星の王子と花の姫君 作:百合魔神
七瀬ゆいが初めて参加する秘密の作戦会議は、ノーブル学園女子寮の談話室で開かれた。
テーブルの中央には、パフが見つけてきた色鉛筆と、アロマが用意した学園の見取り図が広げられている。その周囲に、はるか、みなみ、きらら、ゆいが座っていた。
「まず、プリキュアとして動かなきゃいけなくなった時の言い訳を決めておいた方がいいと思うの」
ゆいは真剣な顔でノートを開いた。
「寮を抜ける時は、先生に見つかりにくい東階段を使うでしょ。授業中なら、保健室へ行くことにして……パフちゃんとアロマくんを隠す場所も、いくつか考えてみたよ」
「すごい。もうこんなに考えてくれたんだ!」
はるかが身を乗り出す。
「ゆい、頼もしいパフ!」
「ボクたちより準備がいいロマ……」
アロマが複雑そうに見取り図を覗き込んだ。そこには空き教室や倉庫、寮の裏口だけでなく、消毒液や包帯が置かれている場所まで記されている。
「それから、けがをした時のために、救急箱の中身も確認しておきたいな。戦っているみんなのところには行けなくても、戻ってきた時にできることがあるかもしれないから」
「充分すぎるくらいよ。ありがとう、ゆいさん」
みなみが微笑む。ゆいは少し照れたように首を横に振った。
「わたしにもできることがあるなら、したいの。みんなの秘密を知っているだけじゃなくて、ちゃんと力になりたいから」
先日の風車の一件で、ゆいはプリキュアの正体を知った。
本来なら敵に襲われ、深い絶望を植えつけられていたはずの少女は、ほとんど傷つかなかった。それどころか、自分の夢を自分の言葉でノートへ書き、今はこうして仲間として動こうとしている。
未来は変えられる。
その事実を、きららは一度、自分の手で確かめていた。
「きらら、聞いている?」
みなみに呼ばれ、きららは顔を上げた。
「聞いてるって。救急箱でしょ」
「それだけではないわ。ゆいさんが、撮影やレッスンであなたがいない時の連絡方法を確認したいそうよ」
「ああ、そっち」
きららは鞄から手帳を出し、撮影予定の書かれたページを開いた。空白の時間を教えながらも、頭の半分はテーブルの端に置かれた三本のドレスアップキーへ向いている。
赤い薔薇をかたどったローズ。透き通った氷のようなアイス。淡い月光を宿したルナ。
風車から現れた新しいキーは、どれも美しかった。しかし、プリンセスパフュームへ差し込んでも、これまでのような力を引き出すことができない。
まだ使うべき時ではない。
足りないものがある。
そして、その足りないものが何であるかを、きららは知っていた。
「やっぱり反応しないね」
はるかがローズキーを手に取った。光へ透かすと、赤い宝石の中で小さな輝きが揺れる。
「せっかく見つけたのに、どうやって使うんだろう」
「新たな力には、新たなきっかけが必要なのかもしれないわね」
みなみが答える。
きららは口を閉じたまま、ルナキーを見つめた。
クリスタルプリンセスロッド。
夢の力に応えて現れる、三本の杖。ローズ、アイス、ルナのキーを使い、三人で放つ新しい技。
そこへ至る流れまで、おおよそ覚えている。
絶望の闇。引き離される三人。倒されるクローズ。そして、夢を信じる心によって生まれる新しい力。
何が起きるか分かっているのなら、先に備えればいい。
誰も傷つかず、誰も怖い思いをせず、必要な場所へ必要な人間を動かせばいい。
「きららちゃん?」
隣から覗き込んだはるかと目が合った。
「どうしたの? ずっとルナキーを見てるけど」
「別に。使えないなら、使えるようになるまで待てばいいんじゃない?」
「きららは、何か分かっているの?」
みなみの問いに、きららは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「まさか。なんとなく、そう思っただけ」
嘘ではない。少なくとも、証明できることは何もなかった。
それでも、はるかはきららの横顔を見つめていた。
窓の外を黒い羽根が横切ったのは、その時だった。
きららは椅子を蹴るように立ち上がった。
「窓から離れて!」
突然の大声に、全員が振り返る。はるかが理由を尋ねるより先に、きららはゆいの腕をつかんだ。
「ゆいは廊下に出て。パフとアロマも連れて、階段の近くへ」
「えっ、でも」
「早く!」
窓ガラスの向こうで、二枚目の羽根が舞った。
続いて三枚、四枚。青かった空が黒い羽根に覆われ、昼間の談話室が急速に暗くなる。
アロマが窓へ飛び上がった。
「ディスダークの気配ロマ!」
「やっぱり……」
きららの呟きを、はるかは聞き逃さなかった。
「やっぱりって、きららちゃん……」
「話は後。みなみは右、はるかはあたしの後ろにいて」
きららは記憶の中に残っている光景を引き寄せた。
最初にクローズが狙うのは、キュアフローラだった。真っ直ぐ放たれる黒い羽根を、トゥインクルが横から弾く。その後、ディスピアが空間を闇へ呑み込み、三人は別々の場所へ飛ばされる。
攻撃の軌道さえ分かっていれば、受け止めることができる。
きららは、はるかを庇う位置へ足を進めた。
談話室の窓が一斉に開いた。
風もないのにカーテンが大きく膨らみ、黒い羽根が室内へ流れ込む。その中心から、クローズが片膝をつくように床へ降り立った。
「ようやく見つけたぜ、プリキュア!」
「クローズ!」
はるかが叫ぶ。
クローズは立ち上がると、きららの立ち位置へ視線を向けた。その顔に浮かんだのは怒りではなく、獲物の妙な動きを見つけた鳥のような不審だった。
「なんだァ? ずいぶん準備がいいじゃねえか」
「はるか、動かないで」
きららは両腕を広げた。
来る。
右腕を振り上げ、真っ直ぐ。
その記憶どおり、クローズが右手を掲げた。しかし、きららが一歩先に身体を傾けた瞬間、その目が細くなる。
「そこまで分かってんなら――こいつはどうだ!」
振り下ろされた腕から、黒い羽根が扇状に放たれた。
一本の軌道ではない。無数の羽根が談話室全体へ広がり、机や椅子、壁へ突き刺さる。
「みんな、伏せて!」
みなみの声が響いた。
きららははるかを床へ押し倒し、その上へ覆いかぶさった。鋭い羽根が頭上を通過し、背後で鈍い破砕音が上がる。
天井から吊られていた照明が大きく揺れた。
黒い羽根に切断された金具が外れ、砕けたガラスと装飾の一部が廊下側へ落ちていく。
「危ないパフ!」
パフの悲鳴が聞こえた。
きららが顔を上げる。廊下へ出ようとしていたゆいが、パフを抱えたまま床へ倒れていた。
「ゆいちゃん!」
はるかがきららの腕を抜けて駆け寄る。みなみもその後を追った。
ゆいの左足の近くに、砕けた照明の金具が転がっていた。膝の下に小さな切り傷があり、白い靴下へ血が滲んでいる。
「大丈夫。パフちゃんを庇った時に、足をひねっただけだから」
そう答えながらも、ゆいの顔は痛みに歪んでいた。
「立てる、ゆいさん?」
みなみが身体を支える。ゆいは床へ手をついたが、左足へ力を入れた途端、短く息を呑んだ。
きららは動けなかった。
本来、羽根は真っ直ぐはるかへ向かうはずだった。
自分が先に動いたから、クローズは攻撃を変えた。その結果、照明が壊れ、そこにいるはずのなかったゆいへ落ちた。
「きららちゃん?」
はるかの声で、きららは我に返った。
「あたしのせい……」
「え?」
「ゆいを廊下へ動かしたの、あたしだから」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
クローズの背後に、濃い闇が集まった。
黒い炎の中に、巨大な女性の姿が浮かび上がる。冷たい眼差しが談話室を見下ろし、その場にいる全員の身体から熱を奪った。
「ディスピア……」
はるかが呟く。
「夢を守るという愚かな者たちよ。お前たちの希望も、絆も、すべて絶望の底へ沈めてやろう」
ディスピアが片手を掲げる。
窓の外だけでなく、床も壁も、景色のすべてが黒く染まった。談話室の中央へ生まれた暗い穴が、机も椅子も呑み込みながら広がっていく。
「変身するよ!」
はるかがプリンセスパフュームを取り出す。みなみときららも、それぞれのドレスアップキーを構えた。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
花びらと水流と星の光が、三人の身体を包み込む。
「咲き誇る花のプリンセス! キュアフローラ!」
「澄みわたる海のプリンセス! キュアマーメイド!」
「きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!」
三人が着地するより早く、足元の闇が大きく波打った。
フローラがゆいへ手を伸ばす。
「ゆいちゃん!」
「わたしは大丈夫! みんなは――」
言葉の途中で、黒い風が吹き荒れた。
ゆいとパフとアロマが廊下の奥へ弾き飛ばされ、三人のプリキュアは暗い穴の中心へ引き寄せられる。トゥインクルは隣にいるフローラの手をつかもうとした。
指先が触れる。
あと少しで握れるところまで近づきながら、黒い羽根が二人の間を切り裂いた。
「きららちゃん!」
「はるか!」
フローラの姿が闇の向こうへ消える。
次の瞬間、トゥインクルの身体も底の見えない暗闇へ引きずり込まれた。
目を開けると、そこは黒い鉄格子に囲まれた空間だった。
空も地面も灰色で、遠くに見える塔は歪んでいる。冷たい風が吹くたび、折れた枝のような音が辺りへ響いた。
「ここ……」
トゥインクルは立ち上がり、周囲を見回した。
絶望の檻。
記憶どおりなら、この場所で三人は別々に試される。クローズたちが生み出したゼツボーグを倒し、再び合流するはずだった。
「まず一体。たしか、正面から来る」
足音が聞こえた。
トゥインクルは反射的に左へ跳ぶ。その直後、巨大な爪が、直前まで立っていた地面を抉った。
「ほらね」
星の光をまとわせ、敵へ蹴りを放つ。
だが、吹き飛ばした影の後ろから、同じ顔をしたゼツボーグが二体現れた。
「二体……?」
違う。
記憶では、一体だった。
三体のゼツボーグは同時に腕を伸ばした。トゥインクルは頭上へ跳び、一体目の肩を蹴って背後へ回る。
「プリキュア・トゥインクル・ハミング!」
星の光が一体を包み込む。しかし、技を放ち終えた一瞬の隙を狙い、残る二体が左右から迫った。
トゥインクルは身体をひねって回避する。黒い爪が頬を掠め、浅い傷から熱い痛みが走った。
敵は、記憶どおりに動かない。
当然だった。数も違う。最初に避けた位置も違う。
それでも、ここで止まるわけにはいかない。
「だったら、今見えてる方に合わせるだけ!」
トゥインクルは地面を蹴った。
一体の腕を足場に跳び、二体目の頭上を越える。二体が向かい合った瞬間に身体を沈めると、互いの拳が正面からぶつかった。
崩れた二体へ星の光を叩き込む。
敵が消えた後、トゥインクルは肩で息をしながら頬の傷を拭った。
未来が変わったのではない。
自分が先に動いたから、敵の数と攻撃が少し変わっただけだ。もっと正確に状況を読めば、次は間違えない。
そう言い聞かせた時、檻の奥で光が弾けた。
同じ頃、フローラも一人で灰色の荒野を走っていた。
どれだけ名前を呼んでも、マーメイドもトゥインクルも返事をしない。遠くで戦う音が聞こえるたび、フローラはそちらへ向かおうとしたが、歪んだ道は何度も彼女を元の場所へ戻した。
「みなみさん! きららちゃん!」
返るのは、自分の声だけだった。
フローラの前へ、蔓に覆われたゼツボーグが立ちはだかる。両腕から伸びた黒い蔓が、フローラの手足へ絡みついた。
「お前の夢など、叶わないゼツボーグ!」
「そんなことない!」
フローラは蔓をつかみ、力いっぱい引いた。
「わたしは絶対に、強く、優しく、美しいプリンセスになる! みなみさんと、きららちゃんと、ゆいちゃんと……みんなと一緒に、自分の夢を叶えるんだから!」
蔓が引きちぎられ、花びらの光が暗い空間へ舞い上がる。
ゼツボーグを倒しても、フローラの胸には別の不安が残った。
談話室で、クローズが現れる前からきららは動いていた。
攻撃の来る方向まで知っているように、立つ場所を決めた。今もどこかで、一人で何かを先回りしようとしているのではないか。
「きららちゃん……」
あの時の横顔は、敵を怖がっていたのではない。
まだ起きてもいない何かに怯えていた。
マーメイドの前には、二つの道があった。
一方は凪いだ黒い海。もう一方は、荒れ狂う濁流の中へ続いている。記憶も目印もない空間で、どちらが仲間のもとへ通じているのかは分からない。
マーメイドはすぐには進まなかった。
風の向き、水面の揺れ、遠くから響く音を一つずつ確かめる。やがて、凪いだ海の底に、こちらを誘うような黒い影が潜んでいることへ気づいた。
「穏やかに見えるからといって、正しい道とは限らないわ」
マーメイドは濁流へ飛び込んだ。
激しい水の流れへ逆らわず、身体を預けながら向きを変える。進むほどに流れは強くなったが、その奥から、かすかな花の香りと星の光が感じられた。
「二人とも、待っていて」
確かな答えがないのなら、今あるものを見て、自分で選ぶ。
マーメイドは渦の中心へ飛び込んだ。
一方、ゆいはパフとアロマを抱え、暗い廊下を進んでいた。
左足を床へつくたびに鋭い痛みが走る。出血は止まりかけていたが、足首は少しずつ腫れていた。
「大丈夫パフ?」
「うん。ゆっくりなら歩けるよ」
ゆいは壁へ手をつきながら答えた。談話室から続いていたはずの廊下は、いつの間にか見知らぬ城の通路へ変わっている。
「でも、みんながどこにいるのか分からないロマ」
アロマが不安そうに周囲を見回す。
その時、パフの胸元にあるレッスンパッドが光を放った。
『パフ、アロマ。聞こえるか』
「お兄さま!」
光の中に、カナタの姿が映し出される。その表情は険しかった。
『プリキュアたちは、ディスピアの生み出した絶望の檻へ囚われている。このままでは、夢の力を奪われてしまう』
「助ける方法はないんですか?」
ゆいが尋ねる。
カナタは一度目を閉じた後、静かに答えた。
『新たなドレスアップキーだけでは、まだ力を解放できない。三人の夢に応える、新たなロッドが必要だ』
「ロッド……」
『クリスタルプリンセスロッド。その力を呼び起こせるのは、どれほど絶望に閉ざされても、自分の夢を信じる心だけだ』
ゆいは胸元へ手を当てた。
戦う力はない。それでも、その言葉を届けることならできる。
「みんなのところへ行きます」
「でも、その足では危ないパフ!」
「だからこそ、今行かなきゃ」
ゆいは痛む左足をゆっくり前へ出した。
「きららちゃんは、わたしを安全な場所へ動かそうとしてくれた。たぶん、誰も傷つかないようにしようとしたんだと思う」
廊下へ落ちた照明を思い出す。
きららは、自分のせいだと言った。けれど、羽根を放ったのはクローズだ。
「きららちゃんにも伝えたいの。誰か一人が、全部を正しくしなくてもいいって」
ゆいはパフとアロマへ手を差し出した。
「一緒に行こう。みんなの夢を、呼び戻しに」
檻の境界が崩れた時、最初に再会したのはトゥインクルとマーメイドだった。
灰色の壁を突き破る水流が現れ、その中からマーメイドが飛び出す。トゥインクルは驚きながらも、その手をつかんだ。
「みなみ!」
「きらら、無事だったのね」
マーメイドはトゥインクルの頬の傷へ気づき、眉を寄せた。
「かすっただけ。それより、はるかを探さないと」
「ええ。けれど、焦って闇雲に進んでも、同じ場所へ戻されるわ」
「だったら、こっち」
トゥインクルは迷わず右側の道を指した。
記憶では、この先にフローラがいるはずだった。
二人が進むと、行き止まりだった壁が大きく揺れた。向こう側から花びらが溢れ、次の瞬間、フローラが壁を破って飛び込んでくる。
「みなみさん! きららちゃん!」
「はるか!」
フローラは二人へ駆け寄った。無事を確かめるようにマーメイドの手を握り、続いてトゥインクルの腕へ触れる。
「よかった……二人とも、本当によかった」
「この程度、どうってことないって」
トゥインクルは頬の傷を隠すように顔を逸らした。
これで三人が揃った。
次は、夢の力でロッドを呼び出す。
「二人とも、聞いて」
トゥインクルはフローラとマーメイドへ向き直った。
「新しいキーを使うには、クリスタルプリンセスロッドが必要なの」
「クリスタルプリンセスロッド?」
フローラが目を丸くする。
「どうして、その名前を知っているの?」
マーメイドの問いに、トゥインクルは息を止めた。
「さっき、なんとなく頭に浮かんだの」
「なんとなく?」
「今は説明してる時間ないでしょ。それより、夢の力で呼ぶの。あたしたちが夢を諦めなければ、きっと出てくるから」
トゥインクルは目を閉じ、胸元へ手を当てた。
トップモデルになる。
世界中のランウェイを歩き、自分にしか作れない輝きを見せる。
フローラとマーメイドも彼女に合わせて目を閉じた。三人の胸から、桃色、水色、黄色の光が生まれる。
しかし、光は弱々しく揺れただけで、すぐに消えてしまった。
「どうして……」
トゥインクルは目を開いた。
記憶では、夢を信じれば現れたはずだ。
「まだ何かが足りないのかしら」
マーメイドが周囲を警戒しながら言う。
「違う。場所か、タイミングがずれてるだけ。はるかは真ん中、みなみは左へ立って。あたしが合図したら、もう一度呼ぶよ」
「きららちゃん、待って」
フローラは動かなかった。
「今のきららちゃん、何か変だよ」
「変でも何でもいいから、早くして。ここでロッドを出さないと勝てないの」
「でも、どうしてそこまで分かるの?」
トゥインクルは答えられなかった。
言えば、すべてが壊れる。
自分が別の人生を生きていたこと。この世界の出来事を、物語として知っていたこと。そして、自分たちがこれから何を失い、誰と戦うのかまで知っていること。
「説明は後。今はあたしの言うとおりにして」
フローラは不安を残しながらも、指定された位置へ立った。マーメイドも反対側へ移動する。
「はるかは前。みなみは攻撃が来たら右へ避けて。あたしがクローズを引きつけるから」
「きららちゃん一人で?」
「大丈夫。次に狙われるのは、はるかだから」
その言葉に、二人の表情が固まった。
「次に?」
トゥインクルがしまったと思った時、頭上から耳障りな笑い声が降ってきた。
「ハッ! 次に狙われる奴まで分かるってか!」
黒い羽根が渦を巻き、クローズが姿を現す。
絶望の力を吸収した身体は大きく膨れ、両腕は巨大な翼へ変わっていた。鋭い嘴と爪を持つ、黒い怪鳥のような姿だった。
「だったら、お前の思いどおりになんか動いてやらねえ!」
クローズの翼が広がる。
トゥインクルは記憶の中の攻撃を探した。
最初はフローラ。次にマーメイド。最後に自分が横から隙を突く。
「はるか、後ろ!」
フローラが身構える。
しかし、クローズの顔が向いた先は、トゥインクルだった。
「一番うるせえお前から潰す!」
「えっ――」
巨大な翼が、トゥインクルの身体を横から打ちつけた。
避ける方向を決めていた足が、逆に動きを遅らせた。星の光が弾け、トゥインクルは地面へ叩きつけられる。
「きららちゃん!」
クローズの爪が振り下ろされる。
トゥインクルは腕を上げたが、その前へフローラが飛び込んだ。
「させない!」
フローラは両腕で爪を受け止めた。地面が割れ、膝が深く沈む。
「はるか、どいて! そいつはあたしを狙ってる!」
「だから、どかない!」
フローラはクローズの爪を押し返した。
「きららちゃんがわたしを守ろうとしたみたいに、わたしだってきららちゃんを守りたい!」
「そんなことしたら、また順番が――」
「順番なんて知らないよ!」
フローラの叫びに、トゥインクルの言葉が止まった。
「勝手に一人で全部守ろうとしないで!」
クローズがもう片方の翼を振るう。
フローラとトゥインクルは同時に吹き飛ばされ、灰色の地面を転がった。マーメイドが水の膜を広げ、二人の身体を受け止める。
「二人とも、立てる?」
「うん……」
フローラが身体を起こす。
トゥインクルも立とうとしたが、足元がぐらついた。フローラが腕を支えようとすると、反射的にその手を振り払ってしまう。
「触らないで。自分で立てるから」
「きららちゃん……」
「二人とも、今は言い争っている場合ではないわ」
マーメイドは二人の間へ立った。
「きらら。あなたが何かを知っているとしても、私たちが同じものを見ているとは限らない。だから、せめて今ここにいる私たちを見て」
その言葉を否定するより先に、暗い空間へ一筋の光が差し込んだ。
「みんな!」
ゆいの声だった。
崩れかけた通路の向こうから、ゆいがパフとアロマに肩を支えられて歩いてくる。左足には、引き裂いたハンカチが包帯代わりに巻かれていた。
「ゆいちゃん!」
フローラが駆け寄ろうとする。
「来ちゃ駄目! クローズが――」
「伝えに来たの!」
ゆいは痛みに顔を歪めながらも、三人を真っ直ぐ見つめた。
「クリスタルプリンセスロッドは、みんなの夢が呼ぶんだって! どんなに絶望へ閉じ込められても、自分の夢を信じる心があれば、きっと応えてくれるって!」
フローラとマーメイドは驚いてゆいを見る。
トゥインクルだけは、俯いた。
名前も、呼び出す方法も、知っていた。
それでも自分が言った時には、何も起こらなかった。答えだけを先に口にして、正しい場所へ仲間を並べても、ロッドは現れなかった。
「きららちゃん」
ゆいが呼びかける。
「あのけがは、きららちゃんのせいじゃないよ」
「違う。あたしが動かしたから、そこにゆいがいた」
「それでも、わたしを傷つけたのはきららちゃんじゃない」
ゆいは左足を庇いながら、一歩進んだ。
「きららちゃんは、わたしを守ろうとしてくれたんでしょう?」
「守れてないじゃん」
トゥインクルは拳を握った。
「分かってたのに。何が起きるか知ってたのに、あたしが余計なことしたせいで、ゆいがけがして……はるかまであたしを庇って」
クローズが大きな笑い声を上げる。
「最高じゃねえか! 守ろうとするほど仲間が傷つく! 夢も希望も、お前が全部ぶち壊すんだよ!」
黒い羽根が空を覆う。
トゥインクルの胸へ、冷たい言葉が突き刺さった。
このまま変え続ければ、本来傷つかなかった誰かが傷つく。
知っている未来へ戻ろうとしても、もう同じ道は残っていない。
それなら、何のために自分はここにいるのか。
十七歳だった自分が死に、天ノ川きららとして生まれた意味など、本当はどこにもないのではないか。
「違うよ!」
フローラの声が、闇を切り裂いた。
「きららちゃんは、何も壊してない!」
「何を根拠に――」
「わたしが知ってるから!」
フローラはトゥインクルの前へ立った。
「きららちゃんがモデルのお仕事をしてる時、すっごく楽しそうなの。大変なこともいっぱいあるのに、ランウェイを歩いてるきららちゃんは、誰よりもきらきらしてる」
花びらの光が、フローラの胸から溢れ出す。
「トップモデルになるって、誰かに決められた夢じゃない。きららちゃんが自分で選んで、自分で追いかけてる夢でしょう?」
トゥインクルは顔を上げた。
母が有名モデルだからではない。
天ノ川きららとして生まれたからでも、知っていた物語でそうなっていたからでもない。
初めてカメラの前へ立った日。自分の表情一つで、服も光も別のものへ変わって見えた。
レッスンで何度も足を痛め、それでもランウェイの先にある景色を見たいと思った。
それは、この世界から与えられた役ではない。
自分が見つけた、自分の夢だった。
「わたしも、自分で選んだ夢を叶えたい」
フローラの光が強くなる。
「どんなに無理だって言われても、わたしは強く、優しく、美しいプリンセスになる。誰かに守ってもらうだけじゃなくて、わたしも大切な人を守れるプリンセスに!」
マーメイドが隣へ並ぶ。
「私は、強く、正しく、立派な人になりたい。家族や学園のみんなを支えられるように。そして、自分の隣にいる大切な人たちの声を、きちんと聞ける人でありたい」
澄んだ水色の光が、マーメイドの胸から広がった。
二人の光が、トゥインクルを包み込む。
未来を正しくなぞることが夢ではない。
誰も傷つかない結末を作ることも、きらら一人の役目ではない。
それでも、今ここで手を伸ばせるなら。
「……あたしは、トップモデルになる」
トゥインクルはゆっくり立ち上がった。
「世界中の人が、あたしを見ただけで前を向けるくらい、最高に輝くモデルになる。誰かが決めた天ノ川きららじゃなくて、あたしが選んだあたしになる!」
黄色い星の光が弾けた。
三色の光が重なり、絶望の檻を貫いて空へ昇る。灰色だった空間に亀裂が入り、その向こうから眩しい輝きが降り注いだ。
光の中から、三本の杖が現れる。
花の意匠を持つ桃色の杖。水の宝石を宿す青い杖。星と月の光をまとった黄色い杖。
「クリスタルプリンセスロッド……」
トゥインクルの手へ、黄色い杖が収まった。
今度は、知っていたから現れたのではない。
三人で夢を確かめたから、この手へ届いた。
「そんなもんで、俺様の絶望を破れると思うな!」
クローズが翼を広げ、巨大な黒い球体を作り出す。
「二人とも、行くよ!」
フローラがローズキーを掲げる。
「ええ!」
マーメイドがアイスキーを構える。
「今度こそ、決める!」
トゥインクルはルナキーを握った。
三本のキーが、それぞれのクリスタルプリンセスロッドへ差し込まれる。
「モードエレガント・ローズ!」
「モードエレガント・アイス!」
「モードエレガント・ルナ!」
薔薇と氷と月の光が三人を包み、長いドレスの裾が絶望の闇へ広がった。
黒い球体が放たれる。
三人は互いの姿を確認し、同時にロッドを掲げた。
「響け、すべての力!」
桃色、水色、黄色の光が一つになる。
「プリキュア・トリニティ・リュミエール!」
三つの光は黒い球体を貫き、その奥にいるクローズへ届いた。
「俺様は……俺様は、こんなところで終わらねえ! ディスピア様ァァァ!」
絶叫とともに、巨大な怪鳥の身体が光へ呑み込まれる。
黒い羽根が一枚ずつ崩れ、最後に残ったクローズの影も消えた。
絶望の檻が砕ける。
灰色の景色へ色が戻り、眩しい青空が頭上に広がった。
戦いが終わった後、ゆいは学園の保健室へ運ばれた。
診断は軽い捻挫と、膝の小さな切り傷。数日は走らず、足首を冷やしていれば問題ないと言われた。
「本当に、これくらいで済んでよかった」
はるかがベッドの横に座り、安堵の息をつく。
「心配かけてごめんね」
「ゆいちゃんが謝ることじゃないよ!」
みなみは、新しい包帯が巻かれた左足を確認した。
「痛みが強くなったら、すぐに先生へ伝えるのよ。無理に歩いてはいけないわ、ゆいさん」
「うん。ありがとう、みなみさん」
パフとアロマはカーテンの陰から顔を出し、ゆいが本当に無事だと分かると、ようやく表情を緩めた。
きららは少し離れた窓際に立っていた。
白い包帯から目を逸らせない。
軽いけがだった。
覚えていた結末も、ほとんど変わらなかった。
三人はクリスタルプリンセスロッドを手に入れ、クローズを倒した。ゆいもプリキュアの力になり、全員が無事に戻ってきた。
それでも、ゆいの足には、本来存在しなかった包帯が巻かれている。
「きららちゃん」
はるかに呼ばれ、きららは窓から離れた。
「何?」
「少し、話してもいい?」
「もうすぐ撮影だから。長いのは無理」
「じゃあ、少しだけ」
はるかは廊下へ出た。
きららも仕方なく後を追う。扉が閉まると、保健室の中の声が遠くなった。
「きららちゃん、どうしてクローズの攻撃が来る前に分かったの?」
「勘だって言ったじゃん」
「クリスタルプリンセスロッドのことも?」
「それも、たまたま思いついただけ」
「そんなたまたま、二つも重ならないよ」
きららは答えず、廊下の時計を見た。
「もう行かなきゃ」
「待って」
はるかがきららの袖をつかんだ。
強くはない。振り払おうと思えば、簡単に外せる程度の力だった。
「戦ってる時のきららちゃん、わたしたちを見てなかった」
「見てたよ。だから指示したんでしょ」
「違うの」
はるかは首を横に振った。
「わたしたちじゃなくて、違う何かを見てた。まだ起きてないことを、頭の中でずっと追いかけてるみたいだった」
きららの喉が詰まる。
「何それ。意味分かんない」
「わたしも分からないよ。だから聞いてるの」
はるかの指が、袖をつかんだまま震えた。
「きららちゃん、何をそんなに怖がってるの?」
答えられなかった。
未来を知っていることではない。
知っていながら、守れないこと。
自分が変えたせいで、大切な誰かが傷つくこと。
そして何より、目の前にいるはるかが、いつか自分の知らない選択をすることが怖かった。
「怖がってなんかない」
きららは袖を引き抜いた。
「考えすぎ。あたし、ほんとに撮影あるから」
「きららちゃん!」
呼び止める声を背中で受けながら、きららは廊下を歩いた。
角を曲がるまで、足を速めない。
見えなくなった瞬間、逃げるように走り出した。
撮影へ向かう車の中で、きららは手帳を開いた。
覚えている出来事を、順番に書き出していく。
ディスピアの出現。絶望の檻。三人の分断。クリスタルプリンセスロッド。クローズの敗北。
大きな流れは変わっていない。
変わったのは、攻撃の角度と敵の数。ゆいがけがをした場所。そして、クローズが最後に狙った相手。
ならば、問題は未来を変えようとしたことではない。
自分の予測が粗かったことだ。
もっと細かく覚えていればいい。
敵がこちらの動きを見て攻撃を変える可能性まで考え、全員をさらに正確な位置へ動かせばいい。起こり得る変化を先回りして、間違う余地をなくせばいい。
きららは手帳へ、新しい注意書きを加えた。
敵は記憶どおりに動くとは限らない。
味方にも、指示の理由を納得させる必要がある。
書き終えた文字の端に、車の振動で小さな線が引かれた。
ゆいの白い包帯が、何度も頭へ浮かんだ。
それでも、きららは手帳を閉じなかった。
閉じたはずの未来は、ゆいの白い包帯の下で、もう別の形へ動き始めていた。