TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います   作:Fiomia

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結婚なんてしたくない

朝の身支度にも、ようやく慣れてきた。

高熱で倒れてから数日。

ロザモリアの身体はすっかり回復し、以前と変わらない生活を送れるようになっていた。

ただ一つだけ、以前とは決定的に違うことがある。

 

(俺は、ロザモリアとして生きている)

 

鏡の前で金色の髪を梳かしてもらいながら、その事実を改めて噛みしめる。

何度見ても、鏡に映るのは五歳の少女だ。

 

最初こそ夢ではないかと疑ったりもした。

何度も頬をつねり、腕をつねり、眠れば元に戻るのではないかと期待もした。

 

けれど現実は変わらない。

今では、この小さな身体を動かすことにも少しずつ慣れ始めていた。

 

「お嬢様、今日は奥様がお勉強をご覧くださるそうですよ」

 

アンナが髪を整えながら微笑む。

 

「そうでしたね」

 

ロザモリアの記憶が自然と答えを返す。

朝は読み書きや計算、それに礼儀作法。午後は音楽や刺繍。

五歳とはいえ、伯爵令嬢の毎日は意外と忙しい。

前世の俺なら小学校へ通い始めるかどうかという年齢だったはずだ。

 

(貴族って大変なんだな……)

 

そんなことを考えながら食堂へ向かう。

 

「おはようございます、お父様、お母様」

 

「おはよう、ロザミー」

 

家族もようやく安心した表情を見せるようになった。

倒れていた数日の記憶は曖昧だが、相当心配を掛けたらしい。

食事の最中も、セレスティアは何度も体調を気遣ってくる。

 

「無理はしてはいけませんよ」

 

「はい、お母様」

 

「少しでも具合が悪ければ、すぐに言うのですよ」

 

「大丈夫です」

 

本当に身体は軽いし熱の名残も感じない。

むしろ頭の中だけは、前世の記憶が戻ったことで以前よりずっと忙しかった。

 

 

午前の勉強が終わると、セレスティアが本を閉じた。

 

「今日はここまでにしましょう」

 

「ありがとうございました」

 

椅子から降りようとすると、母が優しく声を掛ける。

 

「ロザミー」

 

「はい?」

 

「来月、王都で春の茶会があります」

 

茶会。

ロザモリアの記憶にもある。貴族同士が交流する場だ。

 

「あなたも、そろそろ慣れていかなければなりません」

 

「わたくしもですか?」

 

「ええ」

 

まだ五歳なのに?思わずそう考えてしまう。

 

「子ども同士で遊ぶだけではありませんの?」

 

「もちろん遊ぶ時間もあります」

 

セレスティアは微笑みながら続けた。

 

「ですが、お互いの家族へご挨拶をしたり、お友達を増やしたりすることも大切です」

 

なるほど。

子どもの集まりではなく、社交の場ということか。

 

「アルヴェイン家の娘として、多くの方にお会いする機会になります」

 

「はい」

 

俺が返事をすると、セレスティアは満足そうに頷いた。

 

「焦る必要はありません。少しずつ覚えていけば良いのです」

 

そう言われると気が楽になる。

それでも前世の感覚では、五歳児に求めるものではない。

やはり貴族社会は別世界だ。

 

「お母様も、小さい頃から茶会へ?」

 

「ええ。わたくしも祖父母や両親に連れられて、何度も参加しました」

 

「楽しかったですか?」

 

「楽しいこともありましたし、緊張したこともありました」

 

少し懐かしそうに目を細める。

 

「そうした出会いが、大人になってから助けになることも多いのですよ」

 

人との繋がり。

前世で言えば、人脈に近いものだろう。

幼い頃から築いていくのが貴族なのか。

 

「それに……」

 

セレスティアは言葉を選ぶように少し間を置いた。

 

「将来を共にする方と出会う機会にもなりますから」

 

「将来を……共に?」

 

「ええ」

 

母は当たり前のように答える。

 

「貴族の子どもは、そうしたご縁も大切にするものです」

 

俺は思わず首を傾げた。

 

「お友達、ですか?」

 

その問いに、セレスティアは優しく笑う。

 

「今はそれで十分ですよ」

 

今は。

その一言が少し引っ掛かった。

 

「でも、いずれは結婚なさる方とも出会うことになります」

 

結婚。

その言葉を聞いた瞬間、思考が止まる。

……結婚?俺が?

 

「女の子は、お嫁さんになるのでしょう?」

 

ロザモリアとしての記憶が、無邪気に問い返す。

 

「そうですね」

 

セレスティアは穏やかに頷いた。

 

「もちろん必ずすぐ決まるわけではありません。でも貴族の令嬢は、いずれ家を支えるために結婚します」

 

「アルヴェイン家も?」

 

「ええ」

 

母はごく自然に答えた。

 

「それはあなたも例外ではありません」

 

その言葉は、静かだった。

けれど俺には、胸へ重く落ちてきた。

 

結婚。

ロザモリアが。

つまり――俺が、男と。

 

「……」

 

返事ができない。

 

「ロザミー?」

 

「い、いえ……少し驚いただけです」

 

慌てて笑顔を作る。

五歳の子どもなら、この程度の反応で不自然ではないはずだ。

 

「今から心配することではありませんよ」

 

セレスティアは優しく頭を撫でる。

 

「十年も先のお話ですもの」

 

十年。

時間はある。

だが、その事実は変わらない。

伯爵令嬢である以上、結婚は当然の未来として待っている。

 

(そんな……)

 

母の話は続いている。

茶会での礼儀に他家との交流、そして令嬢としての心得。

けれど、その内容はもうほとんど頭へ入ってこなかった。

俺の頭の中では、一つの言葉だけが何度も繰り返されていた。

 

男と結婚する。

 

その現実だけが、消えずに残り続けていた。

 

部屋へ戻っても、その言葉は頭から離れなかった。

結婚……貴族令嬢として生まれた以上、それは避けて通れない未来。

ロザモリアとしての記憶は、その事実を当たり前のものとして受け入れている。

だが、俺にはどうしても納得できなかった。

 

(いや、無理だろ……)

 

ベッドへ腰掛け、両手で頭を抱える。

前世では男だった。

恋愛対象がどうこう以前に、自分が男性として生きてきた二十数年という感覚は、今もはっきり残っている。

その俺が、将来は伯爵令嬢として男性と結婚する。

想像しただけで身体が強張った。

 

「……無理だ」

 

思わず漏れた声に、自分でも驚く。

それほどまでに拒絶感が強かった。

もちろん、前世で結婚していたわけではない。恋人と別れて以来、仕事ばかりの生活だった。

だが、自分が花嫁衣装を着て男性の隣へ立つ姿など、一瞬たりとも想像できない。

 

(絶対に嫌だ)

 

その思いだけは、迷いなく断言できた。

 

 

数日後。

 

「ロザー!」

 

庭から聞き慣れた声が響く。

リリアンが遊びに来ていた。

前と変わらない笑顔を見ると、不思議と肩の力が抜ける。

 

「体調はもう大丈夫?」

 

「はい。もう元気です」

 

「よかったぁ」

 

リリアンは本当に安心したように笑った。

庭園を歩きながら、二人は花壇を眺める。以前と同じ景色。

けれど俺の中だけが、大きく変わっていた。

 

「そういえばね」

 

リリアンが楽しそうに話し始める。

 

「この前、お母様が言ってたの」

 

「何をですか?」

 

「将来は素敵なお相手と結婚するんですって」

 

どきりとした。

また、その話だ。

 

「ロザはどんな人がいい?」

 

無邪気な質問だった。

悪意なんてまったくない。

五歳の女の子同士の、他愛ないおしゃべりだ。

 

「わたくしは……」

 

言葉が止まる。

答えられない。

 

「わたしはね」

 

リリアンは頬を緩めながら続けた。

 

「優しい人がいいな」

 

「優しい方、ですか」

 

「うん。それで、お父様みたいに頼りになる人!」

 

なるほど。

前世の記憶がなければ、俺もそんなふうに考えたのかもしれない。

 

「ロザは?」

 

期待するような視線を向けられる。

 

「まだ……よくわかりません」

 

それしか言えなかった。

 

「そう?」

 

「はい」

 

嘘ではない。

わからないのではなく、考えたくないだけだ。

 

 

その日の帰り道。

リリアンを見送ったあとも、俺は庭に残っていた。

春風が木々を揺らしている。

 

「結婚、か……」

 

一人になると、自然と考えてしまう。

前世では当たり前だった男としての感覚。

それが今も消えていない。

身体は少女なのに、精神は男のまま。

だからこそ、この世界の常識を受け入れられない。

 

(どうすれば避けられる)

 

考える。

仕事では、問題が起きればまず条件を整理していた。

今回も同じだ。

 

まず事実。

俺は伯爵令嬢。貴族には貴族の義務がある。

家同士の繋がりを作るため、結婚は重要だ。

つまり、ただ「嫌です」と言って済む話ではない。

 

では、例外はあるのか。

ロザモリアの記憶を辿る。

修道院へ入る者、病で婚姻が難しくなる者、ごくわずかだが生涯独身を貫いた学者。

 

(学者……?)

 

そこで、一つの記憶が引っ掛かった。

魔法、そして錬金術。

この世界では、それらを利用した道具が街中で使われている。

農場の農具も、工房の織機も、我が家の照明も。

生活のあらゆる場所に魔法がある。

 

そして前世の俺は――システムエンジニアだった。

ものづくりが仕事だった。

 

ロザモリアが幼いながらに教わってきた、魔法に関する記憶を思い出す。

魔力媒体に魔法式。

 

(……あ、これって)

 

ふと気づく。

魔法式の仕組みは、どこかプログラムに似ている気がする。

決められた構文と組み合わせ。

それらを目的どおりに動かすための設計。

 

まだ詳しく学んではいない。

それでも、どこか懐かしさを覚えた。

 

(俺なら理解できるかもしれない)

 

前世の知識が役立つ分野かもしれない。

そう思った瞬間、胸の奥に小さな光が灯った。

もし本当に魔法や錬金術で特別な存在になれたなら。

家に利益をもたらせる人間になれたなら。

 

(結婚以外でも、家の役に立てるんじゃないか)

 

もちろん希望的観測だ。

そんな前例があるかも知らない。

だが、何もしなければ未来は決まってしまう。

それだけは嫌だった。

 

「やってみよう」

 

自然と言葉が漏れる。

 

「魔法を勉強しよう」

 

前世の知識と、この世界の魔法。

二つを合わせれば、何か道が開けるかもしれない。

 

結婚を避けるため。

そして、この世界で自分らしく生きるため。

ロザモリア・アルヴェインは、小さな決意を胸に抱いた。

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