TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
数日後、改良型試作機を抱えた私たちは、再びグランベル商会の工房を訪れていた。
全て前回と同じ条件。違うのは、試作機だけ。
「準備できました」
エレノアが確認を終え、私たちへ視線を向ける。
私は胸の前で小さく息を整えた。
前回の失敗以来、この瞬間を何度も思い返してきた。
研究室で原因を探し続けた日々。
魔力絶縁体の選定。
魔法式の見直し。
一つひとつ積み重ねてきたものが、今日試される。
「始めましょう」
私の言葉に、ノア様が試作機へ魔力を流し始めた。
魔法式が静かに展開する。
異音はない。
魔力の流れも安定している。
冷媒が循環を始め、測定器の針がゆっくりと動き出した。
私は無意識のうちに、その針を目で追っていた。
結果は事実でしかない。
そう自分へ言い聞かせながらも、この数か月の努力が報われてほしいという気持ちは抑えきれなかった。
「……出ました」
最初に声を上げたのはエレノアだった。
「学院と……同じです」
私はすぐに測定結果を確認する。
冷却速度。
魔力消費。
安定性。
どの項目も学院で記録した値と誤差の範囲内だった。
「もう一度お願いします」
確認のため、もう一度測定する。
結果は変わらない。
3回目。
4回目。
それでも数値は安定していた。
私は測定表を見つめながら、自然と笑みがこぼれる。
「成功……ですね」
その一言で、張り詰めていた緊張がようやくほどけた。
「はい!」
エレノアは嬉しそうに両手を胸の前で握る。
「本当に成功しました!」
あれほど緊張していた彼女の笑顔を見ると、私まで嬉しくなってしまう。
「環境魔力濃度22リヒトでも性能低下なし」
ノア様は淡々と結果を書き込んでいる。
「絶縁材による外乱対策は有効と判断できます」
いつも通り落ち着いた口調だった。
けれど、その表情はどこか柔らかい。
きっとノア様も、この成果を喜んでくださっているのだろう。
「ありがとうございます」
私は自然と二人へ頭を下げた。
「一人では絶対にここまで来られませんでした」
「私もです」
エレノアも続ける。
「お二人がいてくださらなかったら、この研究は始まってすらいません」
「私は理論を組み立てただけです」
ノア様は静かに首を横へ振る。
「実用化まで進められたのは、皆さんのおかげでしょう」
三人とも、自分だけの成果だとは言わない。
だからこそ、この共同研究はここまで進められたのだと思う。
その時だった。
「実験は終わったようだね」
落ち着いた男性の声が聞こえた。
振り返ると、五十代ほどの紳士が数名の社員を伴って実験室へ入ってくる。
「お父様」
エレノアが姿勢を正した。
私はその人物へ一礼する。
グランベル商会当主。
エレノアのお父様だ。
「娘から話は聞いているよ」
穏やかな笑みを浮かべながら、試作機へ近付く。
「これが例の改良型か」
「はい」
エレノアが実験結果を手渡す。
当主は資料へ目を通しながら、時折試作機へ視線を移した。
質問は少ない。
それでも、商人として見るべき点を正確に見極めていることが伝わってくる。
やがて資料を閉じると、静かに口を開いた。
「なるほど」
「性能は維持したまま、環境による性能低下を解決した」
「さらに絶縁材の追加も最小限に抑えたのだね」
私は思わず背筋を伸ばした。
研究者とは違う。
商人として、この成果を評価している。
「製造原価への影響は?」
「絶縁材を追加した分の素材点数は増えています」
エレノアは落ち着いて答えた。
「ですが、魔法式の簡略化によって加工工程を減らせました。また何より冷媒の使用量が減少したことで、全体の製造原価は十パーセントほど下がる見込みです」
「量産時に製造工程が安定すれば、さらに抑えられると思われます」
当主は静かに頷いた。
「それなら十分だ」
そう言って試作機へそっと手を添える。
「性能は落とさず、価格を抑えられる」
「それだけでも市場に与える影響は大きい」
少し間を置き、穏やかな笑みを浮かべた。
「そして、今後さらに製造工程を磨けば、より多くの人へ届けられる可能性がある」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少し熱くなった。
今回の研究は、性能だけを追い求めたものではない。
冷蔵魔道具をもっと身近なものにするための研究だったから。
「これは売れる」
短い言葉。
けれど、その一言には商人としての確信が込められていた。
理論が正しかった。実験も成功した。
そして今、商人であるエレノアのお父上が「商品になる」と認めてくれた。
研究室で生まれた成果が、初めて社会へ届く可能性を得たと思った。
◇
商会での実証実験を終えた翌日。
私たちはヴィオレット先生とともに、学院本館の一角にある研究成果管理室を訪れていた。
「共同研究の成果登録ですね」
受付の職員が慣れた様子で書類を受け取る。
「はい」
ヴィオレット先生が頷く。
「ヴィオレット研究室による共同研究です」
職員は試作機の概要書へ目を通しながら、一つずつ確認していく。
「発明者は三名でよろしいですね」
「ロザモリア・アルヴェインさん」
「ノア・ハーバルさん」
「エレノア・グランベルさん」
「はい」
三人で同時に返事をする。
職員は書類へ視線を戻した。
「本研究は学院内で行われた共同研究として登録いたします」
「登録後は学院で成果を保管し、商会などが利用を希望する場合は、当管理室が契約のお手伝いをいたします」
「また、発明者のお名前も記録されますので、今後この研究成果が利用される際には、その実績も正式に残ります」
私は思わず職員の方を見つめた。
研究は論文を書いて終わりだと思っていた。
でも、社会で使われる技術には、それを管理し、研究者と利用する側をつなぐ仕組みも必要なのだ。
「研究室で生まれた成果を安心して世の中へ送り出すための制度です」
職員は穏やかに微笑んだ。
「学生の皆さんには、研究そのものへ集中していただければ結構ですよ」
「ありがとうございます」
私は自然と頭を下げた。
職員は最後の書類へ印を押す。
乾いた音が静かな部屋へ響いた。
「これで登録は完了です」
その一言を聞き、ようやく肩の力が抜ける。
これで、この研究は学院の正式な成果として残るのだ。
◇
管理室を出ると、午後の日差しが中庭へ差し込んでいた。
私は思わず空を見上げる。
研究を始めた頃と同じ青空なのに、少しだけ違って見えた。
「終わりましたね」
エレノアがほっとしたように笑う。
「はい」
私も自然と笑みがこぼれる。
「長かったような、短かったような……不思議な気持ちです」
「私は長かったです」
エレノアは照れ笑いを浮かべた。
「最初は研究のお役に立てるか、不安でいっぱいでした」
「でも、商会で資料を集めたり、材料を探したり……私にもできることがあるって分かって、少し自信が持てました」
私は頷いた。
「エレノアがいなければ、この研究は実用化まで進みませんでした」
「そうですね」
ノア様も静かに言葉を添える。
「価格や流通まで含めて考えられたからこそ、多くの人へ届けられる研究になりました」
エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔を見ると、共同研究を始めた頃よりもずっと自信がついたことが伝わってくる。
私も、この数か月を振り返る。
「私は……」
少しだけ言葉を探した。
「以前は、性能や効率が良ければ、それが一番良い魔道具だと思っていました」
「でも違いました」
「使う人がいて、使う場所があって、初めて魔道具は価値を持つんですね」
ヴィオレット先生の研究室へ入らなければ、きっと気付けなかったことだ。
ノア様が小さく頷く。
「私も勉強になりました」
「理論だけでは解決できないことは、思っていた以上に多いようです」
「ノア様でも、そう思われるのですね」
思わずそう尋ねると、ノア様は少しだけ口元を緩めた。
「万能ではありませんから」
その返事が少し意外で、私は思わず笑ってしまう。
「そうでしたね」
「私の中では、ノア様は何でもご存じという印象でした」
「買いかぶりです」
珍しく冗談めいた返事だった。
私とエレノアは顔を見合わせ、自然と笑みを交わす。
穏やかな時間が流れていく。
共同研究は一区切りを迎えた。
けれど、研究そのものが終わるわけではない。
きっと、ここからまた新しい課題が見つかるのだろう。
「それでは」
エレノアが時計へ目を向けた。
「私は商会へ報告に行ってまいります。父も詳しい結果を待っていますので」
「はい。今日はありがとうございました」
「こちらこそです」
エレノアは深く一礼すると、軽やかな足取りで学院の門へ向かって歩いていった。
その背中を見送りながら、小さく息をつく。
共同研究はこれで一区切り。
そう思った、その時だった。
「ロザモリアさん」
隣からノア様の声が聞こえた。
振り向くと、ノア様はエレノアの姿が見えなくなったことを確かめるように視線を向け、それから静かに私を見た。
どこか考え込むような表情だった。
「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
その声は穏やかだった。
けれど、その瞳には研究とは別の、確かめたいことを胸に秘めているような静かな意志が宿っていた。
私は小さく頷く。
「もちろんです」