TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
可愛い後輩
春の柔らかな陽射しが、王立アステリア学院の石畳を明るく照らしていた。
長い冬休みも終わり、学院には新年度を迎えた学生たちの活気が戻ってきている。
私も三年生になった。
教室へ向かう途中、去年まで一年生だった学生たちが、今度は二年生として歩いている姿が目に入る。逆に、新入生たちはまだ校舎の位置すら覚えきれていないようで、案内板を見上げながら行き来していた。
ほんの二年前、私も同じように学院の広さへ圧倒されていた。
その頃は、ノア様の才能に打ちのめされ、自分の未熟さばかりを見つめていた気がする。
けれど今は違う。
冷蔵魔道具の共同研究を経て、研究は一人で完結するものではないと知った。
私には私の得意なことがあり、ノア様にはノア様の、エレノアにはエレノアの強みがある。
そうして力を合わせた結果が、あの研究成果だった。
研究室へ向かう足取りも、去年より少しだけ軽い。
「おはようございます」
扉を開けると、すでにヴィオレット先生が資料へ目を通していた。
「おはようございます、ロザモリアさん。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
続いてノア様とエレノアも姿を見せる。
「おはようございます、ロザモリアさん」
「おはようございます、ノア様」
「お、おはようございます、ロザモリア」
「おはようございます、エレノア」
去年と変わらない朝の挨拶。
そのことが、なんだか嬉しかった。
私たちが席へ着いたところで、ヴィオレット先生が教壇の前へ立つ。
「皆さん、進級おめでとうございます。今年からは皆さんも上級生です」
柔らかな笑みを浮かべながら教室を見渡す。
「そして今年は、新しい研究室生が三人加わります」
先生が扉へ視線を向ける。
「どうぞ、入ってきてください」
返事とともに二年生が三人、静かに研究室へ入ってきた。
男子学生が二人に、女子学生が一人。
女子学生は私の方をちらっとみて何やら嬉しそうにしている。
男子二人の挨拶が終わり、次は女子学生の挨拶の番になった。
「初めまして。二年生になりました、コレット・エヴァンスと申します。本日よりヴィオレット研究室でお世話になります」
ふわりと波打つ金色の髪に、緑がかった青い瞳。
小柄な体格に、まだ少し緊張した表情。
制服の胸元には男爵家を示す徽章が付いている。
少しぎこちなさはあるものの、精一杯礼儀正しく振る舞おうとしているのが伝わってくる、綺麗なお辞儀だ。
「皆さんも自己紹介をお願いします」
ヴィオレット先生に促され、私たちも順番に名乗る。
コレットは一人ひとりへ丁寧に頭を下げていたが、私の番になった瞬間だけ、表情がぱっと明るくなった。
「あ……!」
その声に、思わず首を傾げる。
「ロザモリア・アルヴェインです。今年もよろしくお願いいたします」
そう名乗ると、コレットは目を輝かせた。
「あ、あの……!」
勢いよく一歩前へ出たものの、慌てて姿勢を正す。
「失礼いたしました」
深呼吸を一つ。
そして改めて、真っ直ぐ私を見つめた。
「アルヴェイン先輩には、以前からずっと憧れていました」
「……わたくしに、ですか?」
思わず聞き返してしまう。
憧れられるようなことをした覚えがなかった。
「はい!」
迷いのない返事だった。
「幼い頃、新聞で標準照明式を改良した令嬢の記事を読みました」
その言葉に、幼少期の出来事が脳裏へ蘇る。
ヴィオレット先生と一緒に標準照明式を改良し、予想外に新聞で大きく取り上げられたこと。
あの時は領地の皆さんにも随分お祝いしていただいた。
「その記事を読んだ時、とても驚いたんです」
コレットは少し興奮したように話し続ける。
「魔法式は昔から完成されたものだと教わっていました。でも、もっと良くできるかもしれないと考えて、本当に改良してしまった方がいるって知って……」
彼女は胸の前で手を握りしめた。
「わたしも研究者になりたいと思いました」
研究室が静かになる。
私は何と言葉を返せばよいのか分からず、しばらく口を開けなかった。
そんなふうに思ってくれている人がいるなんて、考えたこともなかったから。
「ありがとうございます」
ようやく出てきた言葉は、それだけだった。
「ですが、わたくし一人の力ではありません。あの時はヴィオレット先生が導いてくださいましたし、その後もたくさんの方に支えていただいて今があります」
「それでもです!」
コレットは首を横へ振る。
「わたしにとっては、アルヴェイン先輩が目標なんです」
その瞳には、一点の曇りもなかった。
幼い頃の私がヴィオレット先生を見上げていた時も、きっとこんな表情をしていたのだろうか。
そう思うと、少しだけ気恥ずかしくなる。
その時だった。
コレットがおずおずと口を開く。
「あ、あの……一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか」
「その……」
彼女は頬を赤く染めながら、小さく息を吸った。
「もしご迷惑でなければ……アルヴェイン先輩のことを、お姉さまとお呼びしてもよろしいでしょうか」
「お、お姉さま……ですか?」
思わず聞き返してしまった。
研究室が一瞬静まり返る。
コレットは「あっ……」と小さく声を漏らし、慌てて両手を振った。
「も、もちろん無理でしたら大丈夫です!」
「ずっと憧れていたものですから、つい……」
「申し訳ありません!」
今にも頭を下げそうな勢いだ。
私は思わずヴィオレット先生を見る。
先生は口元へ手を当て、少し楽しそうに微笑んでいるだけだった。
助け舟を出してくださる様子はない。
「ロザモリア」
エレノアが小さく笑いながら囁く。
「困っていますね」
「……ええ」
正直、その通りだった。
学院へ入ってから「先輩」と呼ばれることすら初めてなのだ。
まして「お姉さま」など想像したこともない。
(どうしましょう……)
断る理由はない。
けれど、そんな立派な人間ではない。
私自身、まだまだ未熟だと思っている。
そんな私がお姉さまと呼ばれるなんて、少し気恥ずかしかった。
「コレットさん」
私はできるだけ穏やかに話しかける。
「お気持ちはとても嬉しいです」
「ですが、わたくしはそこまで立派な人間ではありません」
「研究もまだ勉強中ですし……」
コレットは真剣な表情で私の言葉を聞いていた。
「だから、普通に『先輩』と呼んでいただいた方が……」
そこまで言いかけた時だった。
「でも」
コレットが小さく微笑む。
「わたしにとっては、お姉さまなんです」
その一言に、私は言葉を失った。
尊敬というより。
憧れ。
そんな真っ直ぐな気持ちが、その短い言葉だけで伝わってくる。
幼い日の私も、ヴィオレット先生へ似たような感情を抱いていた。
「先生みたいになりたい」
そんな気持ちで魔法式を書いていたことを思い出す。
あの頃の私へ「先生と呼ばず、普通に名前で呼びなさい」と言われても、きっと困ってしまっただろう。
それと同じなのかもしれない。
私は小さく息を吐き、苦笑した。
「……分かりました」
コレットの表情が一気に明るくなる。
「本当ですか!」
「はい」
「ただし、一つだけ約束してください」
「はい!」
「研究室では、わたくしも皆さんと同じ研究者です」
「分からないことは遠慮なく質問してください」
「わたくしが間違っていたら、きちんと教えてくださいね」
コレットは何度も大きく頷いた。
「はい、お姉さま!」
その呼び方には、まだ少し照れてしまう。
けれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「ふふ」
ヴィオレット先生が楽しそうに笑う。
「早速、良い関係が築けたようですね」
「ロザモリアさんも、いつの間にか憧れられる立場になりました」
「先生まで……」
思わず頬が熱くなる。
二年前の私が聞いたら、きっと信じないだろう。
研究室には和やかな笑いが広がった。
◇
その日の午後。
講義を終えた私は、いつものようにリリーとエレノアと三人で学院近くの喫茶店を訪れていた。
「それで?」
席へ着くなり、リリーが身を乗り出す。
「研究室へ新しい後輩が入ったのでしょう?」
「ええ」
私は紅茶へ口をつけながら頷いた。
「男子二人と……あと、コレットさんという二年生の女の子が」
「どんな子なの?」
「幼い頃に新聞で私の標準照明式についての記事を読んで、研究者を目指したそうです」
「まあ!」
リリーは嬉しそうに両手を合わせた。
「それは素敵なお話ですね」
「それだけではなくて……」
気恥ずかしさもあり、私は少し言い淀んでしまう。
「わたくしのことを、お姉さまと呼びたいそうなんです」
一瞬の静寂。
「まあ!」
「ふふっ」
リリーとエレノアが同時に笑い出した。
「可愛らしい後輩ですね」
リリーは目を細める。
「きっと、その子にとってロザは憧れの先輩なんですよ」
「そうでしょうか」
「もちろん」
エレノアも頷く。
「新聞の記事だけではありません」
「共同研究のことも、学院では結構話題になっていましたから」
「え?」
私は思わず目を丸くする。
「そうだったのですか」
「はい」
エレノアは笑顔で答えた。
「ロザモリアさんは思っている以上に有名人ですよ」
「だから、後輩が憧れるのも不思議ではありません」
私は思わず紅茶へ視線を落とした。
そんなつもりは、まったくなかった。
ただ研究が好きで、夢中になってきただけ。
それでも、その姿を見てくれていた人がいる。
そして、新しく歩き始める誰かのきっかけになれた。
その事実が、胸の奥をじんわりと温かくした。
「ロザ」
リリーが優しく笑う。
「三年生、ますます忙しくなりそうですね」
私は照れ隠しのように小さく笑い返した。
「そうですね」
「後輩のお手本になれるよう、わたくしも頑張らなくてはいけません」
その言葉を口にしながら、私は少しだけ背筋を伸ばした。
今度は、私が誰かの背中を押す番なのかもしれない。
そんな新しい一年が、静かに始まろうとしていた。