星の王子と花の姫君 作:百合魔神
きらめく星を、見つけた
目覚ましが鳴るより先に、きららは目を覚ました。
薄暗い部屋の中で、枕元の時計だけがぼんやりと光っている。まだ起きる必要はなかったが、もう一度眠れる気はしなかった。
制服を着て、教室へ行けば、きっと春野はるかが待っている。
雑誌の公式サイトへ掲載された写真。自分の手に握られたプリンセスパフューム。そして、はるかが拾った星の指輪。
考えれば考えるほど、学校へ行かない理由ばかり浮かんでくる。
熱があると言えばいい。撮影の都合で欠席することも珍しくない。今日一日休めば、少なくとも考える時間は稼げる。
「……ばかみたい」
きららは毛布を跳ね除けた。
熱もないのに仕事から逃げるような真似はしたくない。学校を休んだところで、はるかが諦めるとも思えなかった。
洗面台の鏡には、ひどく不機嫌な顔が映っていた。
明るい茶色の髪を整え、制服へ着替える。朝食を済ませ、寮を出る頃には、いつもと変わらない天ノ川きららの顔を作れていた。
ただ、首元だけが妙に軽かった。
そこにあるはずの星がないことを意識するたび、胸の奥が落ち着かなくなる。
ノーブル学園へ着いたきららは、昇降口で誰にも呼び止められなかったことに安堵した。
その安堵は、自分の教室が見えたところで消えた。
「きららちゃん!」
教室の前で、はるかが大きく手を振っていた。その隣には、海藤みなみが立っている。
朝から目立つ二人組だった。廊下を通る生徒たちが何事かと視線を向けている。
きららは踵を返しかけた。
「待って、きららちゃん!」
駆け寄ってきたはるかに回り込まれ、逃げ道を塞がれる。
「朝から何」
「聞きたいことがあるの」
「これからホームルームなんだけど」
「まだ時間はあるわ」
みなみが廊下の時計を確認する。
最初から逃がすつもりはないらしい。
「ここじゃ目立つから、場所変える」
きららは二人を連れ、同じ階の空き教室へ入った。扉を閉めると、廊下のざわめきが少しだけ遠くなる。
はるかは鞄から一枚の紙を取り出した。雑誌の公式サイトを印刷したものらしく、そこには撮影の合間に撮られたきららの写真が載っていた。
問題の右手もしっかり写っている。
「これ、プリンセスパフュームだよね?」
きららはしばらく写真を眺めた後、肩掛け鞄を開いた。
布で包んでいたプリンセスパフュームを取り出し、机へ置く。
「庭で拾ったの」
「庭?」
「撮影してた建物の庭。茂みの中に落ちてた」
はるかの表情が変わった。
「どの辺り?」
「花壇の裏。低い木が並んでるところ」
「……そこ、わたしも行ったよ」
はるかの右手が、制服のポケットへ触れる。
「この子を拾ったのも、そこだったから」
取り出されたのは、銀色の小さな指輪だった。
星をかたどった飾りには、いくつもの細かな傷がついている。それでも、見間違えるはずはなかった。
自分がはるかのために花の指輪を選んだ日から、ずっと持っていたものだ。
きららは視線を逸らした。
「それが何」
「きららちゃん、この指輪を知ってる?」
はるかは星の指輪を両手で包んでいた。なくさないよう、大切なものを守るように。
「知らない」
「でも、プリンセスパフュームと同じ場所に落ちてたんだよ」
「偶然でしょ」
「本当に?」
「何度聞かれても知らないものは知らない」
声がわずかに強くなる。
はるかは怯まなかった。
みなみが机の上のプリンセスパフュームへ目を向ける。
「きららさん。これを拾った時、ほかに何か変わったことはなかった?」
「別に。写真に写ったせいで面倒なことになったくらい」
「光ったり、音が聞こえたりは?」
「ない」
嘘だった。
拾い上げた瞬間、プリンセスパフュームは確かに淡い光を放っていた。だが、そんなことまで教えるつもりはない。
「これ、返すから」
きららはプリンセスパフュームをみなみの方へ滑らせた。
その時、はるかの鞄が大きく揺れた。
「やっと見つかったパフ!」
白い小さな生き物が鞄から飛び出す。続いて、みなみの鞄から茶色い生き物が現れた。
「これで三つ目のプリンセスパフュームも無事に戻ったロマ!」
二匹は机へ着地すると、嬉しそうにプリンセスパフュームへ駆け寄った。
きららはそれを見下ろした。
「…………」
「きららちゃん?」
はるかが不思議そうに首を傾げる。
きららは一拍遅れて、両手を机へついた。
「ぬいぐるみがしゃべった」
「今、驚いたパフ?」
「驚くのが遅すぎるロマ」
「うるさい。急に出てきたから声が出なかっただけ」
パフとアロマが顔を見合わせる。
みなみまで疑うようにこちらを見ていた。
「以前にも会ったことがあるのかしら」
「あるわけないでしょ」
「そう……」
完全には信じていない返事だった。
きららがプリンセスパフュームから手を離そうとした瞬間、容器の中心に淡い光が宿った。
星屑のような粒が、きららの指先へ集まってくる。
「光ったパフ!」
「やっぱり、きららが三人目のプリキュアかもしれないロマ!」
アロマが興奮して跳び上がる。
「は?」
きららは反射的に手を引いた。
「待って。何の話」
「プリンセスパフュームに選ばれた人間は、プリキュアに変身できる可能性があるロマ!」
「選ばれてない」
「でも、光ったパフ」
「静電気か何かでしょ」
「静電気ではプリンセスパフュームは光らないロマ!」
きららはプリンセスパフュームを布で覆い、アロマの前へ押しやった。
「とにかく、あたしはやらない」
「まだ何も説明してないロマ!」
「説明されても同じ。怪物と戦うなんて無理」
「でも、きららちゃんなら――」
「できるかどうかじゃないの」
はるかの言葉を遮る。
「やりたくないって言ってるの」
空き教室が静まり返った。
胸の奥では、別の声が響いていた。
できるはずがない。関わってはいけない。プリキュアになれば、もう知らなかった頃には戻れない。
何より、怖い。
今まで遠くから見ていた戦いの中へ、自分から足を踏み入れるのが怖かった。
「モデルの仕事もある。学校だってある。怪物退治に使う時間なんてないから」
理由として口にした言葉は、すべて本当だった。
ただし、それがすべてではなかった。
みなみはすぐには答えなかった。はるかも、先ほどまでの勢いを失っている。
「今日も仕事なの?」
やがて、はるかが尋ねた。
「ファッションショー」
「見に行ってもいい?」
「何で」
「きららちゃんが、どんな夢を持ってるのか知りたいから」
きららは眉を寄せた。
「プリキュアに誘うため?」
「それも少しはあるけど……」
はるかは正直に認めた後、星の指輪を握る。
「今のきららちゃんのことを、ちゃんと知りたいの」
その言い方が気に入らなかった。
今の、とわざわざ付けたことも。指輪を持ったまま、まっすぐこちらを見ることも。
「勝手にすれば」
きららは鞄を持ち上げた。
「ただし、仕事の邪魔はしないで」
「うん!」
「会場へ入れるとは言ってないから」
「えっ」
「じゃあね」
呼び止められる前に空き教室を出る。
廊下を歩きながら、きららは小さく息を吐いた。
プリンセスパフュームを返すことはできた。それだけで十分なはずだった。
星の指輪は、まだはるかの手の中にある。
そのことだけは、何一つ解決していなかった。
放課後、はるかとみなみがファッションショーの会場へ到着すると、入口にはすでに長い列ができていた。
招待状を持っている客しか入れないと知り、はるかの肩が目に見えて落ちる。
「やっぱり、勝手に来ただけじゃ入れないよね……」
「まずは受付で事情を聞いてみましょう」
みなみに促され、はるかは受付へ向かった。
名前を告げると、係員が二枚の封筒を差し出した。
「天ノ川きらら様よりお預かりしております」
「きららちゃんから?」
封筒の中には、二人分の関係者用パスが入っていた。
はるかの顔が一気に明るくなる。
「来てもいいってことだよね!」
「少なくとも、本気で追い返すつもりはないようね」
みなみは微笑みながらパスを首へ掛けた。
会場へ入った二人が見たのは、華やかな衣装に囲まれて笑うきららではなかった。
衣装の裾を持ち上げ、歩幅を確かめるきらら。靴を履き替えるたび、床を数歩歩いて重心を確認するきらら。舞台監督から立ち位置を指定されれば、一度で場所を覚え、照明の当たる角度まで細かく質問している。
「次の転換、前より三秒短くなってますよね」
「ああ。前のモデルが舞台袖へ入ったら、すぐ出てもらう」
「分かりました。音の四拍目で出ます」
返事をしながらも、きららの目は舞台から離れない。
舞台袖の床に貼られた目印。吊り下げられた照明。緊急時に動きを止める赤いボタン。スタッフの導線。そのすべてを記憶するように見渡している。
隣では、年下らしいモデルが靴の留め具と格闘していた。
「真帆、それ逆」
「えっ?」
「金具を先に通してから引っ張るの。力任せにやったら壊れるよ」
きららはしゃがむと、手早く留め具を直した。
「ありがとうございます、きららさん」
「本番前にもう一度確認して。歩いてる途中で外れたら危ないから」
「はい!」
テレビや雑誌で見せる笑顔とは違う。
余計な愛想はないが、必要なことは見落とさない。自分の出番だけでなく、舞台全体を見ている。
「すごい……」
はるかは思わず呟いた。
「本当に、一つの舞台を作っているのね」
みなみも真剣な表情でリハーサルを見守っていた。
「モデルだけではないわ。衣装を作る人、照明を調整する人、音を出す人。たくさんの人の努力が、あの短い時間に集まっている」
「きららちゃん、全部ちゃんと見てるんだね」
リハーサルを終えたきららが、二人に気づいた。
パスへ視線を落とし、わずかに顔を背ける。
「本当に来たんだ」
「パス、ありがとう!」
「受付で余ってたから」
「名前まで書いてあったよ?」
「受付の人が気を利かせたんじゃない」
「二人の名前をどうやって知ったのかしら」
「海藤先輩まで細かい」
きららは控室へ向かって歩き出した。
はるかはその後を追い、紙袋を差し出す。
「これ、差し入れ!」
「何」
「マーブルドーナツ。きららちゃん、好きかなって」
「どうしてあたしが好きだと思ったの」
「えっと……何となく」
はるかの答えは不自然だった。
昔、公園でキラが選んでいた味を覚えていた。だが、それを口にすれば、また否定されるかもしれない。
きららは紙袋を覗き込んだ。
入っていたのは、偶然では片づけにくいほど好みに合った味だった。
「本番前に食べる量じゃない」
「一個だけでも」
「半分」
「じゃあ、わたしも半分食べる!」
はるかが嬉しそうにドーナツを割る。
きららは小さい方を取ろうとしたが、はるかは迷わず大きい方を差し出した。
「モデルって、ずっとこんなに忙しいの?」
ドーナツを食べながら、はるかが尋ねる。
「今日はショーだから特別。普段も撮影やレッスンがあるけど」
「大変じゃない?」
「大変だよ」
きららはあっさり認めた。
「でも、やりたいからやってる」
「どうしてモデルになりたいと思ったの?」
「ママの影響はある。小さい頃から、ステージの上にいる姿を見てきたから」
遠くでスタッフが衣装を運んでいる。
きららはその向こうにある舞台を見た。
「でも、ママみたいになりたいわけじゃない」
「そうなの?」
「誰かの真似じゃなくて、あたしの光で、世界中のステージを照らしたい。トップモデルになって、天ノ川きららの名前を、誰も知らない場所なんてないくらいにする」
迷いのない声だった。
「誰かに選ばれたからじゃなく、あたしが選んだ夢なの」
はるかは何も言わず、その横顔を見つめた。
公園で手を差し出してくれたキラも、今、舞台を見つめているきららも、同じようにまっすぐだった。
みなみが静かに頷く。
「だから、プリキュアになる時間はないのね」
「そういうこと」
きららは残っていたドーナツを口へ入れた。
「分かったなら、もう誘わないで」
「うん。今は誘わない」
「今は?」
「でも、きららちゃんの夢は応援する!」
「話聞いてた?」
答えを待たず、スタッフがきららを呼んだ。
きららは控室へ戻り、本番用の衣装へ着替える。
鏡の前へ座ると、メイク台の上に見覚えのないものが置かれていた。
黄色く輝く、小さな鍵。
星を思わせる飾りが、きららを待っていたように淡い光を放っている。
「……いらないって言ったでしょ」
手で払い落とそうとしても、鍵はその場から動かなかった。
触れた瞬間、指先から温かな光が流れ込んでくる。
空き教室で光ったプリンセスパフューム。アロマの言葉。戦っていたはるかとみなみの姿。
胸の奥に閉じ込めていた不安が、一斉に蘇る。
「選ぶ相手、間違ってるから」
きららは鍵をハンカチで包んだ。メイク台の引き出しへ入れ、上から小物入れを載せる。
見えなくなれば、それで済む。
自分には関係ない。
鏡の中の自分へそう言い聞かせ、きららは立ち上がった。
ファッションショーが始まると、会場は別の世界へ変わった。
音楽が鳴り、色とりどりの照明が舞台を照らす。モデルたちが次々とランウェイへ現れ、そのたび客席から歓声が上がった。
はるかは瞬きも忘れ、舞台を見つめていた。
星を散りばめた衣装をまとったきららが、光の中央へ歩み出る。
先ほどまで控室でドーナツを分けていた少女とは思えない。顎の角度も、視線の動かし方も、指先まで計算されている。
それでいて、作り物には見えなかった。
きらら自身が心から舞台を楽しみ、誰よりも強く輝こうとしている。
「きれい……」
胸の奥が、急に騒がしくなった。
昔、絵本に出てくる王子様のようだと思ったキラ。今、星の光をまとって歩くきらら。
二つの姿が重なりかけて、けれど、まだ一つにはならない。
きららが舞台の先端で振り返った瞬間、会場の照明が一斉に消えた。
音楽も止まり、暗闇の中から悲鳴が上がる。
「絶望に染めてやるぜ!」
天井近くの足場へ、黒い翼を持つ男が姿を現した。
「クローズ!」
はるかとみなみが立ち上がる。
「夢だ、希望だと、まぶしく輝きやがって。まとめて真っ暗にしてやる!」
クローズが狙ったのは、舞台袖で出番を待っていた真帆だった。
「お前の夢を見せてみろ!」
黒い鍵穴が現れ、真帆の身体が檻の中へ閉じ込められる。
「わたしは……いつか世界中のステージを歩けるモデルになりたい!」
叫びとともに夢の力が吸い出される。
衣装棚と裁縫道具、巨大なハイヒールを組み合わせたような怪物が、舞台を突き破って現れた。
「ゼツボーグ!」
巨大な足がランウェイを踏みつける。
丹念に敷かれた舞台が砕け、衣装が宙を舞った。照明器具が激しく揺れ、客席の人々が出口へ殺到する。
「押さないで! 出口はこっちです!」
きららは舞台袖へ駆け込み、スタッフとともに避難を誘導した。
「真帆!」
檻の中の少女へ手を伸ばすが、黒い力に弾き飛ばされる。
「きららさん、逃げて……」
真帆は苦しそうに目を閉じた。
きららは唇を噛む。
朝から何度も歩幅を確認していた舞台。直前まで裾の長さを調整していた衣装。一秒の光のために、何十人もの人間が積み重ねてきた時間。
それが今、怪物の足元で壊されている。
「みなみさん!」
「ええ!」
はるかとみなみは人目を避けて舞台裏へ回った。
二つの光が弾け、キュアフローラとキュアマーメイドが怪物の前へ飛び出す。
二人がゼツボーグを引きつけている間に、きららは残ったモデルたちを非常口へ向かわせた。
「走らないで! 転んだ人がいたら支えて!」
最後の一人が通路へ入った直後、頭上から金属の軋む音がした。
衝撃で制御を失った照明用の電動バトンが、避難中のスタッフへ向かって下降している。
きららは舞台袖を振り返った。
リハーサルで確認した赤い非常停止ボタン。
考えるより先に走り出し、身体ごと飛びつくようにボタンを押す。
照明バトンは、スタッフたちの頭上すれすれで止まった。
「今のうちに行って!」
スタッフたちが通路へ逃げ込む。
安堵した瞬間、巨大なハイヒールがきららの前へ振り下ろされた。
避けようとして足がもつれる。
目の前へ迫った攻撃を、フローラが横から受け止めた。
「きららちゃん!」
フローラの両足が床へ沈み込む。
「何してるの!」
「きららちゃんを守ってるの!」
「あたしのことはいいから、怪物を止めて!」
「でも、きららちゃんだって守りたい!」
フローラは攻撃を押し返したが、続く一撃を受け、舞台の端まで吹き飛ばされた。
マーメイドも別の攻撃を防ぐので精一杯だった。
「結局、二人だけで守れるわけがないんだよ!」
クローズが笑う。
「夢なんか持つから、失った時に絶望するんだ!」
怪物が再び腕を振り上げる。
その先には、檻へ閉じ込められた真帆がいる。
きららは動けなかった。
戦いたくない。
痛いのも、怖いのも嫌だ。自分にはモデルの仕事がある。明日も撮影があり、その先にはもっと大きなステージが待っている。
危険な戦いへ飛び込む理由などない。
「きらら!」
アロマがプリンセスパフュームを抱え、舞台袖から飛んできた。
同時に、控室の方角から黄色い光が弾ける。
引き出しへ閉じ込めたはずの鍵が、星の軌跡を描いてきららの手へ収まった。
「プリンセスパフュームも、ドレスアップキーも、きららを選んでるロマ!」
「だから何」
震える指で鍵を握る。
「選ばれたから戦えって? そんな勝手な話、知らない」
「きらら……」
「嫌だよ。怖いし、戦いたくない。あたしにはモデルがあるの」
隠していた本音が、初めて声になった。
アロマは何も言えなくなる。
舞台の上では、フローラが膝をついていた。
それでも立ち上がろうとしている。
客席へ攻撃が向かないよう、何度倒されても怪物の前へ戻っていく。
檻の中では、真帆が自分の夢を奪われている。
壊れた舞台の向こうに、破れた衣装を抱えて泣いているスタッフが見えた。
あれは、自分だけの夢ではない。
この舞台を作った全員の夢だ。
きららはプリンセスパフュームを受け取った。
「一回だけだから」
「きらら?」
「選ばれたからじゃない」
黄色い鍵を、プリンセスパフュームへ差し込む。
「誰かに命令されたからでもない。あたしが守りたいから、この力を使うの!」
鍵を回した瞬間、まばゆい星の光が会場を満たした。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
幾筋もの星が、きららの身体を包み込む。
黄色と橙色の光が重なり、華やかなドレスへ形を変えた。髪は星の尾のように長く広がり、光を受けて黄金色にきらめく。
ティアラが額へ輝き、星の飾りが弾けた。
きららはランウェイの中央へ降り立つ。
身体が覚えているままに一歩踏み出し、顔を上げる。
「きらめく星のプリンセス、キュアトゥインクル!」
名乗り終えた直後、きららは自分の衣装を見下ろした。
「本当に変身しちゃった……」
「感動するのは後ロマ!」
「してないから!」
ゼツボーグの腕が振り下ろされる。
トゥインクルは反射的に跳んだ。
軽く床を蹴っただけのつもりが、身体は舞台の照明より高く舞い上がる。
「ちょっと、高すぎ!」
空中で姿勢を崩しかけたが、ショーで身につけた身体の使い方が働いた。片足を伸ばし、回転しながら怪物の肩へ着地する。
そのまま腕を駆け下り、顎を蹴り上げた。
ゼツボーグの巨体が大きく仰け反る。
「すごいロマ!」
「これくらいなら――」
トゥインクルが着地した目の前へ、巨大な針が突き刺さった。
顔から血の気が引く。
「無理。やっぱり怖い!」
「きららちゃんなら大丈夫!」
フローラの声が届いた。
根拠のない励ましだった。
けれど、疑う様子が少しもない。はるかは、本気できららならできると信じている。
「簡単に言わないでよ!」
言い返しながら、トゥインクルは走り出した。
怪物の攻撃を客席から遠ざけるため、舞台の中央へ誘導する。リハーサルで覚えた足場を使い、崩れた大道具を蹴って方向を変える。
照明の残った場所へ踏み込むたび、衣装の星が光を反射した。
まるで、舞台そのものがトゥインクルへ力を貸しているようだった。
「その服、趣味悪すぎ!」
怪物の胸元へ蹴りを叩き込む。
ゼツボーグが吹き飛び、舞台中央へ倒れ込んだ。
だが、黒い糸が無数に伸び、トゥインクルの手足へ絡みつく。
「捕まえたぜ!」
クローズが腕を振ると、トゥインクルの身体が床へ叩きつけられた。
息が詰まる。
もう一度持ち上げられた時、フローラが黒い糸へ飛びついた。
「きららちゃんを離して!」
糸を引きちぎり、トゥインクルを受け止める。
その隙を狙われ、今度はフローラが怪物の腕に弾き飛ばされた。
床を転がり、舞台の端で止まる。
「はるか!」
思わず名前を呼び、トゥインクルは駆け寄った。
フローラは上体を起こそうとしたが、痛みに顔をしかめる。
「大丈夫……まだ立てるから」
「無理しないで」
「でも、みんなを守らなきゃ」
その姿に、遠い日の記憶が重なった。
砂利へ膝をつき、泣くのを我慢していた小さな女の子。
プリンセスは泣かないのだと、自分へ言い聞かせていた。
トゥインクルはフローラの前へ片膝をつき、手を差し出した。
「痛いなら、泣いてもいい」
フローラが顔を上げる。
「でも、また立てばいい」
ずっと忘れたふりをしてきた言葉だった。
「そっちの方が、ずっとかっこいいでしょ」
フローラの瞳が大きく見開かれる。
舞台の光が消え、代わりに木漏れ日の差す公園が蘇る。
差し出された小さな手。短い明るい茶色の髪。ぶっきらぼうな声。
『プリンセスでも?』
『プリンセスでも』
「キラ、くん……?」
小さな声だった。
トゥインクルの指先が震える。
一瞬だけ、手を引きそうになる。
だが、フローラはその手をしっかりと握った。
自分の足で立ち上がり、涙の滲んだ目で笑う。
「立てたよ」
「……見れば分かる」
昔と同じ答えが、口からこぼれた。
それだけで十分だった。
フローラの迷いが消える。
マーメイドがゼツボーグの動きを止め、二人へ呼びかけた。
「フローラ、トゥインクル! 今よ!」
トゥインクルはフローラの手を離し、黄色いドレスアップキーを掲げる。
「一回だけだって言ったんだから、これで終わらせる!」
キーを差し込み、星の光を解き放つ。
「モードエレガント!」
華やかなドレスが大きく広がる。
トゥインクルは指先へ集まった光を、夜空へ星を描くように巡らせた。
「プリキュア・トゥインクル・ハミング!」
無数の星がゼツボーグを包み込む。
黒い力が砕け、怪物の巨体が光の中で消えていく。
檻が開き、真帆がゆっくりと舞台へ降りた。
クローズは悔しげに歯を食いしばる。
「新しいプリキュアだと……覚えてろ!」
黒い翼を広げ、会場から姿を消した。
静けさの戻った舞台で、トゥインクルは大きく息を吐いた。
「終わった……」
「やったね、きららちゃん!」
抱きつこうとするフローラを、トゥインクルは両手で止める。
「今はやめて。衣装しわになるから」
「変身の衣装も気にするんだ……」
「当然でしょ」
そう答えたものの、衣装が魔法でできていることには、自分でもまだ納得できていなかった。
騒ぎが収まり、避難していた客たちが戻り始める前に、三人は無人の控室へ移動した。
変身を解いたきららは、プリンセスパフュームと黄色いドレスアップキーをメイク台へ置いた。
「返す」
「えっ?」
はるかの笑顔が固まる。
「一回だけって言ったでしょ」
「でも、きららちゃん、すっごくかっこよかったよ!」
「そういう問題じゃないの。あたしにはモデルの仕事がある。今日みたいなことを続けてたら、夢を追う時間がなくなる」
「それは……」
はるかは言葉を詰まらせた。
舞台へ立つまで、きららがどれだけ努力していたかを見たばかりだった。
簡単に両立できるとは言えない。
「きららさんの気持ちは分かったわ」
みなみがプリンセスパフュームを受け取る。
「今日、力を貸してくれたことには感謝しているわ。無理に仲間になるよう頼むつもりはない」
「みなみさん……」
「はるかも、きららさんの夢を見たでしょう?」
「うん」
はるかは残念そうにしながらも頷いた。
「分かった。プリキュアのことは、今はお願いしない」
「今は、が余計だけど」
きららは鞄を持ち、控室の出口へ向かった。
「それじゃ、あたしは仕事に戻るから」
「待って」
はるかの声に、足が止まる。
「プリキュアのことはお願いしない。でも、こっちの話はまだ終わってないよ」
振り返ると、はるかは二つの指輪を手にしていた。
淡い桃色の五枚の花びら。
そして、傷のついた銀色の星。
「きららちゃんが、キラくんなんだね」
問いかけではなかった。
はるかは、もう答えを知っていた。
「違う」
「違わないよ」
「指輪が同じ場所に落ちてただけでしょ」
「それだけじゃない」
はるかは星の指輪を見下ろした。
「森で助けてくれた時、きららちゃんの髪が見えた。昔のキラくんと同じ色だった」
「同じ髪の人なんていくらでもいる」
「困った時、いつも助けてくれた。何も言わずに、わたしが立てるようにしてくれた」
「それも偶然」
「さっき、同じことを言ったよ」
きららの喉が詰まる。
「痛いなら泣いてもいい。でも、また立てばいい。そっちの方がずっとかっこいいって」
はるかは一歩近づいた。
「わたし、忘れてないよ」
「……人から聞いたのかもしれない」
「あの公園で、わたしとキラくんしか知らない言葉だよ」
「それは」
「トゥインクルが手を差し出した時、同じだった。声も、言い方も、ちょっと照れた顔も」
逃げ道が、一つずつ塞がれていく。
それでも認めることはできなかった。
認めてしまえば、隠してきたものまで一緒に壊れそうだった。
「俺は――」
言葉が漏れた瞬間、きららは息を呑んだ。
「あたしは、そんな名前じゃない」
「うん。今は、きららちゃんなんだよね」
はるかの声は穏やかだった。
責める気配が少しもないことが、かえって苦しかった。
「……昔は、男の子みたいな格好をしてた」
きららは床へ視線を落とした。
「自分のことを俺って言って、キラって偽物の名前を使ってた。男の子だと思われても訂正しなかった」
「わたし、本当に男の子だと思ってた」
「そう思わせたんだよ」
胸の奥に溜めていた言葉が、止まらなくなる。
「ずっと嘘ついてた。約束したくせに、学園で会っても知らないふりした。今まで何度も話せたのに、何も言わなかった」
きららは両手を握りしめた。
「がっかりしたでしょ。あの時のキラなんて、最初からいなかったんだから」
前の自分が男だったことも、その人生を記憶していることも言えない。
だが、はるかを騙していたことだけは事実だった。
はるかはしばらく黙っていた。
きららは返事を待つことができず、扉へ向き直ろうとする。
その袖を、はるかが掴んだ。
「びっくりはしたよ」
「だったら――」
「でも、キラくんが男の子でも女の子でも、わたしを助けてくれた人がいなくなるわけじゃない」
きららは振り返った。
はるかの瞳は、涙でわずかに潤んでいた。
「泣いてもいいって言ってくれたことも、手をつないで家まで送ってくれたことも、一緒に遊んだことも、全部本当だよ」
「でも、名前は嘘だった」
「キラって名前は、きららちゃんが自分で選んだんでしょ?」
「……そうだけど」
「だったら、全部が嘘だったわけじゃないよ」
あまりにも簡単に言う。
きららが何年も抱えてきたものを、はるかはまっすぐ受け止めようとしている。
「今は、何て呼ばれたい?」
はるかが尋ねた。
「キラくん? それとも、きららちゃん?」
「……きららでいい」
「じゃあ、きららちゃん」
はるかはゆっくりとその名を呼んだ。
初めて公園でキラと呼ばれた時とは違う。
借り物ではなく、今の自分の名だった。
はるかは、星の指輪をきららの手へ載せた。
「約束、守ってくれたんだね」
「守ってない」
「本当のプリンセスになったら、きっと見つけるって言ってくれた」
「同じ学校に入ったのは偶然。指輪だって、あたしが見つけたんじゃなくて、はるかが拾ったんでしょ」
「でも、会えたよ」
はるかは花の指輪を自分の胸元へ戻した。
「おかえり、きららちゃん」
次の瞬間、きららの身体へはるかが抱きついた。
「ちょっ、何してるの!」
「やっと会えたから!」
「学校で何度も会ってたでしょ!」
「でも、今までキラくんだって分からなかったもん!」
「分かったからって抱きつく必要ない!」
「ずっと会いたかったの!」
きららは引き剥がそうとしたが、はるかは思った以上に力が強かった。
「海藤先輩、見てないで助けて!」
「長い間離れていたお友達との再会ですもの。もう少し待ってあげてもいいのではなくて?」
「よくない!」
みなみは口元を隠し、楽しそうに笑っている。
パフは感動したように目を潤ませた。
「運命の再会パフ」
「しかも三人目のプリキュアも見つかったロマ! これでプリンセスプリキュアが三人そろったロマ!」
「そろってない! プリキュアは断ったから!」
きららが叫ぶと、ようやくはるかの腕が緩んだ。
その隙に離れ、鞄を抱える。
「今日はもう帰る!」
「きららちゃん、明日は一緒に朝ごはん食べようね!」
「食べない!」
「昔のこともいっぱい聞きたい!」
「話さない!」
「それから、連絡先も――」
「交換しない!」
そこまで言ったところで、アロマが翼を広げた。
「緊急時に連絡できないと困るロマ」
「海藤先輩に連絡すればいいでしょ」
「プリンセスパフュームを使った者同士、全員の連絡先が必要ロマ」
「使った者同士って何」
反論している間に、はるかが携帯電話を取り出す。
結局、緊急連絡にだけ使うことを条件に、連絡先を交換させられた。
きららは星の指輪を握りしめたまま、逃げるように控室を出た。
「追いかけなくていいの?」
みなみが尋ねると、はるかは扉を見つめたまま頷いた。
「うん。今日はいっぱいびっくりさせちゃったから」
「そうね。少し考える時間も必要でしょう」
「でも、明日は話すよ」
「きららさんが逃げても?」
「逃げたら追いかける!」
迷いのない答えだった。
寮へ戻ったきららは、制服へ着替えるより先に机へ向かった。
引き出しの奥から新しい細い紐を取り出し、星の指輪へ通す。
何年も身につけていたせいで、指輪の傷の一つ一つまで覚えている。なくした時にはもう戻らないと思っていたものが、今は自分の手の中にある。
首へ掛け、制服の下へ隠した。
胸元へ星の感触が戻る。
それで安心するはずだった。
だが、今日起きたことは、星の指輪が戻った程度では釣り合わない。
キュアトゥインクルになった。
プリンセスパフュームとドレスアップキーを返しても、その事実は消えない。
そして、それ以上に大きな問題がある。
はるかに、見つかった。
机の上へ置いた携帯電話が震える。
画面には、つい先ほど交換したばかりの名前が表示されていた。
『明日、一緒に朝ごはん食べようね! プリキュアのことも、昔のことも、いっぱい話したいな!』
緊急連絡だけという約束は、すでに忘れられているらしい。
返信せずに画面を伏せる。
すぐに、もう一度携帯電話が震えた。
見ない方がいいと思いながら、きららは画面を確かめた。
『きららちゃんに会えて、本当にうれしい!』
きららは携帯電話を胸へ伏せ、そのままベッドへ倒れ込んだ。
布団で顔を隠しても、はるかの声が耳から離れない。
おかえり、きららちゃん。
「プリキュアより、こっちの方が逃げられないかも……」
胸元の星が、体温を受けて温かくなっている。
星のプリンセスは誕生した。
そして同じ日、逃げ続けた星は、とうとう花に見つかった。