星の王子と花の姫君   作:百合魔神

4 / 30
星と花

 

 

その明日は、何事もなくやって来た。

 

次の日も、その次の日も、きららとはるかは公園で遊んだ。はるかは昨日と同じように笑い、きららも昨日と同じように応じた。ただ一人、胸の内で残りの日数を数えながら。

 

終わりが正式に告げられたのは、それから三日後だった。

 

「撮影、予定より早く終わることになったわ」

 

夕食を終えた後、ステラは宿泊先の机に予定表を広げた。赤い線が引かれた日付を指先で示す。

 

「一週間後の朝に、ここを出るわ。お仕事が早く終わったから、きららも自分のお部屋に帰れるわよ」

「……そっか」

 

驚いたふりをする必要はなかった。廊下で話を聞いていたことを、ステラには言っていない。それでも、いつか決まると分かっていた期限が数字になった途端、一週間という時間がひどく短く見えた。

 

「仲良くなったお友達がいるんでしょう?」

「はるかのこと?」

「ええ。急にいなくなったら驚くでしょうから、明日にでも教えてあげなさい」

 

きららは予定表から目を逸らした。

 

「分かってる」

 

翌日、公園ではるかに会った。

 

はるかは両腕いっぱいに赤や黄色の葉を抱え、ベンチの上へ広げていった。破れていないもの、大きなもの、色が混じってきれいなもの。自分なりの基準で仕分けながら、楽しそうに説明する。

 

「もっと集めたらね、葉っぱのドレスを作るの。キラくんは王子様のマントね!」

「俺の分まで作るのかよ」

「だって、二人で着た方がステキだもん」

 

言うなら今だった。

 

きららは口を開いた。だが、はるかが葉を肩へ当てて「この色が似合うかな」と尋ねた瞬間、喉まで出かかった言葉が引っ込んだ。

 

「そっちより、赤い方」

「ほんと? じゃあ赤にする!」

 

今日でなくてもいい。まだ六日ある。そう考えて、その日は帰った。

 

次の日も言えなかった。さらに翌日、残りは四日になった。

 

「商店街のお祭り、来月なんだって!」

 

はるかは公園へ着くなり、弾んだ声で告げた。両手を広げ、通りに並ぶという飾りや屋台を説明する。

 

「お菓子屋さんも、いつもとちがうお菓子を作るんだって。キラくんと半分こする!」

「来月は……」

 

声が途切れた。はるかが首を傾げる。もう別の話へ逃げることはできなかった。

 

「俺、その頃にはいない」

「いないって、どこに?」

「帰るんだよ。ママの仕事が終わるから」

 

はるかの笑顔が止まった。広げていた両腕が、ゆっくりと下がる。

 

「いつ帰るの?」

「四日後」

「……今日、決まったの?」

 

きららは答えられなかった。その沈黙だけで、はるかには伝わったらしい。

 

「いつから知ってたの?」

「少し前」

「少しって、いつ?」

「ちゃんと決まったのは三日前。でも、早くなるかもしれないっていうのは、その前から……」

 

はるかの目に涙が溜まった。別れることを告げれば泣くだろうと思っていた。だから黙っていたのだと、きららは自分へ言い聞かせてきた。

 

けれど、はるかの顔に浮かんでいるのは悲しみだけではなかった。

 

「どうして言ってくれなかったの?」

「言ったって、帰る日は変わらないだろ」

「そうじゃないもん!」

「じゃあ、言ってどうするんだよ」

 

声が強くなった。はるかの肩が揺れたのを見ても、引き返せなかった。

 

「わたしも、いっしょにさみしくなりたかった!」

 

思ってもいなかった言葉だった。

 

きららは、はるかを悲しませないために隠したつもりでいた。だが、はるかは悲しむことまで二人で分けたかったのだ。

 

「そんなの、意味ないだろ」

 

間違えたと気づきながら、口だけが動いた。

 

「子どもの約束なんて、離れたらすぐ忘れる。俺たち、お互いの名字も家も知らないだろ。そんなの、友達って言えるのかよ」

「言えるよ!」

 

はるかは涙を零しながら叫んだ。

 

「キラくんは、わたしの大事な友達だもん。わたし、ぜったい忘れない!」

「今はそう思ってるだけだ。いつか忘れるって」

 

はるかの顔から、怒りが消えた。残ったのは、きららが初めて見るほど深い悲しみだった。

 

唇を震わせたまま、はるかは背を向ける。きららの前ではもう何も言わず、公園の出口へ走り出した。

 

「走るな」と呼び止めかけた。

 

声にはならなかった。最初に会った日は転んだはるかを助けられたが、今度泣かせたのは自分だった。

 

公園に一人残されてからも、きららはしばらく動けなかった。

 

間違ったことを言ったわけではない。名字も住所も知らない。離れれば会う方法もなく、幼い頃の記憶など、成長するうちに薄れていく。

 

十七歳だった自分なら、それくらい分かっている。

 

そうやって理屈を並べるほど、胸の奥が痛んだ。

 

子どもの約束だから意味がないというのなら、五歳の身体で過ごしたこの数か月も、全部ままごとだったことになる。キラという名前が偽物なら、はるかと笑った自分も偽物なのか。

 

違う。

 

鳥の巣のような花冠を載せて追いかけたことも、雨の音を聞きながら絵本を読んだことも、会えなかった一日の話を聞くのが惜しいと思ったことも、誰かに決められた感情ではなかった。

 

忘れると決めたのは、はるかではない。自分だった。

 

連絡先を聞くことはできる。はるかの名字と住所を教えてもらい、こちらも滞在先ではない本当の住所を渡せばいい。ステラに頼めば、手紙のやり取りくらいできるだろう。

 

だが、差出人には何と書けばいい。

 

キラと書けば、嘘を続けることになる。天ノ川きららと書けば、男の子ではないことも、名前まで隠していたことも説明しなければならない。

 

はるかは怒るだろうか。気持ち悪いと思うだろうか。それとも、何も気にせず笑うのか。

 

どの答えも怖かった。

 

きららは膝を抱え、誰もいなくなった公園で俯いた。自分は、はるかが泣くから黙っていたのではない。自分の嘘を知られるのが怖くて、別れを利用して逃げようとしていた。

 

謝らなければならない。

 

何を渡したところで、言ったことが消えるわけではない。それでも、離れた後にも残るものが欲しかった。

 

撮影拠点へ戻ると、きららは小さな財布を持ってステラを探した。衣装の確認を終えたステラを廊下でつかまえ、財布ごと差し出す。

 

「ママ。買いたいものがある」

「珍しいわね。何が欲しいの?」

「俺のじゃない。……友達にあげる」

 

ステラは財布ときららの顔を順番に見た。

 

「はるかちゃん?」

「泣かせた」

 

それだけで、おおよその事情を察したらしい。ステラは仕事用の鞄を持ち直した。

 

「プレゼントを渡しただけで、ごめんなさいまで終わったことにしちゃ駄目よ」

「分かってる。ちゃんと言う」

「なら、お店が閉まる前に行きましょう」

 

商店街のアクセサリー店には、大人用のきらびやかな品に混じって、子ども向けの棚があった。色のついたビーズの腕輪や、花を模した髪留めが並んでいる。

 

棚の端には、同じ形の輪へ異なる飾りをつけた子ども用の指輪が並んでいた。きららは淡い黄色の星と、五枚の花びらを持つ薄桃色の花を一つずつ選ぶ。輪の後ろが途切れた作りで、小さな指に合わせて広げられるようになっていた。

 

値札を確かめ、財布の中身を数える。何度か使わずに貯めていた硬貨を全部出せば、ぎりぎり足りた。

 

「これにする」

 

会計台へ背伸びして硬貨を並べた。店員は二つの指輪を小さな透明の箱へ並べ、星と花が見えるようにリボンを結んでくれた。

 

店を出たところで、ステラが尋ねた。

 

「その子のお母さんに、連絡先を渡しておきましょうか?」

 

簡単な方法を、大人はすぐに見つける。

 

きららは箱を握り締めた。

 

「いらない」

「でも、離れてからもお話ししたいでしょう?」

「手紙じゃなくて、俺がまた会いに行く」

 

ステラはしばらく何も言わなかった。やがて、きららの頭を一度だけ撫でる。

 

「そう。なら、まずは今日、会えるといいわね」

 

公園へ着いた頃には、空が茜色に染まり始めていた。

 

いつも待つのは、はるかだった。今日はきららが入口のベンチへ座り、何度も道の先を見た。

 

時計の長い針が進む。遊んでいた子どもが親に呼ばれ、一人、また一人と帰っていく。ステラは約束どおり、公園の外に停めた車の中で待っていた。

 

来ないかもしれない。

 

そう思い始めた時、道の向こうに小さな影が見えた。

 

はるかだった。

 

いつものように走っては来なかった。一歩ずつ歩いて公園へ入り、きららから少し離れたところで立ち止まる。

 

きららはベンチから下りた。逃げたくなる足を動かし、自分からはるかの前まで歩く。

 

「言わなくて、ごめん」

 

はるかは答えず、靴の先を見た。

 

「忘れるって決めつけたのも、ごめん。はるかがどう思うか、勝手に決めた」

「……キラくん、わたしに言ったら泣いちゃうって思ったの?」

「それもある。でも、本当は……俺が言いたくなかっただけだ」

 

はるかが顔を上げた。泣き腫らした目の周りが、まだ少し赤い。

 

「キラくんも、さみしかったの?」

「俺は……」

 

また格好をつけようとした。帰るだけだ。大したことではない。そう言えば、今までどおりのキラでいられる。

 

けれど、それでは何のために戻ってきたのか分からない。

 

「……うん。寂しかった」

 

認めると、喉の奥が熱くなった。

 

「俺、本当は――」

 

女なんだ。名前も違う。

 

言わなければならない言葉が、胸の中で形になる。だが、口から出たのは別の本音だった。

 

「おまえと別れたくない」

 

はるかの目から、新しい涙が一粒落ちた。

 

「わたしも」

 

泣きながら、それでも少しだけ笑った。

 

きららは肩掛け鞄から小さな箱を取り出した。リボンを解き、蓋を開く。

 

「これ、はるかに」

「ゆびわ?」

「同じ形なんだ。星が俺で、花がおまえ」

 

はるかは二つの飾りを交互に見た。

 

「どうして、わたしが花なの?」

「花が好きで、花のプリンセスになりたいんだろ。だから花」

「じゃあ、キラくんは?」

「キラだから、星」

 

そのままの理由に、はるかが小さく吹き出した。

 

きららは花の指輪を取り、はるかの左手へ近づけた。どの指にすればよいか迷い、人差し指にはめる。輪を少し狭めると、幼い指に収まった。

 

はるかも星の指輪を持ち、きららの左手を取った。同じように人差し指へはめ、落ちないか確かめるように手を揺らす。

 

「おそろいだね」

「なくすなよ」

「なくさないもん。ずっと大事にする」

 

はるかは指輪を夕日に透かした。薄桃色の花が、橙色の光を受けて輝く。

 

「キラくんのおうち、教えて。わたし、お手紙かく」

 

予想していた言葉だった。それでも胸が詰まった。

 

住所を教えるだけなら簡単だ。そこへ届いた手紙を、天ノ川きららとして受け取る覚悟がないだけだった。

 

「手紙はいらない」

 

はるかの顔が曇る前に、きららは続けた。

 

「俺が会いに来る」

「ほんとに?」

「うん。はるかが本物のプリンセスになったら、この星を持って迎えに行く」

 

言葉にした途端、どこかで聞いた王子様の台詞のようだと思った。だが、もう止められなかった。

 

「どこにいても、絶対に見つける」

 

はるかは目を大きく見開いた。それから、花の指輪を胸へ抱く。

 

「うん。わたし、ぜったいプリンセスになる。だから、キラくんもぜったい会いにきてね」

「約束する」

「この花を見つけてね」

「見つける。何年かかっても」

 

秋の公園で、星と花が並んだ。

 

それがどれほど大変な約束なのか、二人とも分かっていなかった。ただ、もう会えないかもしれないという言葉より、いつか会えるという言葉を信じたかった。

 

残された三日間、二人は新しい予定を増やさなかった。

 

集めていた落ち葉を紐へ挟み、はるかのドレスときららのマントを作った。歩けば葉が落ち、最後には紐ばかりになったが、二人で笑って拾い直した。

 

商店街では、丸い焼き菓子を半分に割った。大きさが違うとはるかが訴え、きららは自分の方をさらに割って渡した。

 

公園の木の根元には、木の実と小石で小さな庭を作った。形に残したものは、風や雨ですぐに崩れる。それでも、作っている間に交わした言葉までなくなるわけではないと、今度のきららは知っていた。

 

はるかは毎日、花の指輪をつけてきた。きららも星の指輪を外さなかった。

 

出発日の朝、公園には薄い霜が降りていた。

 

撮影拠点の前では、スタッフが車へ荷物を積み込んでいる。きららはステラに少しだけ時間をもらい、道を渡った。

 

はるかはいつものベンチで待っていた。落ち葉をつないだ短い飾りを肩へかけ、花の指輪をはめた手を膝の上で握っている。

 

「葉っぱのドレス、できたんだな」

「うん。プリンセスに見える?」

 

何枚か葉が曲がり、紐も不揃いだった。それでも、はるかは背筋を伸ばして立っている。

 

「見えるよ」

 

きららが答えると、はるかは嬉しそうに笑った。すぐに目が潤んだが、隠そうとはしなかった。

 

建物の前から、ステラがきららを呼んだ。

 

もう行かなければならない。

 

「じゃあな、はるか」

「さようならじゃないよ」

 

はるかは首を横に振った。

 

「またね、キラくん」

 

きららは星の指輪をはめた手を上げた。

 

「うん。またな、はるか」

 

車へ乗り込んでからも、きららは窓の外を見続けた。

 

ゆっくりと車が動き出す。公園の前を通る時、はるかが花の指輪をはめた手を高く掲げた。

 

きららも窓へ星の指輪を押し当てる。

 

小さくなっていくはるかは、いつまでも手を振っていた。公園も、色の剥げた滑り台も、真っ直ぐ伸びる道も、曲がり角の向こうへ消えていく。

 

姿が見えなくなった途端、視界が滲んだ。

 

十七歳だった自分なら、こんな別れで泣いたりしない。そう言い聞かせても、涙は次々に頬を伝った。息を飲み込もうとするたびに胸が震え、堪えきれない嗚咽がこぼれた。

 

ステラは理由を聞かなかった。ただ隣へ座るきららの肩を抱き、自分の方へ引き寄せた。

 

きららは星の指輪を握り締めた。

 

キラは、あの町に置いていくはずだった。

 

天ノ川きららとして生きる場所へ戻れば、もう誰も自分をそう呼ばない。いつかこの数か月も、前世の記憶と同じように薄れていくのだと思っていた。

 

それでも、星の指輪だけは捨てられなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。