだけ緊張しています」
エレノアさんが遠慮がちに手を胸へ当てた。
「野外へ出る実習は初めてなので……」
「大丈夫ですよ。管理区域の森林はきちんと整備されてるそうですし」
私はそう答えながら、自分も配布された資料へ目を通す。
採取対象は薬草や魔力を帯びた鉱石、樹液など。
どれも魔法薬や魔道具の素材になるものばかり。
「でもさ」
ガブが資料を眺めながら首を傾げる。
「森へ行くんだろ?」
「魔獣とか出たりしないのか?」
その一言で、三人とも資料から顔を上げた。
確かに気になる。
この世界には野生動物の他に、魔法を使う『魔獣』も存在する。森に魔獣がいても不思議ではない。
すると教卓の近くで資料を整理していた教員が、こちらの会話へ気付いたように振り返った。
「良い質問ですね」
私たちは慌てて姿勢を正す。
教員は穏やかに続けた。
「結論から言えば、心配はいりません」
「実習地は学院が定期的に安全を確認している区域です」
ガブがほっとしたように息を吐く。
「やっぱりそうですよね」
「ええ」
教員は頷いた。
「そもそも魔獣は、人里の近くを好みません」
黒板へ簡単な地図を書き始める。
近隣の森林や河川、山岳地帯。
そして、いくつか丸印を付ける。
「魔獣は魔力濃度の高い場所を縄張りにします」
「古い遺跡や、大量の魔力が自然に集まる場所ですね」
私は思わずメモを取る。
(縄張り……)
「逆に言えば」
教員はチョークを置いた。
「その縄張りへ不用意に立ち入らない限り、野生の魔獣と遭遇することは滅多にありません」
「学院の実習地は、そうした場所から十分離れています」
「ですので、皆さんが魔獣へ遭遇する可能性は極めて低いでしょう」
教室全体が安心したような空気になる。
「よかったぁ……」
エレノアさんが小さく胸をなで下ろした。
ガブも笑う。
「何だ、心配しすぎだったな」
「安全だから実習に選ばれているんだ」
「そういうことです」
教員は頷いた。
「もちろん森ですから、野生動物には注意してください」
「ですが、魔獣については過度に心配する必要はありません」
そう言い残すと、教員は教室を後にした。
ガブは肩の力を抜く。
「これなら安心だな」
「そうですね」
リリーも微笑む。
「採取の方へ集中できそうです」
エレノアさんも安堵したような表情を浮かべている。
「魔獣って、もっと身近にいるものだと思っていました」
「私もです」
私は資料を閉じながら頷いた。
前世で言えば、熊や狼のような存在を想像していた。
けれど実際には、魔獣には明確な縄張りがあり、そこへ近付かなければ滅多に遭遇しないらしい。
(危険な場所へ近付かなければ、安全……ですか)
前世でシステム開発をしていた頃の癖なのだろうか。
「絶対に大丈夫」と言われると、かえって「本当に例外はないのだろうか」と考えてしまう自分がいる。
もっとも、学院が何年も実習を続けている場所なのだ。
危険なら、とっくに問題になっているはずだった。
(少し考えすぎですね)
私は自分の思考へ苦笑した。
◇
素材採取実習当日。
朝早くから学院前の広場には、多くの人数が集まっていた。
大きな背負い袋を持った学生。
簡易測定器を調整している先生方。
普段の講義とは違う装備に、皆どこか浮き立った様子を見せている。
「おはよう、ロザ!」
ガブが大きく手を振る。
「今日は頑張ろうな!」
「ええ」
「おはようございます」
リリーとエレノアさんも合流し、四人で並んで待機列へ加わる。
学院の紋章が入った大型馬車が、次々と広場へ入ってくる。
教員たちは人数を確認し、班ごとに乗車を指示していた。
私は青空を見上げる。
心地よい風が吹く。
絶好の実習日和だった。
今日もきっと、普段通りの一日になる。
そう信じながら、私は仲間たちとともに馬車へ乗り込んだ。