TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
王都日報 王国暦384年11月15日朝刊
『リュミナ草流通改善 魔瘴熱の死者数が大幅減』
王立魔法研究院は昨日、国内で流行中の魔瘴熱に関する最新の調査結果を公表した。
報告によれば、感染者数そのものは依然として高い水準で推移しているものの、重症患者および死亡者数はこの一か月で大幅に減少している。
最大の要因として挙げられたのは、特効薬の原料であるリュミナ草の流通改善である。
従来は乾燥加工による薬効低下や輸送中の品質劣化が課題となっていたが、新たに実用化された保存魔道具の導入により、産地から各地への安定供給が可能となった。
王立魔法研究院は、
『流行そのものは終息していない。しかし十分な治療薬が行き渡るようになったことで、多くの命が救われている』
との見解を示した。
また王国各地の診療所からも、
『これまで不足していた薬剤を十分に確保できるようになった』
『重症化する前に治療を開始できる患者が増えた』
といった報告が相次いでいる。
なお、本保存技術の開発には王立アステリア学院ヴィオレット研究室とグランベル商会が協力したことが確認されているが、学院側は開発者個人についての公表を控えている。
王国は本技術について「流行病対策へ極めて大きく貢献した」と評価しており、近日中にも正式な発表を行う見通しである。
◇
「皆さん、お疲れさまでした」
ヴィオレット先生の声が、研究室へ穏やかに響いた。
私たちは自然と手を止め、先生の方を見る。
研究室へ集まっているのは、私、ノア様、エレノア、コレット、そして先生。
今日は研究会の日だけれど、先生の表情はいつもより少しだけ柔らかかった。
「まずは改めて、おめでとうございます」
先生は机の上へ一通の封書を置く。
王家の紋章が押された封蝋。
その意味に気付いた瞬間、胸が少し高鳴った。
「王城より正式な通知が届きました」
研究室が静まり返る。
「今回のフリーズドライ魔道具による功績に対し、ノア・ハーバルさんは男爵への叙爵、ロザモリアさんはオルフェリア勲章の受章が正式に決定しました」
ノア様の男爵への叙爵。
そして私に――オルフェリア勲章。
王国で学術分野最高の栄誉。
「本来であれば王城から直接通知されますが、皆さんは学院の学生ですから、まず私から伝えるよう依頼を受けています」
先生は少しだけ笑う。
「胸を張ってください。皆さんが積み重ねてきた努力の結果です」
隣を見る。ノア様はいつも通りに見えた。
「男爵、ですか……」
「はい。平民からの叙爵としては異例ですが、それだけの功績だと判断されたのでしょう」
ノア様はしばらく黙ったまま通知書を見つめる。
やがて小さく息を吐き、
「父が聞いたら、驚くでしょうね」
とだけ呟いた。
その声音はいつも通り落ち着いている。
けれど、ほんの少しだけ柔らかく聞こえた。
「ロザモリアさん」
先生は続いて私を見る。
「学術分野でここまで評価される学生は滅多にいません。どうか自信を持ってください」
「……ありがとうございます」
胸がいっぱいで、それ以上言葉が出てこなかった。
「エレノアさん」
先生は今度はエレノアへ視線を向ける。
「グランベル商会には税制面での優遇措置が与えられることになりました。王国としても、この技術の普及を後押ししたいのでしょう」
「それなら、お父様も喜んでくださると思います」
エレノアはほっとしたように笑った。
「商会全体への評価になったことが、一番嬉しいです」
その言葉は、いかにもエレノアらしかった。
利益ではなく、商会全体を思っている。
彼女がいたからこそ、この研究は社会へ届いたのだ。
「コレットさん」
先生が今度は後輩へ視線を向ける。
「国から個人への褒賞はありません」
「はい!」
コレットは元気よく返事をする。
少しだけ残念そうな顔をするかと思ったけれど、そんな様子はまったくない。
「ですが」
先生は微笑んだ。
「来年度、この研究室の研究リーダーをお願いしたいと思っています」
「……え?」
今度はコレットが固まる番だった。
「研究リーダー……わたしが、ですか?」
「はい。研究そのものだけでなく、後輩への指導や研究室全体への気配りも含めて、あなたなら任せられると判断しました」
コレットの目がみるみる潤んでいく。
「そんな……わたし、まだまだです……」
「まだまだだから任せない、では育ちません」
先生は穏やかな口調で続ける。
「あなたは、この一年で誰よりも周囲を見ていました」
「ロザモリアさんを支え、ノアさんを支え、研究室全体を支えてくれました」
「それも立派な研究者の資質です」
コレットは両手で口元を押さえたまま、小さく何度も頷いていた。
その姿を見ていると、自然と笑みがこぼれる。
努力は、ちゃんと誰かが見ていてくれる。そう伝えてあげたくなった。
ヴィオレット先生は研究室全員を見渡した。
「皆さん一人ひとりが違う役割を果たしたからこそ、この成果が生まれました」
「どうか、自分だけの功績だとも、自分には何もなかったとも思わないでください」
その言葉は、研究室全体へ向けられていた。
私たちは皆、それぞれの場所で支え合ってきた。
だからここまで来られた。
◇
研究室を出ると、廊下の窓から午後の柔らかな光が差し込んでいた。
「ロザ!」
聞き慣れた声に振り向く。
そこには、廊下で待っていたリリーが立っていた。
私の姿を見るなり、駆け寄ってくる。
「おめでとう! 本当に、本当におめでとう!」
「リリー」
「さっき先生から聞いたの! ロザが頑張ってきたこと、ずっと見てきたもの!」
勢いよく抱きつかれ、思わず一歩よろける。
目を潤ませながら笑う親友につられ、私まで笑ってしまった。
「ありがとうございます」
「違うわ。ありがとう、じゃないでしょう?」
「……うん」
叙勲そのものよりも、この喜びを一緒に分かち合える友人がいることが、何より嬉しいと思った。
◇
研究室には、誰もいなかった。
講義も終わり、日が傾き始めた頃。
私は一人、窓際へ立って夕焼けに染まる学院を眺めていた。
いつもなら、この時間にはノア様が資料を片付けていて。
コレットが「お姉さま、今日はここまでです」と声を掛けてきて。
少し遅れてアンナが迎えに来る。
そんな光景が当たり前になっていた。
けれど今日は静かだった。
机の上には、研究で使ってきた試作機や実験記録が並んでいる。
何度も書き直した魔法式。
赤い線で埋め尽くされた設計図。
失敗と書かれた実験記録。
その一枚一枚を見ていると、この三年間が自然と思い出された。
入学したばかりの頃。
私はただ、自分の力で生きていけるようになりたかった。
結婚だけに人生を委ねたくなくて。
誰にも頼らず、自分の研究で未来を切り開きたい。
そんなことばかり考えていた。
それがいつの間にか変わっていた。
冷蔵魔道具の研究。
エレノアとの出会い。
ノア様との共同研究。
コレットが研究室へ入ってきて、「お姉さま」と呼ばれた日のこと。
リリーと休日に服を選びに行ったことまで思い出して、思わず笑みがこぼれる。
一人では、ここまで来られなかった。
それだけは断言できる。
試作機へそっと手を置く。
冷たい金属の感触が指先へ伝わった。
この魔道具を作ったのは、『私』ではない『私たち』だ。
私は昔から研究が好きだった。
新しいことを知るのが好きだった。
けれど今は、それだけではない。
誰かと一緒に考え、一緒に悩み、一緒に喜ぶ。
そんな研究も、こんなに楽しいものだったのだ。
窓から吹き込む風が、机の上の紙を小さく揺らした。
その音を聞きながら、小さく呟く。
「ありがとうございました」
誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からない。
ヴィオレット先生へ、仲間たちへ、あるいは、この世界そのものへ。
きっとその全部。
この研究室で過ごした日々は、私にとって一生忘れられない宝物になると思えた。
◇
数日後、私たちは王宮へ招かれていた。
案内されたのは、王族が重要な儀式を執り行う大広間。
磨き上げられた白い石床の上には深紅の絨毯が敷かれ、その先には王座が静かに佇んでいる。
壁際には王国の重臣や高位貴族、王立アステリア学院の学院長をはじめとする関係者が居並び、厳かな空気が広間を満たしていた。
その列の中には、お父様とお母様の姿もある。
二人とも私へ声を掛けることはなく、静かに式典を見守っていた。
私は正装に身を包み、緊張した面持ちで列へ並ぶ。
隣にはノア様。
居並ぶ貴族に気後れするようなこともなく、静かで落ち着いた表情。
やがて侍従が高らかに名を告げる。
「ノア・ハーバル」
ノア様が一歩前へ進み、王座の前で跪いた。
功績が読み上げられる。
魔瘴熱対策への貢献。
保存魔道具の共同開発。
王国医療への多大なる寄与。
王は静かに頷き、爵位証書を手に取った。
「其方の功績を称え、男爵位を授ける」
ノア様は深く頭を垂れ、謹んでそれを受け取る。
広間には礼節を込めた拍手が静かに広がった。
私はその姿を見つめながら、胸の奥が温かくなる。
努力が報われた。
そう思った。
続いて私の名前が呼ばれる。
「ロザモリア・アルヴェイン」
私は王の前まで歩み出て、一礼する。
足は震えていない。
不思議なくらい落ち着いていた。
王は勲章を手に取り、私の胸元へ丁寧に留める。
小さな金属の重みが胸へ伝わった。
「学術の発展と王国への貢献を称え、オルフェリア勲章を授与する」
「今後も、その才をもって王国へ尽くされよ」
「身に余る光栄にございます」
私は深く頭を下げた。
広間へ静かな拍手が響く。
頭を上げた瞬間、ふと壁際へ視線が向く。
お父様はいつもと変わらない厳かな表情のまま、小さく頷いていた。
その隣では、お母様が穏やかに微笑んでいる。
その姿を見た途端、胸の奥が少しだけ温かくなった。
けれど、頭へ浮かんでいたのは勲章でも栄誉でもない。
研究室の風景だった。
ノア様が資料へ赤線を書き込む姿。
エレノアさんが嬉しそうに試作機を眺める姿。
コレットが「お姉さま」と笑う姿。
ヴィオレット先生が穏やかに見守ってくださった日々。
その全部があったから、今ここへ立っている。
式典を終え、大広間を辞して控室へ向かう廊下。
ノア様が静かに歩み寄ってきた。
「おめでとうございます」
「ノア様も、おめでとうございます」
お互いに微笑む。
ほんの短い会話だった。
それでも十分だった。
私たちは研究をやり遂げ、そしてその成果は確かに誰かの命を救った。
それ以上に誇れることなんて、きっとない。
私は胸元の勲章へそっと触れる。
その輝きは、一人で手にしたものではない。
大切な仲間たちと積み重ねた時間そのものが、形となって静かに胸元で輝いているように思えた。