星の王子と花の姫君 作:百合魔神
きららは普段より二十分早く部屋を出た。
撮影のない朝まで急ぐ必要はない。それでも、昨夜届いたメッセージを思い出すと、いつもの時間に食堂へ行く気にはなれなかった。
『明日、一緒に朝ごはん食べようね!』
時間は決めていない。ならば、はるかが来る前に朝食を済ませればいい。
寮の食堂へ入ったきららは、窓際の席に座る人影を見つけて足を止めた。
「おはよう、きららちゃん!」
はるかはすでに朝食を並べ、満面の笑みで手を振っていた。
「……何時からいたの」
「きららちゃんが来るかもしれない時間の、ちょっと前から!」
「その答え、一番怖いやつだから」
きららは別の席へ向かおうとした。しかし、はるかの向かいには、いつの間にか空の椅子と食器が用意されている。
「こっち、空いてるよ」
「見れば分かる」
「一緒に食べよう?」
「今から食べるところだったでしょ」
「きららちゃんを待ってたの」
断れば、今度は盆を持ってついてきそうだった。
きららは小さく息を吐き、朝食を受け取ってはるかの向かいへ座った。制服の下へ隠した星の指輪が、椅子へ腰を下ろした拍子に胸元で揺れる。
はるかは自分のパンへ手を伸ばすより先に、きららへ身を乗り出した。
「聞きたいことがいっぱいあるの」
「朝からやめて」
「町を離れた後、どこに住んでたの? どうして連絡くれなかったの? モデルになろうと思ったのはいつ? 昔から髪はその色だった? キラくんって呼ぶのと、きららちゃんって呼ぶのは――」
「待って」
きららは片手を上げた。
「一つずつにして。それから、人がいるところでキラって呼ばないで」
「あ……」
はるかが周囲を見回す。幸い、離れた席の生徒たちはそれぞれの会話に夢中で、こちらを気にしていなかった。
「ごめんね。もう言わない」
「理由、聞かないの」
「きららちゃんが困るんでしょ?」
「……まあね」
「だったら、聞かなくても守るよ」
あまりにも素直に答えられ、きららは返す言葉を失った。
はるかは昨日、キラの正体を知ったばかりだ。昔のことを話したくなる気持ちは分からなくもない。それでも、秘密を面白がっているわけではないらしい。
きららはスープを一口飲み、話を終わらせるように視線を落とした。
「じゃあ、次の質問!」
「終わってなかったんだ」
「プリキュアのことなんだけど」
「それなら聞かない」
はるかの勢いが止まる。
「毎回じゃなくてもいいの。どうしても困った時だけ、力を貸してもらえないかな」
「昨日、一回だけって言ったでしょ」
「でも、きららちゃんがいてくれたら、もっとたくさんの人を守れると思うの」
「あたしには仕事がある」
「うん。だから、仕事がない時だけでも」
「勝手に条件を変えないで」
きららが強く言うと、はるかの肩が僅かに下がった。
それでも、諦めた様子はない。
「きららちゃんなら、モデルもプリキュアも――」
「昔の友達だったからって、あたしが何でも言うこと聞くと思わないで」
言った瞬間、食堂の音が遠くなった気がした。
はるかが口を閉ざす。
きらら自身も言い過ぎたと分かっていた。だが、一度出た言葉は戻らない。
はるかはキラを見つけたから、再び近づいてきた。その再会とプリキュアへの勧誘が一緒にされるたび、昔の約束まで利用されているように感じてしまう。
「きららちゃん」
はるかは膝の上で両手を握った。
「仲間になってほしいのは、本当だよ」
「だったら――」
「でも、きららちゃんともう一度友達になりたいのは、それとは別」
きららは顔を上げた。
「別?」
「きららちゃんがプリキュアを断っても、わたしは一緒にいたい。今度は、ちゃんときららちゃんのことを知りたいの」
はるかの目に迷いはなかった。
昨日のように抱きついてくることも、指輪を持ち出すこともない。ただ、今の気持ちを伝え、きららの返事を待っている。
「……そっちは分かった」
それ以上は答えず、きららは朝食へ戻った。
しかし、はるかはプリキュアの話も諦めてはいなかったらしい。食事を終える頃には、再び口を開いた。
「それでも、少しだけ考えてもらえないかな」
「しつこい」
「一緒に戦った時、きららちゃんがいてくれて、すごく心強かったの」
「昨日の仕事を見たでしょ。あれが毎日続くの」
「分かってるつもりだけど……」
「つもり、ね」
きららは空になった食器を盆へ載せた。
ファッションショーの一部分を見ただけで、自分の生活を理解したと思われるのも気に入らない。きららがどれだけの予定を詰め込み、その合間に学校生活を送っているのか、はるかは知らない。
「今日、放課後は空いてる?」
「うん」
「あたしの予定、最後までついてくる?」
「いいの?」
「ついてこられたら、プリキュアの話をもう一度だけ聞く。途中で無理になったら、もう勧誘しない」
はるかの顔が明るくなる。
「やる!」
「先に言っておくけど、待ってあげないから」
「絶対ついていくよ!」
数時間後には音を上げるだろう。
そう考えながら、きららは食堂を出た。
その日の昼休み。
事情を聞いたみなみは、生徒会室で書類を整理しながら、はるかへ念を押した。
「私は放課後に生徒会の仕事があるから、同行できないわ」
「大丈夫です! わたし一人でも、ちゃんときららちゃんについていきます!」
「そこが少し心配なのだけれど」
みなみは手を止め、はるかを見る。
「きららさんが仲間になってくれれば心強いわ。でも、断る権利もきららさんにあるのよ」
「分かってます」
「本当に?」
「……たぶん」
声が小さくなる。
近くで聞いていたきららは、窓際の壁へ背を預けた。
みなみは自分もプリキュアでありながら、無条件にはるかを応援するわけではないらしい。
「きららさんも、無理をさせないでくださいね」
「無理だと思ったら春野さんが自分でやめますよ」
「やめないかもしれないから言っているの」
「その時は置いていきます」
「きららちゃん、置いていかないで!」
はるかの声が生徒会室へ響く。
放課後になると、きららは終業の鐘が鳴り終わる前に教科書を閉じた。
鞄へ必要なものを詰め、教師が教室を出ると同時に立ち上がる。
隣の教室から駆けてきたはるかが、廊下で合流した。
「お待たせ!」
「遅い」
「まだ鐘が鳴ってから二分だよ?」
「三分後のバスに乗るから」
「えっ」
きららは歩調を緩めない。
はるかは鞄を抱え、慌てて後を追った。
校門を出た時には残り一分。停留所にバスが近づいてくるのが見える。
きららは速度を上げた。はるかも懸命に走るが、慣れない鞄が何度も腰へぶつかる。
「待って、きららちゃん!」
「バスは待ってくれない」
「きららちゃんは、少しくらい待ってくれても――」
扉が閉まる直前、二人はどうにか車内へ滑り込んだ。
空いていた席へ座ったはるかが、肩で息をする。
「これで、一つ目?」
「まだ移動しただけ」
「もう疲れたかも……」
「じゃあ帰る?」
「帰らない!」
返事だけは早かった。
最初の目的地は、モデル事務所が使用しているレッスンスタジオだった。
壁一面の鏡と長いランウェイがあり、数人のモデルが歩き方の指導を受けている。きららは制服から練習着へ着替えると、鏡の前へ立った。
姿勢、歩幅、腕の振り方。講師に指摘された部分を一度で修正し、同じ場所を何度も往復する。
はるかは壁際の椅子から、真剣にその姿を見ていた。
「付き添いの子も、歩いてみる?」
講師に呼ばれ、はるかは自分を指差した。
「わたしですか?」
「せっかく来たんだから。プリンセスみたいに、堂々とね」
「プリンセス……!」
その言葉に目を輝かせ、はるかはランウェイへ立った。
顎を上げ、胸を張る。絵本のプリンセスを意識したらしいが、身体を反らしすぎて足元が見えていない。
三歩目で靴が絡み、身体が横へ傾いた。
転ぶより先に、きららが腕を掴む。
「胸を張るのと、反るのは違う」
「難しい……」
「頭を上から糸で引っ張られてる感じ。肩の力を抜いて」
「こう?」
「まだ入りすぎ。肩を下げて、目線は正面」
「はい、先生!」
「先生じゃないから」
きららははるかの背へ手を添え、姿勢を直した。
再び歩かせると、先ほどよりは自然になっている。しかし、舞台の端でポーズを取ろうとして、なぜか片足を上げた。
「それ、バレエでしょ」
「プリンセスっぽいかなって」
「どこのプリンセスが片足で立つの」
「難しいね、プリンセス」
講師が声を上げて笑った。
「きらら、教えるのが上手ね」
「危なっかしくて見てられないだけです」
きららはすぐ練習へ戻った。
はるかは、自分の姿勢をもう一度鏡で確かめている。何度転びそうになっても、最初の位置へ戻ってやり直すところは昔と変わらなかった。
レッスンが終わると、休む間もなく撮影スタジオへ移動した。
雑誌に掲載する春物の特集で、衣装は六着。背景と小物を変えながら、一着につき何十枚もの写真を撮る。
きららはカメラを向けられた瞬間、表情を切り替えた。
爽やかなワンピースでは柔らかく笑い、黒を基調とした衣装では視線を鋭くする。カメラマンが求める前に、服の雰囲気へ合う角度を探していた。
「きららちゃん、すごい……」
はるかはスタジオの端で、小さく呟いた。
撮影後、スタッフが候補写真をモニターへ並べる。
「どれもかわいい!」
はるかが指差したのは、きららが正面を向いて笑っている写真だった。
「これは使わない」
「えっ、どうして? 一番かわいいよ」
「このページの主役は服だから。これだと顔へ目が行きすぎるの」
「かわいく写ればいいわけじゃないんだね」
「モデルは、自分だけ目立てばいい仕事じゃないから」
きららは横を向いた写真を選んだ。
服の形が分かり、袖の装飾も光を受けている。笑顔は控えめだが、誌面全体へ自然に視線を誘導できる一枚だった。
次の衣装へ着替えるため、きららが上着へ手を掛ける。その拍子に、襟元から細い紐と銀色の星が覗いた。
はるかの目が星へ向く。
きららは咄嗟に指輪を制服の内側へ戻した。
周囲にはスタッフがいる。はるかが昔の話を始めれば、誤魔化すのは難しい。
だが、はるかは何も言わなかった。
ただ嬉しそうに微笑み、すぐ別の方を向く。
朝の約束を守ったのだと気づき、きららの胸に小さな温かさが残った。
撮影を終えると、二人は次の仕事先へ向かう車へ乗り込んだ。
移動時間は二十五分。きららはコンビニで買っておいたサンドイッチを取り出し、半分ほど口にする。
はるかも同じものを買ったが、包装を開けたまま眠りそうになっていた。
「食べないと次までもたないよ」
「食べてるよ……」
「三分前から一口も減ってない」
「ちょっと目を閉じてただけ」
「寝るなら食べてからにして」
きららは小さな飲料ボトルをはるかへ渡した。
はるかは礼を言い、一口飲んでから、恐る恐る尋ねる。
「昔のこと、聞いてもいい?」
「人がいないから、一つだけ」
「町を離れた後、どこにいたの?」
「ママの仕事についていってた。住むところも学校も、何度か変わった」
「ずっとモデルの近くにいたんだね」
「近くにいただけ。モデルになるって決めたのは、もう少し後」
はるかはサンドイッチを食べながら頷いた。
「手紙を出そうとは思わなかった?」
「住所、知らなかったから」
「わたしの家、知ってたよね」
きららの手が止まる。
はるかの家は、公園から見える距離にあった。手紙を送りたいと思えば、方法はあったかもしれない。
それでも出さなかった。
年齢を重ねるほど、キラとして振る舞った過去は説明しにくくなった。はるかが覚えているのは、男の子のような服を着て、俺と名乗っていたキラだ。
再会した時、嘘をついていたと知られたくなかった。
それ以上に、十七歳の男だった自分の記憶を抱えたまま、天ノ川きららとして生きていることなど、誰にも説明できなかった。
「……出さなかった。それだけ」
「そっか」
はるかは寂しそうに笑った。
責められると思っていた。どうして約束を守らなかったのかと、問い詰められるかもしれないと身構えていた。
だが、はるかは残りのサンドイッチを包み直した。
「じゃあ、これから話せる分だけ教えて」
「それだけ?」
「話したくないことまで聞いたら、きららちゃんがまた逃げちゃうから」
「逃げない」
「昨日、控室から走って逃げたよ」
「あれは仕事に戻ったの」
「すごく速かったね」
「追いかけてきたのはそっちでしょ」
言い返しながら、きららは窓の外へ顔を向けた。
追及されなかったことには安堵している。
それなのに、少しだけ物足りないと思った理由は分からなかった。
雑誌のインタビューを終える頃には、日が傾き始めていた。
それでも、最後に最も大きな仕事が残っている。
世界的なファッションデザイナー、ボアンヌが手掛ける広告モデルのオーディション。課題は、会場に用意された衣装と小物を自由に組み合わせ、「自分だけの輝き」を表現することだった。
候補者は十五人。
きららは衣装棚を見渡し、迷わず数点を選んだ。
黒を基調とした細身のドレスに、金色のベルト。肩へ星を思わせる装飾を加え、髪を高い位置でまとめる。
自分の身体と、最も美しく見える形を知っている。短い時間で作ったとは思えないほど、完成された姿だった。
審査席の前へ進み、指示された位置で立つ。
ボアンヌは顎へ手を当て、頭から足元までを眺めた。
「美しい。隙がない」
「ありがとうございます」
「だから、退屈だ」
きららの表情が僅かに動いた。
「あなた一人で、すべてが完成している。その衣装である必要がない。服があなたの中へ入り込む余地がないのだよ」
きららは反論しなかった。
一礼して控え場所へ戻る。
再挑戦できるのは一度だけ。制限時間も残り少ない。
「きららちゃん」
はるかが衣装棚のそばから呼びかけた。
「今、話しかけないで」
「これ、合わせたらどうかな」
はるかが手にしていたのは、濃紺の柔らかなドレスと、淡い桃色の花飾りだった。
「色が甘すぎる。そもそも、花はテーマと合わない」
「でも、星の光が少し近くなる気がする」
「何それ」
「星だけだと、遠くに見えるでしょ?」
はるかは花飾りをドレスへ重ねた。
「花の色が一緒なら、手を伸ばしたら届きそうな星になると思うの」
「服の話してるんだけど」
「わたしも服の話だよ?」
「絶対違うでしょ」
専門的な根拠などない。
それでも、濃紺と金色の間に淡い桃色を置くと、確かに印象が変わる。冷たく見えていた星の輝きへ、僅かな温かさが生まれていた。
きららは胸元へ隠した星の指輪を意識する。
はるかの指には、花の指輪がある。
「そのままじゃ使えない」
「うん」
「腰の位置なら、甘くなりすぎないかも」
「うん!」
「返事だけしないで、そっちの細いベルト取って」
「これ?」
「違う。隣」
きららは衣装を組み直した。
濃紺のドレスを中心に、金色の細いベルトで形を締める。桃色の花飾りは腰へ一つだけ留め、髪は下ろしたまま片側へ流す。
先ほどの隙のない姿とは違う。
星の輝きを残しながら、誰かへ近づく柔らかさがあった。
再び審査席の前へ立つ。
ボアンヌは、先ほどより長くきららを見つめた。
「なるほど。光を弱めたのではない。その光が、誰へ届くものなのかを見せたか」
「はい」
「先ほどより温度がある。あなた自身を失わず、見る者を受け入れる余白ができた」
ボアンヌは手元の書類へ印をつけた。
「結果は明日知らせる。今日は以上だ」
会場を出た時には、外はすっかり暗くなっていた。
はるかは壁へ手をつき、どうにか歩いている。
「それで」
きららは振り返った。
「まだプリキュアになれって言う?」
「それは……」
はるかは息を整えながら、しばらく考えた。
今日だけで、きららがどれだけの予定をこなしたか。そのどれにも手を抜かず、空いた時間には学校の課題まで確認していた。
この後、寮へ戻ってから予習をするという。
「今は言わない」
「諦めたんだ」
「違うよ」
はるかは壁から手を離し、自分の足で立った。
「きららちゃんが大切にしてるものを、わたしのお願いで壊したくないの」
「困った時だけでいいって言ってたでしょ」
「でも、言われたら、きららちゃんは気にしちゃうと思う」
「あたしが?」
「来られなかったら、誰かが傷つくかもしれないって。そうしたら、仕事中でもずっと気になっちゃうよね」
否定しようとしたが、言葉が出なかった。
実際、昨日の戦いを見た後も、きららはプリキュアのことを完全には忘れられなかった。パフュームとキーを返しても、次に何か起きた時、自分だけ仕事を続けられるかは分からない。
「だから、もう頼まない」
はるかは笑った。
「プリキュアにならなくても、わたしはきららちゃんと友達になりたい」
「昔に戻りたいってこと?」
「昔に戻るんじゃないよ。今のきららちゃんと、今から友達になりたいの」
「昔のあたしと、今のあたしは違うよ」
「うん。だから、これから知りたい」
返事を急かすことなく、はるかは一歩下がった。
「今日はありがとう。お仕事、見せてくれて」
「別に」
「オーディション、受かるといいね」
「受かるから」
「うん。きららちゃんなら受かるよ」
その言葉だけを残し、はるかは先に歩き出した。
いつもなら隣へ並び、返事を待たずに話し続けるはずなのに、今日は振り返らない。
きららはその背中を見つめた後、少し遅れて歩き出した。
翌朝。
食堂へ入ったきららは、無意識に窓際の席を見た。
誰もいない。
昨日は早い時間から待っていたはるかが、今日はどこにも見当たらなかった。
静かに朝食を済ませられる。望んでいたはずなのに、パンの味がいつもより薄く感じる。
携帯電話にも、はるかからのメッセージはなかった。
『おはよう』も、『昨日はありがとう』もない。
緊急連絡以外には使わないという最初の約束を、今になって思い出したのだろうか。
教室へ向かう途中、廊下の先からはるかが歩いてきた。その隣には、みなみとゆいがいる。
きららに気づくと、はるかは明るく手を振った。
「おはよう、きららちゃん!」
「おはよう」
それだけだった。
足を止めることも、隣へ駆け寄ることもない。みなみたちと一緒に、そのまま廊下を進んでいく。
きららは教室へ入った後も、しばらく扉の方を見ていた。
これでいい。
仕事の邪魔をされず、昔のことも聞かれない。プリキュアへ誘われる心配もなくなった。
そう思っているはずなのに、午前の授業はいつもより長く感じた。
放課後の撮影でも、集中が続かなかった。
衣装を替えるたび、スタジオの入口へ視線が向く。昨日、壁際からこちらを見ていたはるかの姿を探していることに気づき、きららは自分へ腹を立てた。
「きらら、今日は少し視線が硬いね」
カメラマンに指摘され、きららは瞬きをする。
「すみません。もう一度お願いします」
気持ちを切り替え、指定された位置へ戻った。
その直後、マネージャーが携帯電話を手に近づいてくる。
「きらら、昨日のオーディションだけど」
「結果、来たんですか?」
「合格。ボアンヌさんが、次の広告はあなたで進めたいって」
一瞬、周囲の音が消えた。
「本当ですか?」
「おめでとう。今日、この後に衣装合わせをしたいそうよ。場所は夢ヶ浜の展示ホール近く」
胸の奥から喜びが込み上げる。
自分の力だけでは届かなかった結果だ。桃色の花飾りを選んだはるかの言葉がなければ、同じ衣装のまま終わっていたかもしれない。
きららは携帯電話を取り出した。
はるかとのメッセージ画面を開き、文字を入力する。
『受かった』
送信ボタンへ指を近づけ、止めた。
自分から連絡すれば、はるかはまた距離を詰めてくるかもしれない。それに、合格したからといって真っ先にはるかへ知らせる理由などない。
入力した文字をすべて消す。
その直後、携帯電話が震えた。
プリキュアの緊急連絡へ、アロマから通知が入っている。
『夢ヶ浜科学展示会場にゼツボーグ出現ロマ!』
続いて、みなみからも連絡が届いた。
『一般のお客様の避難を優先しています。きららさんは仕事へ向かってください』
はるかからのメッセージはなかった。
助けてほしいとも、来てほしいとも書かれていない。
「きらら、車が来たわよ」
「はい」
携帯電話を鞄へしまい、きららはスタジオを出た。
夢ヶ浜科学展示会では、多くの研究者や企業が新しい技術を発表していた。
その一角で、若い研究者が小型発電装置の説明をしている。災害時、僅かな光や風から電力を作り、避難所へ明かりを届けるための装置だった。
「絶望の闇に、くだらない光を灯そうってのか!」
クローズが現れ、研究者の胸へ黒い鍵穴を作り出す。
「お前の夢を見せてみろ!」
研究者の身体が檻へ閉じ込められた。
「僕は……災害で困っている人へ、光を届けたい!」
夢から生み出されたのは、巨大な計算機と複数のロボットアームを備えた科学者型のゼツボーグだった。
会場内が悲鳴に包まれる。
はるかとみなみは来場者を外へ誘導した後、人目のない展示室へ駆け込んだ。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
二つの光が弾け、キュアフローラとキュアマーメイドがゼツボーグの前へ立つ。
しかし、怪物は二人の攻撃を計算し、先回りするようにロボットアームを動かした。
フローラが右から踏み込めば、その位置へ鉄球が落ちる。マーメイドが水流を放てば、盾を展開して防ぐ。
「動きが読まれているわ!」
「それなら、もっと速く!」
フローラが跳び上がる。
ゼツボーグは着地点を予測し、巨大な腕を振り下ろした。
フローラは空中で身体を捻り、どうにか直撃を避ける。しかし、衝撃で展示台の一部が崩れ、逃げ遅れた親子へ向かって倒れ始めた。
「危ない!」
フローラは親子を庇い、背中で展示台を受け止めた。
「きららを呼ぶロマ!」
アロマがプリンセスパフュームを抱え、携帯電話へ向かう。
「駄目!」
フローラが止めた。
「きららちゃんには、きららちゃんの夢があるから」
「でも、このままでは危険ロマ!」
「わたしたちで、何とかする!」
フローラは震える腕で展示台を押し返した。
衣装合わせへ向かう車は、科学展示会場の近くで止まっていた。
道路が封鎖され、前方には長い車列ができている。遠くから爆発音が響くたび、黒い煙が空へ上がった。
「困ったわね。このままじゃ衣装合わせに間に合わない」
マネージャーが地図を確認する。
「別の道は?」
「向こうも通行止め。ボアンヌさんのスタッフには私から連絡するけど、三十分は遅れると思う」
「分かりました。理由を伝えてください。遅れても必ず行きます」
「ええ。先方と調整するわ」
きららは鞄の中の携帯電話を握った。
誰も来いとは言っていない。
仕事へ行けと、みなみは書いていた。はるかも自分の夢を壊したくないと言った。
ここで衣装合わせへ向かっても、責める者はいない。
「……少し、外の様子を見てきます」
「きらら?」
「道路が動きそうか確認するだけです」
車を降り、角を曲がる。
人々は展示会場から離れる方向へ走っていた。警備員が避難を呼びかけ、周辺の店も扉を閉め始めている。
きららはアロマへ電話を掛けた。
数回の呼び出し音の後、慌ただしい声が聞こえる。
『きららロマ!?』
「プリンセスパフュームとキー、持ってきて」
『戦ってくれるロマ?』
「まだ決めてない」
『ええっ!?』
「でも、今は貸して」
電話を切り、きららは展示会場へ向かって走り出した。
会場の中央では、フローラとマーメイドが追い詰められていた。
二人の動きはすべて予測され、攻撃へ移るより先に妨害される。マーメイドがロボットアームへ拘束され、フローラも巨大な計算機の下敷きになりかけていた。
「結局、二人じゃ何も守れねえじゃねえか!」
クローズが笑う。
ゼツボーグが、避難途中の人々へ腕を向けた。
その前へ、黄色い光が落ちる。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
星の光をまとい、キュアトゥインクルが着地した。
巨大な腕を蹴り上げ、攻撃の軌道を変える。
「きららちゃん!」
フローラの顔が明るくなる。
トゥインクルは怪物から目を離さず、手を振った。
「今はそっちに集中して」
「来てくれて、ありがとう!」
「勘違いしないで。頼まれたから来たんじゃない」
「うん!」
「今日、ここに来たかったのは、あたしだから」
トゥインクルはゼツボーグへ駆け出した。
右へ踏み込み、直前で左へ方向を変える。怪物の予測が修正されるより先に、ロボットアームの上へ飛び乗った。
一定の歩幅から、急に速度を変える。ランウェイで身につけたターンを応用し、狙う場所を寸前まで悟らせない。
「計算できない動きなら、どうするの!」
ロボットアームの関節へ蹴りを叩き込む。
拘束が緩み、マーメイドが脱出した。
「トゥインクル、足場を作るわ!」
マーメイドが水流を放ち、空中へ道を作る。
トゥインクルはその上を駆け、ゼツボーグの頭上へ跳び上がった。怪物が迎撃しようと腕を上げた瞬間、フローラの蔓が動きを止める。
「今だよ、トゥインクル!」
三人の動きを同時に計算しきれず、ゼツボーグの表示板にエラーが連続する。
トゥインクルは檻の中の研究者を見た。
暗い場所へ光を届けるために、何度も失敗しながら装置を作り続けた人。その夢は、怪物と戦うために生まれたものではない。
それでも、誰かを守りたいという思いは、プリキュアと変わらなかった。
「あんたの夢は、人を絶望させるためのものじゃない」
黄色いドレスアップキーを掲げる。
「あたしが、もう一度輝かせてあげる!」
キーをプリンセスパフュームへ差し込み、光を解放する。
「モードエレガント!」
星を散りばめたドレスが大きく広がった。
「プリキュア・トゥインクル・ハミング!」
無数の星がゼツボーグを包み込む。
黒い力が砕け、巨大な身体が光の中で消えていく。檻が開き、研究者は無事に解放された。
クローズは悔しげにトゥインクルを睨んだ。
「またてめえか!」
「次からは、もう少し計算しにくい相手を選んだら?」
「覚えてろ!」
黒い翼が広がり、クローズの姿が消える。
戦いを終えた三人は、人目のない展示室へ移動した。
変身を解いたきららは、プリンセスパフュームとキーを見下ろした。
昨日は、迷わず返した。
今も返そうと思えば返せる。手を伸ばせば、すぐ近くにアロマがいる。
しかし、きららは二つを握ったまま顔を上げた。
「あたし、プリキュアやる」
「本当!?」
はるかが飛びつこうとする。
きららは片手を突き出し、その動きを止めた。
「ただし、条件がある」
「何でも言って!」
「仕事や学校がある時は、無理に呼び出さない。行けない時に責めたり、罪悪感を持たせたりしない」
「うん」
「昔のことやキラって名前は、誰にも話さない」
「うん」
「それから、勝手に抱きつかない」
「うん――あれ?」
はるかは抱きつこうとして上げていた腕を止めた。
「最後だけ、今増えなかった?」
「昨日の分」
「じゃあ、聞いてからならいい?」
「駄目」
「まだ聞いてないよ?」
「聞かれても駄目」
「今日は我慢する……」
はるかは残念そうに腕を下ろした。
本当に抱きついてこない。
きららは少しだけ意外に思ったが、顔には出さなかった。
「条件は分かったわ」
みなみが穏やかに微笑む。
「お互いの事情を知り、支え合うのが仲間ですもの。きららさんだけが何かを諦める必要はないわ」
「簡単に両立できるとは思ってないけどね」
「ええ。難しい時は、三人で方法を考えましょう」
「それなら……まあ、やってみる」
きららはプリンセスパフュームとキーを鞄へ入れた。
アロマが嬉しそうに飛び回る。
「これでプリンセスプリキュアが三人そろったロマ!」
「きららちゃん、これからよろしくね!」
「その呼び方」
「えっ?」
「きららでいい」
はるかが目を丸くする。
きららはみなみへ視線を向けた。
「あたしも、みなみって呼ぶから」
「分かったわ、きらら」
「それで、そっちは――」
はるかを見る。
期待に満ちた顔で待っていた。
「はるかでいいでしょ」
「うん!」
返事と同時に、はるかが一歩近づく。
きららが睨むと、途中で止まった。
「抱きついていい?」
「駄目」
「じゃあ、握手は?」
「それなら、まあ」
きららが差し出した手を、はるかは両手で握った。
力が強い。
「痛い」
「ご、ごめん!」
はるかは慌てて手を緩める。
きららは呆れながらも、その手をすぐには離さなかった。
「そういえば」
きららは思い出したように口を開く。
「昨日のオーディション、受かった」
「本当!?」
「今から衣装合わせ。遅れるって連絡してもらってるから、もう行かないと」
「おめでとう、きららちゃん!」
「ちゃんと、きららって呼べてないけど」
「きららちゃんは、きららちゃんだよ」
「さっきの話、何だったの」
はるかは嬉しそうに笑っている。
花飾りを選んだ本人へ、ようやく伝えられた。
それだけで、合格の喜びが少し大きくなった気がした。
きららは遅れて衣装合わせの会場へ到着した。
担当者へ事情を説明して謝罪し、すぐ作業へ入る。寸法の確認、衣装の仮合わせ、撮影日の調整。戦いの疲労は残っていたが、最後まで集中を切らさなかった。
寮の部屋へ戻った頃には、夜も遅くなっていた。
入浴を済ませ、机へ向かう。
手帳を開くと、明日の予定も空白がない。
朝の自主トレ。授業。放課後の撮影。インタビュー。帰寮後の宿題。プリキュアの緊急連絡へ対応する時間も考えなければならない。
以前より、確実に忙しくなった。
携帯電話が震える。
『オーディション合格、本当におめでとう!』
はるかからだった。
続いて、もう一通届く。
『明日の朝、一緒にお祝いしようね!』
日時も確認せず、すでに一緒に食べることが決まっているらしい。
きららは返信せず、手帳の朝食欄へ文字を書いた。
七時――はるかと朝食。
一度ペンを止め、「はるかと」の部分へ線を引こうとする。
だが、結局何も消さなかった。
きららの予定は、昨日より少しだけ窮屈になった。
それでも、その予定を消そうとは思わなかった。