TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
研究室へ配属されてから数日が経ち、少しずつ生活のリズムにも慣れてきた。
講義が終わると研究室へ向かい、それぞれが興味を持った論文を読んだり、ヴィオレット先生へ質問したりする。派手な成果はまだないけれど、それでも魔法について考え続けられる毎日は充実していた。
今日も私はノートへ考えを書き込みながら、以前から気になっていた標準召喚式と標準圧縮式の関係について整理していた。
そこへ、遠慮がちな声が聞こえる。
「ロザモリア……」
顔を上げると、エレノアが少し緊張した様子で立っていた。
「少し、ご相談があるのですが……」
「もちろんです。どうしましたか」
私が椅子を勧めると、エレノアはほっとしたように腰を下ろした。
少し遅れて、向こうで本を読んでいたノア様も自然とこちらへ歩いてくる。
「何か研究の話ですか」
「はい」
エレノアは小さく頷いた。
「ヴィオレット先生から、そろそろ研究テーマを決めてもいいと言われまして……」
少し言葉を選ぶように視線を伏せる。
「実は、商会でも前から課題になっていることがあるんです」
私は自然と身を乗り出した。
「どのような課題でしょう」
「冷蔵魔道具です」
その言葉を聞いた瞬間、数日前の休日が頭へ浮かんだ。
暑い日に王都の冷菓店で食べた果実のシャーベット。
そして店の奥に置かれていた、大きな冷蔵魔道具。
「あ……」
思わず声が漏れる。
「この前の冷菓店ですね」
「はい」
エレノアも嬉しそうに頷いた。
「あの時、お店の冷蔵魔道具をご覧になっていましたよね」
「ええ。少し気になってしまって」
リリーから「また研究者の顔になってる」と笑われたことまで思い出し、少しだけ照れくさくなる。
「冷蔵魔道具自体は、ここ数年でかなり普及してきました。でも……」
エレノアは少し間を置いた。
「まだ王城や一部の貴族家、大きなお店くらいでしか使えません」
「やはり価格ですか」
「はい」
短い返事だった。
「便利なのは間違いないんです。でも高すぎるんです」
その言葉には、商会の娘らしい実感が滲んでいた。
私は休日に見た店の様子を思い返す。
確かに冷菓は美味しかった。
もしあれがもっと身近なものになれば、多くの人が喜ぶだろう。
「もっと気軽に食べられるようになれば嬉しいですね」
自然とそんな言葉が口をついて出た。
「アイスクリームやシャーベットが、特別なお店だけではなく、どこの街でも食べられるようになったら素敵だと思います」
エレノアの表情がぱっと明るくなる。
「はい!」
珍しく少し大きな声だった。
「私もそう思うんです!」
「子どもでも、お年寄りでも、誰でも買えるくらいになったらって、ずっと考えていて……」
その顔は、魔道具の話をしている時のエレノアらしかった。
人前では控えめなのに、自分の好きなことになると、自然と言葉が増える。
その変化を見るたび、少し嬉しい気持ちになる。
すると、それまで静かに話を聞いていたノア様が口を開いた。
「私は別の理由で興味があります」
私とエレノアが同時に視線を向ける。
「薬草です」
「薬草……ですか?」
「ええ」
ノア様は淡々と続ける。
「薬草の多くは採取直後が最も品質が高く、時間が経つほど有効成分が失われます」
「冷却保存がもっと安価に行えれば、品質を保ったまま遠方へ運べますし、保存期間も延びます」
「薬学の研究にも、薬師の仕事にも恩恵は大きいでしょう」
私は思わず感心してしまった。
私は冷菓を思い浮かべた。
エレノアは庶民の暮らしを思い浮かべた。
そしてノア様は、薬草の保存を考えていた。
同じ冷蔵魔道具という話題でも、見ている先がまるで違う。
研究とは、こうして様々な立場から価値を見つけるものなのかもしれない。
エレノアは二人を交互に見て、小さく微笑んだ。
「やっぱり、お二人に相談して良かったです」
「私一人では、商売のことしか考えられませんでした」
「でも、お二人のお話を聞いていたら、もっと色々な人の役に立つ研究になる気がします」
私は静かに頷いた。
ヴィオレット先生は言っていた。
『現実の課題を魔法で解決する研究室』なのだと。
目の前にあるのは、まさにその言葉どおりの課題なのだと感じていた。
「問題は、冷媒なんです」
エレノアは少し真剣な表情になった。
「現在の冷蔵魔道具には『魔道エーテル』という冷媒が使われています」
「この冷媒は錬金術で特殊な処理が必要で、製造できる工房も限られています。そのため、冷蔵魔道具の価格を押し上げる一番の原因になっているんです」
「魔法式ではなく、冷媒の方が問題なのですね」
私が確認すると、エレノアは力強く頷いた。
「はい。だから今は、私たちグランベル商会だけではありません」
「王都の魔道具商会や錬金術工房も、それぞれ冷媒の改良に取り組んでいます」
「もっと安く、安全で、扱いやすい冷媒を作れないかと、みんな競争している状態なんです」
「なるほど……」
私は思わず考え込んだ。
魔法式の改良ばかり思い浮かべていたけれど、冷蔵魔道具を構成しているのは魔法だけではない。
材料もあれば、加工技術もある。
そのどれか一つが高価なら、魔道具全体の価格も下がらない。
「魔法だけでは解決できない問題もあるのですね」
「はい」
エレノアは頷いた。
「だから商会でも、錬金術師の方々と協力しながら研究を進めています。でも、決定的な改善にはまだ至っていなくて……」
その表情からは、この問題に長く向き合ってきたことが伝わってくる。
すると、それまで静かに聞いていたノア様が口を開いた。
「競争相手は多いのですか」
「はい」
エレノアはすぐに答えた。
「王都だけでも何社もありますし、地方の大きな商会も参入しています」
「新しい冷媒を開発できれば市場を大きく変えられるので、どこも本気なんです」
「なるほど」
ノア様は短く頷いた。
「だからこそ簡単には情報を公開できないわけですね」
「その通りです」
エレノアは少し困ったように笑う。
「商会同士で情報交換することは、ほとんどありません」
私は二人の話を聞きながら、小さく頷いていた。
前世でも、新技術は企業の競争力そのものだった。
研究成果が簡単に外へ出ないのは、この世界でも同じらしい。
「ですが」
エレノアは少しだけ表情を明るくした。
「だからこそ、学院なら違う視点が得られるかもしれないと思ったんです」
「商売だけを考えていると、どうしても発想が固まってしまいますから」
その言葉に、ヴィオレット先生が穏やかに口を開いた。
「良い着眼点ですね」
私たちは一斉に先生の方を見る。
先生は私たちの机へ歩み寄ると、エレノアの話を聞いていたらしいことが分かった。
「現場には現場の知識があります。研究には研究の知識があります。そして商売には商売の知識があります」
「その三つが合わさって初めて、多くの人へ届く技術になります」
その言葉は、研究室の理念そのものだった。
「今回の話は、研究テーマとして十分に価値があります」
先生はそう言って微笑む。
「ただし、焦る必要はありません」
「まずは現状を正しく知ることです」
「何が問題なのか。本当に冷媒だけが課題なのか。他にも見落としている要因はないのか」
「一つずつ整理しながら考えていきましょう」
私は自然と背筋を伸ばしていた。
いきなり答えを探すのではなく、まず現状を知る。
ヴィオレット先生らしい進め方だった。
「では、エレノアさん」
「はい」
「もし可能でしたら、次回お時間のある時に、現在使われている冷蔵魔道具についてもう少し詳しく教えていただけますか」
「もちろんです!」
エレノアは嬉しそうに頷いた。
「商会へお願いして、研究用に使っていた資料も確認してみます」
「ありがとうございます」
私は笑顔で頭を下げた。
まだ魔法式も見ていない。
実物にも触れていない。
それでも、解決したい課題だけははっきりと見えてきた。
冷蔵魔道具を、もっと多くの人が使えるものにしたい。
そのためには、まず現状を知ることから始めよう。
私はそう心に決めながら、ノートの新しいページへ静かに題名を書き込んだ。
『冷蔵魔道具の低価格化について』