TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
数日後、ヴィオレット研究室には、朝から見慣れない木箱が幾つも運び込まれていた。
「こちらが商会で候補として選んできた魔力絶縁体です」
エレノアが木箱の蓋を開けると、中には色も質感も異なる板材や繊維状の素材、小さな鉱石片が整然と並べられていた。
「こんなに種類があるのですね」
私は思わず声を漏らす。
「はい。用途によって使い分けられています」
エレノアは一つひとつを丁寧に机へ並べ始めた。
「こちらは加工しやすい代わりに絶縁性能は控えめです。こちらは性能は高いですが、とても高価で……こちらは価格は安いのですが、脆くて割れやすいんです」
さすがは商会の娘だ。
私ならまず性能だけを見てしまうところだが、エレノアは最初から価格や流通量まで含めて説明している。
研究室で優秀なものを作るだけなら簡単だ。
けれど私たちの目標は、庶民にも届く冷蔵魔道具を作ること。
そう考えれば、彼女の視点は欠かせない。
「資料もまとめてきました」
分厚い冊子が机へ置かれる。
そこには価格、加工難易度、耐久性、供給量まで細かく整理されていた。
「ありがとうございます、エレノア」
「い、いえ……商会で調べられることだけですから」
照れたように笑う姿を見ながら、私は自然と頬が緩んだ。
共同研究を始めた頃なら、ここまで堂々と自分の得意分野を話すことはなかっただろう。
少しずつ、自信がついてきたのかもしれない。
「では、比較していきましょう」
ヴィオレット先生の一言で研究会が始まる。
私は冊子を開きながら、一つずつ目を通していく。
「この樹脂素材は価格が安いですね」
「ええ。ただし魔力絶縁性能は中程度です」
「こちらの鉱石は性能が非常に高いですが……」
私は価格欄を見て目を丸くした。
「これは冷蔵魔道具本体より高くなってしまいませんか」
「はい」
エレノアも苦笑する。
「王城や軍用魔道具なら採用されますが、一般家庭向けには難しいですね」
なるほど。
性能だけ見れば魅力的でも、私たちの目的には合わない。
「供給量も重要ですね」
ノア様が資料を眺めながら言った。
「年間生産量が少ない素材では、仮に成功しても量産できません」
「その通りです」
エレノアも頷く。
「商会としても、一番困るのはそこなんです」
私はノートへ候補を書き出していく。
性能に価格、加工性から供給量まで。
考えるべきことが一気に増えた。
それでも不思議と嫌ではなかった。
むしろ研究が少しずつ現実へ近付いているようで、胸が弾む。
私は一枚の資料を手に取る。
「そちらは、魔力暗室に使われている素材です」
エレノアが教えてくれた。
魔力暗室……学院にもある、環境魔力を極限まで遮断し、精密な実験を行うための施設。
「性能は申し分ありませんね」
「ええ。ただ」
エレノアは静かに続ける。
「価格が桁違いです」
私は思わず苦笑した。
「確かに、これでは庶民向けどころか貴族でも簡単には手が出ませんね」
私は腕を組んで考え込む。
(魔力暗室と同じことをする必要はない……でも)
その考えが頭の中で少しずつ形になっていく。
私たちが守りたいのは試作機全体ではない。
外部からの魔力の影響を受けやすい箇所だけなのだ。
「先生、一つ思ったのですが」
ノア様がヴィオレット先生を見る。
「どうしましたか」
「私たちは今まで、『魔道具全体を守る』前提で考えていました」
先生は続きを促すように微笑む。
「ですが、本当に必要でしょうか」
「外乱の影響を受けやすいのは、『粒』の制御のために追加した減速魔法式を中心とした魔力流路です。ならば」
ノア様が図面の一部へ指を置く。
「ここだけ絶縁できれば十分ではありませんか」
私は図面を覗き込み、しばらく考えてから頷いた。
「……合理的ですね。全部を覆う必要はありません」
「必要な部分だけ保護すれば、使用する素材も少なく済みますし、価格も抑えられます!」
エレノアの表情も明るくなる。
「はい。それなら現実的です」
私はもう一度図面を見る。
私たちが作ろうとしているのは、人々が毎日使う道具。
必要なのは理想ではなく、十分な性能と手の届く価格。
ヴィオレット先生が静かに頷いた。
「良い着眼点です」
「研究とは、最良の答えを探すだけではありません」
「目的に対して、どこまでが必要なのかを見極めることもまた、大切な能力です」
その言葉に、私は自然と背筋を伸ばしていた。
効率だけを追い求めた前回とは違う。
今回は、使う人の暮らしまで考えながら設計する。
ようやく、この研究の本当のスタートラインへ立てた気がした。
「では、設計を見直しましょう」
ヴィオレット先生の一言で、研究室の空気が再び引き締まる。
私は試作機の図面を広げ、魔力の流れを一本ずつ指で追っていく。
「外部の環境魔力が影響するなら……」
「影響を受けるのは、この部分ですね」
標準圧縮式から冷媒制御部へ続く魔力流路。
前回の実証実験では、この区間の制御がわずかに乱れたことで冷却効率が落ちたと考えられる。
ノア様も隣で図面を見つめる。
「流路全体を絶縁すると素材が増えすぎます」
「ですが、この区間だけなら」
彼は図面へ短く線を書き加えた。
「必要な絶縁材は三分の一以下になります」
私は思わず頷く。
「そうですね」
「それなら加工も難しくありません」
エレノアもすぐに資料をめくった。
「この量なら、高価な素材を使わなくても済みます」
「候補はこちらですね」
先ほど比較した中でも、中価格帯の魔力絶縁樹脂だった。
性能は最高ではない。
けれど加工しやすく、供給量も十分ある。
「これなら量産もできます」
エレノアが少し嬉しそうに言う。
「商会としても扱いやすい素材です」
私はノートへ新しい構成を書き始めた。
魔法式そのものは変更しない。
絶縁材を組み込む位置だけを書き換えていく。
(以前ならまず魔法式を改良しようと考えていました)
でも今は違う。
魔法だけが答えではない。
素材、加工、そして価格。
それら全部が合わさって初めて、一つの魔道具になる。
研究室へ入ってから、私自身の考え方も少しずつ変わってきたのだと思う。
「ロザモリアさん」
ノア様が私の図面を見て口を開く。
「ここは一段外側へ配置した方が良いでしょう」
「え?」
「魔力流路へ近すぎます」
「加工誤差が出ると、逆に魔力が滞る可能性があります」
私は図面を見返し、小さく息を呑んだ。
「本当ですね……気付きませんでした」
「性能だけを見れば正解です。ですが、製造を考えるなら余裕が必要です」
その一言が印象に残った。
製造を考える。
それもまた、研究なのだ。
「ありがとうございます」
私は線を一本引き直した。
その変更だけで、加工できる余裕が大きく増える。
魔法式は、以前とほとんど変わっていない。
それでも実際に作る人にとっては、ずっと扱いやすい設計になっていた。
◇
それから数日間。
研究室では、小さな修正を何度も積み重ねた。
絶縁材の厚さを変える。
配置を数ミリ動かす。
固定方法を見直す。
一つ変えては測定し、また修正する。
地味な作業だった。
けれど、その積み重ねが確実に試作機を完成へ近付けていく。
「完成しました」
私が静かに告げると、研究室の全員が試作機へ視線を向けた。
外見はほとんど変わらない。
けれど内部には、新しい設計思想が詰め込まれている。
補助構文は増やしていない。
魔法式の効率も維持したまま。
必要な場所だけを魔力絶縁材で保護する。
理論と実用性、その両方を考えて生まれた改良型だった。
ヴィオレット先生は試作機をゆっくり眺め、満足そうに微笑む。
「良い仕事でした」
「皆さんは、前回の失敗を失敗で終わらせませんでしたね」
その言葉に、私は胸の奥が少し熱くなる。
商会で性能が出なかった時は、本当に焦った。
積み重ねてきた努力が無駄になったのではないかとさえ思った。
でも違った。
あの失敗があったからこそ、この改良へ辿り着けた。
「研究とは」
ヴィオレット先生は穏やかな声で続ける。
「成功を積み重ねることではありません」
「失敗から何を学び、次へどう繋げるかです」
私は試作機へそっと手を置いた。
以前より少しだけ、研究者に近付けた気がする。
理論だけではなく。
現実だけでもなく。
その両方を繋ぐこと。
それが、この研究室で学んでいることだ。
「では」
ヴィオレット先生が私たち三人を見渡す。
「次はいよいよ、再び実証実験です」
エレノアは力強く頷いた。
「今度こそ、商会で結果を出しましょう」
「はい」
私も笑顔で答える。
ノア様も静かに頷いた。
改良型試作機は、静かに実験台の上へ置かれている。
次に向かうのは、研究室ではない。
再び、現実の世界。
人々が実際に使う場所で、この研究の価値が試される。