TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
王都の中心街は休日ということもあって、多くの人で賑わっていた。
学院の講義も研究もない貴重な休日。
今日はリリーとエレノア、それからコレットの4人で街へ遊びに来ている。
「こちらのカフェ、以前から気になっていたんです」
エレノアが控えめにそう言うと、リリーが嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ今日はここにしましょう」
窓際の席へ案内され、それぞれ飲み物と軽い菓子を注文する。
焼き菓子の甘い香りと、淹れたての紅茶の香りが店内に漂い、自然と肩の力が抜けていった。
「休日にお姉さまと出掛けるなんて、本当に楽しいです!」
コレットは目を輝かせながら紅茶のカップを両手で包む。
「研究室ではお話しできても、こうしてゆっくりお話しする機会はあまりありませんでしたから」
「そうですね」
エレノアも穏やかに微笑む。
「コレットさんも研究室に馴染んできましたし、良い機会だったと思います」
するとコレットは、待っていましたと言わんばかりに私の方へ身体を向けた。
「実はわたし、お姉さまと一緒にお出掛けするのが夢だったんです!」
「夢……ですか?」
「はい!」
勢いよく頷く。
「幼いころ新聞で、お姉さまが標準照明式を改良された記事を読んで、『こんなすごい研究者になりたい』って思ったんです」
「それから魔法のお勉強を頑張って、王立アステリア学院を目指して……」
そこまでは以前も聞いた話だった。
けれど今日は止まらなかった。
「実際にお会いしたら、お綺麗ですし、優しいですし、質問すると丁寧に教えてくださいますし、それに研究では誰の意見もちゃんと聞いてくださいますし……」
「コレット」
私は思わず声を掛ける。
「そのくらいで十分ですので……」
「まだあります!」
止まらなかった。
「研究中のお姉さまって、本当に楽しそうなんです。魔法式を見ている時のお顔も素敵ですし、分からないことがあると首を傾げる仕草も可愛らしくて――」
「コレット……」
「それから!」
「もう十分です!」
思わず少しだけ声が大きくなってしまった。
顔が熱い。
間違いなく赤くなっている。
私が慌てる様子を見て、リリーがくすくすと笑った。
「ふふっ。本当にロザのことが大好きなんですね」
「はい!」
コレットは一切迷わず頷く。
「お姉さまは憧れです!」
「研究者としても、人としても尊敬しています!」
真正面からそう言われると、返す言葉が見つからない。
嬉しい。
もちろん嬉しい。
けれど、それ以上に恥ずかしい。
「エレノア、何とかしてください……」
思わず助けを求めると、エレノアは少し困ったように笑った。
「えっと……わたしも、コレットさんのお気持ちは少し分かります」
「ロザモリアは、本当に優しいですから」
「エレノアまで……」
味方がいなくなってしまった。
リリーはそんな私を見ながら、楽しそうに紅茶を一口飲む。
「でも、コレットさんのお話を聞いていて思ったんですが」
「何でしょう?」
「ロザ、最近少し私服が可愛くなりましたよね」
「え?」
思わず聞き返した。
「そうですか?」
「そうですよ」
リリーは当然のように頷く。
「一年生のころは、動きやすさばかり気にしていましたでしょう?」
「研究しやすい服とか、落ち着いた色ばかり選んでいましたし」
そう言われて考えてみる。
確かに研究の邪魔にならない服を選ぶことは多かった。
汚れても気にならないことや、動きやすさを優先していた気がする。
「でも最近は、少し明るい色も選ぶようになりましたし」
「リボンなんかも、前より自然に身に着けていますよね」
「……そうでしょうか」
自分では全く意識したことがない。
「良いことだと思います」
リリーは優しく笑う。
「少しずつ好みが変わってきたのかもしれません」
その言葉に、ふと胸が小さく揺れた。
好みが変わった。
それは服だけの話なのだろうか。
以前の私なら、そんなことは考えもしなかった。
けれど最近は、鏡の前で服を合わせる時間が少しだけ長くなったような気もする。
……いや、きっと気のせいだ。
そう結論づけようとした、その時だった。
「リリアン先輩のおっしゃる通りです!」
コレットが身を乗り出す。
「お姉さまはお綺麗なんですから、もっと可愛いお洋服を着るべきです!」
「えっ」
「淡い色のお洋服も絶対お似合いですし、髪飾りだってもっとたくさん付けても素敵です!」
「その、そこまでしなくても……」
「いえ!」
力強く首を振る。
「お姉さまはご自分の魅力を分かっていません!」
「もっと皆さんに見ていただくべきです!」
「コレット、それはさすがに……」
また頬が熱くなる。
隣ではリリーが肩を震わせ、エレノアも口元を押さえて笑いをこらえていた。
「ふふ……」
「ロザ、今日は完全にコレットさんに負けていますね」
「そう、みたいですね……」
観念して小さく笑うしかなかった。
こんなふうに誰かと笑い合う休日も、学院へ入学したころには想像もしていなかった。
研究の話をして、他愛ない話で笑って、恥ずかしくなって。
そんな時間が、今では当たり前のように過ごせる。
紅茶を口に含みながら、私は静かにその温かな空気を味わっていた。
◇
――それから、およそ一か月後。
春の穏やかな陽気は少しずつ初夏の気配へ変わり、学院の中庭にも青々とした木々が葉を広げ始めていた。
その日、私は研究室へ入った瞬間、いつもと違う空気を感じた。
決して誰も話していないわけではない。
けれど、どこか重苦しい。
「おはようございます」
挨拶をすると、エレノアがいつもより小さな声で返してくれる。
「おはようございます、ロザモリア」
その表情にも笑顔が少ない。
私は自然と研究室を見回した。
ノア様は窓際の席で新聞を読んでいた。
普段なら必要な情報だけを確認してすぐ閉じる方なのに、今日は珍しく同じ記事を何度も読み返している。
その横顔は厳しい。
研究について考え込んでいる時とも違う、もっと個人的な感情が滲んでいるように見えた。
そしてもう一人。
コレットも机へ向かったまま俯いていた。
いつもなら私が来ると「お姉さま、おはようございます!」と元気に駆け寄ってくるのに、今日は静かに立ち上がるだけだった。
「おはようございます、お姉さま」
「おはようございます、コレット」
声にも元気がない。
「何かありましたか?」
私が尋ねると、コレットは少し困ったように笑った。
「実は……」
その時だった。
ノア様が静かに新聞を畳み、私たちの方へ向き直る。
「皆さんも、ご覧になった方がいいかもしれません」
新聞が机へ置かれる。
見出しを見た瞬間、私は思わず息を呑んだ。
『アルヴァール地方、魔瘴熱が急速に拡大』
『患者数、過去最大規模』
記事へ目を走らせる。
王都北部一帯で患者が急増。
薬師組合による治療が続けられているものの、薬草不足が深刻化。
一部地域では医療体制が追い付いていない――。
先日研究室で話題になった流行病が、ここまで広がっていたとは思わなかった。
「アルヴァール地方……」
聞き覚えのある地名だった。
私はゆっくり顔を上げる。
「ノア様」
ノア様は静かに頷いた。
「私の故郷です」
研究室が静まり返る。
「実家からも手紙が届きました」
「家族は今のところ無事ですが、近隣では患者が急増しているそうです」
いつも冷静なノア様の声。
それでも、その奥には隠し切れない心配が感じられた。
私は何と声を掛ければいいのか分からない。
「コレットも……」
エレノアが優しく声を掛ける。
コレットは膝の上へ置いていた封筒を見つめ、小さく頷いた。
「今朝、お父様とお母様から手紙が届きました」
「エヴァンス領でも、魔瘴熱が広がり始めているそうです」
「幸い家族は元気ですが……」
声が少し震える。
「領内の村では患者さんが増えていて、お父様も毎日対応に追われているそうです」
昨日まで元気いっぱいだったコレット。
その姿を知っているだけに、胸が締め付けられる。
「大丈夫ですよ」と、そう言いたかったけれど、根拠のない慰めは口にできない。
新聞へ目を落とす。
流行は王都の周辺だけではない。
少しずつ、確実に広がっている。
以前、お父様が読んでいた新聞には「環境魔力濃度の乱れ」が各地で起きていると書かれていた。
その時は、少し遠い世界の出来事として受け止めていた。
でも今は違う。
友人の故郷で起きている。
研究室の仲間が、不安そうな表情を浮かべている。
遠い話ではなくなっていた。
「薬はあるんですよね……?」
私は静かに尋ねる。
ノア様は頷いた。
「あります」
「ただ、状況は以前より悪化しています」
「需要が急激に増えたことで、リュミナ草の供給が追い付いていません」
エレノアも神妙な表情で続ける。
「商会でも薬草を運ぶ依頼が急増しているそうです」
その言葉を聞いて、私は試作中の冷蔵魔道具を思い浮かべた。