TS転生令嬢は婚約したくないので魔法研究で身を立てようと思います 作:Fiomia
夏の空は高く澄み渡り、庭園の木々では蝉に似た魔虫が賑やかに鳴いていた。
東屋へ吹き抜ける風もどこか温かく、机の上に置かれた紙をやさしく揺らしている。
「今日は、標準照明式の応用について勉強しましょう」
ヴィオレット先生はそう言って、一つの小さな魔力媒体を机へ置いた。
魔力を流すと、白い光がふわりと灯る。
何度も見たことのある、ごく普通の照明魔法だ。
「これは街灯や室内灯など、最も身近な魔法です」
先生は部屋全体を見回すように光を動かした。
「派手ではありませんが、魔道産業を支える重要な標準魔法式の一つでもあります」
「はい」
「では、質問です」
先生は魔力媒体を手に持ったまま微笑んだ。
「照明魔法は、どのように周囲を明るくしていると思いますか?」
俺は少し考える。
ロザモリアとして学んだ知識だけなら、「光属性の魔力が周囲へ放出される」と答えるところだろう。
だが、前世の知識がある今は違う。
「……光を出している、でしょうか」
「ええ」
先生は頷く。
「では、その光とは何でしょう」
「現在の魔法学では、光属性の魔力が波として周囲に伝わると考えられています」
俺は先生の説明を聞き、机へ広げられた標準照明式へ視線を落とした。
円……直線……いくつもの構文。
見慣れた魔法式。
以前は「光を灯す構文」としか思わなかった。
だが今日は、なぜか違って見えた。
(この構文……)
中央付近にある繰り返し構造。
周囲へ均等に枝分かれする線。
細かく刻まれた制御記号。
どこかで見た考え方に似ている。
俺は紙を見つめながら、小さく呟いた。
「もしかして……」
「何か気付きましたか?」
ヴィオレット先生が優しく問い掛ける。
「まだわかりません」
俺は正直に答えた。
「でも、この魔法式は『波を作る』というより……」
頭の中で、前世の記憶を探る。
光とは何だったか。
学校で習った知識。
仕事では使わなかったが、教養として覚えている。
(光は……)
波であり、粒子でもある。
「先生」
「はい」
「光って何からできているんでしょう」
ヴィオレット先生は少しだけ驚いたようだった。
「興味深い質問ですね」
否定することなく、少し考えてから答える。
「残念ながら、まだはっきりとは分かっていません」
「そうなんですか」
「魔法理論では『光の素』と表現する研究者もいますし、『光属性魔力そのもの』だと考える方もいます」
まだ統一された説はないらしい。
なら、俺の考えもすぐには否定されない。
「ロザモリアさんは、どう思われますか?」
先生は穏やかに尋ねた。
俺は少し迷う。
前世の知識を、そのまま話していいものだろうか。
もちろん「前世では」とは言えない。
「……想像なんですが」
「ええ」
「光って、とても小さな粒が飛んでいるんじゃないでしょうか」
ヴィオレット先生は静かに目を見開いた。
驚いてはいる。
だが、その表情は興味を示した研究者のものだった。
「粒、ですか」
「はい」
俺は標準照明式を指差す。
「この構文って、何かをたくさん外へ送り出しているように見えるんです」
先生も紙へ目を落とす。
「確かに、そのようにも読めますね」
「だから……」
俺は少しずつ言葉を選びながら続ける。
「光属性の波を広げているだけじゃなくて、粒も動かしているんじゃないかなって」
東屋に静かな時間が流れた。
ヴィオレット先生は否定しない。
紙と俺を交互に見ながら、ゆっくり考えている。
「面白い仮説です」
「波として説明できる現象ばかり見てきましたが、粒として考える視点はありませんでしたね」
その一言に、ほっと息をついた。
「本当ですか?」
「ええ」
先生は標準照明式を指先でなぞる。
「もしロザモリアさんのお考えが正しいとすれば、この魔法式は光属性魔力の波の発生のみならず、粒子の制御も行われているという見方もできます」
その言葉を聞き、胸が少し高鳴る。
やはり先生は面白がってくれる。
「ここ」
先生は枝分かれした構文を指差した。
「この構文は、光を均等に拡散する制御ですね」
「わたくしも、そう思います」
「ですが」
先生は少し笑った。
「こちらの構文では、波ではなく粒子を均等に散らしている、と考えた方が正しいように思われます」
「はい」
魔法式が、急に違って見えてきた。
魔力の波を発生させる構文、同時に無数の粒を制御する構文。
そう考えると、一本一本の線にも意味がありそうに思える。
俺は紙を見つめながら、さらに考えを巡らせた。
(粒なら……)
光は前世では粒子としても振る舞う。
そして粒子なら、向きがあるはずだ。
今の標準照明式は、向きが定義されていないから周囲全体へ広がる。
もし。
もし、その向きを揃えられたら。
俺の頭の中で、一つの可能性が形になり始める。
「先生」
「はい」
「もう一つだけ、思ったことがあるんです」
ヴィオレット先生は期待するように微笑んだ。
「ぜひ聞かせてください」
俺は標準照明式の空いている余白へ、小さく補助構文を書き始めた。
まだ確信はない。
それでも、この考えを試してみたいという気持ちが、胸いっぱいに広がっていた。
◇
俺は紙の余白へ、慎重に補助構文を書き足していく。
標準照明式そのものは変えない。
光を外へ送り出す流れも、そのままだ。
ただ、一か所だけ。
光を拡散させる直前へ、小さな構文を加える。
「これは……?」
ヴィオレット先生が静かに身を乗り出す。
「まだ思いつきです」
俺は正直に答えた。
「でも、もし光が粒としても振る舞うなら」
「ええ」
「飛び出す向きを少し揃えられるんじゃないかなって」
先生は補助構文をじっと見つめた。
「なるほど……」
否定ではなく、考察の声だった。
「拡散する前に方向を制御する、と」
「はい」
前世ではレーザーというものがあった。
詳しい理論までは覚えていない。
ただ、光の向きを揃えることで遠くまで届く光になる、という程度の知識は残っている。
もちろん、この世界で同じことが起こる保証はない。
だから俺も「できる」とは言わない。
「試してみても、いいでしょうか」
その一言に、ヴィオレット先生は嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんです」
すぐに机の引き出しから、小さな練習用の魔力媒体を取り出す。
「こちらは授業用です。失敗しても問題ありません」
「ありがとうございます」
先生は俺が描いた補助構文を見ながら、丁寧に魔力媒体へ刻み込んでいく。
標準照明式。
そして、その横へ小さく追加される新しい構文。
「これで完成です」
媒体を机へ置く。
「どうなるかは分かりません」
「はい」
「ですが、実験とはそういうものです」
先生の声は穏やかだった。
「結果が予想と違っても、それも立派な成果ですよ」
その言葉に頷き、俺は魔力媒体を両手で包む。
ゆっくりと魔力を流した。
いつものように標準照明式が起動する。
白い光が生まれる。
だが、その次の瞬間だった。
「あ……」
光が広がらない。
東屋全体を照らすはずの光が、一方向へ細く伸びていく。
その先に置かれていた木製の箱だけが、昼間にもかかわらず眩しいほど明るく照らし出された。
周囲はほとんど変わらない。
箱だけが、まるで光を集められたように輝いている。
「成功……?」
思わず呟く。
ヴィオレット先生は何も言わなかった。
箱へ歩み寄り、光の当たり方を様々な角度から確かめている。
「周囲への拡散が大幅に減っていますね……」
小さく呟きながら、今度は手を光の道へ差し入れる。
「途中の光も確認できます」
先生は振り返った。
赤い瞳が、興奮を隠しきれていない。
「ロザモリアさん」
「はい」
「もう一度、発動していただけますか」
俺は頷き、同じように魔力を流す。
結果は変わらなかった。
細くまとまった光が、一直線に飛び、狙った場所だけを明るく照らす。
「再現しています……」
ヴィオレット先生は感嘆の息を漏らした。
「偶然ではありません」
俺も自然と笑みがこぼれる。
本当にできた。
もちろん、前世で知っているレーザーのように鋭い一本の光ではない。
光はまだ少し広がっている。
それでも、標準照明式とは明らかに違う性質になっていた。
「先生」
「ええ」
「やっぱり粒なんでしょうか」
ヴィオレット先生は少し考え、静かに首を横へ振った。
「まだ断言はできません」
その言い方が、先生らしかった。
「ですが」
先生は魔力媒体を大切そうに持ち上げる。
「光属性の波という考え方だけでは、この結果は説明できません」
「少なくとも、この補助構文によって光の広がり方が変わったことは事実です」
それは誰が見ても否定できない。
「もし光を構成する何かが存在するなら」
先生は紙へ視線を落とす。
「それらの振る舞いを制御した結果、と考えることもできます」
俺は少しだけ安心した。
頭ごなしに否定されることはないと思っていた。
それでも、自分の考えを受け止めてもらえたことは嬉しい。
ヴィオレット先生は、俺が書いた補助構文を何度も見返している。
「面白いですね」
ぽつりと呟く。
「私たちはこれまで、『標準照明式は光を灯すもの』という結果ばかりを見てきました」
先生は微笑んだ。
「ですがロザモリアさんは、『何を制御しているのか』という原因へ目を向けた」
「魔法式は、まだ私たちが理解しきれていないことばかりなのかもしれません」
先生の声には、研究者としての高揚が滲んでいた。
「この補助構文も、きちんと理論を整理すれば、照明以外の魔法式にも応用できる可能性があります」
「本当ですか?」
「ええ」
先生は迷いなく頷く。
「これは一度きりの思いつきで終わらせるには惜しい発見です」
そう言って、俺が描いた紙を丁寧に革の書類入れへしまった。
「ロザモリアさん」
「はい」
「次の授業では、この現象を一緒に整理してみましょう」
「整理、ですか」
「ええ。なぜ成功したのかを言葉にできれば、それは知識になります」
その言葉は、前世の仕事にもよく似ていた。
動いただけでは終わらない。
なぜ動いたのかを理解して初めて、次に応用できる。
「はい!」
俺は大きく頷いた。
もっと知りたい。
もっと考えたい。
この世界の魔法は、まだ誰も見つけていない可能性で満ちている。
そんな予感に胸を躍らせながら、俺は再び標準照明式の紙へ視線を落とした。