TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夏期休暇が終わり、王立アステリア学院へ戻ってきた。
弟のウィルと過ごした穏やかな時間はあっという間だったけれど、不思議と寂しさばかりではない。
(今度は研究の続きですね)
研究室で待っている課題を思い浮かべると、自然と足取りが軽くなる。
学院へ戻った翌日、私はノア様、エレノアとともにヴィオレット先生の研究室へ向かった。
研究室では別の机で先輩たちが魔道具の調整を行い、窓際では別の二年生が魔法式を書き写している。
そんな中、私たちはヴィオレット先生の机を囲み、冷蔵魔道具について議論を始めた。
「おはようございます」
「おはようございます、ロザモリアさん」
ノア様がいつもどおり落ち着いた声で挨拶する。
「お、おはようございます」
エレノアも少し緊張した様子で頭を下げた。
ほどなくしてヴィオレット先生が入室し、研究会が始まる。
「皆さん、前期は試作機の開発まで、本当によく頑張りました」
先生は机の上に置かれた試作機へ目を向け、穏やかに微笑んだ。
「学院内で予定どおりの性能を示したことは、大きな成果です」
その言葉に胸が少しだけ温かくなる。
ここまで来るのは決して簡単ではなかった。
既存機種を分解し、補助構文を一つずつ整理し、熱の正体について仮説を立てる。
試行錯誤を繰り返した末に、ようやく形になった試作機だった。
けれど、先生は続ける。
「ですが、研究はまだ終わっていません」
研究室の空気が少しだけ引き締まった。
「この研究室の理念は、現実の課題を魔法で解決することです」
「研究室で成功しただけでは足りません」
「実際に人が使う環境でも同じ性能を発揮できて、初めて実用化と言えます」
その言葉に私は静かに頷いた。
確かにそのとおりだ。
学院は実験条件を揃えやすい。
温度も湿度も、魔力濃度も管理されている。
でも、人々が暮らす場所は違う。
「そこで後期は、実証実験を進めてもらいます」
ヴィオレット先生はエレノアを見る。
「グランベル商会にも協力をお願いできるそうですね」
「は、はい。父にも話を通してあります。試験場所も準備できます」
「ありがとうございます」
先生は満足そうに頷いた。
「それでは実証実験へ向けて、細かな調整を進めましょう」
◇
それから数日間。
私たちは試作機の細部を見直していった。
「補助構文をもう一段減らせそうですね」
私は魔法式を指差す。
「この条件分岐ですが、実際には同じ処理になっています」
ノア様も紙を覗き込み、すぐに頷いた。
「確かに。ここは統合できます」
さらさらとペンが走る。
「これで魔力損失も少し減ります」
「ありがとうございます」
以前なら、その速さに圧倒されるだけだった。
けれど今は違う。
どこをどう整理したのか理解できる。
理解できるからこそ、次の案も思いつく。
「ではこちらも変更してみます」
「お願いします」
自然と議論が続いていく。
その様子を見ながら、エレノアが資料をまとめていた。
「こちらは部品価格を調べ直しました」
「補助構文が減れば加工時間も短くなるので、少しですが製造費も下げられます」
「それは良いですね」
研究室の目標は性能だけではない。
誰でも買える価格へ近づけること。
それが今回の研究なのだ。
「あと」
エレノアが少し嬉しそうに続ける。
「商会でも、この研究を楽しみにしている人が多いんです」
「薬草を扱う部署や食品部門からも期待されています」
「もし成功したら、売れるだけじゃなくて、助かる人も増えると思います」
その言葉に私は思わず笑みを浮かべた。
「そう聞くと、ますます頑張りたくなりますね」
ヴィオレット先生が以前話していた。
誰の、どんな課題を解決したいのか。
その問いを意識するだけで、研究への向き合い方は少し変わる。
以前の私は、理論を完成させることばかり考えていた。
けれど今は、その先に使う人の姿が見える。
それだけで、魔法式の一つひとつにも違った意味が宿る気がした。
◇
そして数日後。
調整を終えた試作機が机の上へ並ぶ。
「では、行きましょうか」
エレノアの言葉に、私たちは頷いた。
いよいよ学院を出て、本当の実証実験が始まる。
研究室で何度も成功を確認した試作機。
その成果が現実でも通用するのか。
胸の奥では期待と少しの緊張が入り混じっていた。
グランベル商会の工房は、学院の実験室とはまるで違う空気だった。
大勢の職人が行き交い、金属を加工する音や魔道具を調整する音が絶えず聞こえてくる。
「こちらです」
エレノアの案内で、私たちは試験用の作業室へ入った。
「この部屋なら既存製品との比較もしやすいです」
部屋の中央には、商会で販売している現行型の冷蔵魔道具と、私たちが製作した試作機が並べられていた。
「条件は学院と同じに揃えました」
ノア様が測定器を確認する。
「測定器も学院で使用したものを持ち込みました」
「魔道エーテルも同じロットです」
「では、始めましょう」
私は静かに頷いた。
◇
試作機へ魔力が流し込まれ、魔法式は正常に展開する。
私は魔力の流れを追いながら耳を澄ませたが、異音は聞こえず、魔力消費も学院で確認したとおり安定していた。
(順調ですね)
学院で何度も見た光景に、私は安心しかけていた。
「……あれ?」
最初に声を上げたのはエレノアだった。
温度計を見つめたまま首を傾げている。
「どうしましたか」
「冷え方が……少し遅いです」
私はすぐ測定器を確認する。
確かに、冷却速度が学院で測定した値より明らかに低い。
「測定器の故障でしょうか」
現行機でも測定してみる。
こちらは商会の資料どおりの数値だった。
つまり測定器は正常。
問題があるのは試作機だけ。
「もう一度お願いします」
私は魔法式を最初から確認し、起動から測定、停止まで一つずつ条件を洗い直した。
見落としがないか何度確認しても、得られる数値は学院で記録したものより低いままだった。
「……そんな」
胸が少しだけ締め付けられる。
学院では確かに成功していた。
何度測っても改善は確認できた。
それなのに、どうして今日は結果が違うのだろう。
「魔法式に異常はありません」
私は試作機を開けながら呟く。
「補助構文も正常です」
「魔道エーテルも問題ありません」
原因が見つからない。
それが一番苦しかった。
「ロザモリアさん」
ノア様が静かな声で呼ぶ。
私は顔を上げた。
「装置だけを疑うのは早いと思います」
「……え?」
「学院で成功し、ここで失敗した」
「その事実だけを見るなら、違うのは装置ではなく環境です」
私は思わず息を呑んだ。
(環境……)
私は頭の中で学院での実験と今の状況を並べていく。
魔道具も、冷媒も、測定器も同じ条件で揃えている。
それでも結果が違うのなら、残された違いは設置場所か、それとも私たちがまだ気付いていない何かだ。
「設置場所でしょうか」
「その可能性があります」
ノア様は淡々と続ける。
「室温」
「周囲の魔力濃度」
「建物自体の魔力環境」
「あるいは、まだ私たちが考慮していない要因」
私は少しずつ冷静さを取り戻していく。
失敗した、それは事実。
思えば前世のシステム開発でも同じだった。本番で上手くいかないことなんてよくあることだ。
(再現条件が違う……ならば違いを書き出してみましょう)
「原因は必ずありますね」
「ええ」
ノア様は短く頷いた。
「結果には必ず原因があります」
その言葉は不思議と心へ染み込んだ。
研究室で先生が何度も話していたことと同じだ。
感情で結論を出してはいけない。まず事実を集める。
「ごめんなさい」
私は小さく笑った。
「少し慌ててしまいました」
「当然です」
ノア様は穏やかな口調で答える。
「私も逆の立場なら同じでしょう」
その一言だけで肩の力が抜けた。
エレノアも申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「せっかく持ち込んだのに……」
「いいえ」
私は首を横へ振る。
「今日来て良かったです」
二人が私を見る。
「学院だけで満足していたら、この問題には気付けませんでした」
「むしろ、今ここで問題点が発覚して良かったと思います」
口にしてから、自分でもすんなりと納得できた。
この結果も研究の一部なのだと思える。
「では」
私は試作機を丁寧に箱へ戻した。
「学院へ持ち帰りましょう」
「原因を一つずつ調べます」
「はい」
エレノアが力強く頷く。
「私も商会で使っている設備を調べ直します」
「私も測定条件を整理します」
ノア様もすぐ答えた。
私たちは試作機を再び箱へ収める。
来た時とは違う。
成功への期待ではなく、新たな課題を抱えて学院へ戻ることになった。
それでも足取りは重くなかった。
失敗したから終わりではない。
この結果にも、必ず理由がある。まだ私たちが見落としている条件を見つければいい。
私は箱へそっと手を添えながら、小さく微笑んだ。
(次こそ、原因を見つけましょう)
その思いを胸に、私たちは再び学院への帰路についた。