星の王子と花の姫君 作:百合魔神
ノーブルパーティーの告知が出たのは、球技大会の熱がまだ学園に残っている頃だった。
金色の飾り枠で囲まれた大きなポスターの前には、朝から何人もの生徒が集まっている。人垣の隙間へ顔を入れたはるかは、書かれている内容を上から下まで読み終えると、目を輝かせて振り返った。
「ノーブルパーティーだって!」
「声、大きい」
きららは片手で耳を塞ぎながら、ポスターの下へ記された注意事項へ目を通した。
ノーブルパーティーは、ノーブル学園の生徒全員が正装して参加する恒例行事だった。食事や音楽を楽しむだけではなく、立ち居振る舞いや会話、ダンスを通じて礼儀と社交を学ぶ目的もある。
「正装ってことは、ドレスを着るの?」
「女子は基本的にね。男子はスーツかタキシード。毎年、衣装の話だけで一か月は盛り上がるんだよ」
「ドレス……舞踏会……!」
はるかの頭の中では、すでに絵本の中の光景が広がっているらしい。胸の前で両手を組み、くるりと一回転しようとして、登校中の生徒とぶつかりかけた。
きららはその肩をつかんで止める。
「ここ廊下。踊るならパーティーまで待ちなよ」
「きららちゃんは、どんなドレスを着るの?」
「今度の撮影で借りる新作。雑誌の人が、せっかくだから宣伝も兼ねて着てほしいって」
「もう決まってるんだ。さすがきららちゃん!」
素直な感嘆を向けられ、きららは軽く髪を払った。仕事でドレスを着る機会は珍しくない。華やかな会場にも、集まる視線にも慣れている。
それでも、はるかが自分の姿を楽しみにしていると知ると、いつもの撮影衣装とは少し違うものに思えた。
「みなみさんは?」
「昨年のドレスに手を加えて、今年も着る予定よ」
いつの間にか後ろに立っていたみなみが答える。はるかが見せてほしいと頼むと、みなみは放課後、生徒会室へ二人を招いた。
衣装箱から取り出されたのは、深い海を思わせる青いドレスだった。柔らかな布が幾重にも重なり、袖口と裾には銀糸で波の模様が刺繍されている。
「すてき……! この刺繍も、最初から入ってたの?」
「いいえ。昨年のパーティーに合わせて、自分で刺したものよ」
「みなみさんが?」
はるかは、宝物を見るように銀色の糸を目で追った。同じ模様が少しずつ形を変えながら裾を巡り、光の加減で本物の波のように揺れて見える。
「一からドレスを作ったわけではないけれど、自分で手を加えると、より大切に思えるの」
その言葉を聞いたはるかの瞳に、危険なほど強い光が灯った。
きららは嫌な予感がして、先に釘を刺す。
「言っとくけど、みなみは刺繍も裁縫も前からやってるからね」
「わたしも、自分で作ってみたい!」
「聞いてた?」
「自分で作ったドレスで、ノーブルパーティーに出たい!」
はるかは生地を傷めないよう両手を引っ込めてから、拳を強く握った。
「裁縫はどのくらいできるの?」
「ボタンなら、一回つけたことがあるよ」
「ほとんどゼロじゃん」
きららが呆れても、はるかの決意は変わらない。みなみは困ったように眉を下げたが、頭から否定することはしなかった。
「それなら、まず正しい作り方を教わるべきね」
その一言で、はるかの顔がさらに明るくなる。
三人は人目のない第二生徒会室へ移った。パフとアロマが扉の外を確かめてから、はるかがプリンセスレッスンパッドを机へ置く。
画面に触れると光が溢れ、猫のような姿をしたフェアリーが現れた。しなやかに一回転したミス・シャムールは、そのまま長い黒髪をなびかせた人間の女性へ姿を変える。
「ごきげんよう、エブリワン! 本日のLessonは、Dress Makingよん!」
「よろしくお願いします!」
「Very Good! いいお返事ねん。プリンセスはるか、まずはDesignからLet’s Try! ユーがどんなプリンセスになりたいのか、心のままに描いてみるのよん」
紙と色鉛筆を渡されたはるかは、勢いよく線を引き始めた。
大きなリボン。何段にも膨らんだスカート。宝石のついた襟に、花とレースとフリルを限界まで重ねた袖。完成した絵を見て、きららはしばらく言葉を探した。
「……ウエディングケーキ?」
「ドレスだよ!」
「Non Non。あれもこれもでは、プリンセスはるかのHeartが見えなくなってしまうわねん」
シャムールはデザイン画を否定せず、中央へ立つはるかの姿を指で示した。
「飾りは、たくさんつければいいものではないのよん。どんな自分になりたいのか、その答えがDressの形になるの。もう一度、ユーの心へ聞いてみるのねん」
はるかは色鉛筆を置き、真っ白な紙を見つめた。
誰かに見せるための豪華さではなく、自分がなりたいプリンセス。その言葉を考えているうち、幼い頃から何度も開いてきた花の絵本が浮かんだ。
同時に、公園の縁石で差し出された小さな手を思い出す。
泣いても、また立てばいい。
何度転んでも歩き直せる自分でありたい。迎えを待つだけではなく、自分の足で大切な人のところまで歩いていけるようになりたい。
はるかは新しい紙へ、ゆっくりと線を引いた。
淡い桃色のドレス。花びらのように布が重なるスカートは、歩きやすいよう膝下までにする。腰元と裾には、五枚の花びらを持つ小さな花を散らした。
最初の絵よりずっと簡素だが、今度のドレスには不思議とはるからしさがあった。
「こっちの方がいいじゃん」
きららが言うと、はるかはほっとしたように笑った。
「あとは、ここに星を一つ」
デザイン画の裾へ、小さな星が描き足される。
きららの視線が、自然と自分の胸元へ落ちた。制服の下には、鎖へ通した星の指輪が隠れている。
「花だけじゃないの?」
「星も入れたいの。大事な約束の印だから」
はるかは何でもないことのように答えた。
指輪を渡した日の自分の台詞が蘇る。
――はるかが本物のプリンセスになったら、この星を目印に迎えに行く。どこにいても見つける。
思い出すたびに布団へ潜り込みたくなるほど気恥ずかしい。しかし、はるかにとっては今も大事な約束として残っている。
「目立たないところにしなよ」
「どうして?」
「あんまり大きいと、花のデザインと喧嘩するでしょ。歩いた時にだけ見えるくらいが、全体のバランスもいいから」
「じゃあ、裾の内側にする!」
そこなら、知っている者にしか見つけられない。はるかは嬉しそうに、桃色のスカートの裏へ金色の星を描いた。
採寸を終え、型紙を作り、生地を裁つ。シャムールは道具の扱い方を一つずつ教えたが、魔法でドレスを完成させることはなかった。
「ミーがお手伝いするのは、ここまでよん。ここから先は、プリンセスはるかの手でDressへ命を吹き込むのねん」
最初の難関は、ミシンだった。
はるかがおそるおそるペダルを踏むと、針が予想以上の速さで上下する。驚いて足へ力を入れたせいでさらに速度が上がり、縫い目は布の端から大きく蛇行した。
「わあああっ!」
「止めて、はるか! 足離して!」
きららが電源を切る。幸い指は無事だったが、縫い目はひどいものになっていた。
はるかはしばらく固まった後、縫ったばかりの糸を解き始めた。
「もう一回やる」
「最初はもっと遅くていいんだって。布を引っ張らないで、手を添えて進む方向を決めるの」
「こう?」
「逆。そっちに力を入れたら曲がる」
見ていられなくなったきららは、はるかの後ろから両手を伸ばした。片方の手で布を押さえ、もう片方で、はるかの指の位置を直す。
「ここと、ここ。針の近くには指を置かない」
はるかの髪から、甘い石鹸の匂いがした。
先日のレッスンでも、はるかは手本を口実に何度も手を重ねてきた。あの時とは違い、今度は自分から近づいたことに気づき、きららは慌てて身体を離そうとする。
その手を、はるかがつかんだ。
「きららちゃん、ここだけ一緒にやって」
「……教えるだけだからね」
「うん!」
二人の手で布を押さえ、今度はゆっくりとミシンを動かす。縫い目はまだ真っ直ぐとは言えなかったが、先ほどよりはずっとましだった。
はるかは針先へ集中している。きららは、すぐ隣にある頬と、重なった指先ばかりが気になっていた。
ドレス作りは、はるかが思っていた以上に時間がかかった。
放課後は型紙と布を広げ、寮へ戻れば宿題の合間に縫い進める。毎晩少しずつ形になっていく一方、失敗した部分を解く時間も増えていった。
数日後の授業中、教師に名前を呼ばれたはるかは、机へ突っ伏したまま起きなかった。
隣のゆいが肩を揺らし、ようやく顔を上げる。
「は、はいっ!」
立ち上がった拍子に教科書を落とし、教室に笑いが起こった。授業後に返された小テストには、普段ならしないような間違いがいくつも並んでいる。
その日の放課後、みなみは厳しい表情ではるかを生徒会室へ呼んだ。
「ドレスを作ることが、ほかの責任を投げ出す理由になってはいけないわ」
「でも、わたし……」
「授業へ集中できず、身体を壊すほど無理をするのなら、今回は諦めることも必要です」
「みなみ、そこまで言わなくても――」
反射的に口を挟んだきららは、はるかの顔を見て言葉を止めた。
目の下には薄い隈があり、指先には小さな絆創膏が増えている。昨日も遅くまで部屋の明かりがついていたことを、同じ寮にいるきららは知っていた。
みなみが心配しているのは、ドレスの完成度ではない。
「ごめんなさい」
はるかは俯いたが、すぐに顔を上げた。
「でも、ドレスは作りたいです。勉強もちゃんとします。どっちも最後まで頑張ります!」
「言葉だけではいけませんよ」
「はい!」
決意を新たにしたはるかは、教科書と裁縫箱を抱えて走り出そうとした。きららが襟をつかんで止める。
「だから、走るなって」
幼い頃から変わっていないやり取りに気づき、二人とも一瞬だけ黙った。
廊下を歩きながら、はるかは隣のきららを見上げる。
「きららちゃんはすごいね」
「何が?」
「お仕事も、勉強も、プリンセスレッスンも、プリキュアもやってる。きららちゃんにできるなら、わたしも頑張れるって思ったの」
胸を張るはるかへ、きららはすぐに答えられなかった。
撮影現場では、衣装を用意するスタイリストがいる。髪を整える人、時間を管理するマネージャー、送迎するスタッフもいる。移動中に宿題を終え、撮影の待ち時間に眠り、失敗した顔をカメラの前へ持ち込まないようにしているだけだ。
何でも一人でできるわけではない。
そう見せることに慣れているだけだった。
「はるかは、あたしにならなくていいんだけど」
「きららちゃんみたいになりたいわけじゃないよ」
「じゃあ、何?」
「きららちゃんの隣にいて、恥ずかしくない自分になりたいの」
きららの足が止まった。
はるかも数歩先で立ち止まり、不思議そうに振り返る。
「……誰の隣?」
「きららちゃんの隣」
あまりにも迷いなく答えられ、きららは目を逸らした。
三人でパーティーへ出るのだから、隣に並ぶこともある。ただそれだけの意味だ。余計な解釈をする方がおかしい。
「だったら、まず寝なよ。隈のある顔で隣に来られる方が困る」
「そんなにひどい?」
「ひどい」
実際には、少し疲れて見える程度だった。それでもはるかは慌てて目元を押さえる。
その夜、きららは一枚の予定表を作った。
翌朝渡された紙には、授業、宿題、食事、入浴、睡眠、裁縫の時間が細かく区切られている。ドレス作りの時間は一日二時間まで。遅れた分を深夜に取り戻すことは禁止と、赤い線まで引かれていた。
「きららちゃん、これ……」
「仕事の時に使ってる予定表を簡単にしただけ。勉強と睡眠の時間は絶対に動かさないこと」
「でも、間に合わなかったら?」
「倒れたら、ドレスを着る人がいなくなるでしょ」
きららは小さな紙袋も押しつけた。中には新しい糸とチャコペン、それから指先を守る革の指ぬきが入っている。
「これ、もらっていいの?」
「使わないなら返して」
「使う! パーティーが終わっても大事にするね」
「道具なんだから、大事にしまわないで使いなよ」
はるかは指ぬきをはめ、何度も角度を変えて眺めた。特別な飾りなどない実用品を、指輪でももらったように喜んでいる。
きららはそれ以上見ていられず、先に教室へ向かった。
予定を決めてから、はるかの生活は少しずつ整った。
放課後はゆいと一緒に宿題を終え、それから裁縫へ取りかかる。分からない問題はみなみに教わり、きららは仕事のない日に縫い目を確認した。
曲がったところはあった。左右で長さが違い、やり直した箇所もある。それでも、平らな布だったものが、少しずつドレスの形になっていく。
パーティー前日には、裾の飾りと星の刺繍を残すだけになった。
「もう少しだね」
ゆいが寮の部屋へ紅茶を運んでくる。はるかはミシンから顔を上げ、凝った肩を回した。
「ありがとう、ゆいちゃん。ちょうど休憩しようと思ってたの」
ベッドの上には、ぬいぐるみのふりをしたパフが座っている。紅茶の甘い香りに鼻を動かしたパフは、カップを覗こうと身を乗り出した。
その前足が、ソーサーの端へ触れる。
「あっ」
カップが傾いた。
ゆいが手を伸ばしたが、間に合わない。淡い色の紅茶が、作業台に広げていたドレスの裾へこぼれた。
桃色の布へ、茶色い染みが広がっていく。
部屋から音が消えた。
パフはカップとドレスを交互に見てから、耳を垂らした。大きな瞳に涙を溜め、ベッドの隅で小さく震える。
「パフちゃん……」
ゆいが心配そうに呼ぶ。
はるかは動けないまま、染みを見つめていた。何度も糸を解き、指を刺し、眠い目をこすりながら縫ってきたドレスだった。
唇が震える。だが、泣き出しそうなパフを見て、はるかはゆっくり息を吐いた。
「大丈夫だよ」
パフを抱き上げ、柔らかな頭を撫でる。
「泣いても、また直せばいいんだもん」
きららの胸の奥で、幼い声が重なった。
泣いても、また立てばいい。
あの日、砂利の上で泣いていた女の子は、今度は自分の言葉で誰かを立たせようとしている。
「きららちゃん、タオル取って!」
我に返ったきららは、乾いた布を染みへ押し当てた。ゆいは汚れを落とす方法を寮母へ聞きに行くと言い、急いで部屋を出る。
応急処置をしても、薄い染みは残った。
はるかは裾を裏返し、縫い目を確かめる。
「ここから作り直せば……」
「無理」
きららの口から、考えるより先に言葉が出た。
はるかの手が止まる。
「きららちゃんまで、無理って言うの?」
「違う。ドレスを作るのが無理なんじゃない。今から一人で全部やり直すのが無理だって言ってるの」
「でも、間に合わせたいの。きららちゃんは何でも一人でできるのに、わたしだけ――」
「できないよ」
思ったより強い声が出た。
はるかが目を見開く。
「あたしだって、一人でやってるわけじゃない。衣装を作る人がいて、髪を整える人がいて、予定を管理してくれる人もいる。何でも一人でできるように見せるのが上手いだけ」
「きららちゃん……」
「だから、あたしを理由に無茶しないで。そんなの、全然嬉しくない」
きららは染みの残った裾を持ち上げた。
すべてを作り直す必要はない。汚れた範囲へ合わせて飾りを増やせば、元のデザインを壊さずに隠せる。
「ここに、花を足せばいい」
「花?」
「最初のデザインにあったやつ。染みを中心にして、花びらを重ねる。縫うのは、はるかがやればいい」
はるかはしばらく裾を見つめ、それからゆっくり頷いた。
「うん。そうする」
「ゆいには、飾りに使う布を探してもらおう。みなみには宿題の確認。あたしは型を作る」
「でも、それじゃ自分一人で作ったドレスじゃ……」
「最初から、一人で作ることが目的だったの?」
問いかけられ、はるかは首を横へ振った。
自分がどんなプリンセスになりたいのか。それを自分の手で形にしたかった。誰かの助けを借りたからといって、そこに込めた思いまで他人のものになるわけではない。
「ありがとう、きららちゃん」
「お礼は完成してから」
花の飾りを作るため、きららとみなみは校舎に残っている手芸用の布を探しに向かった。はるかは部屋へ残り、使えそうな生地を選びながら、汚れた部分の糸を解いていく。
中庭を通りかかったところで、アロマが空から舞い降りた。
「大変ロマ!」
人目がないことを確かめ、きららとみなみは足を止める。
「厨房の方にディスダークが現れたロマ!」
パーティー用の菓子を準備していた生徒が、ロックに夢を閉ざされていた。
皆が笑顔になる菓子を作りたい。その夢から生まれたオーブン型のゼツボーグが、厨房の外壁を破って暴れている。扉が開くたびに熱風が吹き出し、周囲の飾りつけへ火が移りかけていた。
「はるかを呼んでくるロマ!」
「呼ばなくていい」
飛び立とうとしたアロマを、きららが止める。
「でも、三人で戦うロマ!」
「はるかには、やることがある。ここはあたしたちで片づける」
みなみは一瞬迷ったが、きららの言葉へ頷いた。
「そうね。今はドレス作りへ集中してもらいましょう」
二人は物陰へ駆け込み、プリンセスパフュームを取り出す。
「プリキュア! プリンセスエンゲージ!」
光が弾け、青と黄色のドレスが風に広がる。
「澄みわたる海のプリンセス! キュアマーメイド!」
「きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!」
マーメイドが水の力で燃え移った火を消し、トゥインクルは空中から星の光を放つ。だが、ゼツボーグは巨大な扉を開き、赤く焼けた天板を次々と撃ち出した。
トゥインクルは回転しながらかわし、ゼツボーグの頭上へ着地する。
「お菓子を焼くなら、もっと温度考えなよ!」
星の光を叩き込むが、厚い外壁に弾かれた。着地した足元へ銀色の天板が滑り込み、四方から立ち上がって檻を作る。
マーメイドも別の檻へ閉じ込められた。
「二人だけで来るなんて、楽でいいなあ」
ロックは欠伸を噛み殺しながら、ゼツボーグの上へ座っている。
「一人足りないみたいだけど、仲間割れでもした?」
「違う!」
トゥインクルは格子をつかみ、力任せに押し広げようとした。赤熱した金属が手袋越しに熱を伝え、腕へ鋭い痛みが走る。
「トゥインクル、無理をしてはだめ!」
「みなみこそ、自分の心配したら!」
ゼツボーグの扉が大きく開き、マーメイドの檻へ熱風が吹きつけられる。トゥインクルはドレスアップキーを構えた。
「エクスチェンジ! モードエレガント!」
星のドレスが長く広がり、光が周囲へ集まる。
「プリキュア・トゥインクル・ハミング!」
無数の星が檻の内側で弾ける。銀色の壁へ亀裂が走ったが、一度では破れない。
ゼツボーグが、さらに温度を上げる。
その時、桃色の光が熱風を切り裂いた。
「プリキュア・フローラル・トルビヨン!」
花びらの渦が吹きつけ、マーメイドを包んでいた熱を押し返す。
「フローラ!」
「どうして来たの!」
トゥインクルが叫ぶ。そこには、息を切らしたフローラが立っていた。
「パフが、二人のところへ行ったって教えてくれたの!」
「ドレスを完成させたいんでしょ。だったら戻って!」
「完成させたいよ! でも、きららちゃんたちを置いてはいけない!」
「全部選んで倒れたら、何も残らないじゃん!」
フローラは一瞬だけ黙った。
疲れているのは明らかだった。構えた足がわずかに震え、いつものような勢いもない。
それでも、フローラは顔を上げる。
「だったら、倒れない」
「はるか!」
「一人で全部やろうとしない。みんなに助けてもらう。ドレスも、勉強も、プリキュアも、わたしはどれも諦めたくない!」
フローラは薔薇の蔓を伸ばし、トゥインクルの檻へ巻きつけた。
「みんなで帰って、続きを縫うの!」
蔓が銀色の壁を引く。内側から、トゥインクルが再び星の光を放つ。
「ほんっと、欲張りなんだから!」
格子が砕け、星の光が空へ舞った。
自由になったトゥインクルは、続けてマーメイドの檻を破壊する。マーメイドがゼツボーグの正面へ立ち、ドレスアップキーを構えた。
「プリキュア・マーメイド・リップル!」
水の渦が熱風を飲み込み、オーブンの温度を一気に下げる。動きの止まったゼツボーグへ、トゥインクルの星が降り注いだ。
「今だよ、フローラ!」
「うん!」
フローラが花のキーを掲げる。
「舞え、花よ! プリキュア・フローラル・トルビヨン!」
桃色の花びらが大きな渦となり、ゼツボーグを包み込んだ。黒い錠前が砕け、閉ざされていた夢の扉が開く。
「ドリーミング……」
光が消えると、倒れていた生徒が目を覚ました。ロックは不満そうに頬を膨らませ、その場から姿を消す。
変身を解いたはるかは、緊張が切れた途端、その場へ座り込んだ。
「はるか!」
きららが真っ先に駆け寄り、肩を支える。
「大丈夫。ちょっと、力が抜けただけ」
「だから無茶しないって言ったじゃん」
「無茶はしたけど、一人ではしなかったよ」
「それ、言い訳になってない」
「でも、きららちゃんと一緒に帰れた」
怒りを向けていたはずなのに、その一言ですべてが逃げていく。きららは何も言えず、はるかの腕を自分の肩へ回した。
立ち上がったはるかが、今度はきららの右腕に気づく。
「きららちゃん、赤くなってる」
「これくらい平気」
「平気じゃないよ。帰ったら冷やそう」
「ドレスは?」
「きららちゃんの手当てをしてから」
自分を後回しにするなと言ったばかりなのに、今度ははるかがきららを優先しようとしている。きららは反論を考えたが、結局出てきたのは短い溜め息だけだった。
寮へ戻ると、ゆいが新しい桃色の布を用意して待っていた。きららの腕を冷たいタオルで包んでから、はるかは作業台へ戻る。
みなみは宿題の確認をし、ゆいは花びらの型へ沿って布を切る。きららは飾りを置く位置だけ決め、針ははるかへ渡した。
一針ずつ、花びらがドレスへ留められていく。
紅茶の染みがあった場所には、元のデザインにはなかった花が咲いた。五枚の花びらを持つ小さな花が重なり、最初からそこへ咲くことを決めていたように裾へ馴染んでいく。
消灯時間が近づくと、ゆいは自分の部屋へ戻った。みなみも生徒会の準備が残っていると言い、先に席を立つ。
最後の一針を縫い終えたはるかは、糸を結んで鋏を入れた。
「できた……」
桃色のドレスを持ち上げる。
縫い目は完全に揃っていない。近くで見れば、解いて縫い直した跡も分かる。それでも、花びらのようなスカートも、紅茶の染みを覆う花も、裾の内側に隠した小さな星も、すべてはるかの手で一着のドレスになっていた。
はるかがプリンセスレッスンパッドを開くと、画面の向こうでシャムールが大きく拍手した。
「Excellent! 失敗も、助けてもらった時間も、ぜんぶユーだけのDressになったわねん!」
「でも、わたし一人で作ったんじゃありません」
「Of course! Dressを縫ったのはプリンセスはるか。でも、そのHeartを支えたのはエブリワンよん。それも立派なPrincess Lessonなのねん」
「はい!」
パッドを閉じたはるかは、ドレスを胸へ抱いた。
「ありがとう、きららちゃん」
「だから、お礼は着てからって言ったでしょ」
「じゃあ、明日もう一回言うね」
「言わなくていいって」
きららが帰ろうとすると、はるかが制服の袖をつかんだ。
「待って」
「まだ何かあるの?」
はるかは何度か口を開きかけ、そのたびに閉じる。やがてドレスをベッドへ置くと、きららへ向き直った。
「明日のパーティー、ダンスもあるんだよね」
「あるね」
「きららちゃんは、誰かと踊るの?」
「決めてない。仕事が長引いたら、開始に間に合うかも分かんないし」
「じゃあ……」
はるかは胸の前で両手を握った。
「間に合ったら、わたしと踊ってくれる?」
予想していなかったわけではない。
ドレスの話をしている間も、はるかが何度かダンスの相手を気にしていたことには気づいていた。それでも、真正面から頼まれると、きららの喉は簡単に声を出してくれなかった。
「女子同士で?」
「うん」
「昔のキラくんの代わり?」
口にしてから、嫌な聞き方だったと思った。
はるかは少し驚いた後、はっきりと首を横へ振る。
「キラくんじゃなくて、きららちゃんと踊りたいの」
胸の奥が大きく跳ねた。
昔の姿を求められているのなら、まだ逃げ方があった。はるかの中にいる王子様を一晩だけ演じればいい。
だが、はるかが求めているのは、今ここにいる自分だった。
「……仕事があるから、約束はできない」
それだけ言って、きららは部屋を出た。
翌日のノーブル学園は、朝から普段とは違う空気に包まれていた。
ホールには大きなシャンデリアが灯り、白い布をかけたテーブルには料理や菓子が並んでいる。壁際では生徒たちが弦楽器を調整し、舞台の前にはダンスのための広い空間が空けられていた。
ゆいに髪を整えてもらったはるかは、完成したドレスを着てホールへ入った。
桃色のスカートが歩くたびに揺れる。紅茶の染みがあった場所には花が重なり、その隙間から一瞬だけ裾の内側の星が覗いた。
「はるかさん、とてもよく似合っているわ」
青いドレスをまとったみなみが微笑む。昨年自ら刺した銀色の波が、明かりを受けて輝いていた。
「ありがとう、みなみさん!」
「本当に手作りなの?」
「この花も自分でつけたの?」
周囲の生徒たちに囲まれ、はるかは何度も頷いた。褒められるたび嬉しそうに笑うが、視線はときどきホールの入口へ向かう。
きららの姿はない。
仕事が長引いたのだろう。来られない可能性があることは、最初から聞いていた。
それでも扉が開くたび、はるかは顔を上げた。
最初の演奏が始まる時刻になっても、きららは現れなかった。男女の生徒が互いに手を取り、中央へ進み出る。
「踊りたい相手を待っているの?」
みなみに尋ねられ、はるかは小さく笑った。
「うん。でも、お仕事なら仕方ないから」
以前の自分なら、待ち続けたかもしれない。
いつか王子様が迎えに来てくれることを夢見て、その時が来るまで同じ場所で立っていた。
けれど、今は違う。
この曲が終わってもきららが来なかったら、パーティーの後で自分から会いに行こう。ドレスを見てもらい、もう一度、踊ってほしいと頼もう。
そう決めた時、ホールの扉が開いた。
人々の間から、小さな歓声が上がる。
きららが立っていた。
深い紺色のドレスは、夜空のように細かな光をまとっている。肩には同じ色の短いジャケットを羽織り、その背には燕尾服を思わせる二枚の布が流れていた。
男装ではない。かといって、ただ可憐なだけのドレスでもない。
女性としての自分を隠さず、それでも誰かを導いて歩ける、今の天ノ川きららにしか着られない衣装だった。
はるかの顔が、一瞬で満開になる。
「きららちゃん!」
「遅くなった」
息を整えながら、きららはホールを見渡した。視線が集まっていることには慣れているはずなのに、今日は撮影現場より落ち着かない。
「そんな顔しないでよ。来ないとは言ってないでしょ」
「来てくれた……」
「泣かないでよ?」
「泣かないよ!」
はるかは目元を押さえながら笑った。
きららは周囲の視線を意識し、一度だけ躊躇する。それから、幼い頃とは違う仕草で、はるかへ手を差し出した。
「一晩だけなら、あたしがエスコートしてあげる」
はるかはその手を、両手で包んだ。
「一晩だけじゃなくてもいいよ?」
「よくない!」
周囲の生徒たちには、仲のいい友達同士の冗談に聞こえたらしい。小さな笑いが起こる中、きららだけが顔を赤くした。
演奏が次の曲へ移る。
きららははるかの手を取り、ダンスの輪へ進んだ。片手を重ね、もう片方の手を腰へ添える。
「ち、近いね」
「ダンスなんだから当たり前でしょ」
「どこを見ればいいの?」
「足元ばっかり見ない。背筋を伸ばして、あたしを見る」
言われた通り、はるかが顔を上げる。
まっすぐな瞳と目が合った瞬間、きららの方が先に逸らしかけた。
「右足を後ろ。次は左」
「右……あっ!」
はるかの靴が、きららのつま先を踏んだ。
「痛っ」
「ご、ごめん!」
「止まらない。次で合わせるから」
きららが歩幅を狭める。はるかの動きへ合わせて速度を落とすと、少しずつ二人の足が揃い始めた。
「ゼツボーグには突っ込めるのに、ダンスくらいで緊張するんだ?」
「だって、これは戦いと違うもん」
「何が違うの?」
「きららちゃんが、近いから」
きららは次の一歩を間違えかけた。
はるかは自分が何を言ったのか分かっていない。踊ることに必死で、赤くなったきららの顔にも気づかず、教わった順番を頭の中で繰り返している。
「きららちゃん?」
「……何でもない。次、回るよ」
手を高く掲げ、はるかを一回転させる。
桃色のスカートが、花びらのように広がった。その内側で、小さな金色の星が一瞬だけ姿を見せる。
「あの星、ちゃんと残したんだ」
「うん。見つけてもらうための星だったから」
「じゃあ今日は、約束どおり迎えに来たってこと?」
軽く言ったつもりだった。
一晩だけ、昔の王子様の約束を果たす。その程度の意味にしておけば、これ以上胸が騒ぐこともない。
だが、はるかは首を横へ振った。
「少し違うよ」
「違う?」
「昔は、キラくんが迎えに来てくれるのを待ってたの」
はるかは、重ねた手へ力を込めた。
「でも今日は、わたしがきららちゃんと踊りたくて、自分からお願いしたんだよ」
きららは答えられなかった。
自分が演じた王子様を求められているわけではない。幼い日の約束を再現したいだけでもない。
「だから、来てくれてうれしい」
はるかが笑う。
「キラくんじゃなくて、今のきららちゃんが来てくれたことが、一番うれしい」
音楽が遠くなる。
ホールにいる生徒たちの姿も、シャンデリアの光も、その瞬間だけは輪郭を失った。
きららは返事の代わりに、はるかをもう一度回した。
今度は足を踏まなかった。桃色の花びらと紺色の夜空が重なり、二人の間を裾の星が駆け抜ける。
曲が終わる。
周囲から拍手が起こり、はるかは息を弾ませながら頭を下げた。それでも、重ねた手はなかなか離れない。
「はるか」
「なに?」
「もう終わったんだけど」
「次の曲も踊ろうね」
「一晩だけって言ったでしょ」
「まだ一晩、終わってないよ?」
きららは言い返せず、手を離すと飲み物を取りに逃げた。
その途中で別の生徒に踊らないかと誘われたが、仕事の後で疲れているからと断る。グラスを二つ持って戻ると、はるかは同じ場所で待っていた。
きららを見つけた途端、また満開の笑顔になる。
結局、次の曲が始まる前に、きららは再びその手を取った。
花のプリンセスを迎えに来たつもりだった星は、いつの間にか、その花に手を引かれて踊っていた。