TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います   作:Fiomia

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異変

森の中へ入ってから30分ほどが過ぎた。

五人は役割を分担しながら、指定された素材を順調に集めていく。

ガブは周囲を警戒しつつ、背丈ほどもある茂みを剣で軽く払い、進みやすい道を作る。

リリーは植物の特徴を見極め、採取に適したものを選び出す。

エレノアさんは素材の保管を担当しながら、腰に下げた魔道具を時折確認していた。

そして私とハーバル様は、研究科らしく採取した素材の状態や魔力の質を観察し、必要なら意見を交わしていく。

 

「この樹液は透明度が高いですね」

 

私が枝先から滴る樹液を眺めると、ハーバル様も静かに頷いた。

 

「不純物が少ないのでしょう」

 

「魔力伝導体の加工にも向いていると思われます」

 

簡潔な答えだったが、内容は的確だった。

私は採取袋へ丁寧に収めながら、小さく微笑む。

以前なら、その一言だけでも「説明不足です」と思っていたかもしれない。

けれど最近は少し違う。必要なことだけを口にする方なのだと分かってきた。

 

「皆さん」

 

その時、エレノアさんが足を止めた。

 

「少し測定してもよろしいでしょうか」

 

彼女が取り出したのは、掌に収まるほどの円盤状の魔道具だった。

中央には透明な魔力媒体が埋め込まれ、その周囲には細かな目盛りが刻まれている。

 

「商会で試作中の魔力濃度計です」

 

「集魔式の応用で周囲の環境中の魔力密度を測定する魔道具なんですよ」

 

説明しながら魔力を流し込むと、魔力媒体の中へ淡い光が灯り、針がゆっくりと動き始めた。

 

「18リヒト……19……」

 

数歩進む。

 

「20リヒト」

 

「正常ですね」

 

「便利ですね」

 

私は思わず見入ってしまう。

魔法式を応用した測定器。

前世なら電子計測器に近い発想だろう。

 

「魔道具産業では需要がありそうです」

 

「はい!」

 

エレノアさんは少し嬉しそうに頷いた。

 

「鉱山調査や魔道具工房の建設予定地では、環境魔力濃度が重要になりますから」

 

「実用化できれば、今よりずっと短時間で測定できます」

 

商売の話になると、本当に饒舌になる。

その変化が少し微笑ましかった。

 

「……あれ?」

 

エレノアさんの表情が変わった。

針がゆっくりと右へ動いていく。

 

「25……30……40……え……?」

 

さらに針は進む。

 

「50……60リヒト!?……そんな……」

 

彼女は測定器を持ち替え、もう一度魔力を流した。

結果は変わらない。

 

「故障ではありません」

 

「魔力媒体の反応も正常です」

 

「では、この数値は……」

 

リリーが不安そうに尋ねる。

エレノアさんは小さく唇を噛んだ。

 

「人間の生活圏の平均環境魔力濃度は20リヒト前後です」

 

「60を超える場所なんて、普通はありません」

 

「魔獣の縄張りか、特殊な魔力溜まりでもない限り……」

 

その言葉を聞いた瞬間、ガブの表情が引き締まった。

 

「全員、動くな」

 

低い声。

さっきまでの穏やかな雰囲気が消え、騎士科の学生として周囲へ鋭い視線を向ける。

私も無意識に腰の魔法式展開器(タクト)へ手を添えた。

 

風の音とは違う。

何か重いものが草を踏みしめる音が近付いてくる。

 

ザッ――。

 

茂みが大きく揺れた。

姿を現したのは、狼によく似た体躯を持つ魔獣だった。

額には青白く光る魔石が埋め込まれ、その瞳は獲物を見据えている。

 

「魔獣……」

 

実習前の説明が頭をよぎる。

縄張りへ入らなければ、そうそう遭遇しない。

そのはずだった。

 

「どうして……」

 

思わず漏れた声を、ガブが遮る。

 

「ロザ!」

 

「援護を頼む!」

 

「はい!」

 

私はすぐに魔法式展開器を握り、意識を内部の魔力媒体へ向けた。

頭の中で魔法式を切り替える。

選択したのは、事前に登録していた『加減速付与式』。

補助構文も確認し、対象をガブへ指定する。

 

「ガブ!加速付与式を展開します!」

 

魔力が魔法式展開器から流れ出し、高次魔法式が発動する。

淡い光がガブを包み、その身体の動きが一段鋭くなった。

 

「助かる!」

 

ガブは剣を構えたまま前へ出る。

魔獣が飛び掛かった。

鋭い爪を、加速した踏み込みでかわし、そのまま剣を横へ薙ぐ。

 

刃は魔獣の肩をかすめ、黒い毛が宙へ舞った。

致命傷にはならない。

それでも十分な牽制になっていた。

 

私は次の魔法式へ切り替えようと意識を集中させる。

攻撃用の『炎矢投射式』。

魔力媒体へ登録された魔法式を選択し――その瞬間。

 

「伏せてください!」

 

普段の静かな調子と全く違うハーバル様の声が耳へ届く。

何が起きたのか理解するより先に、頭を押さえつけられた。

次の瞬間、ハーバル様がタクトで魔獣の牙を受け止めた。

そのまま魔法式を展開するとタクトから雷光が走り、魔獣は悲鳴を上げて後ろへ飛び跳ねる。

 

もう一頭いた。

木々の陰を利用して回り込んでいた魔獣が、私へ飛び掛かろうとしていたのだ。

あと一歩遅れていたら、魔法式の切り替えに集中していた私は反応できなかっただろう。

心臓が大きく脈打つ。

私はようやく状況を理解し、隣へ立つハーバル様を見上げた。

 

「ロザ!」

 

ガブの声で我に返る。

 

「だ、大丈夫です!」

 

私は慌てて体勢を立て直した。

ハーバル様は私から手を離すと、短く言った。

 

「無事ですか、アルヴェイン様」

 

「魔法式の切り替え中は無防備になります。周囲の確認を」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

その通りだ。魔法式の切り替えには一瞬とはいえ意識を向ける必要がある。

その隙を突かれた。完全に私の判断ミスだ。

 

私は小さく息を吸い、今度は落ち着いて魔法式展開器へ意識を向ける。

攻撃ではなく牽制。

今必要なのは時間を稼ぐこと。

 

「炎矢投射式、展開」

 

魔法式が構築され、小さな炎の矢が空中へ生まれる。

私は魔獣の少し手前の地面へ向けて放った。

炎が土を弾き、火花が散る。

魔獣は驚いたように一歩退いた。

 

「十分です」

 

ハーバル様が静かに言う。

 

「倒す必要はありません」

 

その言葉で、私はようやく自分が少し焦っていたことへ気付いた。

 

 

「少し距離を取るぞ!」

 

ガブが剣を構えたまま後退する。

二頭の魔獣は追ってくるものの、一定以上の距離は詰めようとしない。

まるで何か見えない境界線があるかのようだった。

 

「……やっぱり変です」

 

リリーが周囲を見渡す。

 

「何がですか?」

 

私は問い返す。

 

「魔獣の動きです」

 

リリーは落ち着いた口調で続けた。

 

「魔獣は魔力濃度の高い場所を縄張りにします」

 

「餌を追うことはありますが、縄張りから遠く離れることは滅多にありません」

 

「つまり」

 

「この場所まで来ていること自体がおかしいんです」

 

エレノアさんがすぐに頷いた。

 

「なら、原因は環境魔力濃度です!」

 

彼女は魔力濃度計へ魔力を流し込み、周囲を測定し始める。

 

「こちらは65……」

 

数歩移動する。

 

「52……」

 

さらに向きを変える。

 

「38……27……」

 

彼女は何度も測定を繰り返した。

 

「分かりました!」

 

腰から地図を取り出し、測定値を書き込んでいく。

 

「北東側だけ極端に魔力濃度が高くなっています!」

 

「こちらは通常値です!」

 

その地図を、ハーバル様が静かに受け取った。

ほんの数秒。視線だけが地図の上を動く。

 

「原因は不明ですが、環境魔力の分布が局所的に偏っているように思われます」

 

淡々とした声で言う。

 

「高濃度魔力域は北東。魔獣はそちらから現れました」

 

私たちは自然と地図を覗き込む。

 

「ならば」

 

ハーバル様は南西方向を指差した。

 

「この勾配に沿って移動します」

 

「魔力濃度が下がれば、縄張りの外へ最短で出られます」

 

ガブがすぐに頷いた。

 

「分かった」

 

「俺とハーバルが前に立つ」

 

「アルヴェイン様」

 

ハーバル様が私を見る。

 

「後方から牽制をお願いします」

 

「倒す必要はありません」

 

「接近だけ防いでください」

 

「はい」

 

指示は簡潔で分かりやすい。

誰も異論を挟まない。

役割が自然と決まっていく。

 

ガブとハーバル様が前衛で全体を見ながら進路を判断。

私が魔法支援。

エレノアさんが環境魔力測定。

リリーが地図で周囲の地形と植生を確認。

 

「行きます」

 

五人がゆっくりと後退を始めた。

私は炎矢投射式を維持し、魔獣が距離を詰めようとするたび、足元へ炎を撃ち込む。

火花が散るたびに魔獣は警戒し、足を止める。

 

「32です!」

 

エレノアさんが叫ぶ。

 

「さらに下がっています!」

 

「このまま」

 

ハーバル様が短く答える。

焦らない。走らない。隊列を崩さない。

そのまま数分ほど移動を続けると、魔力濃度計の針は20付近まで戻った。

魔獣たちが足を止める。

こちらを威嚇するように低く唸ったあと、二頭とも森の奥へ引き返していった。

 

「……戻りました」

 

エレノアさんがほっと息を吐く。

 

「縄張りへ帰ったんですね」

 

リリーも安堵したように頷く。

 

「やはり魔力濃度が原因だったようです」

 

ガブが剣を鞘へ納める。

 

「みんな無事か?」

 

「はい」

 

私は返事をしながら、小さく息を吐いた。

緊張で少し手が震えている。

けれど怪我人はいない。

それだけで十分だった。

私はハーバル様へ向き直る。

 

「先ほどは、ありがとうございました」

 

「助けていただかなければ、反応が遅れていました」

 

ハーバル様は首を横へ振る。

 

「最も安全な行動を選びました。それだけです」

 

やはり答えは事務的だった。

でも。

 

(この方らしいですね)

 

照れているわけでも、格好を付けているわけでもない。

本当にそう考えて行動しただけなのだろう。

少しだけ、その考え方が分かるようになってきた気がした。

 

その時、森の奥から笛の音が響く。

実習教員による緊急招集の合図だった。

私たちはその音を頼りに安全区域へ戻る。

事情を聞いた教員は、魔力濃度計の数値を聞いて表情を変えた。

 

「この区域で、その魔力濃度が……?」

 

「そんなはずはありません」

 

教員たちは慌ただしく周囲の確認を始める。

私たちは無事に帰還できた。

けれど、実習地で起きた異変は、まだ始まりに過ぎなかったことを私たちは後に知ることになる。




【ルーカス・リヒト】
・魔力量の測定法を確立した魔法史上の偉人
・魔力量の単位は彼の功績を讃え「リヒト」と呼ばれる
という設定です。
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