TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
研究テーマが正式に決まってから数日後。
ヴィオレット研究室の一角では、朝から少しだけ慌ただしい空気が流れていた。
「失礼します」
扉が開き、数人の研究助手が大きな木箱を慎重に運び込んでくる。
箱には見慣れた紋章が刻まれていた。
グランベル商会の紋章だ。
「ありがとうございます。こちらへお願いします」
エレノアが助手たちへ指示を出す。
普段は人前で緊張してしまう彼女も、商会の仕事になると表情が変わる。
必要なことを簡潔に伝え、運ぶ位置まで迷いなく決めていく姿は、商会の跡継ぎらしかった。
木箱が研究室中央の実験台へ置かれると、助手たちは一礼して部屋を出ていく。
「ありがとうございました」
扉が閉まるのを確認したエレノアが、小さく息をついた。
「運搬はいつもお願いしている方々です」
「大型の魔道具は、一人では危ないので……」
「お気遣いありがとうございます」
冷蔵魔道具は思っていた以上に大きい。
私たちだけで学院まで運び込むのは、現実的ではなかっただろう。
エレノアは木箱の留め具を外しながら説明を始める。
「これは商会で下取りした中古品です」
現れたのは腰ほどの高さがある金属製の箱だった。
側面には小さな傷がいくつも残っている。
長年使われてきた証なのだろう。
「最新型ではありませんが、基本構造は現行機種とほとんど変わりません」
「それに……」
エレノアは少しだけ笑った。
「もう販売する予定もありませんから、分解してしまって構いません」
「本当に良いのですか」
「はい」
「むしろ中まで見てもらうために持ってきました」
その言葉を聞き、自然と胸が高鳴る。
実物を分解できる機会など、そう多くはない。
「では、始めましょう」
◇
工具を手に取り、外装を一つずつ外していく。
ネジを緩める音だけが静かな研究室へ響く。
やがて内部構造が姿を現した。
「……綺麗ですね」
思わずそんな感想が漏れる。
配管に魔力伝導体。そして中央に据えられた魔力媒体。
無秩序に組まれているのではない。
整備しやすいよう考え抜かれた配置になっている。
「さすが商業製品です」
「長年改良され続けてきたのでしょうね」
エレノアも誇らしそうに頷いた。
「ええ。代々改良が重ねられています」
私は一番大きな魔力媒体へ視線を向ける。
複雑な魔法式が幾重にも刻まれていた。
指先でそっとなぞりながら読み解いていく。
「これは……」
自然と口元が緩む。
「やはり」
隣からノア様も覗き込む。
「分かりましたか」
「はい」
私は魔法式の一部を指差した。
「圧縮部です」
「ここに圧縮魔法式が使われています」
ノア様も魔法式を追い、静かに頷く。
「そのようですね」
「冷媒を圧縮する役割でしょう」
前世の冷蔵庫を思い出す。
コンプレッサー。
冷媒を圧縮し、循環させることで熱を運ぶ仕組み。
完全に同じではないだろう。
それでも発想そのものはよく似ていた。
(なるほど……この部分がコンプレッサーに相当するのですね)
私は改めて魔法式全体を眺める。
すると、ある違和感へ気付いた。
「……多い」
「え?」
エレノアが首を傾げる。
私は魔法式の一部を指差した。
「補助構文です」
「圧縮魔法式そのものは短いのですが、その周囲に補助構文が大量に追加されています」
ノア様もすぐに理解したらしい。
「確かに」
彼は私の反対側から魔法式を読み始める。
「圧縮率の微調整」
「魔力流量の制御」
「過負荷防止」
「温度補正」
淡々と読み上げられる補助構文は、私が見つけたものと一致していた。
「ここまで増えるものなのですね」
私は感心しながらも首を傾げる。
「もっと整理できそうにも見えます」
「私も同感です」
ノア様は腕を組み、しばらく魔法式を見つめていた。
「同じ効果を持つ補助構文が重複しています」
「完全な重複ではありませんが、役割が近いものがいくつかあります」
「統合できる可能性がありますね」
その言葉に、私も頷いた。
「ええ」
「個別に追加を繰り返した結果、この形になったのでしょうか」
長い年月をかけて改良されてきた魔道具。
その歴史が、逆に魔法式を複雑にしてしまったのかもしれない。
私たちは顔を上げ、ほぼ同時に同じことを口にした。
「改良の余地はありそうですね」
思わず笑みがこぼれる。
ようやく研究らしい研究が始まった。
そんな実感が、胸の内で静かに膨らみ始めていた。
私は魔法式全体をもう一度見渡した。
圧縮魔法式そのものは完成度が高い。
一方で、その周囲を取り巻く補助構文は、まるで継ぎ接ぎのように追加され続けた跡が見える。
「ここだけを見るなら」
私はノートへ簡単な模式図を書きながら口を開く。
「補助構文を整理して、魔力の流れをもう少し単純化できそうです」
「魔力損失も減らせるかもしれません」
ノア様も図を覗き込み、小さく頷いた。
「可能性はあります」
「現在の構成は、安全性や耐久性を優先して構文を追加した結果でしょう」
「一つずつ意味はありますが、全体として見ると冗長です」
私は補助構文の一つを指で示す。
「例えば、この魔力流量補正式と、この安定化構文です」
「条件分岐が違うだけで、ほとんど同じ役割を担っています」
「ええ」
ノア様もすぐ続きを引き継ぐ。
「統合できる可能性があります」
「演算回数が減れば、その分だけ魔力効率も改善できるでしょう」
研究者同士の議論は自然と早くなる。
一つ仮説を出せば、相手が続きを考え、さらに別の可能性を返してくる。
そのやり取りが心地良かった。
「魔法式だけを見れば、まだ改良の余地はありそうですね」
私がそうまとめると、エレノアは少し申し訳なさそうな表情になった。
「……でも」
「価格は、あまり下がらないと思います」
「そうなのですか」
「はい」
エレノアは冷蔵魔道具の内部から、小さな金属製の円筒を慎重に取り外した。
「こちらが冷媒の入っている容器です」
振ると、内部で液体がわずかに揺れる音がする。
「この中へ入っているのが魔道エーテルです」
私は以前、講義で名前だけは聞いたことがあった。
「特殊な冷媒、という認識でしたが……」
「それだけではありません」
エレノアは容器を両手で持ちながら説明を続ける。
「元になるエーテルは、とても便利な物質です」
「魔力によく反応して、冷却にも適しています」
「ですが、そのままでは可燃性が非常に高いんです」
私は思わず顔を上げた。
「可燃性、ですか」
「はい」
「もし漏れた状態で火魔法を使えば、爆発する危険もあります」
なるほど。
だから一般には流通していないのか。
「そこで錬金術師が難燃化処理を施します」
「処理後のものが、現在使われている魔道エーテルです」
「燃えにくく、安全に扱えるようになります」
ノア様が静かに尋ねる。
「その処理工程が高価なのですね」
「そのとおりです」
エレノアは頷いた。
「処理できる工房も限られていますし、時間も掛かります」
「だから冷蔵魔道具の価格は、この魔道エーテルが大きく左右してしまうんです」
私は容器を見つめたまま考え込む。
(つまり、魔法式だけ改良しても限界がある)
効率が上がれば多少小型化はできる。
消費魔力量も減らせる。
けれど価格の大部分を冷媒が占めているなら、それだけでは庶民へ普及するほど安くはならない。
「二つの課題がありますね」
私はゆっくりと言葉を整理する。
「魔法式の効率化」
「そして、冷媒そのものの見直し」
「ええ」
ノア様も同意した。
「どちらか一方だけでは不十分でしょう」
その時、研究室の扉が開いた。
「皆さん、進み具合はいかがですか」
ヴィオレット先生だった。
先生は分解された冷蔵魔道具を見回し、満足そうに微笑む。
「もう内部まで確認したのですね」
「はい」
私は今日の議論を簡潔に説明した。
補助構文には整理の余地があること。
一方で、価格の大きな要因は魔道エーテルにあること。
先生は最後まで静かに聞き、頷いた。
「良い整理ができています」
「研究は、課題を正しく分けることから始まります」
「一度に全てを解決しようとすると、本質を見失ってしまいますから」
その言葉へ、私たち三人は自然と頷いていた。
「では」
ヴィオレット先生が黒板へ向かう。
「今週末の研究会までに、それぞれ気付いたことをまとめてきてください。その上で、次に何を研究するか決めましょう」
「はい」
三人で返事をする。
私はノートを開き、今日の議論を書き始めた。
複雑に絡み合った魔法式に高価な魔道エーテル。
課題は思っていた以上に多い。
それでも、不思議と気持ちは前向きだった。
分からないことがある。だから調べる、仮説を立てる。
そして仲間と議論する。
研究者になりたいと願ってきた私が思い描いていた毎日が、ようやく本当の意味で始まったのだと感じていた。