星の王子と花の姫君   作:百合魔神

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落とした星、拾った花

落とした星、拾った花

 

ノーブル学園の女子寮に、白くてふわふわした犬が住み始めた。

 

廊下でも食堂でも、その話題を聞かない日はない。寮則ではペットの飼育が禁止されていたが、生徒たちの投票と、風紀委員を守ろうとした行動が認められ、特別に許可されたらしい。

 

きららは、その犬が普通の犬でないことを知っていた。

 

名前はパフ。

 

ホープキングダムから来た妖精で、春野はるかをキュアフローラへ導いた存在だ。

 

「きららちゃん!」

 

朝食を終えて食堂を出たところで、後ろから呼び止められる。

 

振り返らなくても、誰かは分かった。

 

「何?」

 

はるかが、白い塊を両腕で抱えて駆け寄ってくる。その後ろからは、ゆいが困ったように笑いながらついてきた。

 

「見て! この子がパフだよ!」

 

はるかの腕の中で、パフが長い耳を揺らす。

 

つぶらな瞳が、きららをまっすぐ見上げた。

 

森で見た少女だと気づかれているのか。それとも、ただ目が合っただけなのか。判断できず、きららはなるべく関心のない顔を作る。

 

「へえ」

「かわいいでしょ?」

「毛が多いね」

「もっと感想ないの?」

「犬には詳しくないから」

 

パフの耳がぴくりと動いた。

 

「い――」

「わあっ、パフ! お腹空いたのかな?」

 

声を出しかけたパフを、はるかが慌てて抱き直す。

 

きららはそれを見なかったふりで通した。

 

「じゃ、あたし急ぐから」

「今日もお仕事?」

「放課後に撮影」

「頑張ってね、きららちゃん!」

「ありがと」

 

短く返し、歩き出す。

 

最近のはるかは、きららを見つけるたびに声をかけてくるようになった。

 

朝の食堂。昼休みの廊下。放課後の中庭。話題がなくても「ごきげんよう」と挨拶し、何か一つ会話をしようとする。

 

無視すれば追いかけてくる。立ち止まれば、満開の笑顔を向けられる。

 

知らないふりを続けるには、短い会話だけで満足させる方が効率的だった。

 

そう考えているだけだ。

 

決して、声をかけられることへ慣れ始めているわけではない。

 

放課後、きららは制服の上から薄手の上着を羽織り、仕事用の鞄を持って寮を出た。

 

撮影場所は夢ヶ浜の市街地にあるスタジオだ。校門前へ迎えの車が来るまで、あまり時間がない。

 

近道を使うため、庭園沿いの細い道へ入る。

 

木々の間を抜ける風が、制服の裾を揺らした。きららはスマートフォンで時刻を確認し、足を速める。

 

その時、茂みの中で金色の光が反射した。

 

きららの足が止まる。

 

小さな金属片か、誰かが落としたアクセサリーだろう。そう考え、見なかったことにして通り過ぎようとする。

 

だが、反対側から歩いてきた生徒も光に気づいた。

 

「あれ、何か落ちてる?」

 

生徒が茂みへ近づいていく。

 

きららは咄嗟に声をかけた。

 

「待って」

「天ノ川さん?」

「枝が多いから、制服引っかけるよ」

「でも、何か光った気がして」

「あたしが見ておく。校門の方に行くんでしょ?」

「うん。じゃあ、お願いしてもいい?」

「先生に届けとくよ」

 

生徒が礼を言い、先へ進む。

 

姿が見えなくなるのを待ってから、きららは茂みへ向き直った。

 

近づくほど、見覚えのある形がはっきりしてくる。

 

金色の装飾。

 

宝石のような飾り。

 

香水瓶を思わせる本体。

 

「冗談でしょ……」

 

落ちていたのは、三つ目のプリンセスパフュームだった。

 

パフとアロマが探していた物。

 

そして、前世で知っている天ノ川きららが、キュアトゥインクルになるために使う物だった。

 

きららは周囲を見回す。

 

誰もいない。

 

そのまま立ち去ればいい。

 

パフュームが見つからなければ、三人目のプリンセスプリキュアも見つからない。自分が戦わずに済む可能性が高くなる。

 

一歩、後ろへ下がる。

 

風に揺れた葉が、パフュームへ触れた。

 

このまま放置すれば、別の生徒が拾う。

 

珍しい香水瓶だと思って使うかもしれない。落として壊すかもしれない。ディスダークに回収される可能性もある。

 

何も知らない誰かが、自分の代わりに危険へ巻き込まれるかもしれない。

 

「……ほんと、最悪」

 

きららは鞄からハンカチを取り出した。

 

直接触れないよう包み込み、パフュームを持ち上げる。

 

掌へ重みが伝わった瞬間、ハンカチ越しに温かなものが広がった。

 

きららの身体が強張る。

 

パフュームの飾りが、一度だけ淡く輝いた。

 

「やめてよ」

 

誰もいないのに、声を潜める。

 

「あたしは違うから」

 

輝きはすぐに消えた。

 

きららはパフュームをハンカチで包んだまま、仕事用鞄の内ポケットへ入れた。はるかの部屋の前へ置くか、誰も見ていない時にパフたちの近くへ戻せばいい。

 

持っているのは、それまでの間だけだ。

 

鞄のファスナーを閉じ、立ち上がる。

 

その拍子に、制服の襟から星の指輪がこぼれ出た。

 

長年使い続けた細い紐は、前日の避難誘導で服へ引っかかった際、一部がほつれていた。きららが身体を起こすと、紐が茂みの枝へ絡まる。

 

首元に小さな抵抗を感じた。

 

制服の襟が引っかかったと思い、枝を手で払う。

 

紐が音もなく切れた。

 

星の指輪はきららの背後へ落ち、草の間へ沈む。

 

迎えの車が到着したという通知が、スマートフォンへ届いた。

 

「やば」

 

きららは鞄を持ち直し、校門へ走り出した。

 

草の中に残された星が、午後の光を受けて輝く。

 

きららは、一度も振り返らなかった。

 

夢ヶ浜の撮影スタジオでは、春向けの衣装が何着も並んでいた。

 

きららは制服から用意された服へ着替え、ヘアメイクを受ける。鏡の中で、明るい茶色の髪が衣装に合わせて整えられていく。

 

「きららちゃん、今日は少し眠そうね」

 

メイクを担当するスタッフが、目元を確認する。

 

「寮生活が始まったばっかりだから。まだ枕に慣れてないのかも」

「疲れてるなら言ってね」

「大丈夫。撮影始まれば目も覚めるから」

 

笑って答える。

 

モデルの天ノ川きららに、プリキュアへの恐怖は関係ない。

 

求められた服を最も美しく見せる。カメラの前では、余計なことを考えない。それが自分の仕事だった。

 

撮影が始まると、身体は自然に動いた。

 

カメラの位置に合わせて視線を変え、衣装の裾が最もきれいに広がる角度で振り返る。カメラマンから指示が出るより先に、求められている表情を作る。

 

数着目の衣装へ着替えたところで、短い休憩が入った。

 

きららは仕事用鞄を開けた。

 

内ポケットに入れた物が気になって仕方がない。衝撃で壊れていないか確かめるため、ハンカチの包みを取り出す。

 

そっと布を開く。

 

プリンセスパフュームは、拾った時と同じ姿でそこにあった。

 

きららは金色の飾りを見つめる。

 

これを持って、ドレスアップキーを差し込めば、キュアトゥインクルになる。

 

怖いと思う一方で、前世の画面越しに見た姿が脳裏へ浮かぶ。

 

星の光をまとい、空を駆ける黄色いプリキュア。

 

元の天ノ川きららは、迷いながらも自分の意志で戦った。モデルの夢を諦めず、仲間も見捨てなかった。

 

だが、それは自分ではない。

 

「そんな目で見ても駄目だから」

 

きららはパフュームへ呟いた。

 

「何も頼まれてないし、頼まれても断るから」

 

ハンカチへ包み直そうとした時、撮影ブースから声が飛んできた。

 

「きららちゃん、そのままこっち向いて!」

 

反射的に顔を上げる。

 

カメラのシャッターが切られた。

 

「うん、いいね。自然な表情」

「ちょっと。今の休憩中でしょ」

「ごめん、ごめん。照明の確認。でも、その香水瓶、今の衣装に合うね」

「これは撮影用じゃないよ」

「一枚だけ持ってみてくれない? オフショットに使えるかも」

 

断るべきだった。

 

だが、強く拒否すれば理由を聞かれる。大事そうにハンカチで包んでいる時点で、すでにスタッフの関心を引いている。

 

きららはパフュームを片手で持ち上げた。

 

「一枚だけだからね」

「分かってる。じゃあ、少し窓の方を見て」

 

指示に合わせて顔を動かす。

 

柔らかな光が横顔へ当たり、プリンセスパフュームの金色の飾りが輝いた。

 

シャッターが切られる。

 

「やっぱり似合うね。星をつかまえた女の子みたい」

「香水瓶でしょ、これ」

「そうだけど、きららちゃんが持つと何でも特別に見えるから」

 

カメラマンは満足そうに撮影データを確認した。

 

きららはすぐパフュームをハンカチへ包み、鞄へ戻す。

 

照明確認の一枚だ。雑誌の本編に使われることはない。

 

そう思い、それ以上は気にしなかった。

 

同じ頃、はるかたちは学園の庭園を探していた。

 

「こっちにもないパフ……」

「昨日も探した場所ロマ。もう一度、範囲を広げるロマ」

 

パフとアロマが茂みの間を確認し、はるかとみなみは人目を気にしながら後を追う。

 

三つ目のプリンセスパフュームは、まだ見つかっていない。

 

「誰かが拾ってくれてたらいいんだけど」

「そうね。ただ、普通の落とし物として届けられているとは限らないわ」

「もう一回、先生にも聞いてみます!」

「その前に、こちらを探し終えましょう」

 

みなみの言葉に頷き、はるかは茂みへ近づいた。

 

地面の近くで何かが光った。

 

「待って。今、何か……」

 

葉をかき分ける。

 

草の間に、小さな金属が落ちている。

 

はるかは指先でつまみ上げた。

 

中央に、五つの角を持つ星があった。

 

息が止まる。

 

何度も見た形だった。

 

幼い頃、小さな手に載せてもらった星。

 

離れ離れになる日まで、キラが大切に持っていた指輪。

 

表面に残された細かな傷まで、記憶と同じだった。

 

「キラくん……?」

 

みなみが振り返る。

 

「どうしたの、春野さん?」

「これ……」

 

はるかは制服のポケットへ手を入れた。

 

大切にしまっていた小さな袋を取り出し、中から淡い桃色の指輪を出す。中央には、五枚の花びらを持つ花があしらわれている。

 

星と花。

 

二つの指輪を掌へ並べる。

 

同じ色の金属。同じ太さ。同じように丸みを帯びた飾り。

 

間違えるはずがない。

 

「キラくんの指輪です」

 

はるかの声が震えた。

 

「昔、一緒に選んだんです。キラくんが星で、わたしが花。ずっと大切に持っていようって……」

「キラさんというのは?」

「小さい頃の友達です」

 

花の指輪を握りしめる。

 

「泣いてたわたしを助けてくれて、プリンセスになる夢を応援してくれたの。すごく優しくて、かっこよくて、王子様みたいな男の子だったんです」

「その方とは、今も会っているの?」

「ううん。引っ越しで離れ離れになって、それから一度も」

 

はるかは星の指輪を見る。

 

「でも、約束したんです。わたしが本当のプリンセスになったら、星を持って会いに来てくれるって」

 

キュアフローラになった。

 

まだ真のプリンセスではないかもしれない。それでも、あの頃より夢へ近づいている。

 

その今、キラの指輪がノーブル学園に落ちていた。

 

「来てくれたんだ……」

 

頬が自然に緩む。

 

「キラくん、この学園にいるんだ!」

 

はるかは立ち上がった。

 

「探さなきゃ!」

「待って、春野さん」

「こうしていられません! 男子寮かもしれないし、先生かもしれないし、それから――」

「落ち着いて。まずは状況を整理しましょう」

 

みなみの静かな声に、はるかはどうにか足を止めた。

 

「指輪がここに落ちていたのなら、持ち主が学園内にいる可能性は高いわ。でも、卒業生や来客が落とした可能性もあるでしょう?」

「そう、ですよね」

「落とし物として届け出ましょう。そのうえで、心当たりのある方を探すのがいいわ」

「はい!」

 

返事だけは素直だった。

 

目はすでに、周囲を探し始めている。

 

アロマが茂みを一周し、戻ってくる。

 

「パフュームの気配はこの辺りで途切れているロマ」

「じゃあ、近くに落ちてたのかな?」

「その可能性が高いロマ。でも、もうここにはないロマ」

 

はるかは星の指輪を大切そうに握った。

 

プリンセスパフュームは見つからなかった。

 

だが、探し続けていた別の大切なものが見つかった。

 

撮影を終えたきららが学園へ戻った時には、空が茜色に染まり始めていた。

 

自室へ入り、制服へ着替える。

 

鞄からプリンセスパフュームを取り出し、机の上へ置いた。夜になったら、はるかの部屋の前へ置いてくればいい。

 

誰にも見られず返せば、自分が拾ったことも知られない。

 

制服の襟を整えようと、首元へ手を触れる。

 

指先が空を切った。

 

きららの動きが止まる。

 

もう一度、襟の内側を探る。

 

紐がない。

 

星の指輪もない。

 

「……うそ」

 

脱いだ上着を持ち上げる。

 

ポケットを探り、床を確認し、制服の裏地まで調べる。

 

ない。

 

仕事用の鞄をベッドへ置き、中身をすべて取り出す。化粧道具、手帳、ペンケース、飲み物、資料。内ポケットも、底の隙間も確認する。

 

星は出てこない。

 

撮影用の鞄も開ける。

 

それでも見つからない。

 

「どこ……」

 

記憶をたどる。

 

朝、首から下げた。

 

食堂を出た時も、胸元に感触があった。授業中にも一度、制服の上から触れた。

 

放課後。

 

茂み。

 

プリンセスパフュームを拾うため屈み、立ち上がった時、首元に何かが引っかかった。

 

「まさか……!」

 

きららは部屋を飛び出した。

 

廊下を走り、階段を下りる。

 

途中で生徒に驚かれたが、構っていられなかった。

 

庭園へ続く扉を開ける。

 

茂みまで一気に走り、草をかき分ける。

 

夕方の薄暗さの中、地面を何度も探す。枝の一つに、切れた紐の端が引っかかっていた。

 

きららはそれを指でつまみ上げた。

 

指輪はない。

 

誰かが拾った。

 

近くから、明るい声が聞こえてくる。

 

「この星の指輪、誰か知りませんか?」

 

心臓が止まりかけた。

 

きららは反射的に木の陰へ身を隠した。

 

中庭では、はるかが数人の生徒へ星の指輪を見せている。隣にはゆいがいて、聞き取った内容を小さなノートへ書いていた。

 

「見たことないかな?」

「ごめん、分からない」

「そっか。ありがとう!」

 

生徒たちが立ち去る。

 

ゆいがノートを確認する。

 

「今のところ、持ち主を知っている人はいないね」

「でも、絶対この学園にいるよ」

「どうして、そこまで分かるの?」

「だって、これはキラくんがずっと大切にしてた指輪だもん。なくしたままにするはずないよ」

 

胸を刺されたような気がした。

 

なくしたくて、なくしたわけではない。

 

きららは指輪を大切にしていた。女の身体への反抗から使い始めた偽名も、はるかに呼ばれてからは、ただの借り物ではなくなった。

 

星の指輪は、キラとして過ごした時間が嘘ではなかった証拠だった。

 

「昔の大切な友達なの」

 

はるかは星を掌へ載せ、嬉しそうに笑う。

 

「きっと、わたしに会いに来てくれたんだよ」

 

今、出ていけばいい。

 

自分のものだと言えば、指輪は返してもらえる。

 

だが、どう説明する。

 

キラから譲られた。

 

親戚のものだった。

 

偶然同じ指輪を持っていただけ。

 

どの嘘を選んでも、はるかの花の指輪と並べられれば、綻びが出る。

 

きららは木の陰で、切れた紐を握った。

 

「どうすりゃいいんだよ……」

 

焦りから、昔の一人称が漏れた。

 

はるかは気づかない。

 

星の指輪を大切そうに小さな袋へ入れ、胸元へ抱える。

 

それを見て、きららは出ていくことができなくなった。

 

翌日から、はるかの持ち主探しが始まった。

 

朝は男子生徒へ尋ね、昼休みには教員へ話を聞く。ゆいが作った候補の一覧には、キラという名前に近い者や、幼い頃にはるかが住んでいた町に縁のある者まで記されていた。

 

男子寮へ直接入ることはできないため、みなみが生徒会を通して確認しているらしい。

 

きららは、教室の窓からその様子を見ていた。

 

自分が疑われていないことには安心する。

 

はるかの記憶にいるキラは男だ。天ノ川きららという女子生徒が、最初から候補へ入るはずはない。

 

しかし、はるかが懸命にキラを探す姿を見るたび、胸の奥が重くなる。

 

キラはここにいる。

 

それでも名乗ることができない。

 

授業の合間、きららはノートの端へ短い文章を書いた。

 

――その指輪は持ち主が分かっている。落とし物箱へ預けてほしい。

 

読み返し、すぐ破り捨てる。

 

誰が書いたのか探されるに決まっている。

 

次に考えたのは、はるかが席を外した隙に指輪を取り戻す方法だった。

 

藤組の教室へ行き、机の中にある小袋を取る。それだけなら数秒で済む。

 

だが、それは返してもらうのではない。

 

はるかから盗むことになる。

 

「それやったら、完全に最低じゃん」

 

きららは机へ額をつけた。

 

プリンセスパフュームと交換する案も考えた。指輪を返してくれるなら、探している物の場所を教える。

 

だが、それでは自分が両方の場所を知っていたと認めることになる。

 

どの方法も使えない。

 

結局、きららは何もできないまま、はるかの持ち主探しを見守ることしかできなかった。

 

昼休み。

 

教室の入口が騒がしくなる。

 

顔を上げると、はるかがこちらをのぞき込んでいた。

 

目が合った瞬間、満面の笑みを浮かべる。

 

「きららちゃん!」

 

逃げ道を探した。

 

窓は開いているが、一階ではない。反対側の扉へ向かえば、露骨に避けていると思われる。

 

きららは諦めて椅子へ座り直した。

 

「何?」

「聞きたいことがあるんだけど、今いい?」

「よくなくても聞くでしょ」

「うん!」

 

そこは否定してほしかった。

 

はるかが机の前へ来る。

 

大切そうに小袋を開き、星の指輪を取り出した。

 

目の前へ差し出される。

 

「この指輪、見たことない?」

 

知らないはずがない。

 

星の角に残った傷も、輪の内側の小さな変色も覚えている。幼い頃から何度も指でなぞり、成長して指へ入らなくなってからは、紐を通して首から下げていた。

 

きららは、指輪へ手を伸ばしそうになるのを堪えた。

 

「知らない」

「そっか……」

 

はるかの肩が目に見えて下がる。

 

その顔に耐えられず、きららは視線をそらした。

 

「何であたしに聞くの?」

「きららちゃん、星が似合うから」

「どういう理由?」

「名前もキラキラしてるし、モデルさんだし。きららちゃんって、お星様みたいだなって」

 

キュアトゥインクル。

 

きらめく星のプリンセス。

 

まだなってもいない名前を呼ばれたようで、きららの背筋に冷たいものが走った。

 

「そんなので持ち主決めないでよ」

「ごめん。でも、似合うと思ったのは本当だよ」

 

はるかは星の指輪を自分の掌へ戻す。

 

「これ、昔の大切な友達のものなの。キラくんっていう男の子」

「男の子なんだ」

「うん。すごく優しくて、かっこいいんだよ!」

 

自分のことを語られているのに、他人の話を聞いているようだった。

 

「わたしがプリンセスになったら、会いに来てくれるって約束したの。だから、絶対に見つけるんだ」

 

はるかの目は、少しも疑っていない。

 

キラが約束を守り、会いに来てくれたと信じている。

 

実際には、再会した日に逃げた。

 

森では木の陰へ隠れ、今も目の前で嘘をついている。

 

「……見つかるといいね」

 

それだけを口にする。

 

「うん!」

 

はるかは指輪を袋へ戻した。

 

「忙しいのにありがとう、きららちゃん」

「別に」

「また何か思い出したら教えてね」

「期待しないで」

 

はるかが教室を出ていく。

 

その背中が見えなくなるまで、きららは追いかけるように目を向けていた。

 

星の指輪を取り戻す方法は、ますます分からなくなった。

 

その日の夜。

 

ゆいは寮の自室で、机の上へ雑誌を広げていた。掲載された絵や写真の構図を、絵本作りの参考にするためだった。

 

「この服、きれいだね」

「本当だね。わたしも、こんなドレス着てみたいなあ」

 

隣で見ていたはるかが、ページをめくる。

 

雑誌の後ろに載っていた案内から、公式サイトへアクセスする。撮影のオフショットが更新されたという告知が表示されていた。

 

画面に映ったのは、窓辺に立つきららだった。

 

春らしい淡い色の衣装をまとい、柔らかな光の中で横顔を見せている。

 

「きららちゃん、ステキすぎる……!」

「本当にきれい。普段と少し雰囲気が違うね」

「同じ一年生なのに、すごいなあ」

 

はるかは写真を拡大した。

 

その手が止まる。

 

きららの右手に、香水瓶のような物が握られている。

 

金色の飾りと、特徴的な形。

 

「これ……」

 

はるかは立ち上がり、部屋の扉と窓を確認した。

 

「パフ、アロマ。ちょっと来て!」

 

ベッドの陰からパフが、カーテンの近くからアロマが顔を出す。

 

「どうしたパフ?」

「これを見て」

 

二匹が画面をのぞき込む。

 

「プリンセスパフュームパフ!」

「間違いないロマ! なくした三つ目のパフュームだロマ!」

 

はるかは写真を見つめた。

 

「きららちゃんが持ってる……」

 

連絡を受けたみなみも部屋へ来て、画面を確認する。

 

「撮影で使われた小物という可能性はないの?」

「でも、形も飾りも同じパフ」

「本物のプリンセスパフュームは一つしかないロマ」

「なら、きららさんが拾ったのかもしれないわね」

 

みなみは落ち着いて答える。

 

「写真だけで、それ以上のことを決めつけるべきではないわ。明日、本人から事情を聞きましょう」

「はい」

 

はるかは頷いた。

 

写真の中のきらら。

 

その手にあるプリンセスパフューム。

 

星の指輪が落ちていた場所では、パフュームの気配も途切れていた。

 

森で見た、明るい茶色の髪。

 

怪我をした時、幼い頃のキラと同じように腕を支えた手。

 

無理して立つなと言った声。

 

キラと似た名前。

 

昔から知っているような、説明できない懐かしさ。

 

一つなら偶然だった。

 

二つでも、思い込みかもしれない。

 

だが、重なるものが多すぎる。

 

それでも、最後に一つだけ越えられない違いが残っている。

 

キラは男の子だった。

 

きららは女の子だ。

 

「きららちゃん、何か知ってるのかな」

 

星の指輪を握る。

 

「明日、聞いてみる」

 

はるかの瞳に迷いはなかった。

 

同じ頃、きららのスマートフォンにも通知が届いていた。

 

撮影スタッフから送られたメッセージだった。

 

――今日のオフショット、公式サイトに載ったよ。すごく評判いい!

 

嫌な予感がした。

 

リンクを開く。

 

画面いっぱいに、自分の写真が表示された。

 

淡い衣装。窓から差し込む光。自然に緩んだ表情。

 

そして、右手に握られたプリンセスパフューム。

 

きららの思考が止まった。

 

写真を拡大する。

 

どう見ても、はっきり写っている。

 

パフとアロマが探している物。

 

それを、自分が持っている証拠。

 

しかも、パフュームを拾った場所では、星の指輪を落としている。

 

二つの落とし物が、同じ場所から自分へつながってしまった。

 

「最悪……」

 

きららはベッドへ倒れ込み、枕へ顔を埋めた。

 

はるかは雑誌やファッションサイトを見る。

 

今日だって、写真を見つける可能性は十分にある。

 

見つけたら、必ず来る。

 

遠慮せず教室まで来て、真正面から尋ねる。

 

きららには、その姿が簡単に想像できた。

 

「明日だけ、仕事入んないかな……」

 

スマートフォンが、もう一度震える。

 

明日の予定を知らせる通知だった。

 

午前中は通常授業。

 

逃げる理由はどこにもない。

 

きららは枕へ顔を埋めたまま、長く息を吐いた。

 

その頃、はるかは星の指輪を両手で包み、明日を待ちきれない様子で笑っていた。

 

「明日、きららちゃんに聞いてみる!」

 

同じ夜、きららは本気で、明日だけ学校を休めないか考えていた。

 

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