星の王子と花の姫君 作:百合魔神
返さなかったメッセージは、ファミリーデーの朝になっても消えなかった。
『今度、家族がノーブル学園に来ることになったの。きららちゃんにも会ってほしいな』
撮影の合間に携帯電話を開くたび、同じ文章が目に入る。既読をつけたまま三日が過ぎ、今さらどんな返事をしても遅い気がした。
きららは画面を伏せ、呼ばれたセットへ戻った。
その頃、ノーブル学園では朝早くからファミリーデーの準備が進んでいた。
色とりどりの花で飾られた正門を、はるかが何度も振り返る。手にした案内板のリボンは、とっくに結び終えている。
「はるかちゃん、リボンならもう大丈夫だよ」
「あっ、ほんとだ。ごめん、ゆいちゃん」
ゆいに言われ、はるかは同じ場所へ三つ目の蝶結びを作ろうとしていた手を止めた。
「はるかのご家族は、もうすぐ到着する予定だったわね」
受付の名簿を確認していたみなみが声をかける。はるかは大きく頷いた後、また正門へ目を向けた。
「うん。お父さんとお母さんと、妹のももかが来るの。みんなに会うの、すっごく楽しみ!」
「それだけではなさそうね」
みなみの穏やかな指摘に、はるかの笑顔がわずかに揺れた。ゆいも心配そうに尋ねる。
「きららちゃん、来るって言ってたの?」
「ううん。まだ返事はもらってないんだ」
はるかは明るく答え、結んだばかりのリボンを指先で整えた。
「でも、来られたら来てほしいって思ってる。今はちゃんと話せなくても、わたしの家族に会ってほしかったから」
みなみは励ます代わりに、静かに頷いた。
「だから、招待したのね」
「うん」
正門の向こうから、一組の家族が歩いてくる。はるかの顔が満開に輝き、案内板をゆいへ預けて駆け出した。
「お父さん、お母さん! ももか!」
はるかが両腕を広げる。両親は笑顔で迎えたが、その後ろにいた小さな女の子は、抱きつこうとしたはるかの腕をするりと避けた。
「……久しぶり、お姉ちゃん」
待ち望んだ再会にしては、ずいぶん短い挨拶だった。
はるかは不思議そうに瞬きをしたものの、すぐに笑顔へ戻った。
「ももか、学校の中を案内してあげるね! 見てほしいところがいっぱいあるの!」
ももかは答えず、母親の隣へ寄った。その様子を気にしながらも、はるかは家族を連れて受付へ向かった。
同じ頃、町の撮影スタジオでは、午後に予定されていたカットの中止が伝えられていた。
「今日はこれで上がっていいわよ。ホテルまで車を回すから、少し待っていて」
マネージャーの言葉に、きららは反射的に頷いた。空いた午後にやるべきことならいくらでもある。次の撮影資料を読む。ウォーキングを確認する。手帳に書いた出来事と、今起きていることのずれを整理する。
どれも、ノーブル学園へ戻るよりは簡単だった。
けれど、建物の前に車が着いても、きららの足は動かなかった。携帯電話には、返していない招待が残っている。
「……ごめん。学校に戻る」
「え?」
「午後、空いたんでしょ。電車の方が早いから」
返事は送らないまま、きららは駅へ向かって走り出した。
ノーブル学園へ着いた時には、校内のあちこちから家族連れの笑い声が聞こえていた。
正門をくぐったきららを、受付に立つみなみが最初に見つけた。
「来たのね、きらら」
「撮影が早く終わっただけ」
「そういうことにしておきましょう」
意味ありげに微笑まれ、きららは顔を背けた。
「はるかなら、ご家族と中庭にいるわ」
「別に、はるかを捜してたわけじゃ――」
「きららちゃん!」
言い訳を遮って、聞き慣れた声が飛んでくる。
中庭から戻ってきたはるかが、きららを見つけて立ち止まっていた。最初の一瞬だけ、いつもの笑顔が顔いっぱいに広がる。だが、先日の言い争いを思い出したように、その笑顔は少しだけ小さくなった。
「来てくれたんだね、きららちゃん」
「仕事が終わったから。顔を出すくらいならできるかなって」
「うん。ありがとう」
はるかは、後ろにいる三人を振り返った。
「紹介するね。わたしのお父さんとお母さん。それから、妹のももか」
両親はきららの顔を見た途端、揃って目を見開いた。
「天ノ川きららさん? はるかから話は聞いていたけど、本当に同じ学校だったんだねえ」
「いつも娘がお世話になっています」
「い、いえ。こちらこそ」
大人へ挨拶することには慣れているはずなのに、はるかの両親を前にすると妙に居心地が悪い。きららが無意識に背筋を伸ばす横で、はるかが続けた。
「きららちゃんは同じクラスで、モデルのお仕事もしてて、それから……」
はるかの言葉が止まる。
ほんの少し前なら、迷わず友達だと言ったはずだった。
「いつも、一緒に頑張ってるの」
選び直された言葉が、胸の奥へ細い棘のように刺さった。
「ふうん。この人が、きららちゃんなんだ」
ももかが下からきららを見上げる。
「なに?」
「写真で見るより、普通」
「ももか!」
母親にたしなめられ、ももかはぷいと顔を背けた。
はるかは困ったように笑い、中庭へ行こうと家族を促した。そこには春野家が持参した箱が並び、蓋を開けると、焼き色のきれいなどら焼きが顔を見せた。
「うちのお店で作ったんだ。はるかのお友達にも食べてもらおうと思ってね」
父親が勧めると、はるかは誰より早く手を伸ばした。
「わあ、久しぶり! いただきまーす!」
「お姉ちゃん、あんこついてる」
ももかに指摘され、はるかは慌てて口元を拭く。だが、拭いたのは餡と反対側だった。
「そっちじゃないわよ」
母親が笑いながらハンカチで頬を拭う。はるかは耳まで赤くした。
「もう、お母さん。自分でできるよ」
「本当に? 小さい頃、お店を手伝うって言って、どら焼き一つに餡を三個分も入れたのは誰だったかな」
「お父さん、その話はしなくていいから!」
「皮が閉じなくなって、お姉ちゃん泣いたんだよ」
「ももかまで!」
春野家の笑い声が重なる。
はるかは夢へ真っ直ぐに進み、どんな時も立ち上がる。きららの記憶の中にいる春野はるかは、いつも誰かの背中を押していた。
けれど家族の前にいるのは、失敗を暴露されて赤くなり、頬についた餡を母親に拭われ、妹にからかわれる一人の娘だった。そして三人は、はるかが立派だから笑っているのではない。
失敗しても、そそっかしくても、それを含めて当たり前のように愛していた。
「きららちゃんも食べてみて。すっごくおいしいよ!」
はるかがどら焼きを一つ差し出す。きららは一瞬ためらい、それを受け取った。
「……おいしい」
「でしょ?」
はるかの笑顔が少しだけ柔らかくなる。その変化を見たももかが、きららとはるかを交互に見た。
「お姉ちゃん、この人と仲良しなの?」
「えっと……」
はるかが答えに迷う。
「ももか、次はわたしの寮を案内するね。みなみさんのお部屋も近いんだよ。ゆいちゃんとは同じ部屋でね、夜までお話ししたり、一緒に絵本を読んだりするの」
話題を変えるように、はるかは学校での暮らしを並べ始めた。プリンセスレッスンで踊ったこと。バイオリンを習い始めたこと。みなみと海へ行ったこと。きららと一緒にモデルの撮影をしたこと。
話が増えるほど、ももかの顔から表情が消えていく。
「ねえ、ももか。聞いてる?」
「聞いてる」
「それでね、みなみさんはバレエもすごく上手で――」
「別に見たくない」
はるかが言葉を止めた。
案内を手伝いに来たゆいが、気を遣うように笑いかける。
「ももかちゃん、図書室にはおもしろい絵本がたくさんあるよ。よかったら一緒に――」
「行かない」
「ももか、ゆいちゃんが案内してくれるって言ってるんだよ」
「いいって言ってるでしょ」
ももかは苛立ったように足元の小石を蹴った。その視線が、はるかの隣に立つきららへ向く。
「モデルだって、テレビに出てるだけじゃない。別にすごくないもん」
「ももか!」
はるかの強い声が中庭へ響いた。
「きららちゃんにも、ゆいちゃんにも失礼でしょ。ちゃんと謝って!」
「……お姉ちゃんは、もう家族より学校の人の方が大事なんでしょ!」
「そんなこと言ってないよ!」
「言わなくても分かるもん!」
ももかは目に涙を浮かべ、校舎の裏手へ走っていった。
「ももか!」
はるかがすぐに追いかける。両親も後を追おうとしたが、ファミリーデーに訪れた人々の流れと重なり、小さな姿はたちまち見えなくなった。
はるかはその場で辺りを見回す。今にも一人で駆け出しそうな横顔を見て、きららの頭には校内の地図と捜すべき場所が一斉に浮かんだ。
みなみは東側。ゆいは家族とここに残す。はるかは正面から――。
そこまで考え、きららは唇を噛んだ。
「はるか」
「なに?」
「あたしも、ももかを捜しに行っていい?」
はるかが目を見開く。命令ではなく、許可を求めたきららの顔をしばらく見つめ、それから大きく頷いた。
「お願い、きららちゃん」
みなみも受付をほかの生徒へ任せ、捜索に加わった。三人は行き先だけを確かめ、それぞれ別の方向へ走り出す。
きららは校舎の裏から温室へ続く道を進んだ。生け垣の間に、小さな靴跡がある。その先から、葉の擦れる音が聞こえた。
「ももか」
呼びかけると、植え込みの前にしゃがんでいたももかの肩が跳ねた。泣いた跡を隠すように顔を背け、地面へ落ちた葉をかき分けている。
「なにしてんの?」
「……探してるの」
「何を?」
「お姉ちゃんにあげるもの。ずっと作ってたのに、落としちゃった」
ももかのそばには、小さな紙袋が落ちていた。中身だけがなくなっている。
きららも隣へしゃがみ、植え込みの下をのぞき込んだ。
「あたしも探す」
「いい。お姉ちゃんの友達なんかに手伝ってもらわなくても」
「友達かどうかは、今ちょっと微妙だけどね」
ももかが驚いたように顔を上げる。
「けんかしたの?」
「した」
「お姉ちゃんと?」
「はるか、怒ると結構頑固だから」
「知ってる。お姉ちゃん、全然人の話聞かない時あるもん」
「それも知ってる」
思いがけず意見が一致し、二人は少しだけ笑った。
きららは、ももかが不機嫌だった理由を知っていた。少なくとも、知っているつもりだった。
姉と離れて寂しかった。楽しそうな学校生活へ嫉妬した。はるかも同じように会いたがっていたと伝えれば、きっと元の笑顔に戻る。
頭の中にある答えを、そのまま口にしかける。
――私たちを見ないで、頭の中の正解だけを見ている。
はるかの声が蘇り、きららは言葉を飲み込んだ。目の前にいるももかは、きららの記憶を再現するために泣いているのではない。
「ももかは、はるかに何をしてほしかったの?」
問いかけると、ももかの手が止まった。
「……分かんない」
「じゃあ、分かるまで待つ」
きららは急かさず、枯れ葉を一枚ずつ持ち上げた。しばらくして、隣から鼻をすする音が聞こえた。
「お姉ちゃんも、わたしに会えなくて寂しかったって言ってほしかった」
ももかは膝へ顔を埋める。
「学校が楽しいって話ばっかりで、わたしがいなくても平気みたいだった。わたしは毎日寂しかったのに」
「うん」
「お姉ちゃん、わたしのこと忘れちゃったのかな」
きららはすぐに否定しそうになり、今度は自分が見たものだけを選んだ。
「はるか、今朝からずっと正門を見てたよ」
「え?」
「妹が来るって、何日も前から話してた。小さい頃はどこへ行くにもついてきて、かわいくて仕方ないって。聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらい」
ももかがゆっくり顔を上げる。
「本当に?」
「本当。あたしが来た時より、あんたたちを見つけた時の方がずっと嬉しそうだったし」
「じゃあ、どうして気づいてくれなかったの?」
胸の奥を突かれ、きららは黙った。
大事な相手なら、言わなくても分かる。知っているから、正しい道へ導ける。そう思い込んでいたのは、自分も同じだった。
「大事でも、気づけないことはあるよ」
きららは手のひらについた土を払った。
「言ってもらわないと分からないこともある。怖いとか、寂しいとか」
自分自身へ言い聞かせるような言葉になった。
「でも、もう怒らせちゃった」
「はるかなら大丈夫。怒るけど、話を聞かないやつじゃないから」
「さっき、聞かない時あるって言ったじゃん」
「それとこれとは別」
ももかが涙の残る顔で、ほんの少し笑う。
その時、背後から葉を踏む音がした。
振り向くと、はるかとみなみが立っていた。はるかの手には、金色の紙と花飾りで作られた小さなティアラが載っている。
「これを探してたの?」
ももかの目から、また涙が溢れた。
「お姉ちゃん……」
はるかはティアラを持ったまま、妹と同じ高さへしゃがむ。
「ごめんね。わたし、ももかに会えて嬉しくて、自分の話ばっかりしちゃった」
「お姉ちゃんも、寂しかった?」
「寂しかったよ。毎日会いたかった。ももか、元気にしてるかなって、ずっと考えてたよ」
ももかは堪えきれず、はるかの胸へ飛び込んだ。
「わたしも、ごめんなさい。お姉ちゃんの友達に、ひどいこと言った」
「うん。一緒に謝ろうね」
「うん……」
妹を抱き締めるはるかの目にも涙が浮かんでいる。それでも、その顔は笑っていた。
公園で転び、泣いた後に自分の足で立ち上がった小さな女の子が脳裏に重なる。
だが、目の前のはるかは、もう手を引かれるだけの子どもではない。妹を傷つけた自分の間違いを認め、自分の言葉で謝り、その身体を両腕で受け止めている。
きららはようやく、記憶の中の姿と今のはるかが、同じでありながら違うのだと実感した。
春野家の両親と合流したももかは、改めて姉へティアラを差し出した。
「お姉ちゃんが、本物のプリンセスになれますようにって作ったの」
飾りは少し傾き、紙を切った線も真っ直ぐではない。それでもはるかは、壊れ物に触れるように両手で受け取った。
「ありがとう、ももか。すっごくステキだよ!」
「今日のダンスでつけてくれる?」
「もちろん!」
父親が目尻を下げる。
「いつか本当にはるかの夢がかなったら、家族みんなでお祝いしよう」
「その時は、わたしが一番におめでとうって言う!」
ももかが胸を張る。母親は二人の娘を見つめ、優しく笑った。
「プリンセスがどんな形なのか、お母さんにはまだ分からないけどね。はるかが自分で夢をかなえて、笑っていてくれたら、それが一番よ」
「うん。わたし、絶対にかなえるから!」
元気よく答えたはるかは、午後の発表の集合時間に気づき、慌てて校舎へ走り出した。
「はるか、廊下は走らないの!」
「ご、ごめんなさーい!」
母親に叱られ、はるかは急停止する。その勢いでつまずきかけ、両腕を回してどうにか踏みとどまった。
きららは思わず一歩前へ出ていた。隣で、母親が小さく息を吐く。
「危なっかしいでしょう?」
「……心配じゃないんですか」
「心配よ。何をしていても、ずっと」
母親は、今度こそ歩いて校舎へ向かうはるかを見送った。
「でも、心配だからって、あの子の代わりに歩くことはできないもの。止めてもまた走り出す子だから、転んだ時に帰ってこられる場所でいようって、お父さんと話しているの」
「帰ってきたら、うちのどら焼きをお腹いっぱい食べさせれば、だいたい元気になるからね」
父親が笑うと、ももかも「お姉ちゃん、食いしん坊だもん」と頷いた。
きららは何も答えられなかった。
転ばせないために、歩く道を決めるのではない。転ぶ可能性ごと信じて、帰ってきた時に受け止める。
それもまた、守るということなのだ。
黒い花びらが、穏やかな中庭へ一枚落ちた。
きららが顔を上げた時には、空を覆うように冷たい気配が広がっていた。校舎の屋根の上にトワイライトが立ち、その隣でシャットが仰々しく腕を広げる。
「家族揃って同じ夢とは、なんとも美しい! だからこそ、閉ざした時の絶望も格別というもの!」
「シャット。黒きキーの力を見せなさい」
トワイライトが掲げた黒いキーから、禍々しい光が放たれる。
「おやめなさい!」
みなみが前へ出る。しかし黒い光は三つに分かれ、はるかの両親とももかを包み込んだ。
「お父さん! お母さん! ももか!」
戻ってきたはるかの叫びも届かない。三人の身体が絶望の檻へ閉じ込められ、その夢が響き渡る。
――はるかの夢がかなうところを、家族みんなで見届けたい。
積み重なった夢の力が中庭のどら焼きへ注ぎ込まれ、巨大なゼツボーグが立ち上がった。
「ゼツボーグ!」
「人の家族を勝手に使って、何が美しいのよ」
きららはプリンセスパフュームを取り出す。
ゆいは近くにいた家族連れへ声をかけ、校舎の中へ誘導していた。パフとアロマもその後を追い、安全を確かめる。
はるかは手の中のティアラを見つめ、一瞬だけ迷ってから、ゆいへ差し出した。
「ゆいちゃん、これもお願い」
「うん。大切に預かるね」
「ここはわたしたちに任せて、ゆいちゃん!」
「うん。こっちは任せて!」
はるか、みなみ、きららは互いに頷き、ドレスアップキーを掲げた。
「プリキュア! プリンセスエンゲージ!」
花と海と星の光が、三人の身体を包む。
変身を終えるより早く、ゼツボーグが巨大などら焼きを投げつけてきた。三人は別々の方向へ跳び、地面へ叩きつけられた皮が大きく弾む。
「フローラ、右!」
トゥインクルの声に、フローラが反射的に右へ跳ぶ。直後、餡の塊がさっきまでいた場所を塗り潰した。
「マーメイドは足元を凍らせて! 次にフローラが正面から――」
フローラは、家族が閉じ込められた檻を見ていた。その横顔に気づき、トゥインクルの声が止まる。
この後に何が起きるか。どう動けば一番安全か。頭の中では、もう手順が組み上がり始めている。
けれど、あれはフローラの家族だ。何を守り、どう戦いたいのかを決めるのは、きららではない。
「フローラ!」
「なに?」
「……どうしたい?」
飛んできた餡をトゥインクルの光弾が撃ち落とす。その短い隙に、フローラは答えた。
「家族を助けたい。でも、一人で飛び込んで、二人まで危険にしたくない」
トゥインクルは一度だけ息を吸う。
「だったら、はるかのやり方で行って。あたしが合わせる」
「私もよ」
マーメイドが二人の隣へ並ぶ。
「はるかが進む道を、私たちが開きましょう」
フローラの瞳に、強い光が戻った。
「うん!」
フローラはゼツボーグの正面へ飛び出した。
敵が両腕を振り上げ、いくつものどら焼きを降らせる。フローラは最短距離ではなく、花壇の縁を蹴って大きく左へ回り込んだ。
きららの記憶にはない動きだった。
一瞬、胸の奥で恐怖が跳ねる。だがトゥインクルは止めず、フローラの背後を狙った餡だけを星の光で弾いた。
「あたしの知らない動きくらい、してみせなよ!」
「もちろん!」
フローラが笑い、さらに高く跳ぶ。
マーメイドの氷がゼツボーグの足を地面へ縫い止めた。体勢を崩した敵の肩へフローラが着地し、檻へ伸びる黒い蔓を切り裂く。
ゼツボーグが暴れ、フローラを振り落とそうとする。トゥインクルは地面を蹴り、その手をつかんだ。
「まだ行ける?」
「行けるよ!」
握った手を支点にして、フローラがもう一度宙を舞う。
「わたし、一人で夢をかなえるんじゃない。家族も、友達も、みんながいてくれるから、何度だって頑張れる!」
フローラの一撃が、ゼツボーグを檻から大きく引き離した。
「今よ!」
三人はクリスタルプリンセスロッドを構える。花と氷と星の光が重なり、黒く染まった中庭をまばゆく照らした。
「プリキュア・トリニティ・リュミエール!」
三つの光に包まれ、ゼツボーグの巨体が崩れていく。
「ドリーミング……!」
絶望の檻が砕け、春野家の三人がゆっくりと地面へ降りた。
「おのれ、プリキュア! 次こそは、このシャットが美しく勝利するのみ!」
「退きなさい、シャット。敗北を重ねる姿ほど醜いものはありません」
トワイライトは冷たく言い捨て、闇の中へ姿を消す。シャットも慌ててその後を追った。
変身を解いたはるかは、目を覚ました家族の元へ駆け寄った。
「みんな、大丈夫?」
「あれ、私たちは何を……」
「お姉ちゃん?」
ももかが不思議そうに見上げる。はるかは何も説明せず、小さな身体を強く抱き締めた。
避難していた人々と共に戻ってきたゆいが、預かっていたティアラを差し出す。はるかはそれを受け取り、胸元へ大切に抱いた。
午後の発表は、予定どおり行われた。
舞台に現れたはるかの髪には、ももかが作ったティアラが輝いている。紙の飾りは舞台照明を受け、宝石にも負けない光を返していた。
音楽に合わせ、はるかがステップを踏む。完璧とは言えない。それでも一つ一つの動きに、今日見てもらえる喜びが溢れていた。
客席のももかが、両腕を大きく振る。
「お姉ちゃーん!」
はるかは踊っている途中だということも忘れ、満面の笑顔で手を振り返した。隣で踊る生徒にぶつかりそうになり、慌てて列へ戻る。
客席から笑いが起こった。
はるかは真っ赤になったが、最後まで笑顔で踊りきった。きららも客席の端で笑っていた。
そこにいるのは、何もかも正しく選び続ける特別な誰かではない。家族を見つければ舞台の途中でも手を振り、失敗すれば赤くなり、それでも最後まで踊る春野はるかだった。
発表が終わると、中庭では春野家の家族写真を撮る準備が始まった。きららは少し離れた場所からそれを見届け、誰にも気づかれないうちに立ち去ろうとした。
「きららちゃん」
背後から呼ばれ、足が止まる。
振り向くと、ティアラをつけたままのはるかが立っていた。
「ももか、仲直りできてよかったね」
「うん。きららちゃんのおかげだよ」
「あたしは話を聞いただけ」
「それをしてくれたから」
はるかの言葉に、きららは目を伏せた。家族の笑い声が、少し遠くから聞こえる。
「……ごめん、はるか」
はるかは何も言わず、続きを待った。
「守りたかったのは本当。でも、あたしが安心できる形に、はるかを押し込めようとしてた。はるかが何を考えてるか聞かないで、あたしが知ってる形から外れないようにしてた」
「怖かったんだね」
はるかの声には、責める響きがなかった。
「この前は、決められることが苦しくて、きららちゃんがそんなに怖がってるって考えられなかった」
きららは唇を結び、それから小さく頷いた。
「はるかが、あたしの知らないことをするのが怖かったんだと思う。知らないところへ行って、そのまま戻ってこなくなる気がして」
それが精いっぱいだった。
なぜ知らないことが怖いのか。なぜ、はるかが歩むはずの道を知っているのか。そこまでは、まだ口にできない。
はるかは急かさなかった。
「わたしも、ももかなら分かってくれるって思ってた。ずっと一緒にいたから、何も言わなくても大丈夫だって。大切な人でも、ちゃんと見ないで分かったつもりになったら駄目なんだね」
はるかが一歩近づく。
「でもね、きららちゃん。昔の私じゃなく、今の私を見て」
きららが顔を上げた。
「公園で会った頃の私は、キラくんが差し出してくれた手を握って、もう一度立てた。泣いてもいいって言ってもらえて、嬉しかった」
はるかは胸元で両手を握る。
「でも、今のわたしは守ってもらうだけじゃなくて、きららちゃんの隣を歩きたい。失敗もするし、きららちゃんの言うことを聞けない時もある。でも、一人で勝手に行きたいわけじゃないの」
はるかが片手を差し出した。
「きららちゃんと一緒に考えて、一緒に歩きたい」
差し出された手を、きららはすぐには取れなかった。
幼いはるかなら、手を引けばよかった。自分が知る未来のはるかなら、決められた場所まで無事に辿り着かせればよかった。
だが、今ここにいるはるかは、どちらでもない。
自分で行き先を選びながら、それでも隣にいてほしいと手を伸ばしている。
「今のはるか、相当めんどいんだけど」
「きららちゃんもだよ」
「言うようになったじゃん」
「きららちゃんが、今のわたしを見てくれなかったから」
きららは困ったように息を吐き、ようやくその手を握った。
「あたしも、怖い時はちゃんと怖いって言う。作戦を決める前に、はるかがどうしたいか聞く」
「うん」
「でも、危ないことしたら怒るから」
「それは今までと変わらないね」
「そこは変える気ないし」
二人は顔を見合わせ、同時に笑った。
元に戻ったわけではない。
昔と同じ場所へ帰るのではなく、今の二人で、もう一度歩き始めるのだ。
「お姉ちゃーん! 写真撮るよ!」
ももかの声が飛んでくる。
「今行く!」
はるかは返事をしても、きららの手を離さなかった。そのまま家族の元へ連れていこうとする。
「ちょっと待って。家族写真でしょ」
「最初は家族だけで撮るよ。その次は、みんなも一緒」
「あたしは別に――」
「きららちゃんも来て」
ももかが、はるかとは反対側からきららの腕をつかんだ。
「お姉ちゃんの大事な友達なんでしょ?」
きららとはるかが同時に黙る。先に笑ったのは、はるかだった。
「うん。とっても大事な友達だよ」
今度は迷わなかった。
春野家だけで一枚。その後に、みなみとゆい、きららも加わってもう一枚。
撮影の瞬間、ももかがはるかへ抱きつき、はるかが傾く。隣にいたきららが肩を支え、みなみとゆいの笑い声が重なったまま、シャッターが切られた。
整った写真ではなかった。
けれど、写っている全員が笑っていた。
帰り際、はるかの父親がきららへ声をかける。
「今度は、うちの店にも遊びにおいで。焼きたてのどら焼きをごちそうするよ」
これまでなら、仕事の予定を理由に曖昧な返事をしていたかもしれない。
きららは隣にいるはるかを見てから、春野家の三人へ向き直った。
「はい。行きたいです」
ももかが笑い、はるかの顔も明るくなる。
家族を見送った後、はるかときららは並んで寮へ戻った。
途中で、きららは携帯電話を取り出す。三日前から開いたままだった招待の下へ、短い返事を打ち込んだ。
『今日は呼んでくれて、ありがと』
送信音の直後、隣を歩くはるかの携帯電話が鳴った。
「今、隣にいるのに」
「返事してなかったから」
「遅いよ、きららちゃん」
「分かってる」
はるかは携帯電話を胸へ抱き、嬉しそうに笑った。
手帳に記した春野はるかは、決められた道を進む人だった。
けれど今のはるかは、そこにない歩幅で、きららの隣を歩いていた。