星の王子と花の姫君   作:百合魔神

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四人目の居場所

 

 

東の空が白み始めても、きららの右手には、つかめなかった感触が残っていた。

 

目を閉じれば、カナタの腕へ伸ばした指が空を切る。代わりに押しつけられた白いバイオリンの重さまで、何度でも蘇った。

 

眠れるはずもなく、きららは寮の廊下へ出た。向かった先は、客室として使われている空き部屋だった。

 

二度ノックしても返事はない。

 

静かに扉を開けると、窓辺にトワが座っていた。膝の上に白いバイオリンを載せ、夜明け前の空を見つめている。

 

「眠れなかった?」

 

トワはゆっくり振り返った。

 

「きららこそ」

 

「まあね」

 

軽く返しながら、きららは部屋へ入った。トワの顔には疲労が残り、目元はうっすらと赤い。それでも背筋だけは、王女としての形を崩さず伸びていた。

 

「お兄さまは、どこへ消えてしまったのでしょう」

 

答えを求めている声ではなかった。

 

きららは右手を握る。指先に残る感触を押し潰してから、トワの隣まで歩いた。

 

「まだ、見つかってないだけよ」

 

「ですが、あの崩壊の中で――」

 

「見つかってないのと、もういないのは違う」

 

言い切った自分の声に、きらら自身がいちばん驚いた。

 

カナタが生きている未来を、きららは知っている。ただし、そこへ至る道筋まで同じとは限らない。知っていた結末は、すでに何度も形を変えていた。

 

それでも、今はその可能性へすがるしかなかった。

 

「みんなで捜す。パフもアロマもいるし、ミス・シャムールだっている。何か手掛かりが見つかるかもしれない」

 

「これ以上、皆さまを巻き込むわけにはまいりません」

 

トワの指が、バイオリンの縁を強くつかんだ。

 

「これは、わたくしとホープキングダムの問題です。お兄さまが消えたのも、王国の民が絶望に閉ざされたのも、すべてはわたくしが――」

 

「全部一人でやるつもり?」

 

「それが、わたくしの責任です」

 

きららの口から反論は出なかった。

 

一人で抱え込むなと言えば、そのまま自分へ返ってくる。未来を知っていることも、皆を物語の中の人物として見ていたことも、まだ誰にも話していない。

 

トワはそんなきららの沈黙を、肯定と受け取ったらしい。伏せていた目を窓の外へ戻した。

 

「わたくしは、皆さまに助けていただくために、キュアスカーレットになったのではありません」

 

きららは何も言えないまま、隣の椅子へ腰を下ろした。

 

昇り始めた朝日が、白いバイオリンの表面へ細い光を落とす。それを挟んで座る二人の間には、慰めでは埋められない沈黙だけが残った。

 

やがて廊下を駆けてくる足音が聞こえた。

 

「トワちゃん、おはよう!」

 

勢いよく開いた扉から、はるかが顔を出す。その後ろには、朝食を載せた盆を持つみなみと、服を抱えたゆいが続いていた。

 

「はるか、廊下は走らない方がいいわ」

 

「ご、ごめんなさい、みなみさん」

 

「反省は後。まずはそれ、こっちに置いて」

 

きららが立ち上がり、みなみから盆を受け取る。焼きたてのパンとスープの香りが、冷えていた部屋へ広がった。

 

ゆいが抱えていた服をベッドの上へ置く。

 

「白金さんに相談して、寮の予備と、みんなが貸せそうなものを集めたの。きららちゃんにも選んでもらったんだよ」

 

「トワには、あんまり飾りが多いのより、これくらいの方が似合うと思って」

 

きららが選んだのは、淡い色のブラウスと、落ち着いた赤色のスカートだった。王女のドレスほど華美ではないが、トワの品位を損なわない組み合わせにしている。

 

トワは服を見つめたまま、手を伸ばそうとしなかった。

 

「申し訳ありません。わたくしには、お返しできるものがありません」

 

「貸すだけよ。返すかどうかは、後で決めればいいから」

 

「ですが――」

 

「今の服じゃ、町を歩くのも大変でしょ。必要なものを借りるのは、甘えるのとは違う」

 

きららが押しつけるように服を差し出すと、トワは戸惑いながら受け取った。

 

「……お借りします」

 

着替えを終えたトワが姿を見せると、はるかの顔が明るくなった。

 

「すごく似合ってるよ、トワちゃん!」

 

「ええ。落ち着いた色合いが、トワの髪にも合っているわ」

 

「さすがきららちゃんだね」

 

「ま、これくらいはね」

 

褒められたトワの口元が、ほんのわずかに緩んだ。

 

だが、その笑みはすぐに消えた。借りた服の袖口を見下ろし、何かを数えるように指でなぞる。

 

服も、食事も、眠るための部屋も、皆が自分へ使っている時間も。トワの中では、受け取るものすべてが返せない借りへ変わっている。

 

そのことに気づいたのは、きららだけではなかった。

 

はるかは一度みなみと目を合わせてから、トワの前へ進んだ。

 

「必要なものを揃えに、これから町へ行かない?」

 

「町、ですか」

 

「うん。ずっと部屋にいるより、少し外を歩いた方がいいと思うの。無理に楽しくしなくてもいいから」

 

トワは迷っていた。

 

やがて白いバイオリンをケースへ収め、その取っ手を握る。

 

「分かりました。ご一緒いたします」

 

夢ヶ浜の町は、朝から多くの人で賑わっていた。

 

車道を走る自動車、信号に従って動く人々、店先に並ぶ色とりどりの商品。ホープキングダムとは何もかも違う光景に、トワは何度も足を止めた。

 

「赤い光の時は、道を渡ってはいけないのですね」

 

「そうだよ。それで、青になったら――」

 

「でも、青というより緑色ですわ」

 

「そこは、そういうものなの」

 

ゆいが苦笑しながら説明する。はるかは隣で大きくうなずいていたが、本当に理解しているのかは怪しい。

 

「私も最初は、どうして青っていうのかなって思ったよ」

 

「はるか。あなたは人間界で生まれ育ったでしょう」

 

「そうだけど、疑問に思う時はあるよ!」

 

トワが目を瞬かせる。

 

その直後、前を歩いていた小さな子どもが帽子を落とした。風に飛ばされた帽子をトワが素早く拾い、しゃがんで差し出す。

 

「こちらを落としましたよ」

 

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 

母親にも頭を下げられ、トワはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

王女とも、プリキュアとも知らない相手から向けられた感謝。それをどう受け取ればよいのか、分からないようだった。

 

「今の、格好よかったよ」

 

はるかが笑う。

 

「当然のことをしたまでです」

 

そう答えたトワの声は、先ほどよりわずかに柔らかかった。

 

必要な服や日用品を揃えた後、一行はマーブルドーナツへ入った。

 

トワは目の前に置かれたドーナツを、未知の道具でも見るように観察している。

 

「これは、どのようにいただくのです?」

 

「普通に手で持って食べればいいよ。こうやって」

 

はるかが実演し、大きく一口かじった。クリームが頬についたことには気づいていない。

 

「はるか、ついてるわよ」

 

みなみに指摘され、はるかが慌てて口元を拭う。その反対側にも粉砂糖がつき、ゆいが思わず吹き出した。

 

きららも耐えきれずに笑う。

 

「はるか、増えてるから」

 

「えっ、どこ? きららちゃん、取って!」

 

「自分で取りなさいよ」

 

「見えないよ!」

 

騒ぐ二人を見て、トワの口元が緩んだ。

 

押さえようとしても間に合わず、小さな笑い声が漏れる。

 

はるかが振り向いた。

 

「トワちゃん、笑った!」

 

その言葉に、トワの表情が凍りついた。

 

手にしていたドーナツを、そっと皿へ戻す。

 

「……いけません」

 

「トワちゃん?」

 

「ホープキングダムの民は、今も絶望の檻に閉ざされています。お兄さまも、わたくしを救うために行方が分からなくなりました。それなのに、わたくしだけが楽しい時間を過ごすなど」

 

「笑ったからって、忘れたことにはならないよ」

 

はるかが身を乗り出す。

 

「私たちだって、カナタのことも、ホープキングダムのことも忘れてない。それでも――」

 

「皆さまは、国を絶望へ落とした者ではありません」

 

はるかの言葉が止まった。

 

トワは膝の上で両手を握り締める。

 

「わたくしがキュアスカーレットになれたのは、償う機会を与えられたからです。皆さまと同じように、楽しむためではありません」

 

みなみはすぐには否定しなかった。

 

「償おうとする気持ちは、大切だと思うわ。でも、自分を苦しめ続けることだけが償いなのかしら」

 

「それを決める資格も、今のわたくしにはありません」

 

トワは立ち上がった。

 

「少し、外の空気を吸ってまいります」

 

「私も行くよ」

 

「いいえ。一人にしてください」

 

はるかも立とうとしたが、きららが腕をつかんだ。

 

「今追ったら、余計に逃げる。少しだけ待とう」

 

「でも……」

 

「五分だけ。戻らなかったら、すぐ捜す」

 

はるかは不安そうに入口を見つめながら、ゆっくり座り直した。

 

五分が過ぎた。

 

トワは戻らなかった。

 

きららたちは店の外へ飛び出した。左右へ伸びる通りのどこにも、赤い髪は見当たらない。

 

トワが座っていた席へ戻ると、皿の下に折り畳まれた紙が挟まっていた。

 

『お兄さまは、わたくしが捜します。ホープキングダムも、わたくしの責任で必ず救います。これ以上、皆さまを巻き込むわけにはまいりません。今まで本当にありがとうございました』

 

はるかの手が、紙の端を震わせた。

 

「巻き込まれたんじゃないよ」

 

小さな声が、次第に強くなる。

 

「私たちが、一緒にいるって決めたのに」

 

みなみは店内を見回し、落ち着いた声で指示を出した。

 

「手分けしましょう。トワはこの世界のお金も、通信手段も持っていないわ。遠くへは行けないはずよ」

 

「私、駅の方を見てくる。パフちゃんとアロマは、トワちゃんの気配を探せる?」

 

「やってみるパフ!」

 

「任せるロマ!」

 

きららは書き置きを見つめていた。

 

誰も巻き込まない。自分の責任で解決する。今までありがとう。

 

どれも、いつか自分がはるかの前から離れるなら、使ってしまいそうな言葉だった。

 

「きららちゃん」

 

顔を上げると、はるかがまっすぐこちらを見ていた。

 

「きららちゃんは、トワちゃんを放っておける?」

 

胸元に隠した星の指輪が、急に重くなった気がした。

 

きららは書き置きを折り畳み、ポケットへ押し込む。

 

「放っておけるわけないでしょ。行くよ、はるか」

 

* * *

 

一人になったトワは、町の案内板の前で立ち尽くしていた。

 

カナタを捜すと決めたものの、どこから始めればよいのか分からない。名前と容姿以外、手掛かりになるものを何も持っていなかった。

 

遠くまで捜しに行こうとバスへ乗りかけ、運賃が必要だと知った。働いて旅費を得ようにも、住所も身分を証明するものもない。

 

一人で生きるという言葉が、どれほど現実から遠いものだったのか。町を歩くほど思い知らされた。

 

「わたくしは、何と無力なのでしょう」

 

公園のベンチへ座り、白いバイオリンのケースを抱き締める。

 

皆へ迷惑をかけないために離れたはずだった。それなのに離れた途端、今日を生きることさえできない。

 

「お嬢さん」

 

顔を上げると、数冊の本を抱えた女性が立っていた。

 

「もしよければ、少し手伝っていただけないかしら」

 

「わたくしに、ですか?」

 

「ええ。一人では少し重くて」

 

女性は柔らかく笑った。

 

トワは立ち上がり、本の半分を受け取った。近くの書店まで運ぶと、女性は礼として甘味処へ誘った。

 

「ですが、わたくしはこの世界のお金を持っておりません」

 

「本を運んでくれたお礼よ。働いた分を受け取るのは、おかしなことではないでしょう?」

 

そう言われ、トワはようやく席へ着いた。

 

女性の名は、望月ゆめといった。

 

運ばれてきたあんみつを一口食べると、身体の奥へ甘さが染み込んだ。空腹だったことを、その時になって初めて自覚する。

 

「おいしい?」

 

「……はい」

 

「よかった」

 

ゆめは満足そうにうなずいた。

 

トワは匙を置く。

 

「この世界の方々は、なぜ見ず知らずのわたくしに、これほど親切になさるのです」

 

「私も助けてもらったもの。お互いさまよ」

 

「ですが、わたくしは、多くの方々を傷つけました。大切な国も、家族も失わせました。そのような者が、温かいものを受け取ってよいのでしょうか」

 

ゆめは、すぐに答えなかった。

 

湯呑みに手を添え、しばらく考えてから口を開く。

 

「身体が空っぽになれば、動けなくなるでしょう?」

 

「はい」

 

「心も同じではないかしら。温かいものは、頑張った人だけがもらえるご褒美ではないと思うの。また立って、次にできることを考えるための力にもなるから」

 

トワは胸へ手を当てた。

 

そこには、はるかの手の温度も、みなみの静かな声も、きららが隣へ座ってくれた時間も残っている。

 

「わたくしには、それを受け取る資格がありません」

 

「資格があるかどうかは、私には決められないわ」

 

ゆめの声は穏やかだったが、曖昧な慰めではなかった。

 

「でも、一人になることで、あなたが傷つけた人たちへ何かを返せるのかしら」

 

答えは出なかった。

 

その時、辺りの空気が冷たく淀んだ。

 

「へえ。こんなところで優雅にお茶してたんだ」

 

聞き覚えのある声に、トワは立ち上がった。

 

店の外、街灯の上にロックが立っている。その手には、禍々しい黒の錠前が握られていた。

 

「ロック!」

 

「随分きれいになったね、トワイライト。みんなに迷惑をかけないよう、一人で逃げてきたんだ?」

 

トワはゆめを庇うように前へ出る。

 

「この方には手を出させません」

 

「そう言われると、出したくなるんだね」

 

ロックの手から放たれた闇が、ゆめの胸を貫いた。

 

光の中に、子どもたちへ本を読み聞かせるゆめの姿が浮かぶ。子どもたちが自分の夢を見つけ、未来へ歩いていくことを願う、強い夢だった。

 

「子どもたちに、輝く未来を……」

 

夢が結晶の檻へ閉じ込められる。

 

周囲の陳列棚や本が闇に包まれ、巨大な結晶のゼツボーグへ姿を変えた。さらにロックが黒い錠前を差し込むと、結晶の全身へ鋭い棘が生える。

 

「また、わたくしのせいで……」

 

「ほらね。あんたと関わった人間は、みんな不幸になるんだ」

 

トワは目を閉じかけた。

 

だが、結晶の中で苦しむゆめの姿を見て、白いバイオリンのケースを開く。

 

「それでも、今度は逃げません」

 

赤い光がトワの身体を包んだ。

 

炎がドレスとなって広がり、その中心からスカーレットが姿を現す。白いバイオリンは赤く染まり、弓を構えたスカーレットの周囲で炎が渦を巻いた。

 

ゼツボーグが放った結晶弾を、炎の障壁が受け止める。

 

スカーレットは一気に距離を詰め、回転を加えた蹴りを叩き込んだ。巨体が揺らぐが、砕けた結晶は黒い錠前から流れる力によって再生する。

 

「一人でどこまでできるかな?」

 

ロックの蹴りを弓で受け止める。横から迫った結晶弾を避けきれず、スカーレットの身体が地面を転がった。

 

それでも立ち上がり、ゆめの檻の前へ戻る。

 

「わたくしが、必ず助けます」

 

「誰を?」

 

ロックの声が耳元へ滑り込む。

 

「ホープキングダムも守れなかった。カナタもあんたを助けて消えた。今度はこの人間だ。次は、この世界全部かな?」

 

スカーレットの炎が揺らいだ。

 

「不幸しか連れてこないなら、最初から誰にも近づかなければいい。そう思ったから、一人になったんでしょう?」

 

否定できなかった。

 

その一瞬を狙い、ゼツボーグが巨大な結晶弾を作り出す。

 

スカーレットは弓を構えようとした。だが、指が動かない。

 

「わたくしが、いなければ――」

 

放たれた結晶弾が、視界を覆った。

 

直撃する寸前、花びらをまとった蹴りが結晶弾を横から打ち砕く。

 

砕けた光の向こうに、フローラが立っていた。

 

「大丈夫、スカーレット?」

 

「フローラ……」

 

上空から降り注いだ結晶を、マーメイドの水流が押し流す。ロックが再び錠前へ力を送ろうとした瞬間、星の光弾がその手元を撃ち抜いた。

 

「こっちのことも忘れないでよね」

 

トゥインクルがスカーレットの隣へ降り立つ。

 

「マーメイド、トゥインクル……」

 

「ちぇ。もう見つけたんだ」

 

ロックが不満そうに口を尖らせた。

 

フローラは結晶の檻を見て息を呑む。

 

「あの人は……ゆめ先生!」

 

「かわいそうだよね。スカーレットと一緒にいたせいで、こんな目に遭ったんだ」

 

スカーレットの肩が震えた。

 

「やはり、わたくしは――」

 

「傷つけたことは、なくならないよ」

 

フローラの言葉に、スカーレットが顔を上げる。

 

「フローラ?」

 

「スカーレットが苦しめた人も、ホープキングダムで今も待っている人もいる。なかったことにはできない」

 

フローラはまっすぐスカーレットを見つめていた。

 

「だから、これから助けられる人まで置いていかないで」

 

「ですが、わたくしにそのような資格が――」

 

「あたしたちが誰と一緒にいるかまで、あんたが一人で決めないで」

 

トゥインクルの声が、戦場を切り裂いた。

 

スカーレットが息を呑む。

 

「あんたが自分を許せないのは、あんたの気持ち。でも、あたしたちが一緒にいたいと思うかは、あたしたちが決める」

 

「もし、わたくしが再び間違えたら」

 

「その時は止める。勝手なことをしたら怒る」

 

トゥインクルは、ゼツボーグから目を離さないまま答えた。

 

「あたしたちが間違った時は、あんたが止めればいい。それが仲間ってことでしょ」

 

自分の言葉が、胸の奥へ返ってくる。

 

未来を知っているから。秘密を抱えているから。はるかたちが傷つく前に離れた方がいい。

 

きらら自身も、同じようなことを何度も考えてきた。

 

それでも今、トゥインクルはスカーレットへ手を差し出している。

 

マーメイドが二人の前へ立ち、押し寄せる結晶を水の壁で受け止めた。

 

「話は後にしましょう。今は、あの方を助けることが先よ」

 

フローラもうなずく。

 

「一緒に戦おう、スカーレット」

 

スカーレットは差し出された手を見つめた。

 

誰かに引き上げてもらうだけではない。自分からその手を求めなければならない。

 

震えていた指が、ゆっくりと動く。

 

「どうか、わたくしに力を貸してください」

 

トゥインクルがその手を強く握った。

 

「最初からそのつもりよ」

 

四人は並んでゼツボーグへ向き直った。

 

マーメイドの水流が結晶弾の軌道を狭める。そこへトゥインクルが星の光を撃ち込み、黒い錠前をゼツボーグの身体から弾き出した。

 

「今よ、フローラ!」

 

「うん!」

 

フローラの光が結晶の棘を押し広げ、ゆめが閉じ込められた檻まで一本の道を作る。

 

スカーレットはその道を駆け抜けた。

 

ゼツボーグが腕を振り下ろす。マーメイドとトゥインクルが左右から受け止め、フローラが花びらをまとった一撃で巨体を後退させる。

 

スカーレットは赤いバイオリンへキーを差し込んだ。

 

弓が弦を滑り、炎の旋律が響き渡る。四人が作った道の先に、巨大な火の鳥が翼を広げた。

 

「プリキュア・フェニックス・ブレイズ!」

 

炎の鳥がゼツボーグを包み込む。

 

黒い結晶が次々と砕け、赤い光の中で浄化されていった。最後に檻が開き、解放されたゆめの身体をフローラが受け止める。

 

ロックは地面に落ちた錠前を拾い上げた。その内部には、わずかな絶望の力が残っている。

 

「まあ、今日はこれくらいでいいかな」

 

「待ちなさい!」

 

マーメイドが追おうとするが、ロックの身体は闇へ溶け始めていた。

 

「四人でまとまってるなら、ばらばらにすればいいだけだよね」

 

黄色い目を細め、ロックは姿を消した。

 

残された四人の間に、その言葉だけが不穏に響いた。

 

戦いが終わり、変身が解除される。

 

トワは目を覚ましたゆめの前へ進み、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません。わたくしと関わったために、あなたを危険へ巻き込んでしまいました」

 

「確かに、怖かったわ」

 

ゆめは、何もなかったようには笑わなかった。

 

「あなたのことを、私はまだよく知らない。だから、あなたの過去をすべて許すとは言えないわ」

 

トワは顔を上げる。

 

「でも、今日あなたが逃げずに私を助けようとしたことは分かる。三人に助けを求めたこともね」

 

「わたくしは、一人では何もできませんでした」

 

「一人で何でもできる人なんて、いるのかしら」

 

ゆめの問いに、トワは答えられなかった。

 

きららが腕を組み、トワの前へ立つ。

 

「一人で決めて消えるのが、一番迷惑」

 

「きらら……」

 

「帰ってこないかもしれないって、残された方に考えさせるんだから。次からは、せめて言いたいことを全部言ってからにして」

 

厳しい言葉だった。

 

だが、きららの声は怒りだけではなく、わずかに震えている。

 

トワは、きららが自分と同じように何かを恐れていることへ気づいた。それでも今は、問いたださなかった。

 

「申し訳ありませんでした」

 

「謝る相手は、あたしだけじゃないでしょ」

 

トワが振り返る。

 

はるかは泣きそうな顔で、それでもトワを責めるように見つめていた。

 

「巻き込まれたんじゃないよ。私たちは、自分でトワちゃんと一緒にいたいって決めたの。勝手にその気持ちまで決めないで」

 

「はるか……」

 

「心配したんだから」

 

「はい。本当に、申し訳ありません」

 

トワが頭を下げると、はるかはようやく息を吐いた。

 

みなみもトワの前へ進む。

 

「これから間違えないとは、誰にも約束できないわ。私たちも同じよ。だからこそ、話し合って、止め合う必要があるのだと思う」

 

「私も、できることなら手伝うよ」

 

ゆいが続ける。

 

「町のことも、学園のことも、分からないことは一緒に調べよう。戦うことはできないけど、それ以外ならきっと力になれるから」

 

パフとアロマも、トワの足元へ駆け寄った。

 

「ずっと一緒パフ!」

 

「もう一人で行ってはいけないロマ!」

 

皆の言葉を受け止め、トワは目を閉じた。

 

笑う資格があるとは、まだ思えない。すぐに自分を許すこともできない。

 

それでも、一人で消えることが償いではないとは分かった。自分が離れることで、仲間が傷つく可能性を考えていなかった。

 

はるかが手を差し出す。

 

「帰ろう、トワちゃん」

 

トワはその手を見つめた。

 

今度は、引き上げてもらうのを待たない。

 

自分から手を伸ばし、はるかの手を握る。

 

「皆さまのお力を、お借りしてもよろしいでしょうか」

 

「もちろん!」

 

はるかの笑顔に、トワはまだ小さくしか応えられなかった。

 

それでも、その手を離すことはなかった。

 

* * *

 

夕方、トワたちは白金に呼ばれ、ノーブル学園の学園長室を訪れた。

 

重い扉の向こうで待っていた人物を見て、はるかとゆいが同時に声を上げる。

 

「ゆめ先生!?」

 

「どうしてこちらに?」

 

ゆめは机の前で立ち上がり、いたずらっぽく笑った。

 

「改めまして。私がノーブル学園の学園長、望月ゆめです」

 

「ええっ!?」

 

はるかの声が部屋中に響いた。

 

みなみも驚きを隠せず、きららは目を丸くしている。トワだけが状況をのみ込めないまま、皆の顔を見比べていた。

 

ゆめはトワへ向き直る。

 

「あなたの事情は、白金さんや皆さんから聞きました。しばらく人間界で暮らすのなら、学ぶ場所が必要でしょう」

 

「学ぶ場所……」

 

「人間界のことを知り、カナタさんを捜し、あなたがこれから何をしたいのか考える場所。ノーブル学園の生徒として、ここで暮らしてみない?」

 

トワは言葉を失った。

 

「ですが、わたくしのような者を受け入れれば、学園へ危険が及ぶかもしれません」

 

「今日、すでに危険から私を守ってくださったでしょう?」

 

「それだけで、過去が消えるわけではありません」

 

「消す必要はないわ」

 

ゆめは静かに答えた。

 

「学校は、間違いのない人だけが入る場所ではないもの。これから何を学び、どのような自分になりたいのか。その答えを探す場所よ」

 

トワは三人を振り返った。

 

はるかは期待に満ちた目で見つめている。みなみは穏やかにうなずき、きららは選択を急かさず待っていた。

 

誰も、罪が消えたとは言わない。

 

誰も、すぐに笑えとは言わない。

 

それでも、ここにいてよいと手を差し出している。

 

トワは自分の胸へ手を当てた。

 

「わたくしは、ここで学びたいです」

 

一言ずつ、確かめるように続ける。

 

「皆さまのお力を借りながら、わたくしにできる償いを探したい。そしていつの日か、必ずホープキングダムを救いたいです」

 

ゆめは柔らかく微笑んだ。

 

「ようこそ、ノーブル学園へ」

 

その夜、トワは再び客室の前へ戻ってきた。

 

朝には、誰にも告げず立ち去ろうとしていた場所だった。

 

扉の前には、はるかたちが待っている。

 

トワは一度だけ息を整えた。

 

「戻りました」

 

はるかが真っ先に笑う。

 

「おかえり、トワちゃん」

 

みなみとゆいも続き、パフとアロマがトワへ飛びついた。

 

きららは少し離れた場所から、その様子を見ていた。

 

トワを止めた言葉が、まだ胸の内に残っている。

 

一人で決めて消えるのが、一番迷惑。

 

服の下に隠した星の指輪へ、無意識に手が触れる。トワの視線が一瞬そこへ落ちたが、何も尋ねることなく部屋へ入った。

 

廊下の奥から歩いてきたゆめが、楽しそうに手を合わせる。

 

「入学が決まったのなら、次は部屋を考えなくてはいけないわね」

 

「そうですね。空いている部屋を確認しませんと」

 

みなみが答えると、ゆめはなぜか、きららへ視線を向けた。

 

「ちょうど、一人分空いている部屋があったはずよ」

 

嫌な予感がした。

 

「……なんで、あたしを見るんですか?」

 

ゆめは答えず、にこりと微笑む。

 

きららの問いを残したまま、客室の扉が静かに閉じた。

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