TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
研究テーマを変更した翌日。
私たちは早速、新しい卒業研究へ取り掛かっていた。
研究室の机にはノートが何冊も積まれ、魔法式の設計図や錬金術の資料が広げられている。冷蔵魔道具の研究で使っていた資料もそのまま残っているが、今日からは目的が違う。
目指すのは、リュミナ草の薬効を失わせず保存する新しい魔道具。
そのためには、まず「前世のフリーズドライの知識がこの世界でも通用するのか」を、一つずつ確かめる必要があった。
「ロザモリアさん」
ノア様が紙へいくつか式を書き込みながら、私へ視線を向ける。
「まずは、必要になりそうな魔法式を整理しましょう」
「はい」
私も隣へ腰掛ける。
前世では当たり前に知っていた技術。
けれど、この世界では一つひとつを魔法で再現しなければならない。
「まず必要なのは冷却ですね」
「はい。これは既存の冷蔵魔道具の技術が利用できます」
「次に減圧です」
私は机の上へ紙を引き寄せる。
「密閉容器を作り、内部の空気を抜く必要があります」
「排気専用の高次魔法式を組めば可能だと思います」
ノア様が頷いた。
「ただ、どこまで圧力を下げられるかは実験が必要ですね」
私たちは自然と前世の知識を思い出しながら話を続けていた。
地球では機械が行っていた工程。
この世界では魔法式へ置き換えていく。
それは翻訳にも似た作業だった。
「それから……」
私はノートへもう一つ丸を書く。
「乾燥した後の品質確認も必要ですね」
「魔道顕微鏡があります」
ノア様が即座に答える。
「植物組織が崩壊していないか確認できます」
「そうですね」
思わず笑みが浮かぶ。
一人では気付けないことも、ノア様と話していると次々整理されていく。
研究というより、まるで共同で一つの設計図を組み上げているようだった。
その様子を少し離れた場所からコレットが尊敬の眼差しで見つめている。
「お姉さまとハーバル先輩……」
「何も見ないでどんどん話が進んでいきます……」
エレノアが苦笑しながら答えた。
「二人とも頭の中で整理しながら話しているんでしょうね」
「途中から全然ついていけませんでした……」
私たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
「すみません」
「まずは予備実験ですね」
ノア様が小さく声を落とした。
その声は私だけに届く程度だった。
「まずは、この世界でも前提となる物理法則が前の世界と同じか、もしくは近いかを確かめましょう」
その言葉に、私は静かに頷く。
私たちは前世の知識を知っている。
けれど、魔法のあるこの世界そのものが、同じ法則で成り立っている保証はどこにもない。
だからこそ、仮定ではなく検証から始める。
研究者として、それが最初の一歩だと思う。
◇
翌日、私たちは魔力暗室へ移動した。
外部から魔力の影響を受けにくい実験室であるここなら、余計な条件をできるだけ排除できる。
机の上には透明な魔力結晶で作られた密閉容器。
その側面には、新たに組み上げた排気用魔法式が刻まれている。
「始めましょう」
私は小さな氷片を容器へ入れた。
ノア様が魔力を流し込む。
容器の中から少しずつ空気が抜けていく。
「凍らせたまま、圧力だけを下げます」
「はい」
容器の内側を二人で見守る。
時間がゆっくり流れる。
やがて。
「……溶けていません」
私が呟く。
「ですが」
ノア様も目を細めた。
「小さくなっています」
確かに。
水滴になる様子はない。
それなのに氷だけが少しずつ消えていく。
私は思わずノア様を見る。
ノア様も同じことを考えていたらしい。
「昇華しています」
静かな声だった。
けれど、その一言だけで胸が高鳴る。
前世と同じ現象。
つまり、この世界でも少なくともこの物理現象は成立する。
最初の前提条件は、正しかった。
◇
最初の予備実験が成功したことで、研究室の空気は一気に明るくなった。
もちろん、これだけでは目的は果たせない。
本当に確かめたいのは、リュミナ草が薬効を保ったまま保存できるかどうかだ。
「次は凍結による組織への影響を確認しましょう」
ノア様の提案に全員が頷く。
私は冷却魔道具で凍結させたリュミナ草を慎重に取り出した。
「魔道顕微鏡を使います」
机の上へ置かれた魔道顕微鏡へ試料を載せ、倍率を調整する。
前世で使っていた顕微鏡と形は違うものの、小さなものを拡大して観察するという役割は変わらない。
覗き込んだ私は、小さく息をついた。
「細胞壁に目立った破壊は見当たりません」
隣からノア様も覗き込む。
「ええ。少なくとも凍結しただけでは問題ありません」
「解凍時に壊れるのではなく、乾燥工程まで含めて確認する必要がありますね」
私たちはそのまま実験を続けた。
先ほど成功した減圧魔法式を利用し、凍結したリュミナ草を高真空状態へ置く。
時間はかかった。
氷が少しずつ姿を消し、葉の表面から水分だけが失われていく。
完全に乾燥したところで容器を開けると、見た目は生葉とほとんど変わらない。
「……軽いですね」
コレットが恐る恐る葉を持ち上げる。
「でも、形はそのままです」
「これだけでは判断できません」
ノア様は静かに言う。
「比較しましょう」
◇
その日の午後。
研究室の机には三種類のリュミナ草が並んでいた。
収穫後に天日乾燥したもの。
冷蔵保存したもの。
そして今回、新しい方法で乾燥させたもの。
「薬効成分を測定します」
錬金術用の分析器具へ、それぞれ少量ずつ試料を入れていく。
研究室は自然と静かになった。
誰もが結果を待っている。
やがて測定が終わる。
最初に天日乾燥。
現在主流となっている保存方法だけあって、それなりに薬効は残っていた。
続いて冷蔵保存。
予想通り、生きたまま栄養を消費していたため、さらに低い値になる。
そして最後。
私たちが作った試料の分析結果。
「……残っています」
思わず呟く。
ノア様も結果を見つめたまま、小さく頷いた。
「天日乾燥より明らかに多いですね」
「冷蔵保存とは比較になりません」
コレットが目を丸くする。
「成功……ですか?」
「ええ」
私は自然と笑みを浮かべていた。
「少なくとも、この方法には意味があります」
エレノアも分析結果を覗き込み、大きく息を吐く。
「商会の人たちが知ったら驚きます……」
「薬効をこれだけ残せるなら、運べる薬の量そのものが増えるかもしれません」
その言葉を聞き、私は新聞に載っていた魔瘴熱の記事を思い出す。
故郷を心配そうに見つめていたノア様。
手紙を握りしめていたコレット。
もしこの方法が実用化できれば。
薬草をもっと遠くまで届けられる。
救える人が増える。
その可能性が、数字として目の前に示されていた。
「ですが」
ノア様はすぐに冷静な口調へ戻る。
「これは実験設備だからできたことです」
「魔力暗室、高真空用の大型設備、それに複数の実験用魔道具を使っています」
「このままでは現場では使えませんね」
私も頷く。
実験として成功したことと、実際に役立つ道具になることは別問題だった。
「必要なのは、一台で全部できる魔道具ですね」
「はい」
ノア様は私の言葉を受ける。
「冷却、減圧、乾燥。それぞれを一つの魔法式としてまとめ、誰でも扱える魔道具にする必要があります」
エレノアが早速ノートを開いた。
「小型化するなら、部品の配置も考え直さないといけませんね」
「商会でも製造しやすい構造にしたいです」
「わたしは試作品の組み立てをお手伝いします!」
コレットも元気よく手を挙げる。
その姿を見て、自然と笑みがこぼれた。
一人では思いつかなかった。
ノア様がいて、エレノアがいて、コレットがいる。
だからここまで辿り着けた。
私は机の上に置かれた実験結果へ、もう一度目を向ける。
まだ完成ではない。
ようやく入口に立っただけだ。
けれど、その入口の先には確かな道が続いている。
「試作魔道具を作りましょう」
私がそう言うと、ノア様は迷いなく頷いた。
「はい。次はいよいよ、本当の意味での開発です」
研究室の全員が同じ方向を向いていた。
人を救うための魔道具。
その最初の設計図が、今まさに描かれ始めようとしていた。