TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
窓の外では、静かに雪が降っていた。
冬期休暇に入り、アルヴェイン領へ戻ってから数日。
学院では慌ただしい毎日を送っていたけれど、実家で過ごす時間はゆっくりと流れている。
「ロザミー」
居間へ入ると、お母様が穏やかに微笑んだ。
その姿を見て、私は思わず目を向ける。
お腹が、以前よりもずっと大きくなっていた。
「お母様、お身体は大丈夫ですか」
「ええ。少し動くと疲れやすくなったくらいよ」
そう言いながら、お腹へ優しく手を添える。
もうすぐ家族が増える。
そう思うだけで、不思議と胸が温かくなった。
「最近はよく動くの」
「元気な子になりそうね」
「楽しみです」
自然と笑みがこぼれる。
前世では兄弟もいなかった。
妹か弟か。
まだ分からないけれど、今から会える日が待ち遠しい。
◇
夕食後、お父様に書斎へ呼ばれた。
扉を開けると、お父様は書類から顔を上げる。
「座りなさい」
「はい」
向かいへ腰掛けると、お父様は少し考えるような表情を見せた。
「実は、一つ頼みたいことがある」
「何でしょうか」
「来週、ヴァレリア伯主催で近隣の貴族懇親会が開かれる」
毎年行われる近隣の貴族家の社交行事だ。
領地運営や魔道産業の情報交換、新年を前にした親睦などを兼ねている。
私も幼い頃から何度か参加したことがあった。
「今年はセレスを連れて行くわけにはいかない」
「そうですね」
今のお母様へ移動は負担が大きい。
私でも、それくらいは分かる。
「そこで」
お父様は穏やかに続けた。
「今年はロザミーに、夫人代理として同行してほしい」
思わず背筋が伸びた。
「……わたくしが、ですか」
「もう学院へ入学した立派な淑女だ」
「社交も勉強の一つだと思って経験してほしい」
確かに、その通りだ。
私は将来、研究者になりたい。
でも今はアルヴェイン伯爵家の娘でもある。
貴族としての役目から逃げることはできない。
「承知いたしました」
「微力ながら務めさせていただきます」
私が答えると、お父様は安心したように頷いた。
「ありがとう」
「きっとセレスも喜ぶ」
◇
数日後。
ヴァレリア伯爵邸で懇親会が開かれていた。
煌びやかな照明、楽団が奏でる穏やかな音楽。
色とりどりの正装に身を包んだ貴族たちが談笑している。
私はお父様の半歩後ろを歩きながら、学院とは違う空気を改めて感じていた。
(やっぱり緊張しますね)
学院では身分を意識する場面は少ない。
けれど、ここでは違う。
立ち居振る舞い一つにも視線が集まる。
そんなことを考えていると、聞き慣れた声がした。
「ロザ!」
振り向くと、リリーが嬉しそうに手を振っていた。
「リリー」
「お久しぶりです」
その隣には、リリアンのご両親のアレクサンダー様とヴィヴィアン様の姿もある。
「お久しぶりです、アルヴェイン伯爵」
「ハートウェル伯爵、夫人もお変わりありませんか」
父同士が挨拶を交わし、私も礼をする。
ヴィヴィアン様が私に尋ねる。
「ロザ、学院生活はどう?」
「毎日忙しいですが、とても充実しています」
「それなら良かったわ」
リリーはいつもと変わらない笑顔だ。
学院では毎日のように会っているのに、社交の場で会うと少し新鮮に感じる。
「セレスティア様は?」
ヴィヴィアン様がお父様へ尋ねる。
「身重ですので、今回は屋敷で休ませています」
「そうでしたか」
ヴィヴィアン様は優しく微笑んだ。
「どうかご無理はなさらないよう、お伝えください」
「ありがとうございます」
貴族同士の会話は、こうした気遣いから始まることが多い。
形式だけではなく、長く家同士の付き合いがあるからこその温かさも感じられた。
「そういえば」
リリーが少し身を寄せる。
「今日のロザのドレス、いつもと違って少し大人っぽいデザインですね」
「変ではないでしょうか。わたくしはどうしても小柄なので」
「ふふっ。大丈夫ですよ。とても似合っています」
「ありがとうございます。リリー」
二人でくすくすと笑いあう。
ほんの短い会話なのに、肩の力が少し抜ける。
やっぱりリリーと話している時間は落ち着く。
このあと待っている社交の時間へ向けて、私は静かに気持ちを整えた。
しばらくすると、お父様が一人の男性と談笑を始めた。
年齢は四十代半ばほど。
胸元には伯爵家の紋章が刺繍されている。
その隣には私と同じくらいの年頃の青年が立っていた。
姿勢が良く、所作も落ち着いている。
「アルヴェイン伯爵」
「ご息女をご紹介いただけますかな」
社交の場では珍しいことではない、自然な流れだ。
お父様が私へ目を向ける。
「ロザミー」
私は一歩前へ出て、淑女の礼を取った。
「初めまして。ロザモリア・アルヴェインと申します」
青年も丁寧に一礼する。
「初めまして。レイモンド・ヴァレリアと申します」
落ち着いた声。
その後、お父様たちは少し離れた場所へ移動し、自然と私たち二人だけが残る。
「学院へ通われているそうですね」
「はい。王立アステリア学院の魔法学研究科に在籍しております」
「研究科ですか」
レイモンド様は少し驚いたように目を丸くした。
「珍しいですね」
「女性で研究科へ進まれる方は少ないと聞いております」
「ええ」
私は頷く。
「昔から魔法の研究が好きでしたので」
「素晴らしいことです」
その返事にも嫌味はない。
本心からそう言ってくださっているのだろう。
「私は卒業後、父の仕事を引き継ぐ予定です」
「領地経営は学ぶことばかりですよ」
「今年は水路整備の計画にも携わりまして」
穏やかな口調で話が続く。
まず領民の暮らし。そして農地や流通。
どれも伯爵家の跡継ぎとして大切な話だ。
実際、立派な考え方だと思う。
(良い方ですね)
礼儀正しく誠実そうだ。
きっと領民からも慕われる領主になる。
そう思う。
けれど。
「ロザモリア様は、学院ではどのような研究を?」
「現在は魔法式の魔力効率について学んでおります」
私がそう答えると、レイモンド様は微笑んだ。
「なるほど」
「専門的なお話は私には難しそうですね」
「ですが、研究へ熱中できるのは良いことです」
そこで会話は終わってしまった。
もちろん失礼ではない。
むしろ自然な返答だ。
それでも私は、胸の奥で小さな違和感を覚えていた。
(……あれ?)
研究の話をすると、そこで話題が途切れる。
学院なら違った。
例えばノア様なら。
『魔力効率ですか。損失要因はどのように分類されていますか』
そんなふうに返してくる。
私が仮説を話せば、
『別の可能性もあります』
と新しい視点を示してくれる。
議論はそこから始まる。
私は無意識に、そのやり取りを基準にしてしまっていた。
(いけませんね)
比べること自体が失礼だ。
レイモンド様は研究者ではない。
領主になるために必要なことを学んでいる。
目指すものが違うだけだ。
それなのに、私はどこか物足りなさを感じてしまっている。
会話を続けながらそのことに気付き、そんな自分自身へ少し驚いた。
◇
帰りの馬車は静かだった。
屋敷へ着くと、お父様は書斎へ向かおうとした。
「お父様」
私が呼び止めると、足を止めて振り返る。
「少し、お時間をいただけますか」
「もちろんだ」
書斎へ入り、向かい合って座る。
少しだけ深呼吸をしてから、私は口を開いた。
「あの……」
「本日ご紹介いただいたレイモンド様ですが」
「とても立派な方だと思いました」
お父様は黙って続きを待っている。
「礼儀正しく、領地のことも真剣に考えておられました」
「きっと素晴らしい領主になられると思います」
そこまで言ってから、私は視線を下げた。
「ですが……わたくしとは、目指しているものが違います。わたくしは、やはり魔法の研究を続けたいのです」
「研究について語り合い、分からないことを一緒に考えられる。そんな毎日を送りたいと思っています」
その言葉を口にして、自分でも少し驚いた。
いつの間にか、それが私の望みになっていた。
「……申し訳ありません」
「今回のお話は、お断りしていただけませんでしょうか」
しばらく沈黙が流れる。
やがて、お父様は穏やかに微笑んだ。
「ロザミー」
「お前は正直な子だな」
「レイモンド殿を悪く言わず、自分の気持ちを話してくれた」
「それで十分だ」
私は顔を上げる。
「では……」
「ああ」
お父様は静かに頷いた。
「先方には私から丁重にお断りしよう」
「ありがとうございます」
胸の中につかえていたものが、すっと軽くなる。
部屋を出て自室へ戻る途中、私はふと立ち止まった。
(研究について語り合える人、ですか)
頭へ浮かんだのは、学院の研究室で議論を交わす一人の姿。
いつも無表情で。
必要なことしか話さなくて。
それでも、新しい仮説をぶつけると真剣に考え、より良い答えを返してくれる人。
(……また比べてしまいましたね)
小さく苦笑する。
まだ、それが何を意味するのかは分からない。
けれど二年次になれば、また同じ研究室で議論を重ねることになるだろう。
そう思うと、不思議とその日が待ち遠しく感じられた。