星の王子と花の姫君   作:百合魔神

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王子さまと、つぼみのレッスン

 

 

昼休みの廊下を歩いているだけで、海藤みなみと天ノ川きららは人目を引いた。

 

片や、学園の誰もが憧れる生徒会長。片や、雑誌やテレビで活躍する人気モデル。二人が並んで歩けば、生徒たちが足を止めるのも無理はない。

 

「みなみ様ときららさん、本当にきれい」

「大輪の花が二輪並んでるみたい」

 

聞こえてくる声に、みなみは穏やかな微笑みを返し、きららは慣れた様子で片手を上げる。

 

二人の少し後ろではるかも手を振ろうとしたが、別の声が耳へ入った。

 

「その後ろにいる春野さんは……」

「二輪の大きな花に挟まれた、つぼみって感じかしら」

 

悪意のある言い方ではなかった。

 

それでも、上げかけたはるかの手は力なく下がった。自分の制服を見下ろし、次いで前を歩く二人の背中を見る。

 

歩幅が少しだけ遅くなったはるかへ、きららが気づいた。

 

立ち止まったきららの背中へ、はるかがぶつかる。

 

「わっ。ご、ごめん、きららちゃん」

「別にいいけど。何やってんの?」

「何でもないよ。早く行こう」

 

はるかは笑ったが、分かりやすく口元が引きつっていた。

 

きららは先ほどの会話を思い返す。

 

「つぼみなら、これから咲くってことでしょ」

「え?」

「咲き終わった花より、先があるんじゃない?」

 

それだけ言って、きららは歩き出した。

 

はるかは目を瞬かせた後、その背中を追いかける。

 

「待って、きららちゃん。それって励ましてくれたの?」

「違う。廊下の真ん中で止まられたら邪魔だから」

「でも、ちょっと元気出たよ。ありがとう!」

「はいはい」

 

振り返らないきららの耳が、わずかに赤くなっていた。

 

みなみが二人を連れてきたのは、普段はあまり使われていない第二生徒会室だった。

 

プリキュアやホープキングダムの話をする場所として、生徒会長であるみなみが使用許可を得てくれたのだ。扉と窓を閉めれば、パフとアロマも人目を気にせず外へ出られる。

 

「今日、みんなに集まってもらったのは大切な話があるからロマ」

 

机の中央に立ったアロマが、胸を張る。

 

その隣には、表面に肉球のような模様が描かれた板が置かれていた。

 

「三人のプリンセスプリキュアが揃ったパフ。次は、みんなにグランプリンセスを目指してもらうパフ!」

「グランプリンセス?」

 

はるかの目が輝く。

 

「それって、ものすごくプリンセスってこと?」

「真に強く、優しく、美しい、究極のプリンセスロマ。ホープキングダムに伝わる伝説の存在ロマ」

「究極のプリンセス……ステキすぎる!」

 

はるかは勢いよく身を乗り出した。

 

一方、きららは肉球模様の板を眺めながら尋ねる。

 

「それになるために、何をするの?」

「学問、芸術、運動、料理、作法、ファッション。プリンセスに必要な、あらゆる教養を身につけるロマ」

「ずいぶん多いね。あたし、仕事もあるんだけど」

「もちろん、それぞれの予定に合わせて進めるわ」

 

みなみが答える。

 

「きららの夢を妨げるようなことは、わたくしも望まないもの」

「ならいいけど」

 

きららは椅子へ座った。

 

その直後、隣の椅子が引かれる。ほかにも席は空いているのに、はるかは迷いなくきららの横を選んだ。

 

「どうして隣?」

「ここがいいから」

「向かいも空いてるよ」

「でも、隣なら分からない時に教えてもらえるでしょ?」

 

はるかは当然のように笑う。

 

幼い頃は、自分の後ろを追いかけていた子が、今は肩の触れそうな場所へ座っている。あの頃より身体は大きくなり、近くで笑われると、その分だけ存在を強く意識させられた。

 

きららは椅子をわずかに外側へ動かす。

 

それを見たはるかも、同じ分だけ椅子を寄せた。

 

「何で寄ってくるの?」

「離れたから」

「離したの」

「どうして?」

「……もういい」

 

理由を答えられず、きららは前を向いた。

 

アロマが肉球模様の板を掲げる。

 

「これは、プリンセスレッスンパッド。プリンセスの教養を何でも教えてくれる、ロイヤルティーチャーを呼び出すためのアイテムロマ」

「先生が出てくるパフ!」

 

パフが肉球部分へ前足を載せる。

 

淡い光が部屋へ広がり、パッドの画面から黒い影が飛び出した。宙で一回転した影は、赤いリボンをつけたシャム猫のような姿へ変わる。

 

その手には、先端に肉球のついた細いステッキが握られていた。

 

「ごきげんよう、エブリワン!」

 

ステッキが振られ、色とりどりの光が弾ける。

 

「ミーはミス・シャムール。ユーたちをグランプリンセスへ導く、ホープキングダムのロイヤルティーチャーよん!」

 

はるかが椅子から立ち上がった。

 

「かわいい猫さん!」

「Non Non」

 

シャムールは肉球ステッキを、はるかの鼻先へ向ける。

 

「ミーをただのキュートな猫ちゃんと一緒にしないでほしいわねん。ミス・シャムールとお呼びなさい、プリンセスはるか」

「プリンセスはるか……!」

 

自分につけられた呼称に、はるかは頬を押さえた。

 

「わたし、もうプリンセスって呼ばれてる……!」

「呼ぶだけなら今すぐできるわよん。中身が追いついているかは、これからCheckするけれどねん」

「頑張ります!」

 

勢いよく返事をするはるかへ、シャムールは満足そうに頷いた。

 

続いて、みなみときららへ視線を移す。

 

「プリンセスみなみ、プリンセスきらら。そしてプリンセスはるか。三人とも、ミーのレッスンへついてくる覚悟はよろしくて?」

「はい。よろしくお願いいたします」

「スケジュールに響かない範囲なら」

「もちろんです!」

 

返事を聞いたシャムールが、ステッキを高く掲げる。

 

「Very Good! それでは、本日のプリンセスレッスン――スタートよん!」

 

肉球ステッキが振り下ろされた瞬間、何もなかった机の上に純白のクロスが広がった。

 

ティーポット、カップ、砂糖壺、ミルクピッチャー。それらが音もなく並び、中央には小さなケーキや焼き菓子を載せた三段のスタンドが現れる。

 

「今日のテーマは、アフタヌーンティーねん」

「お菓子パフ!」

 

パフが駆け寄ろうとするが、その前へシャムールのステッキが伸びる。

 

「パフ。レディーがお菓子へ飛びつくのはElegantではないわよん」

「ご、ごめんなさいパフ……」

「でも、食べたい気持ちは分かるわねん。レッスンが終わったら、みんなでTea Breakにしましょう」

 

落ち込んだパフの頭を、シャムールの尻尾が優しく撫でる。

 

厳しいだけの教師ではないらしい。きららは少しだけ警戒を解いた。

 

「ティータイムのマナーとは、カップをきれいに持つだけではありません。お茶を用意した人、一緒に過ごす人へのRespectを形にするものよん」

 

シャムールが実演する。

 

小さな身体にもかかわらず、ポットを傾ける動きには不思議な優雅さがあった。湯気とともに花のような香りが広がり、カップへ透き通った琥珀色が満ちていく。

 

「では、まずはプリンセスみなみ。Tryしてみて」

「はい」

 

みなみは危なげなくポットを扱った。

 

カップを温め、茶葉を蒸らし、相手へ差し出すまでの動きに迷いがない。幼い頃から身につけている所作なのだろう。

 

「Excellent! さすがプリンセスみなみねん」

「ありがとうございます」

 

次はきららの番だった。

 

仕事の関係で、格式のある会食やパーティーへ出席したこともある。みなみほど自然ではないが、見せ方を意識した動きなら得意だった。

 

背筋を伸ばし、指先の角度まで整える。ポットを傾ける姿は、雑誌の撮影の一場面のように美しかった。

 

「プリンセスきららもBeautiful。ユーは自分がどう見えるか、よく分かっているわねん」

「一応、モデルだから」

 

褒められ、きららは余裕のある笑みを返す。

 

最後にはるかが席を立った。

 

「よーし。わたしも二人みたいに……」

 

ポットを持ち上げた瞬間、蓋が傾く。慌てて反対の手で押さえようとし、今度はカップへ注ぐ位置がずれた。

 

「わっ、わっ!」

 

熱い紅茶が受け皿へこぼれる。

 

ポットを戻そうとしてスプーンへ肘をぶつけ、甲高い音が部屋へ響いた。驚いたアロマが飛び上がり、パフは両耳で顔を覆う。

 

「Stop!」

 

シャムールの一声で、はるかの動きが止まる。

 

ステッキが振られると、こぼれた紅茶が光へ変わって消えた。

 

「プリンセスはるか。焦りはエレガントのEnemyよん」

「ごめんなさい……」

「失敗したってDon’t Mindねん。でも、同じ失敗を怖がって、次の一歩まで止めるのはNon Nonよ」

「はい!」

 

はるかはもう一度ポットを持った。

 

先ほどより慎重になったものの、腕へ力が入りすぎている。注ぎ口が小さく震え、今にも再びこぼれそうだった。

 

「きららちゃん、ちょっと教えて」

「シャムールに聞けばいいじゃん」

「きららちゃんのお手本、近くでもう一回見たいの」

「見てたでしょ」

「できれば、手を持って教えてほしいな」

 

はるかが両手でポットを支えたまま、きららを見る。

 

何の含みもない目だった。それだけに、断る理由が見つからない。

 

「……一回だけだからね」

 

きららは席を立ち、はるかの背後へ回った。

 

右手をポットの持ち手へ添え、左手で蓋を押さえる。自然と、はるかの身体を後ろから包むような姿勢になった。

 

「力を入れすぎ。もっと手首を楽にして」

「こう?」

「まだ硬い。落とさないから、少し力抜いて」

「うん。きららちゃんに任せる」

 

はるかの手から余計な力が抜ける。

 

手のひら越しに、体温が伝わった。

 

幼い頃、転んだはるかへ手を差し出した時とは違う。あの頃より大きくなった手が、今は自分の手へ重なっている。

 

耳の近くに、はるかの髪が触れた。

 

「近い」

「手を持ってもらってるからね」

「そうじゃなくて……もう自分でできるでしょ」

「あと少しだけ」

「何で?」

「きららちゃんに教えてもらうと、ちゃんとできそうだから」

 

きららは返す言葉を失った。

 

二人でポットを傾けると、今度は紅茶がカップの中央へ注がれた。一滴もこぼさず注ぎ終え、はるかが顔を輝かせる。

 

「できた!」

「分かったから、もう離れて」

「教えてくれてありがとう、きららちゃん!」

 

解放されたきららは、自分の椅子へ戻る。鼓動が速くなった理由を、慣れない体勢で力を使ったからだと決めつけた。

 

一部始終を見ていたシャムールは、細い目をさらに細めていた。

 

「なるほど。プリンセスはるかは、まだまだ小さなつぼみねん」

「つぼみ……」

 

昼休みに聞いた言葉が重なる。

 

はるかの肩が、わずかに落ちた。

 

「プリンセスみなみは、すでに美しく咲いた花。プリンセスきららも、自分を魅せる咲き方を知っているわん」

「やっぱり、わたしだけ全然プリンセスじゃないんだ……」

「Who said that?」

 

シャムールのステッキが、俯いたはるかの顎を軽く持ち上げる。

 

「つぼみは、花ではないという意味ではないわよん。これからどんな花を咲かせるか、可能性を内側へいっぱい詰めている状態ねん」

「可能性……」

「ただし、待っているだけでは咲けないわ。光を浴び、水を吸って、自分で花びらを開くのよん」

 

はるかの目へ、少しずつ力が戻る。

 

「はい。わたし、頑張ります!」

「Good。その意気ねん」

 

シャムールは満足そうに頷くと、今度はきららへ向き直った。

 

「でも、プリンセスきらら。ユーも安心するにはEarlyよん」

「あたし?」

 

きららは、自分の前に置かれたカップを見る。

 

所作に失敗はなかった。何を注意されるのか分からず、眉を上げる。

 

「テクニックはPerfect。けれど、ユーは自分を美しく見せることに集中しすぎねん」

「見せ方もマナーの一つでしょ」

「Yes。でも、それだけでは独りきりのShowと同じよん」

 

シャムールがステッキを振ると、きららの淹れたカップがはるかの前へ移動した。

 

「これは、誰のために淹れたティー?」

「今の課題なら、はるかのため」

「プリンセスはるかがストレートで飲むか、ミルクを入れるか、砂糖はいくつ欲しいか。ユーは一度でも尋ねたかしらん?」

 

きららは口を閉じた。

 

手順どおりに、見栄えよく淹れることしか考えていなかった。相手が誰なのかは、自分の中で手順の外へ置かれていた。

 

「マナーは、自分がPerfectに見えるためのものではありません。一緒にいる相手へ『ユーを大切にしています』と伝えるためのStepよん」

「……そういうもの?」

「そういうものねん。相手を見ずに完璧だけ並べても、ハートが届かなければElegantとは呼べないわ」

 

きららは、はるかの前に置かれたカップを見る。

 

「はるか。ミルクと砂糖は?」

「お砂糖を一つと、ミルクも少し欲しいな」

「先に言えばいいじゃん」

「聞かれなかったから、これがきららちゃんのおすすめなのかなって」

「苦いなら我慢しなくていいでしょ」

 

きららは砂糖を一つ落とし、ミルクを少量加えた。スプーンで静かに混ぜ、改めてはるかへ差し出す。

 

「これでいい?」

「うん。ありがとう」

 

はるかが一口飲む。

 

今度は無理に取り繕わず、心から笑った。

 

「おいしい!」

「紅茶自体は同じだけど」

「でも、さっきよりおいしいよ」

「気のせいでしょ」

 

そう答えながら、きららの胸には小さな温かさが残った。

 

「今のはVery Goodよん、プリンセスきらら」

 

シャムールが嬉しそうに尻尾を揺らす。

 

「では次。今度はプリンセスはるかが、プリンセスきららのためにティーを用意してみなさい」

「はい! きららちゃんはどうする?」

「あたしはストレート」

「お砂糖はいらない?」

「いらない。香りが強い方が好き」

「分かった!」

 

はるかは先ほどより慎重に準備を始めた。

 

動きはみなみやきららほど優雅ではない。茶葉を量る手はぎこちなく、カップを置く音も少し大きかった。

 

それでも、何度もきららの顔を見て、湯の量や蒸らす時間を確かめている。

 

差し出された紅茶は、少しだけ薄かった。

 

きららは一口飲む。

 

「どう?」

「……まあ、最初にしては悪くないんじゃない」

「ほんと? よかった!」

 

はるかの表情が、一気に明るくなる。

 

シャムールは二人を見比べ、ステッキを胸元へ引き寄せた。

 

「プリンセスはるか。ユーのテクニックは、まだまだLessonが必要ねん。でも、相手を知ろうとするハートはExcellentよん」

「はい!」

「プリンセスきららは、すでに美しく咲く方法を知っている。でも、誰かの隣で咲く方法は、これから覚えていくのねん」

「誰かの隣って……」

 

きららが尋ねる前に、レッスンパッドから光が伸びた。

 

シャムールが振り返る。

 

「あらん。カナタさまからCallねん」

「カナタから?」

 

はるかが立ち上がる。

 

その反応の速さに、きららは胸の奥がわずかに引っかかるのを感じた。

 

「本日のレッスンは、いったんStopよん。Lesson Completeは、まだまだお預けねん」

 

シャムールはステッキを振り、ティーセットを光へ変える。

 

「マナーは相手を思うハート。そのことを忘れず、次のレッスンまでPracticeしておくのよん。では、ごきげんよう、マイ・プリンセス!」

 

シャムールの姿がレッスンパッドへ戻る。

 

代わりに画面から光が立ち上り、一人の少年の姿を形作った。金色の髪を持ち、白い衣装をまとった少年が、杖を手に三人を見つめている。

 

「カナタ!」

 

はるかが画面へ駆け寄る。

 

少年――ホープキングダムの王子カナタは、はるかの姿を認めると、穏やかに微笑んだ。

 

「久しぶりだね、はるか」

「うん! カナタも無事だったんだね!」

 

二人の間に流れる親しげな空気を、きららは少し離れた場所から見ていた。

 

幼い頃、はるかから何度も聞いた名前だった。

 

不思議な森で出会い、プリンセスになる夢を信じてくれた男の子。はるかへ夢を持つ勇気を与えた、本物の王子様。

 

その話を聞いた当時のきららは、現実に王子などいるわけがないと思っていた。子どもの空想か、記憶違いだと片づけていた。

 

だが、今は目の前にいる。

 

姿も、立ち居振る舞いも、声も、物語に出てくる王子そのものだった。

 

「みなみ、きらら。君たちにも初めて挨拶をするね。僕はホープキングダムの王子、カナタ。プリンセスプリキュアとして立ち上がってくれたことを、心から感謝している」

「海藤みなみです。ホープキングダムを救うため、力を尽くします」

「あたしは天ノ川きらら。できることはやるよ」

 

きららは普段どおりに答えた。

 

カナタはそんな彼女へも、分け隔てのない笑みを向ける。

 

「ありがとう。君たち三人が揃ったことで、希望は確かに大きくなった」

 

はるかが嬉しそうに頷く。

 

「わたし、ちゃんとプリンセスプリキュアになれたよ。昔、カナタが夢を信じてくれたから」

「はるかは、あの頃から何も変わっていないね。夢を信じ、誰かの夢も守ろうとする心を持っている」

 

カナタに認められ、はるかの笑顔がさらに輝いた。

 

胸の奥に生まれた小さな痛みを、きららは理解できなかった。

 

カナタは、はるかに夢を与えた本物の王子様だ。

 

幼い自分は、男の子のふりをしながら、その真似をしていただけ。手当てをして、手を引き、格好のいい台詞を言ったところで、本物にはなれない。

 

今は王子どころか、プリンセスとして彼の前に立っている。

 

どちらにもなり切れていないような感覚が、きららの胸へ残った。

 

「きららちゃん?」

 

はるかに呼ばれ、きららは顔を上げる。

 

「何?」

「ぼんやりしてたから」

「してない。話を聞いてただけ」

 

きららは視線をカナタへ戻した。

 

カナタはホープキングダムの現状を語り始める。

 

ディスダークの魔女ディスピアによって王国が襲われ、人々の夢が絶望の檻へ閉じ込められたこと。城も国土も支配され、今なお多くの人々が救いを待っていること。

 

「ホープキングダムには、全部で十二個のドレスアップキーが伝わっている。今、君たちが持っているのは三個。残る九個は、王国が襲われた時に人間界へ散らばってしまった」

「その九個を見つければいいんだね」

 

はるかが尋ねる。

 

「ああ。十二個のキーと、君たち自身の成長。その二つが揃った時、グランプリンセスへの道が開かれるはずだ」

「だったら、全部見つけよう!」

「簡単に言うね。どこにあるか分かってるの?」

「今の僕には、正確な場所までは分からない。ただし、キーは強い夢や気高い心へ引かれる。君たちが夢を守り続ければ、きっと巡り合える」

 

カナタが杖を握り直す。

 

「頼んだよ。プリンセスプリキュア」

「うん。任せて、カナタ!」

 

はるかの返事と同時に、遠くで鈍い音が響いた。

 

窓ガラスが震え、校庭の方角から生徒たちの悲鳴が聞こえる。

 

レッスンパッドへ戻っていたシャムールが、画面の端から顔を出した。

 

「Oh! どうやらティータイムの続きをしている場合ではないようねん」

「ディスダークかもしれないロマ!」

 

アロマが窓へ飛ぶ。

 

校庭の先にある野球場から、黒い煙が上がっていた。

 

「プリンセスレッスンは一時Stop! ここからは実戦よん、マイ・プリンセス!」

「行こう!」

 

はるかの声で、三人は第二生徒会室を飛び出した。

 

野球場では、巨大な怪物がバットを振り回していた。

 

頭部は野球ボール、両腕は太いバットのように変化している。その胸には、夢を閉ざされた野球部員の姿が取り込まれていた。

 

怪物の前には、耳の長いフードを被った小柄な少年が立っている。

 

「遅いよ。プリンセスプリキュア」

 

少年は気怠そうに欠伸をした。

 

「僕はロック。ディスダーク三銃士の一人だよ」

「その人の夢を返して!」

 

はるかが叫ぶ。

 

「この人は、プロ野球選手になるのが夢なんだってさ。無理かもしれないのに、毎日ボールを追いかけて……くだらないよね」

「くだらなくなんかない!」

 

はるかの手の中で、ドレスアップキーが光る。

 

みなみときららも、それぞれのキーを取り出した。

 

三人が並び、プリンセスパフュームへキーを差し込む。

 

「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」

 

三色の光が野球場を照らす。

 

花びら、水のきらめき、流れる星。それぞれの光が三人を包み、華やかなドレスへ形を変えた。

 

「咲き誇る花のプリンセス! キュアフローラ!」

「澄みわたる海のプリンセス! キュアマーメイド!」

「きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!」

 

三人が初めて、同じ場所へ並び立つ。

 

「強く、優しく、美しく! Go!プリンセスプリキュア!」

 

ゼツボーグが地面を踏み込み、巨大なボールを放った。

 

マーメイドが前へ出て、蹴り上げる。勢いを殺されたボールを、トゥインクルの星が横から弾き飛ばした。

 

フローラは怪物との距離を一気に詰める。

 

「はあっ!」

 

拳がゼツボーグの胸へ当たる直前、バットの腕が振られた。

 

フローラの身体が弾き飛ばされ、地面を転がる。

 

「フローラ!」

 

マーメイドとトゥインクルが同時に声を上げる。

 

立ち上がろうとしたフローラへ、ロックが退屈そうな目を向けた。

 

「ほかの二人に比べて、君だけ弱いね。まるで大きな花の間にいる、小さなつぼみだ」

「つぼみ……」

 

昼休みの生徒たちと、シャムールの言葉が重なる。

 

自分だけが二人へ追いつけていない。

 

その迷いを見透かしたように、ゼツボーグが新たなボールを構えた。

 

「だったら、咲く前に摘んじゃおうか」

 

振り下ろされたバットから、巨大なボールが放たれる。

 

フローラは立とうとしたが、足に力が入らない。

 

その前へ、トゥインクルが飛び込んだ。

 

両腕でボールを受け止め、靴が地面を削る。勢いに押されながらも、トゥインクルは一歩も退かなかった。

 

「つぼみだから何?」

「トゥインクル……」

「まだ咲いてない花が弱いって、誰が決めたの」

 

トゥインクルはボールを横へ投げ捨てる。

 

「あんたが勝手に、はるかの咲き方を決めないで」

「でも、わたしは二人みたいに何でもできない……」

「当たり前でしょ。最初から全部できる人なんていない」

 

トゥインクルが振り返る。

 

幼い頃、膝を擦りむいて泣いていたはるか。それでも、差し出された手を握り、自分の足で立ち上がった女の子。

 

あの頃から、何も変わっていない。

 

「泣いても、転んでも、はるかはまた立つ。あたしは知ってる」

「きららちゃん……」

「つぼみなら、これから咲けばいい。だから、さっさと立って」

 

強く言い放ちながら、トゥインクルはフローラへ手を差し出した。

 

フローラはその手を握る。

 

支えられながらも、自分の足で立ち上がった。

 

「うん。わたし、まだつぼみかもしれない。でも――」

 

フローラの瞳へ、再び光が宿る。

 

「いつか必ず、わたしだけの花を咲かせる!」

 

ドレスアップキーが強く輝いた。

 

ゼツボーグがボールを連続で打ち出す。マーメイドが水の壁で軌道を変え、トゥインクルが星の光で一つずつ打ち落とした。

 

「フローラ、今よ!」

「道は開けたよ!」

 

二人の間を、フローラが駆け抜ける。

 

ゼツボーグの懐へ飛び込み、全身の力を込めて拳を突き上げた。巨体が大きくのけぞり、胸の鍵穴が露わになる。

 

フローラはプリンセスパフュームを構えた。

 

「エクスチェンジ! モードエレガント!」

 

花びらが舞い、ドレスの裾が大きく広がる。

 

「舞え、花よ! プリキュア・フローラル・トルビヨン!」

 

無数の花びらがゼツボーグを包み込む。

 

黒い力が浄化され、野球部員を閉じ込めていた絶望の檻が砕けた。

 

「ドリーミング……」

 

元の姿へ戻った部員が、芝生の上へ静かに降りる。

 

ロックは面白くなさそうに口を尖らせた。

 

「つぼみのくせに、少しはやるんだ」

「次は、こんなものじゃないよ!」

 

フローラが言い返す。

 

「また咲く前に摘みに来るよ。バイバイ」

 

ロックは黒い鍵穴を開き、その中へ消えていった。

 

戦いが終わった野球場へ、夕方の風が吹き抜ける。

 

変身を解いた三人は、救出した部員を野球部の仲間へ任せ、校舎へ戻った。レッスンパッドの通信はすでに途切れ、カナタの姿も消えている。

 

みなみとパフたちが少し先を歩く中、はるかは隣のきららを見上げた。

 

「きららちゃん、さっきはありがとう」

「三人で戦ってるんだから、助けるのは当たり前でしょ」

「それだけじゃなくて。わたしのこと、ずっと見ててくれたんだね」

 

きららの足がわずかに止まる。

 

「昔の話でしょ」

「今もだよ。わたしが落ち込んでるのに気づいてくれたし、レッスンでも教えてくれたし、戦ってる時も信じてくれた」

「買い被りすぎ」

 

きららは前を向いたまま答える。

 

はるかは少し考え、今度は自分から尋ねた。

 

「きららちゃん、カナタと話してる時、少し寂しそうだった」

「寂しくない」

「じゃあ、怒ってた?」

「怒ってもない」

 

即座に否定したものの、きらら自身にも正しい答えは分からなかった。

 

本物の王子様と話すはるかが、自分の知らない場所へ戻ってしまったように見えた。幼い頃の数か月など、はるかにとってはカナタと再会するまでの代わりにすぎなかったのではないか。

 

そんなことを考えた自分が、ひどく子どもっぽく思えた。

 

「カナタに会えてよかったじゃん」

「うん。ずっと会いたかったから」

「本物の王子様だしね。あたしみたいな真似事とは違う」

 

口にした瞬間、余計なことを言ったと気づいた。

 

はるかの表情が曇る。

 

「真似事じゃないよ」

「だって、今のあたしは王子でも何でもない。プリンセスになるためのレッスンを受けてる側だし」

「それでも、キラくんがわたしを助けてくれたことは変わらないよ」

「でも――」

「王子様でも、プリンセスでも、きららちゃんはきららちゃんだよ」

 

はるかが、きららの言葉を遮る。

 

真っ直ぐな瞳だった。

 

「カナタは、わたしに夢をくれた大切な人。キラくんは、その夢を笑わないで、そばにいてくれた大切な人。それに今は、きららちゃんとして一緒に戦ってくれてる」

「はるか……」

「わたしは、それが一番好き」

 

きららの思考が止まった。

 

はるかは特別なことを言ったつもりなどないらしく、いつもの笑顔を浮かべている。

 

好きとは、何が好きなのか。

 

今の自分か。昔のキラか。一緒に戦っていることか。それとも全部なのか。

 

問い返せばいいだけなのに、声が出なかった。

 

「二人とも、置いていくわよ」

 

前を歩くみなみが振り返る。

 

はるかは「今行きます」と答え、きららの手を取った。

 

「行こう、きららちゃん」

「ちょっと、引っ張らなくても歩けるから」

「でも、早くしないとパフたちが待ってるよ」

「分かったから……」

 

手を振りほどくことはできた。

 

けれど、きららはそうしなかった。

 

第二生徒会室へ戻る途中、はるかが空を見上げる。夕焼けの中で、雲の端が淡い桃色へ染まっていた。

 

「わたし、本当にいつか咲けるかな」

「何、まだ気にしてんの?」

「だって、今日も二人に助けてもらってばっかりだったから」

 

きららは繋がれたままの手を見る。

 

技術だけを整え、誰も近づけないように咲いていた自分より、何度失敗しても相手へ手を伸ばせるはるかの方が、プリンセスらしいのかもしれない。

 

「もう咲き始めてるんじゃない」

「え?」

「今日のはるか、ちゃんと花みたいだったよ」

 

はるかが足を止める。

 

きららは今度こそ手を離し、先へ進んだ。

 

「今の、もう一回言って!」

「言わない」

「きららちゃん、お願い!」

「一回聞いたなら十分でしょ」

「じゃあ、わたしも二人の隣に並べるかな?」

「何言ってんの」

 

きららは少しだけ振り返る。

 

「もう並んでるでしょ」

 

はるかは一瞬目を丸くし、それから満開の花のように笑った。

 

夕焼けの廊下を、三人の足音が重なって進んでいく。

 

つぼみと呼ばれた花は、もう二輪の後ろではなく、その隣を歩いていた。

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