TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夜になると、不思議と考え事が増える。
昼間は講義や実験があるから余計なことを考える暇がない。けれど机に向かい、一人になると、この一年で起きた出来事が自然と思い返される。
もうすぐ二年次だ。学院へ入学してから一年、長かったような短かったような一年だった。
◇
俺の名前はノア・ハーバル。
代々薬師を務める家に生まれた平民だ。
……もっとも、「俺」という認識は、本来この世界のものではない。
前世の名前は黒井聡一郎。
製薬会社で研究職をしていた。
新薬候補の評価や薬効試験、論文を読み漁って仮説を立て、実験で確かめる。そんな毎日。
研究は好きだった。
成果が出ることも嬉しかったが、それ以上に、誰も知らないことを少しずつ解き明かしていく過程が面白かった。
生まれた頃は、前世の記憶なんて何もなかったと思う。
普通の子どもとして育ったが、5歳の冬、高熱で何日も寝込んだ。
意識が朦朧とする中で、まるで封じられていた引き出しが開くように記憶が流れ込んできた。
研究室……白衣……試験管……分析装置……。
そして最後に……自分が死んだという事実。
熱が下がる頃には、俺は前世の黒井聡一郎でもあり、ノア・ハーバルでもあった。
最初は混乱したが、それは長く続かなかった。
理由は単純だ。
薬学が、この世界にも存在したからだ。
もちろん、地球の薬学とは違う。
薬草や魔力に錬金術。未知の要素ばかりだ。
それでも本質は変わらない。
素材を知る、作用を調べる、仮説を立てる、実験で検証する。
その繰り返しで知識を積み上げていく。
「また研究ができる」
そう思った時の安堵は、今でも覚えている。
転生したこと自体に意味があるのかは分からない。
でも、この世界でも研究者として生きられる。
それだけで十分だった。
◇
薬師として学べることには限界があった。
もっと体系的な知識が欲しい。特にこの世界には「魔法」というものがある。それを学ばずしてこの世界の薬学は研究できない。
そう考えて王立アステリア学院を受験し、魔法学研究科へ進学した。
結果だけ見れば、期待以上だった。
国内中から優秀な学生が集まる環境。
専門の研究設備に、第一線の研究者でもある教師陣。毎日が刺激的だった。
その中でも、一番印象に残った人物がいる。
ロザモリア・アルヴェイン。
伯爵家の令嬢。
入学式で初めて見た時は、正直かなり目立っていた。
金色の髪に整った顔立ち。学院中でも指折りの美少女と言われるのも納得だった。
だから最初は、貴族らしく周囲から距離を置かれる人物なのだろうと思っていた。
が、その予想はすぐに外れた。
誰に対しても礼儀正しい。平民だからと態度を変えることもない。
ガブリエルのように積極的に距離を詰める性格ではないが、相手を選んで接するような人間でもなかった。
しかしそれより印象的だったのは、努力量だ。
朝、研究棟へ行くと、既に彼女がいる。
講義が終わり図書館へ向かう。また彼女がいる。
研究室へ顔を出す。やはり彼女が資料を読んでいる。
偶然とは思えない頻度。
才能だけなら、努力しなくても上位にはいられる。
それだけの魔力量も理解力も持っている。
それなのに、本人は一切満足していない。
首席になれなかった。
その一点だけを見て、さらに努力する。
それは理解できる思考だ。
研究に終わりはない。今の結果に満足した瞬間、成長は止まる。
その意味では、彼女の価値観は研究者に向いている。
もう一つ面白いと思ったことがある。
議論だ。
実習でも講義でも、ロザモリアは必ず仮説を複数考える。
可能性をできるだけ広く列挙し、一つずつ潰していく。
対して俺は、最も確率が高い仮説から先に検証する。
思考の順番が違う。
だから話していて面白い。
同じ現象を見ても、着眼点が違うからだ。
研究は、自分と同じ考え方の人間ばかり集めても進歩しない。
違う視点があるから、新しい発見が生まれる。
その意味で、ロザモリアとの議論は有意義だった。
素材採取実習も印象に残っている。
あれは予定どおりに終わる実習ではなかった。
魔力濃度計が異常値を示し、魔獣と遭遇した。
学院の実習であんな事態になるとは思わなかった。
もっとも振り返ってみると、一番印象に残っているのは魔獣ではない。
ロザモリアの反応だった。
ガブリエルが前衛へ出ると、彼女はすぐ魔法式展開器を起動した。
加減速付与式。
状況に応じた魔法式の選択も速い。
ただ、一つだけ問題があった。
魔法式を切り替える時、周囲への注意が少し甘くなる。研究者にありがちな癖だ。
一つへ集中すると、それ以外が見えにくくなる。
俺も昔同じ失敗をした。
実験中、データへ意識を向けすぎて試薬を倒したことがある。
だから、あの時もすぐ気付いた。
二頭目が回り込んでいる。
あの時は咄嗟に体が動いた。
ロザモリアの頭を下げさせ、魔獣の牙を魔法で硬化した魔法式展開器で受け止め、そのまま電撃を流し込んだ。
それだけだ。大げさなことではない。誰でも同じことをしたと思う。
彼女を立ち上がらせる時、一瞬だけ手が触れた。
細い指。白くて、小さい。
普段は魔法式を書いたり、本を読んだりしている手には見えないくらい綺麗だった。
……いや。正確には、研究者の手には見えなかった。
そのことが少し意外だっただけだ。それ以上の意味はない。
彼女はすぐ体勢を立て直し、炎矢投射式へ切り替えた。
混乱しても手順を間違えない。
反省点はあっても、実戦で必要な判断はできている。
やはり優秀だ。
その後も、魔獣が近付くたびに適切な距離へ牽制を入れ、ガブリエルが戦いやすい状況を維持していた。
本人は納得していないようだったが、実習として見れば合格点以上だと思う。
◇
ロザモリアを観察していて、もう一つ気付いたことがある。
表情だ。
本人は隠しているつもりなのだろうが、かなり分かりやすい。
疑問が浮かぶと眉が少し寄る。
新しい発見をすると目が少し輝く。
褒められると少し照れる。
そして、試験で次席だった時だけは、本当に悔しそうな顔をする。
周囲は十分すごいと言う。本人も礼は言う。でも内心では納得していない。
あれだけ感情が顔へ出る人は珍しい。だから議論していて面白い。
こちらの説明で納得した時も、納得していない時もすぐ分かる。
研究では、その方がやりやすい。
相手がどこまで理解したか判断できるからだ。
今まで研究室には、感情を表へ出さない人も多かった。
それはそれで悪くない。
だが、ロザモリアのように考えていることが表情へ表れる相手との議論も嫌いではない。
◇
一年が終わった。
首席は維持できた。
だが、それは俺一人の成果ではない。
ロザモリアと議論した内容。教師との質疑応答。実習での経験。
その全部が積み重なった結果だ。
もし研究科に彼女がいなければ、今ほど刺激のある一年にはならなかっただろう。
窓の外を見ると、冬の夜空には静かに雪が降っている。
二年次になれば研究内容もさらに専門的になる。
新しい講義に新しい実験。そして、おそらくロザモリアとの議論も増える。
そう考えると、不思議と楽しみだった。
研究は、一人でもできる。
でも、優秀な研究仲間がいる方が、もっと面白い。
「二年次も忙しくなりそうだ」
誰もいない部屋でそう呟き、俺は机の上へ積まれた薬学書を開いた。
次の一年も、きっと充実したものになる。
そんな予感がしていた。