TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
週末の午後。
ヴィオレット研究室では、いつもの実験台を囲むように私たち3人が席に着いていた。
分解した冷蔵魔道具は元の形へ仮組みされ、横には数日かけて書き溜めたノートが山になっている。
「それでは、研究会を始めましょう」
ヴィオレット先生の一声で、私たちはそれぞれの調査結果を持ち寄った。
「まずは私から報告します」
私は立ち上がり、黒板へ冷蔵魔道具の模式図を書き始める。
「先日確認した圧縮魔法式ですが、補助構文を整理した案を考えてみました」
チョークを走らせながら、現行の魔法式と比較できるよう並べていく。
「現在の構成では、魔力流量補正式と安定化構文の役割が一部重複しています」
「条件分岐を書き換えれば、一つの補助構文へ統合できる可能性があります」
ヴィオレット先生が図を見つめながら頷いた。
「理由も説明していただけますか」
「はい」
私はもう一つ図を書き足す。
「現行の魔法式は、改良を積み重ねてきた結果だと思われます」
「そのため、新しい補助構文を追加する形で性能を向上させてきました」
「ですが、全体を見直せば整理できる部分があります」
ノア様も私の図へ目を向けながら口を開く。
「現在の構成は局所最適です」
「各時代では最善だったのでしょう」
「ただ、全体を設計し直す前提なら、演算工程は減らせます」
私は頷いた。
「ええ」
「魔力の流れも単純になりますので、損失も多少減らせると思います」
ヴィオレット先生はしばらく黒板を見つめていたが、やがて静かに微笑む。
「良い着眼点です」
「既存技術を否定するのではなく、積み重ねられた歴史を分析した上で改善点を探していますね」
その評価を聞き、胸の中が少しだけ温かくなる。
先生に認めてもらえるのは、やはり嬉しい。
もっとも。
「ただし」
先生は続けた。
「価格への影響は限定的でしょう」
「はい」
私は素直に頷いた。
「魔法式だけでは根本的な解決にはなりません」
その言葉を受けて、今度はノア様が立ち上がった。
「私から報告します」
机の上へ数枚の資料を並べる。
「魔道エーテルの難燃化処理について調査しました」
私も姿勢を正して耳を傾けた。
「魔道エーテルは、元になるエーテルへ複数段階の錬金術処理を施しています」
「目的は二つ」
「可燃性の低下と、長期安定性の確保です」
黒板へ簡単な工程図を書きながら説明が続く。
「未処理のエーテルは冷媒として優秀ですが、火属性魔力への反応が強すぎます」
「そのため、現状では安全性を優先して反応性を抑えています」
私は図を見つめながら考える。
(反応性を下げる……)
便利な性質と危険性は紙一重なのだ。
「この処理工程が複雑で、専門技術も必要になります」
「したがって価格が高くなります」
説明は簡潔だった。
それでも要点はよく分かる。
ヴィオレット先生が一つ質問する。
「処理そのものを簡略化することは可能でしょうか」
「現時点では難しいと思われます」
ノア様は首を横へ振った。
「安全性を犠牲にはできません」
「少なくとも、現行技術の延長では限界があります」
先生も納得したようだった。
「ありがとうございます」
「非常に整理された報告でした」
続いてエレノアが立ち上がる。
「では、わ、私から……」
最初は少し緊張した様子だったが、商会の資料を広げた途端、表情が引き締まった。
「私は流通面から調べました」
「魔道エーテルは現在、国内でも製造工房が非常に少ないんです」
地図を広げ、工房の位置へ印を付けていく。
「錬金術師の育成には時間が掛かります」
「設備投資も大きく、新規参入も簡単ではありません」
私は思わず声を漏らした。
「だから供給量が増えないのですね」
「はい」
エレノアは力強く頷く。
「需要は年々増えているのに、生産が追いついていません」
「それも価格が下がらない大きな理由です」
商売を知るエレノアだからこその視点だった。
私やノア様なら、技術ばかり見てしまう。
でも実際には、どれほど優れた技術でも作れなければ普及しない。
研究室にはしばらく静かな時間が流れた。
3人とも、それぞれ違う方向から調べてきた。
けれど結論は同じだった。
今ある技術を少し改良するだけでは、多くの人へ届けられるほど価格は下がらない。
ヴィオレット先生は黒板へ並んだ3つの報告を見比べ、ゆっくりと頷いた。
「皆さん、とても良い研究をしています」
「それぞれ違う視点から課題を整理できていますね」
先生は少し考えるように顎へ手を添える。
「今の皆さんは、既存技術をより良くする方向で考えています」
私はその言葉を聞き、自然と背筋を伸ばいた。
確かに、その通りだった。
私たちは今ある冷蔵魔道具を前提として議論している。
「時には」
ヴィオレット先生は穏やかな笑みを浮かべる。
「全く違う視点から考えてみることも大切です」
「例えば──」
先生は黒板へ短く一つの単語を書いた。
『熱』
「熱とは何か。そんなところから考えてみるのも、一つの方法かもしれません」
その言葉を見つめた瞬間。
私の頭の奥で、何かが小さく引っ掛かった。
(熱とは……)
遠い記憶の中で、誰かが話していた。
学校だっただろうか。
教科書だっただろうか。
ぼんやりとした知識の断片が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
私は無意識に、小さく呟いていた。
「熱とは……粒子の運動、でしたでしょうか」
私の声は、本当に独り言のような小ささだった。
けれど、静まり返った研究室では十分すぎるほどよく響いた。
「……粒子、ですか?」
ヴィオレット先生が静かに問い返す。
私は我に返り、小さく頭を下げた。
「あ、申し訳ありません」
「どこかで聞いた話を、少し思い出したような気がして……」
記憶は曖昧だ。
はっきり覚えているわけではない。
けれど、頭の奥で何かが繋がりかけている感覚だけはあった。
「続きを聞かせてもらえますか」
先生に促され、私は考えを整理する。
「昔、標準照明式を改良したことがあります」
「その時も、光とは何なのかを考え続けました」
ヴィオレット先生は懐かしそうに微笑む。
「あの時のお話ですね」
私も自然と笑みが浮かぶ。
あの頃はまだ幼く、ただ夢中で魔法式を書き換えていた。
「その時、私は『光も小さな粒の集まりなのではないか』と考えました」
「もちろん証明したわけではありません」
「ただ、そのように考えると、標準照明式の構造が理解しやすかったんです」
私は黒板へ近付き、小さな点をいくつも描いた。
「もし熱も同じように、小さな粒の運動で説明できるのだとしたら……」
点の間へ矢印を書き加える。
「冷媒を冷やしているのではなく」
「粒の運動そのものを遅くしている、と考えられないでしょうか」
研究室が静まり返る。
自分で話しながら、少しずつ思考が形になっていく。
(そうだ)
(だから冷える)
(熱を消しているんじゃない)
(動きが遅くなるから、熱として感じなくなる)
「ロザモリアさん」
ヴィオレット先生が静かに尋ねる。
「その考えだと、何が変わるのでしょう」
私は少しだけ考え、すぐ答えた。
「標準圧縮式に頼る必要がなくなるかもしれません」
「えっ」
エレノアが驚いた声を上げる。
私は黒板へもう一つ図を書く。
「今は圧縮して、冷媒の状態を変化させています」
「でも目的が粒子の運動を遅くすることなら……」
自然と手が止まらなくなる。
「標準加速式で、粒そのものへ働き掛けられる可能性があります」
ノア様が初めて表情を変えた。
「加速式で、ですか」
「はい」
「正確には減速ですが」
私は苦笑しながら訂正する。
「粒の運動速度を直接変えられるなら、圧縮という工程自体を簡略化できるかもしれません」
「冷媒の効率も上がる可能性があります」
もちろん仮説だ。
成功する保証などない。
それでも。
今まで考えていた改良とは全く違う方向が見えた気がした。
ヴィオレット先生は黒板いっぱいの図を見つめ、感心したように息をつく。
「……なるほど」
先生は私へ視線を向ける。
「どうして、そういう発想に至ったのですか?」
私は少し困ってしまった。
「その……」
「本当に、昔と同じなんです」
「標準照明式を改良した時も、『光とは何か』から考えました」
「今回も、『熱とは何か』と聞かれて」
「同じように考えてみただけなんです」
前世の知識が完全に残っているわけではない。
だから理論を説明しろと言われても困る。
ヴィオレット先生はゆっくり頷いた。
「素晴らしい発想です」
「正しいかどうかは、これから検証すれば良い」
「ですが、そのような視点の転換こそ研究者には必要なのです」
その言葉を聞いて、胸が少し熱くなる。
嬉しかった。
認められたことも。
何より、新しい可能性が見えたことが。
◇
ノアは静かにロザモリアを見つめていた。
『粒子の運動』
その一言だけが頭の中で何度も繰り返される。
偶然では説明しにくい。
この世界の自然科学では、熱は火属性魔力の性質として扱われている。
粒子の運動という発想は存在しない。
それなのに彼女は、ごく自然にその言葉を口にした。
しかも。
「どこかで聞いた話を少し思い出した」
そう言った。
ノア自身も転生者だ。だから分かる。
あの説明は、現代物理を知らなければ出てこない。
もちろん、記憶違いという可能性もある。
偶然、似た発想へ辿り着いただけかもしれない。もしくはこの世界に既にそういう学説があるかもしれない。
(だが、本当に偶然なのか)
ノアは視線を逸らさなかった。
ロザモリアは黒板を見つめ、新しい魔法式を書き始めている。
本人は、自分が何を口にしたのか深く意識していないようだった。
(今後、少し注意して見てみましょう)
ノアはそれだけ呟いて、魔法式を書くロザモリアを見つめた。