TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
アルヴェイン領へ帰ってきて数日。
冬の冷たい空気にもすっかり慣れた朝、私は家族とともに朝食を終え、食後のお茶をいただいていた。
暖炉の火が静かに揺れる居間では、お母様がお茶を淹れ、お兄様は窓際で剣術書を読んでいる。
その向かいでは、お父様が広げた新聞へ目を通していた。
「ふむ……」
珍しく、お父様が少し考え込むような声を漏らす。
「何かございましたか、お父様」
私が尋ねると、お父様は新聞から顔を上げた。
「ああ。最近続いている環境魔力濃度の乱れの記事だ」
その言葉に、私は自然と新聞へ視線を向けた。
「読んでみるか」
「失礼いたします」
受け取った新聞には、大きく見出しが躍っている。
――各国で環境魔力濃度の変動続く。
――王立魔法研究院、近隣諸国と共同調査を継続。
記事へ目を通していく。
『ここ数年、国内各地および近隣諸国において、環境魔力濃度の局所的な変動が断続的に観測されている。王立魔法研究院は各国研究機関と協力し原因究明を進めているものの、現在まで決定的な要因は判明していない』
さらに読み進める。
『一部地域では魔獣の縄張りが変化し、人里近くで目撃される事例が増加。また、高精度な魔道具では出力変動などの報告も寄せられている』
私は思わず記事を読み返した。
(やはり……)
学院でのことが自然と思い浮かぶ。
二年次の共同研究。
完成した試作機は学院では期待通りの性能を示した。
ところがエレノアの商会へ持ち込んだ途端、性能が大きく低下した。
あの原因は環境魔力濃度だった。
魔法式を効率化し過ぎたことで、周囲の魔力変動を受けやすくなっていた。
だから魔力絶縁体を組み込み、ようやく実用化へ辿り着いた。
「ロザミー?」
お母様に声を掛けられ、私は顔を上げた。
「少し考え込んでいました」
「学院でも似たようなお話がございました」
私は新聞を閉じながら答える。
「前期に魔獣の縄張りへ迷い込んでしまったことがありましたが、あの時も周辺の環境魔力濃度が通常より高くなっていたそうです」
「ああ、その話は手紙にも書いてあったな」
お父様が静かに頷く。
「今回の共同研究でも、実証実験が上手くいかなかった原因は環境魔力濃度でした」
「なるほど」
お父様は腕を組んだ。
「そう考えると、各地で起きている出来事は無関係ではなさそうだな」
「わたくしも、そのように思います」
一年生の時の魔獣遭遇、先日の実証実験。
どちらも、その場では個別の問題として受け止めていたけれど、決して珍しい出来事ではなかったのかもしれない。
「最近多い現象なのですね」
そう呟くと、お父様は新聞を畳んで机へ置いた。
「実はアルヴェイン領でも、多少の影響が出始めている」
「多少と言っても、大きな被害ではない」
お父様は安心させるように微笑んだ。
「機織工房で使っている魔力機織機の調整回数が、以前より少し増えた程度だ」
「調整回数、ですか」
「ああ」
お父様は頷く。
「以前なら一年に一度で済んでいた調整が、半年ほどで必要になることがある」
「故障ではない。ただ、魔力の流れが僅かにずれてしまうらしい」
私は思わず共同研究の試作機を思い浮かべた。
「先日、研究室で遭遇した現象と似ています」
「そうか。職人たちも最初は機械の不具合だと思ったそうだ」
「だが調べてみると、機械そのものには異常がなく、調整すればまた元どおり動いたらしい」
大きな事故ではない。
だからこそ、誰もが「最近はそういうこともある」と受け止めているのだろう。
お兄様も本を閉じて会話へ加わる。
「騎士団から聞いた話では、森の巡回経路も少し変わったそうだ」
「魔獣ですか」
「いや」
お兄様は首を横へ振る。
「魔獣そのものが増えたわけではない」
「ただ、普段はもっと奥にいる種類が少し手前まで出てくることがあるらしい」
「だから巡回範囲を見直しているそうだ」
私は静かに頷いた。
新聞に書かれていた内容と一致している。
魔獣が突然凶暴になったわけでもない。
魔道具が突然使えなくなったわけでもない。
少しだけ環境が変わり、その影響があちこちで現れ始めている。
「王立魔法研究院も大変ですね」
私がそう言うと、お父様は苦笑した。
「原因が分からないものを調べるのが研究者だからな」
「各国で協力しているそうだが、まだ決め手はないらしい」
「そうですか……」
私は窓の外へ目を向けた。
雪が静かに降り積もり、領都はいつもと変わらない穏やかな冬の景色を見せている。
少なくとも、この屋敷から見る限り、大きな異変は何もない。
だからこそ、人々も日々の暮らしを続けられるのだろう。
「まあ」
お母様がお茶を口にしながら穏やかに笑う。
「皆で少しずつ困ることは増えましたけれど、その都度工夫して乗り越えていますものね」
「ええ」
お父様も同意する。
「職人も研究者も、それぞれ知恵を出して対応している」
「必要以上に心配することではない」
その言葉に、私も肩の力が抜けた。
共同研究でも同じだった。
環境魔力濃度という新しい条件が見つかったからこそ、魔力絶縁体という解決策へ辿り着けた。
問題が起きても、知恵を集めれば乗り越えられる。
研究とは、その積み重ねなのだ。
「学院へ戻ったら、先生にもこの記事をお見せしたいです」
私が新聞を丁寧に畳みながら言うと、お父様が嬉しそうに微笑んだ。
「研究者らしい感想になったな」
「そうでしょうか。それなら嬉しいです」
自然と笑みがこぼれる。
以前の私なら、こうした記事は世の中の出来事として読むだけだったかもしれない。
でも今は違う。
実際に研究を経験したからこそ、一つ一つの記事が身近なものとして感じられる。
学院で学んだことが、少しずつ世界と繋がり始めている。
そんな実感があった。
窓の外では、雪が静かに降り続けている。
やがて冬休みも終わり、また王都へ戻る日がやって来る。
研究室では、新しい課題が待っているだろう。
ノア様やエレノア、リリーともまた会える。
そう考えると、不思議と胸が弾んだ。
私は窓の外の冬景色を眺めながら、温かな紅茶を一口飲む。
穏やかな休暇は、もうすぐ終わる。
そして新しい季節とともに、学院での日々がまた始まろうとしていた。