TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
魔法を勉強しよう。
そう決意した翌朝、俺は朝食の席でお父様とお母様へ向き直った。
「お父様、お母様。お願いがあります」
まだ幼い声。それでも、できる限り真剣な表情を作る。
食後のお茶を飲んでいたお父様は目を丸くした。
「どうしたんだ、ロザミー」
「わたくし、魔法を勉強したいです」
一瞬だけ、食堂が静かになる。
最初に口を開いたのはお母様だった。
「魔法を?」
「はい」
俺は小さく頷く。
「もっとたくさん勉強して、家のお役に立てるようになりたいんです」
もちろん本当の理由は違う。
結婚以外の道を作るためだ。
だが、それを五歳の令嬢が口にするわけにはいかなかった。
お父様は少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑った。
「ははは!」
豪快な笑い声に、俺は思わず肩を震わせる。
「立派なことを言うようになったな!」
「あなた」
お母様が苦笑しながら夫をたしなめる。
「ロザミーは真剣なのですよ」
「もちろん分かっているとも」
お父様は椅子から立ち上がると、俺の頭へ大きな手を優しく置いた。
「嬉しかったんだ」
「お父様……」
「我が娘が家のことを考えてくれている。それだけで父は十分幸せだ」
その笑顔は、本当に嬉しそうだった。
胸の奥が少し痛む。
(ごめんなさい、お父様)
家のためという言葉に嘘はない。
けれど、本当は自分自身の未来を守るためでもある。
少しだけ後ろめたさを覚えながら、俺は視線を下げた。
すると、お母様が穏やかに続ける。
「あなたはどうお考えですか?」
「勉強したいと言うなら応援したい」
即答だった。
「ただ……」
お父様は腕を組む。
「魔法を教えるには、私たちでは限界があるな」
「ええ」
お母様も同意する。
「わたくしも基礎程度なら教えられますが、本格的に学ぶのであれば専門の方にお願いした方が良いでしょう」
俺は思わず顔を上げた。
「先生を呼んでいただけるのですか?」
「もちろんだ」
お父様は当然だと言わんばかりに頷く。
「ロザミーが本気なら、父も本気で応える」
その一言に、俺は思わず言葉を失った。
前世なら家庭教師を雇うなど、一大事だ。
だが伯爵家では、それが自然なのだろう。
「ありがとうございます」
「楽しみにしているといい」
お父様は満面の笑みを浮かべた。
「腕の立つ先生を探そう」
◇
それから十日ほどが過ぎた。
その日の午後。
俺は応接室へ呼ばれていた。
お父様とお母様が並んで座っている。
そして、その向かいには一人の女性がいた。
燃えるような赤い髪。落ち着いた赤い瞳。
二十代後半ほどだろうか。派手な美しさではない。
けれど、背筋を伸ばして座る姿には自然と目を引く凛とした雰囲気があった。
「ロザミー」
お父様が穏やかに紹介する。
「こちらが今日から君へ魔法を教えてくださる先生だ」
女性は静かに立ち上がった。
「初めまして、ロザモリア様」
柔らかな微笑み。
「ヴィオレット・アスターと申します」
「……初めまして」
少し慌てながらも、俺はスカートの裾をつまみ、優雅に膝を折った。
「ロザモリア・アルヴェインです」
ヴィオレット先生はその所作を見て、小さく微笑んだ。
「とても綺麗なお辞儀ですね」
「ありがとうございます」
「少し緊張していますか?」
図星だった。俺は小さく頷く。
「少しだけ……」
「安心してください」
ヴィオレット先生の声は、不思議と落ち着いていた。
「私は怖い先生ではありません」
その言葉で、部屋の空気が少し和らぐ。
お父様も笑う。
「ヴィオレット殿は、セレスティアの学院時代の後輩でもある」
「え?」
思わずお母様を見る。
お母様は懐かしそうに微笑んだ。
「わたくしが卒業する頃に入学してきたのです」
「その頃から、とても優秀な方でした」
ヴィオレット先生は照れたように苦笑する。
「先輩、それは少々褒めすぎです」
「いいえ。本当のことです」
二人のやり取りを見ながら、俺は少し驚いていた。
お母様がこんなふうに気軽に話す姿を見たのは初めてかもしれない。
それだけ信頼している相手なのだろう。
(この人は……)
改めてヴィオレット先生を見る。
お母様と同じ学院を卒業し、今は魔法を教える仕事をしている。
自分の知識と技術で生きている女性だ。
(こういう生き方もあるんだ)
この世界の女性でも結婚以外の道を歩くことができる。
彼女の生き方は、きっと俺の今後の人生におけるロールモデルになり得るだろう。
(……そう。ただそれだけ)
だが同時に、堂々とした立ち居振る舞いや、穏やかな笑顔。
自分の仕事に誇りを持っていることが伝わってくるその姿は、俺の目にとても格好良く映っている。
「それでは、さっそく始めましょうか」
ヴィオレット先生は俺を屋敷の庭へ案内した。
庭の一角には石造りの東屋があり、その周囲には人が十分に動けるだけの広さがある。
「魔法は危険なものでもあります。最初は屋外で学ぶことが多いのです」
「はい」
俺は素直に返事をする。
お父様やお母様も、少し離れた場所から様子を見守っていた。
「では、ロザモリア様」
ヴィオレット先生は胸元から小さな透明な宝石を取り出した。
「これは魔力媒体です」
日の光を受けて、宝石がきらりと輝く。
「この世界の魔法は、魔力媒体へ刻まれた魔法式へ魔力を流すことで発動します」
「魔法式……」
「ええ」
ヴィオレット先生は頷くと、宝石を俺へ見せた。
「今は見えませんが、この中には標準照明式という魔法式が刻まれています」
「標準照明式?」
「最も基本的な魔法の一つです。では、まず魔法を使うところをお見せしますね」
ヴィオレット先生はそう言うと、腰のポーチから細い杖を取り出した。
掌に収まるほどの長さしかない、白銀色の杖だ。先端には透明な宝石がはめ込まれている。
「それは杖ですか?」
「正式には魔法式展開器と呼びます。研究者の間ではそう呼びますが、普段は『タクト』と呼ばれることが多いですね」
先生は宝石へ人差し指を軽く添えた。
「この先端には、魔法式を刻んだ魔力媒体が組み込まれています」
俺は思わず身を乗り出す。
「先ほど見せていただいた宝石ですね」
「ええ。同じ魔力媒体ですが、こちらは魔法を使いやすいよう加工されています」
先生は私の様子を見て、小さく微笑んだ。
「よく見ていてください。魔法はただ魔力を流すだけでは使えません」
その言葉と同時に、先生は静かに目を閉じる。
指先は宝石へ触れたまま。周囲には何の変化もない。
「まず、使いたい魔法式を選びます」
先生はそう言った。
「選ぶ……ですか?」
「はい。思考で切り替えます」
思考で。
俺はその言葉を頭の中で繰り返した。
先生の表情は変わらないが、何かを操作しているようにも見える。
「タクトの中には複数の魔法式を保持できます。その中から、今使いたい魔法式を思い浮かべるのです」
「声に出さなくてもいいのですか?」
「必要ありません」
先生は穏やかに頷いた。
「魔法式の切り替えは、魔力媒体へ触れた状態で思考することで行います」
そう説明すると、今度は静かに息を整えた。
「切り替えが終わったら、魔力を流します」
その一言の直後。
宝石の奥が、淡く白く輝き始める。
ぼんやりと灯った光は徐々に明るさを増し、やがて先生の手元を優しく照らした。
昼間だというのに、不思議とその光から目が離せない。
柔らかく、どこか温かみのある白い光。
炎とも違う。窓から差し込む陽射しとも違う。
「これが標準照明式です」
先生はタクトをゆっくり持ち上げた。
光は揺らぐことなく、静かに輝き続けている。
「きれい……」
思わず声が漏れる。
先生は微笑みながら、光るタクトを私へ差し出した。
「近くで見てみますか?」
「はい!」
恐る恐る近づく。
宝石の中には何も見えない。
けれど、魔力が流れ続けていることだけは何となく感じ取れた。
「ロザモリア様」
先生は私の反応を確かめるように問い掛ける。
「今の流れを覚えていますか?」
俺はすぐに頷いた。
「まずタクトを持って、魔力媒体へ触れて……」
そこで少し考える。
「思考で魔法式を選んで、それから魔力を流したら、魔法が発動しました」
「その通りです」
先生は嬉しそうに微笑んだ。
「魔法は、この手順を正しく行うことで初めて発動します。どれか一つ欠けても、基本的には魔法は使えません」
私はもう一度、光る宝石へ目を向けた。
(思考で切り替える……)
まるで、画面の中から機能を選ぶような感覚だ。
前世の知識が頭をよぎる。
この世界の魔法は決して感覚だけのものではない。
決められた手順があり、順序があり、理屈がある。
「魔法式は、一種の設計図だと考えてください」
ヴィオレット先生は地面へ小枝で簡単な図を描く。
「魔力をどう動かすか。その手順を書き記したものです」
一本の線。
そこから枝分かれするいくつかの線。
「例えば照明なら、光を生み出すための魔力の流れが決められています」
「流れ……」
「はい。勝手な順番で魔力を流しても、魔法は発動しません」
その説明を聞いた瞬間だった。
(……ん?)
思考が止まる。
決められた手順に流れ、順番。
(これって……)
なんとなく、頭の中に覚えのある画面が浮かぶ。
黒い背景のエディタ。色分けされた文字列……関数……条件分岐……変数。
(え?プログラム……?)
思わず宝石を見つめる。
もちろん文字など見えない。
それでも、ヴィオレット先生の説明を聞けば聞くほど、その印象は強くなっていく。
「ロザモリア様?」
「あ、すみません」
我に返る。
「難しかったでしょうか?」
「いえ……」
俺は首を横へ振った。
「何だか、とても面白そうだなって思って」
ヴィオレット先生は少し目を丸くした。
「面白い、ですか」
「はい」
普通の五歳児なら、光る魔法そのものへ興味を持つのかもしれない。
けれど俺が気になったのは、その仕組みだった。
どういう順番、どういう理屈で魔力が流れれば光になるのか、それが知りたい。
そんな衝動が胸の奥から湧き上がってくる。
ヴィオレット先生は穏やかに微笑んだ。
「では、きっと勉強が楽しくなりますよ」
「本当ですか?」
「ええ」
彼女は宝石を手に取りながら続ける。
「魔法は暗記だけではありません」
「?」
「『なぜ、この魔法は発動するのか』『どうしてこの形なのか』そう考え続ける学問です」
その一言に、胸が高鳴る。
前世でも俺はそうだった。
動くだけでは満足できない。なぜ動くのか、もっと良い方法はないのか。
それを考えること自体が好きだった。
(この人……)
ヴィオレット先生を見る。
落ち着いた表情で、当たり前のように魔法を語るその姿は、ますます眩しく見えた。
この世界で、自分の知識を磨き、それを仕事にしている人。
結婚や家だけではなく、自分自身の力で立っている女性。
(……素敵な人)
心の中でそう思った瞬間、少しだけ照れくさくなる。
(いや、違う)
これは女の子が年上の女性に向ける憧れとは違う。
前世で会社の先輩を尊敬していたような。
目標とする技術者を見つけたような、そういう感覚だ。
……きっと。
「では今日は最後に、一つだけ宿題です」
ヴィオレット先生が笑う。
「次回までに、魔法式とは何か、自分なりの言葉で説明できるよう考えてみてください」
「自分なりに……ですか?」
「正解は一つではありません」
その言葉に、目が輝いた。
答えを覚えるだけではなく自分で考える。そんな授業は前世でも好きだった。
「はい!」
自然と返事が大きくなる。
ヴィオレット先生は満足そうに頷いた。
「良いお返事です」
授業が終わり、ヴィオレット先生が帰ったあとも、俺は庭へ残っていた。
夕日に照らされた魔力媒体を手の中で転がしながら、先ほどの話を思い返す。
魔法式……魔力の流れ……決められた構文。
(やっぱり似てる)
まだ確信はない。
けれど、胸の奥では一つの予感が膨らみ続けていた。
もし魔法式が、本当にプログラムと同じような仕組みなら。
前世で二十年以上積み重ねた知識が、役に立つかもしれない。
俺は小さく微笑む。
「……もっと知りたい」
その呟きは、結婚を避けるための決意だけではなかった。
魔法そのものを知りたい。
魔法式の奥に隠された理屈を理解したい。
同時に、俺の胸に芽生えたその知的好奇心は、前世の記憶のせいだけでも無い気がした。