星の王子と花の姫君 作:百合魔神
指先が届くまで、あと三歩だった。
きららは崩れかけた床を蹴り、光の盾を支えるカナタへ走った。変身の解けた身体へ熱風と衝撃が容赦なく襲いかかる。それでも、盾の向こうで燃え盛る青い炎から目を逸らさなかった。
背後では、はるかとみなみが意識の薄いトワを支え、脱出口へ向かっている。パフとアロマも一緒だ。皆が逃げ切るためにカナタが残ることを、きららは知っていた。
だからこそ、彼の背中を見送れなかった。
「カナタ!」
呼び声に、カナタが振り向いた。その片腕には白いバイオリンが抱えられ、盾を支えるもう一方の腕は小さく震えている。
「なぜ戻った、きらら!」
「一人で残るつもり?」
「君まで戻ってくる必要はなかった」
「分かってるなら、さっさと一緒に来て!」
きららはカナタの腕をつかんだ。盾を打つ炎の衝撃が二人の身体へ伝わり、足元の石が細かく跳ねる。
カナタを引き寄せようとした瞬間、きららの手のひらが衣服へ擦れた。皮膚に鋭い痛みが走る。それでも指へ力を込めた。
「盾ごと下がって。出口までなら、あたしも支える」
「炎が皆に届く」
「じゃあ、別の方法を考えて!」
「もう時間がない」
返ってきた声は、ひどく静かだった。
その言い方を、きららは知っている。自分が残ることを、すでに決めた人間の声だった。
「間に合うから」
きららは腕を引いた。ここで離さなければ変えられる。何が起きるか知っている自分なら、失われるものへ先に手を伸ばせる。
その思いに縋るように、もう一度強く引いた。
カナタの意識が、きららへ向く。
光の盾が揺らいだ。
細い亀裂が走り、その隙間から青い炎が噴き出した。天井を支えていた柱が折れ、脱出口へ続く光の道にも崩壊が広がっていく。
「きららちゃん!」
遠くから、はるかの声がした。
皆の逃げ道まで失わせる。そう気づいた瞬間、カナタを引くきららの腕から力が抜けた。
「違う……」
知っていたはずだった。
何が起こるのかも、誰が残るのかも。それなのに、変えようとして選んだ行動が、かえって最悪の結末を近づけている。
「きらら」
カナタが白いバイオリンを差し出した。
「これは、トワに」
「何言ってるの」
「妹へ届けてほしい」
「欲しいのはこれじゃない!」
押し返そうとしても、カナタは引かなかった。
「自分で渡してよ。トワが目を覚ました時、そばにいてあげて。話したいことだって、いくらでもあるでしょ」
「君が戻ってきてくれたから、託せる」
「勝手に決めないで!」
再び盾が揺れる。
押し寄せた衝撃に身体を崩し、きららは反射的にバイオリンを抱えた。そのために、カナタをつかんでいた手が片方だけになる。
「トワを頼む」
「待って、カナタ!」
光が胸を打った。
カナタが残った力できららを突き飛ばす。床から足が離れ、きららの身体はバイオリンごと脱出口へ投げ返された。
それでも、手を伸ばした。
カナタも手を伸ばす。
指先が一度だけ触れた。
次の瞬間には、離れていた。
「きららちゃん!」
はるかとみなみが、飛ばされてきたきららを受け止めた。三人の身体が光の道を滑り、出口の外へ倒れ込む。
きららはすぐに起き上がろうとした。
「カナタ!」
閉じていく光の向こうで、カナタが笑っていた。
トワが逃げ切ったことを確かめ、妹を託す相手がいることへ安堵したような笑顔だった。
光の道が閉じる。
きららの伸ばした手には、何も触れなかった。腕の中に残ったのは、白いバイオリンだけだった。
湿った土の匂いがした。
きららたちは、ノーブル学園の寮裏にある森へ戻っていた。頭上では夕暮れの空が木々の隙間から覗き、先ほどまで満ちていたホープキングダムの気配は跡形もなく消えている。
「カナタさま!」
パフが閉じた空間へ飛びつく。
「カナタさま、返事をするロマ!」
アロマも何度も名を呼んだ。だが、二匹の声に応えるものはない。
「きららちゃん」
はるかが駆け寄ってきた。
その表情を見た途端、きららは腕の中のバイオリンを強く抱いた。
「カナタは?」
問われることは分かっていた。
傷ついた手には、まだカナタの腕をつかんだ感触が残っている。指先も触れた。あと少し力があれば、今度こそ届いたはずだった。
「……つかめなかった」
それ以上は言えなかった。
みなみはきららの手とバイオリンを見て、何が起きたのかを察したようだった。それでも今は問いかけず、地面に横たえられたトワへ視線を移す。
「お兄さま……」
意識のないトワが、掠れた声で呟いた。
探すように動いた手が、空をつかむ。
きららは白いバイオリンへ目を落とした。助けたかった人の代わりに、持ち帰った物だけが腕の中にある。
それを「託されたもの」と考えるには、カナタの手を離した感覚があまりにも生々しかった。
トワを寮へ運ぶため、ゆいが空いている一室を用意してくれた。
見知らぬ少女の素性を尋ねることもなく、濡らした布や着替えを揃え、廊下へほかの生徒が近づかないよう見張ってくれる。事情を詳しく知らなくても、今は助けが必要なのだと理解していた。
数時間後、ベッドの上でトワが目を開けた。
最初はぼんやりと天井を見ていたが、はるかたちの姿を認めると、弾かれたように身体を起こした。
「お兄さまは……どちらに?」
誰も答えられなかった。
トワの視線が、はるか、みなみ、きららの順に動く。最後に、部屋の隅へ置かれた白いバイオリンで止まった。
「トワちゃん」
はるかがベッドのそばへ座った。
「カナタは、わたしたちを逃がすために残ったの。その後は……分からない」
トワは俯き、シーツを握り締めた。白い指へ力が入り、布に深い皺ができる。
「わたくしを救うために……?」
「カナタだけじゃないよ。みんなでトワちゃんを助けたかったの」
「わたくしのせいです」
トワの声は小さかった。それでも、はるかの言葉を遮るには十分だった。
「わたくしが力を求めなければ、絶望の森へ入ることはありませんでした。ディスピアに捕らわれ、トワイライトとして生きることも……」
一度止まった言葉が、またこぼれ始める。
「わたくしはホープキングダムを苦しめ、お父さまとお母さまを絶望の檻へ閉じ込めました。皆さまを傷つけ、大勢の方々の夢を奪いました」
洗脳されていたのだから仕方がないとは言わない。
トワイライトだった頃の記憶を取り戻したことで、自分が何をしたのかも取り戻してしまったのだ。
「お兄さまは、そのようなわたくしを救うために……」
トワの手の甲へ涙が落ちる。
「すべて、わたくしが未熟だったためです」
はるかが身を乗り出しかける。
「トワちゃんは――」
「今は休ませましょう」
みなみが静かに止めた。
慰めの言葉が必要ないわけではない。ただ、今のトワが求めているものは、何も悪くなかったと誰かに決めてもらうことではなかった。
きららには、それが分かった。
自分もまた、カナタを救えなかったことを簡単な慰めで片づけられそうになかった。
トワが再び目を覚ました頃には、夜が深くなっていた。
きららは白いバイオリンのケースへ手を伸ばした。自分へ託されたものなのだから、自分で渡さなければならない。
それでも、留め具へ触れた指が震えた。
カナタの腕をつかんだ感触が蘇る。欲しいのはこれではないと叫んだ声まで、耳の奥で繰り返された。
「きららちゃん」
はるかが隣へ立った。
「わたしが持つよ」
「でも、これはあたしが――」
「カナタがトワちゃんへ届けたかったものなんでしょう?」
きららはケースから手を離した。
「……お願い」
はるかがバイオリンを取り出し、トワの前へ運ぶ。
「カナタが、トワちゃんにって」
差し出された白い楽器を見て、トワは息を詰めた。ゆっくり伸びた手は、触れる前に胸元へ引き戻される。
「受け取れません」
「でも、カナタは――」
「この手は、お兄さまの大切なものに触れてよい手ではありません」
トワはバイオリンから顔を背けた。
「わたくしには、夢を見る資格も、プリンセスを名乗る資格もございません」
「そんなことないよ」
はるかはバイオリンを抱えたまま、ベッドへ近づく。
「トワちゃんは、ディスピアに操られていて――」
「それで、わたくしが傷つけた方々の苦しみが消えるのですか?」
はるかの足が止まった。
トワは首を横に振る。
「お願いいたします。それを、見えないところへ」
なおも言葉を探すはるかへ、きららは小さく首を横に振った。
今のトワへ「悪くない」と伝えても届かない。言葉が間違っているのではなく、受け取れる場所にまだ立っていない。
はるかは何も言わず、バイオリンをケースへ戻した。
部屋を出たきららは、廊下の窓辺で立ち止まった。
ゆいに巻いてもらった包帯には、うっすらと血が滲んでいる。あと少しだったと考えるたび、指先が無意識に曲がった。
「きららちゃんも休まないと」
はるかが隣へ来る。
「トワちゃん、眠ったよ」
「そっか」
「きららちゃんが戻ってくれたから、バイオリンを持ってこられたんだよ」
きららは窓の外を向いた。
「欲しかったのは、あれじゃない」
「うん」
「あと少しだったの。ちゃんと手は届いたのに……」
はるかはすぐに慰めなかった。
窓から差し込む月明かりの中で、きららの包帯を見つめている。
「届かなかったんじゃないよ」
「……何言ってるの」
「きららちゃんは、ちゃんとつかんでた」
きららは唇を噛んだ。
「じゃあ、なんでカナタはここにいないの」
「カナタが、自分で託す方を選んだから」
その答えを受け入れることはできなかった。
あの時ほかの方法を考えていれば。盾を揺らさず、もっと上手く引き戻せていれば。次々に浮かぶ可能性を、どれも捨てられない。
「ごめん」
誰へ向けた謝罪なのか、自分でも分からなかった。
はるかは「きららちゃんのせいじゃない」とは言わない。ただ、きららが窓辺を離れるまで隣に立っていた。
日付が変わっても、きららは眠れなかった。
トワのいる部屋から少し離れた廊下の椅子へ座り、包帯の巻かれた手を膝に置く。目を閉じるたび、光の向こうへ消えたカナタの姿が浮かんだ。
不意に、扉の隙間から青い光が漏れた。
きららが立ち上がる。
部屋へ駆け寄った時には、扉が内側から開いた。トワは三本の黒いキーと、黒く染まったプリンセスパフュームを胸へ抱えている。
「トワ?」
呼びかけに反応せず、トワは廊下を進んだ。
追いかけようとしたきららの前で、三本のキーが青い炎を噴き上げる。耳を塞ぐトワの唇が、かすかに動いた。
「違います……わたくしは……」
きららには声の主が聞こえなかった。
それでも、トワが一人で話しているのではないことは分かる。青い炎の向こうに、ディスピアの気配があった。
きららは踵を返し、はるかたちの部屋へ走った。
寮裏の森には、黒い霧が立ち込めていた。
きららたちが奥へ進むにつれ、青い炎が木々の間に増えていく。やがて前方から、トワとディスピアの声が聞こえた。
「わたくしが罰を受ければ、皆さまには手を出さないのですか」
霧の向こうに、巨大な影が浮かんでいる。
『お前の絶望が満ちれば、それでよい』
「トワちゃん、だめ!」
はるかが駆け出した。
地面から伸びた黒い蔓がトワの足へ絡みつく。トワは抵抗せず、三本のキーとパフュームを抱えたまま、塔のように伸びる蔓へ飲み込まれていった。
「トワちゃん!」
はるかの前へ、ディスピアの炎が落ちる。
みなみが腕を引き、間一髪で攻撃を避けた。地面には黒く焼け焦げた跡が残る。
「トワを閉じ込めた力が、さらに強くなっているわ」
「早く助けるパフ!」
「分かってる」
はるかは白いバイオリンのケースを背負い直し、プリンセスパフュームを構えた。みなみときららもその隣へ並ぶ。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
三本のキーが光を放つ。
「咲きほこる花のプリンセス! キュアフローラ!」
「澄みわたる海のプリンセス! キュアマーメイド!」
「きらめく星のプリンセス! キュアトゥインクル!」
フローラが正面から塔へ向かい、マーメイドとトゥインクルが左右へ分かれる。
ディスピアの影が腕を振るった。
青い炎が波となって押し寄せ、三人の身体をまとめて吹き飛ばす。トゥインクルは木の幹へ叩きつけられ、息を詰まらせた。
それでも、視線は塔から離さなかった。
この先に何が起こるか、断片的な光景が頭へ浮かぶ。
トワは、ここで新たな力を得る。
フローラの言葉が届き、黒いキーは深紅のキーへ変わる。その結末を知っているなら、最短の道を指示できるはずだった。
だが、トゥインクルは口を閉じた。
カナタの腕をつかんだ手が、包帯の下で疼いている。
知っていることと、救えることは同じではない。
「フローラ!」
立ち上がったフローラが振り返る。
「トワのところへ行って」
「でも、二人が――」
「こっちは任せて」
トゥインクルはディスピアへ向き直った。
「今度は、フローラが見たトワを信じる」
フローラは一度だけ頷き、蔓の塔へ走った。
ディスピアの炎が、その背中を狙う。
マーメイドが水流で受け止め、トゥインクルが星の弾を重ねた。二つの力が黒い炎を押し返す。
「マーメイド、次は右!」
「ええ!」
左右から迫る攻撃を避け、二人は塔へ続く道を守った。トゥインクルは次々に来る炎を一人で引き受けようと前へ出る。
「トゥインクル!」
マーメイドが腕をつかんだ。
「一人で全部止めようとしないで」
「でも、通したらフローラが――」
「私たちは、未来ではなく今のあなたを見ているわ」
トゥインクルは息を止めた。
マーメイドが何を知っているわけでもない。それでも、まだ起きていないことばかり見て、目の前の仲間を置き去りにしかけていることには気づいていた。
「二人なら、フローラを送り届けられる。そうでしょう?」
「……うん」
マーメイドの水流が黒い炎を押し分ける。
トゥインクルは星の光を一点へ集め、フローラの前に立ちはだかる蔓を撃ち抜いた。
「今よ、フローラ!」
フローラが塔へ飛び移る。
新たな蔓が左右から伸びるが、マーメイドとトゥインクルが同時に断ち切った。
「正しい言葉じゃなくていい!」
登っていく背中へ、トゥインクルは叫んだ。
「フローラの言葉を届けて!」
黒い蔓に覆われた塔の内側から、トワの声が聞こえた。
「わたくしは、お兄さまを失わせました」
フローラの輪郭が、蔓の隙間からわずかに見える。
「うん」
「多くの人を傷つけました」
「うん」
「それでも、あなたはわたくしに立てと言うのですか」
ディスピアの炎を受け止めながら、トゥインクルは塔を見上げた。
フローラは、トワのしたことを否定しなかった。
「忘れていいなんて言わない。なかったことにもできないと思う」
「ならば、どうして……」
「失敗した後に何をするかは、これから決められるから」
蔓が軋み、塔の一部が崩れる。
その隙間から、トワへ手を伸ばすフローラの姿が見えた。
「昔、大切な人が教えてくれたの。泣いても、また立てばいいって」
トゥインクルの動きが止まりかけた。
知らない町の公園で、膝を擦りむいたはるかへ渡した言葉だった。
プリンセスは泣いてはいけないと思い込んでいた子へ、泣いた後に自分で立てばいいと言った。それが何年もの時間を越え、はるか自身の言葉となっている。
「泣いても……」
トワの声が揺れる。
「立ち上がったら、それで終わりじゃない。一歩ずつ進んで、傷つけたものと向き合えばいい。私も一緒に歩くから」
青い炎が迫る。
トゥインクルは振り返り、星の光で撃ち落とした。
自分はカナタを連れ帰れなかった。それでも、ここへ戻ってきた行動のすべてが無駄だったわけではない。
あの日の言葉がはるかを支え、そのはるかが今、トワへ手を伸ばしている。
「わたくしは、許されるのでしょうか」
塔の中から、トワが尋ねる。
「分からない」
フローラは即座に赦さなかった。
「私がみんなの代わりに、許すって決めることはできないよ。でも、許されるまで何もしないんじゃなくて、これから誰かの夢を守りながら向き合うことはできる」
「わたくしにも、まだ守れるものが……?」
「あるよ。トワちゃんは、みんなを巻き込みたくないから一人で来たんでしょう?」
長い沈黙の後、蔓の隙間から白い光が漏れた。
フローラが持ってきたバイオリンへ、トワの手が伸びる。
最初の音は濁り、すぐに途切れた。
それでも、弓は止まらなかった。
二度目の音が、闇の中へ澄んで響く。
三本の黒いキーが震えた。
青い炎が砕け、その内側から深紅の光があふれ出す。黒く染まっていたプリンセスパフュームも闇を払い、本来の輝きを取り戻した。
『トワイライト!』
ディスピアの呼び声が森を揺らす。
トワは振り返らない。
「わたくしは、もうトワイライトではありません」
『では、お前は何者だ』
「過ちを抱え、それでも夢へ進む者です」
深紅へ変わったキーが、プリンセスパフュームへ差し込まれる。
「プリキュア・プリンセスエンゲージ!」
燃え上がった炎が黒い蔓を焼き払い、トワの身体を包む。
「深紅の炎のプリンセス! キュアスカーレット!」
塔が崩れ、深紅の戦士がフローラとともに地上へ降り立った。
フローラが隣へ並び、マーメイドが二人を守るように前へ出る。トゥインクルは、新たな仲間の名を呼んだ。
「スカーレット」
「ええ。行きましょう、スカーレット」
「はい!」
ディスピアが黒い腕を振り上げる。
青い炎が森を埋め尽くす前に、スカーレットが一人で前へ出た。
「スカーレット!」
フローラの声にも退かず、両手を掲げる。
深紅の炎が壁となり、ディスピアの青い炎を正面から受け止めた。かつて絶望を広げるために使っていた力が、今度は三人を守っている。
「この炎は、もうあなたのものではありません!」
スカーレットの炎が青い闇を押し返す。
白いバイオリンが光を帯び、炎の意匠を持つ新たな姿へ変わっていく。スカーレットは現れたバイオリンを受け止め、弓を構えた。
トゥインクルは、その姿を見つめた。
カナタの代わりに持ち帰っただけだと思っていたものが、今はトワを立たせる力になっている。
何も変えられなかったわけではない。
そう思いかけても、カナタをつかめなかった痛みまでは消えなかった。
「冷たい檻に閉ざされた夢、返していただきますわ。お覚悟を決めなさい!」
スカーレットがフェニックスキーを差し込む。
深紅の光がドレスを包み、巨大な火の鳥が夜空へ翼を広げた。
「プリキュア・フェニックス・ブレイズ!」
力強い音色とともに、火の鳥が飛び立つ。
ディスピアの影が炎へ飲み込まれ、森を覆っていた闇ごと焼き払われた。
『覚えておれ。お前の罪は、決して消えぬ』
消えゆく声へ、スカーレットは目を逸らさなかった。
「消そうとは思いません。わたくしは、この過ちとともに進みます」
青い炎が消え、森に夜の静けさが戻った。
四人の変身が解けた。
トワの腕には、姿を変えたスカーレットバイオリンが残っている。彼女はそれを胸へ抱き、夜空を見上げた。
「お兄さまは、生きておられます」
頬を伝う涙を、トワは拭わなかった。
はるかが隣へ立つ。
「うん。きっと、また会えるよ」
きららはすぐには続けなかった。
知っている未来では、カナタは生きている。だが、すでに記憶との違いは生まれていた。自分が手を伸ばしたことでさえ、この場に何を残すのか分からない。
未来を根拠に、大丈夫だと断言することはできなかった。
だから、トワが自分で選んだ希望へだけ頷いた。
「次に会ったらさ、勝手にバイオリン押しつけたこと、文句言わなきゃね」
トワは涙を浮かべたまま、ほんの少しだけ笑った。
寮へ戻る頃には、空が白み始めていた。
はるかとみなみ、パフとアロマが部屋を出た後も、トワは窓辺から動かなかった。三本の赤いキーを膝へ置き、黙って見つめている。
きららは部屋へ入り、何も言わず隣へ座った。
しばらくして、トワが横顔を向ける。
「なぜ、何もおっしゃらないのです?」
「何を言えばいいか、分かんないから」
「わたくしを励ますために来られたのでは?」
「言える立場じゃないよ」
きららは包帯の巻かれた手を開いた。
「あたしも、助けられると思って手を伸ばした。でも、助けられなかった」
「それは、あなたのせいではありません」
「その言葉、トワにも返していい?」
トワの唇が閉じる。
「わたくしは……」
「すぐ納得できないよね。あたしも無理だから」
窓の外が、少しずつ朝の色へ変わっていく。
「あたし、分かってたつもりだった。何が起きるか知ってれば、今度こそ間違えないって。でも、カナタを連れて帰れなかった」
「それでも、きららが戻らなければ、このバイオリンは……」
トワは膝の赤いキーへ触れた。
きららは頷かなかった。
自分の行動に意味があったと、まだ受け入れることはできない。トワもまた、プリキュアになっただけで過去を越えられたとは思っていないのだろう。
「今は、それでいいんじゃない」
きららは窓枠へ背を預けた。
「答えが出るまで、隣にはいられるし」
「わたくしが、皆さまの隣にいてもよいのでしょうか」
「それをあたし一人に決めさせるの?」
トワが目を伏せる。
「ずるい答えですね」
「お互いさま」
トワは赤いキーを握り、小さく頷いた。
二人は同じ窓辺に座っていた。
それでもまだ、同じ朝を見ることはできなかった。