TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夏期休暇が終わり、後期の講義が再開してから一か月ほどが過ぎた。
学院にはいつもの賑わいが戻っていたけれど、私たちヴィオレット研究室の日常だけは、夏休みとほとんど変わらない。
講義が終われば研究室へ向かい、試作機を動かし、実験を繰り返す。
違うのは、もう何を目指すべきか迷うことはなくなったということだった。
「ロザモリアさん」
ノア様が試作機の外装を軽く叩く。
「真空圧も安定しています。冷却速度も設計値通りです」
「ありがとうございます。では、最終試験を始めましょう」
今日が最後になる。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
研究室の中央には、何度も改良を重ねたフリーズドライ魔道具が静かに置かれている。
大型化に失敗した日から、この一か月で試作機は何度も姿を変えた。
外部からの熱流入を防ぐため、魔力絶縁体の配置を根本から見直した。
内部構造も熱が一箇所へ集中しないように再設計し、冷却経路も何度も作り直した。
最初は、失敗するたびに新しい問題が見つかった。
けれど不思議なことに、原因が分かれば前へ進める。
一つ解決すれば、また次の課題が見える、その繰り返し。
だから今、目の前の試作機を見ると、不思議と愛着さえ感じてしまう。
「準備できました」
コレットが記録用紙を手に頷く。
「こちらも問題ありません」
エレノアも運搬用の保存容器を机へ並べていく。
みんなでここまで来た。
その思いが胸の中へ静かに広がっていく。
「では、開始します」
私は魔力を流した。
低い駆動音とともに、魔法式が順番に起動していく。
凍結……減圧……そして昇華。
何百回も見てきた工程なのに、今日は鼓動が少しだけ速かった。
失敗したらどうしよう、とは思わない。
ここまで積み重ねてきた検証が、その不安を少しずつ消してくれていた。
だから今あるのは、不安ではなく確認したいという気持ちだけ。
本当に完成したのか、それだけを知りたい。
時間が過ぎ、最後の工程が終わる。
私は慎重に容器を開いた。
中には、乾燥したリュミナ草。
見た目は色以外、従来の乾燥品とほとんど変わらない。
けれど、この見た目だけでは意味がない。
「薬効試験を始めます」
ノア様が乾燥したリュミナ草を細かく砕き、決められた手順で抽出液を作り始める。
この工程も何度も繰り返した。
違うのは、今日使うのが完成品によるものだということだけ。
私はその様子を見守りながら、小さく手を握っていた。
前世でも、最後の試験だけは緊張した。
プログラムが完成した時でもなく、社内試験が完了したときでもなく。
最後に動作確認をして、ユーザーから「問題ありません」の一言を聞く、その瞬間だけは何度経験しても慣れなかった。
たぶん研究も同じなのだと思う。
完成とは、自分で決めるものではない。
結果が示してくれるものだから。
「抽出完了しました」
ノア様が試験器具を私へ渡す。
「お願いします」
私は深呼吸を一つして、測定魔道具へ抽出液を入れた。
魔法式が淡く輝く。
数秒後。
表示された数値を見て、私は思わず目を見開いた。
「……残存率95.8パーセント」
声が震えていた。
隣からノア様が測定値を確認する。
「誤差範囲内です」
すぐに二回目の試験を行う。次に三回目。
測定結果はほとんど変わらない。
「平均95.6パーセント」
ノア様が静かに結論を告げた。
「薬効は、設計目標を十分満たしています」
研究室が静まり返る。
誰も声を出さない。
その沈黙が、かえって結果の重みを教えてくれていた。
「……成功、ですね」
最初に口を開いたのはコレットだった。
その一言で張り詰めていた空気がほどける。
「成功です!」
コレットが飛び跳ねる。
「やりました、お姉さま!」
「本当に……本当に完成したんですね……」
エレノアも目元を押さえている。
私は試作機へもう一度視線を向けた。
完成した。
そう理解しているのに、どこか現実感がない。
頭の中では、ここ数か月の光景が次々と思い浮かぶ。
大型化に失敗した日。
熱流入の原因を突き止めた日。
減速魔法式では解決できず、全員で頭を抱えた日。
帰省を取りやめ、研究室へ残ると決めた日。
毎日、朝から夕方まで議論を続けたこと。
お昼を忘れてコレットに連れ出されたこと。
夕方になるとアンナが迎えに来てくれたこと。
どれ一つ欠けても、この結果には届かなかった。
私は一人ではない。
そのことを、この研究は何度も教えてくれた。
「ノア様」
自然と声が出ていた。
「ありがとうございました」
ノア様は少しだけ驚いたように私を見る。
「お礼を言われるようなことはしていません」
「私は研究者として当然のことをしただけです」
その答えに、思わず笑みがこぼれる。
「でしたら、わたくしも研究者として当然のお礼を申し上げます」
ノア様も、わずかに口元を緩めた。
「……そういうことでしたら、ありがとうございます」
そのやり取りを見て、コレットが嬉しそうに笑っている。
エレノアも安心したように頷いていた。
胸の奥が、静かに満たされていく。
この魔道具は、ただ新しい研究成果ではない。
遠く離れた産地で摘まれた薬草を、必要とする人へ届けるための魔道具だ。
完成した試作機を前に、私たちはその日のうちにヴィオレット先生へ報告した。
先生は完成報告を聞いてもすぐには頷かず、静かに試験結果へ目を通していく。
測定値、実験条件、失敗した試験も含めた全ての記録。
先生が見ているのは成功だけではない。
そこへ至るまでの道筋そのものだ。
ページをめくる音だけが研究室へ響く。
やがて最後の一枚を読み終えた先生は、顔を上げて私たちを見渡した。
「では、最後に確認しましょう」
その一言で空気が引き締まる。
これは試験だ。
完成した魔道具ではなく、研究者としての私たち自身が問われる最後の時間。
「ロザモリアさん。今回の研究で、最も大きな課題は何でしたか」
「大型化した際、外部からの熱流入によって冷却が均一にならなかったことです」
「その原因へ、どのように辿り着きましたか」
「冷却性能そのものは十分だったため、内部で熱が発生している可能性は低いと判断しました。そこで熱収支を一つずつ整理した結果、外部から熱が流入していると考えるのが最も合理的だと結論づけました」
先生は静かに頷く。
「その後、減速魔法式による熱移動の制御を試みましたね」
「はい」
「あれは失敗でした。どう考えていますか」
私は少しだけ試作機へ視線を向けた。
「あの失敗は必要だったと思っています」
先生の目が少し細くなる。
「理由を聞かせてください」
「わたくしは、熱そのものを制御しようと考えました。ですが、問題は熱を止めることではありませんでした。熱が入り込む経路をなくすことが本質だったからです」
研究を始めた頃の私なら、もっと魔法そのものへ答えを求めていたかもしれない。
けれど今は違う。
現象を見て、原因を考え、必要な場所へ必要な技術を使う。
魔法も、そのための手段の一つに過ぎない。
「結果だけではなく、問題そのものを見直したということですね」
「はい」
先生は穏やかに微笑み、今度はノア様へ視線を向けた。
「ノアさん。あなたから見て、この研究で最も価値があった点は何でしょう」
「保存率95パーセントという数値ではありません」
迷いなく答える。
「誰でも再現できる工程を確立したことです。理論だけでも、偶然の成功でも意味はありません。手順として残せたことで、初めて社会で利用できます」
先生は満足そうに頷いた。
次はエレノア。
「商会として、この研究をどう評価しますか」
「十分に商品化できます」
エレノアは緊張しながらも真っ直ぐ答える。
「ですが、もっと大切なのは、これまで乾燥品しか運べなかった地域へ、高い薬効を保ったまま届けられることです。利益だけではなく、多くの命を救える魔道具になります」
最後はコレット。
「コレットさん。研究助手として、今回何を学びましたか」
「研究は天才だけがするものじゃないと学びました」
コレットは少し照れたように笑う。
「記録を取ることも、測定することも、失敗を整理することも、全部研究でした。私にも役に立てることがあったんだって思えました」
その言葉を聞いて、私は胸の奥が少し熱くなる。
研究は一人ではできない。
この数か月で、何度も実感したことだった。
ヴィオレット先生は私たち四人をゆっくり見渡した。
「皆さん、よく頑張りました」
その一言だけで十分だった。
私は自然と姿勢を正す。
「この研究は、理論、再現性、実用性、社会的意義、その全てを満たしています」
先生は少しだけ微笑みを深くした。
「卒業まではまだ時間があります」
「ですが、この研究は卒業研究として認めるに値すると判断します」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
『卒業研究として認めるに値する』
つまり、私たちの研究は学院が正式に成果として認めたということ。
「……ありがとうございます」
声を出した瞬間、自分でも驚くほど胸がいっぱいになっていた。
ここまで努力してきた時間が、一つの形になった。
その事実だけで十分だった。
「ただし」
先生はいつものように笑う。
「今回の研究は、研究室での成果を出すことが目的ではありません」
「社会へ届けてこそ、本当のゴールです。皆さんはすでにわかっていますね」
その言葉に、私は自然と頷いた。
「はい」
その日の午後。
研究室へエレノアを残し、私とノア様、コレットは試験記録を整理していた。
エレノアは完成した試作機をじっと見つめている。
「エレノア」
私が声を掛けると、彼女ははっと顔を上げた。
「はい」
「グランベル商会へ、この魔道具の商品化をお願いできますか」
彼女は力強く頷いた。
「勿論ですロザモリア」
「この魔道具は研究室だけで持っていても意味がありません。産地で使われ、薬草を運び、病に苦しむ方々へ届けられてこそ価値があります」
彼女は胸の前で両手をぎゅっと握り締める。
「……必ずお父様を説得してみせます」
その瞳には、迷いがなかった。
「必ず商会で検討……いえ」
少しだけ笑う。
「検討では終わらせません」
珍しく力強い声だった。
「この魔道具は、絶対に世の中へ出します」
私は思わず笑みを浮かべた。
研究は完成した。
でも、それは終わりではない。
ここから先は、この研究が誰かの暮らしを変える番だ。
私は完成した試作機へもう一度視線を向ける。
小さな魔道具は、静かにそこにあるだけだった。
けれど、その中には私たち四人が積み重ねてきた時間と、これから救われる数え切れない命への願いが詰まっているように思えた。