ループ帰りの高校生は、まだ無名の切り札 〜数百年ぶりに、明日を知らない〜   作:エルベール

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年齢と合わない記録

「養生テープ、二十四巻」

 

汐見渚(しおみ なぎさ)がそう言って、買い物かごの中を指さした。

 

「多い」

 

水瀬晶は、隣の棚から結束バンドの袋を取りながら答えた。

 

「多くありません。実行委員からの申請が十二、ステージ裏で使う分が六、それから予備が六です」

 

「予備が六は多い」

 

「先輩、予備というのは足りなくなるから予備なんです」

 

「予備が足りなくなったら、それはもう予備じゃなくて本体だろ」

 

後ろで宮下直樹が吹き出した。手にしたバインダーを胸に抱えたまま、肩を震わせている。

 

「聞いた?汐見さん、副会長が屁理屈言い始めたよ」

 

「聞いてました。記録しておいてください」

 

「議事録に残るのかよ」

 

生活雑貨売り場は、土曜の午後にしては空いていた。

 

小日向美緒(こひなた みお)が、通路の向こうから小走りに戻ってきた。買い出しメモを手にしている。

 

「布、こっちのが安かった。でも幅が九十しかない」

 

「模擬店の目隠しに使うんだよな」

 

「うん。九十だと二枚繋がないと足りない」

 

「繋ぐならテープがいるな」

 

美緒はそこで、渚のかごを見た。

 

「……あ、あるね」

 

「予備が六あります」

 

「予備が本体になったな」

 

直樹が言った。

 

晶は棚の端に立って、四人ぶんのかごと、これから増える荷物を見比べた。

 

「布は先に買って、サービスカウンターに預けよう」

 

「なんで」

 

「これ持って、あと三軒回りたくない」

 

直樹が布のロールを持ち上げて、すぐ下ろした。

 

「たしかに」

 

「紙は最後な。上に載せると折れる」

 

「そこまで考える?」

 

「帰り、電車で乗り換え二回だぞ」

 

「あー」

 

「それに、重いのを持って階段を上がりたくないだけだ」

 

美緒が、少し不思議そうな顔で晶を見た。

 

水瀬(みなせ)くん、去年の買い出しの時もそうしてた?」

 

「去年は失敗した。だから今年はそうする」

 

「去年、水瀬が荷物持って階段で止まってたの、俺は覚えてるからな」

 

直樹が言った。

 

「顔が真っ赤で」

 

「覚えてなくていい」

 

渚が電卓を打ち、レシートの束と申請書を突き合わせて、小さくうなずいた。

 

「予算内です。名札とカードケースを買っても足ります」

 

「足りるって言われると逆に何か買いたくなるな」

 

「買いません」

 

「買わない」

 

晶は素直に引き下がった。渚は満足そうにファイルを閉じた。

 

 

会計を終えて一階へ降りると、中央のイベントホールの前が人だかりになっていた。

 

『遺物安全フェア』と書かれた横断幕が、天井から吊るされている。入口には機構の制服を着た職員が二人立っていて、パンフレットを配っていた。

 

「あ、これ今日だったんだ」

 

美緒がパンフレットを一枚受け取った。

 

「学校にポスター貼ってあったやつ」

 

「販売会?」

 

直樹が首を伸ばす。

 

「違います」

 

渚が答えた。

 

「啓発イベントです。遺物は売りません」

 

「なんだ、剣とか売ってると思った」

 

「売ってたら通報してください」

 

ホールの中は、思ったより広かった。

 

パネル展示が三列。奥のステージでは機構職員が装備を説明し、壁際の測定器には子どもの列ができていた。

 

晶は荷物を置き、天井を見た。横断幕、照明のバトン、背の高い展示パネルが四枚。下端は細い金属の脚で支えられている。

 

「水瀬くん、こっち」

 

美緒に呼ばれて、晶は前へ進んだ。

 

ステージ横のモニターでは、遺物との「接続」が説明されていた。接続中は身体能力が上がり、使用者を保護膜が覆う。銃弾を止めた膜に亀裂が入る。

 

『ただし、保護膜は無敵ではありません』

 

「ちゃんと『無敵ではない』って言うんだな」

 

「勘違いする人が多いからです。そうしないと、みんな無茶な要求をします」

 

「詳しいな、汐見さん」

 

「家で……そういう話をよくしたので」

 

渚は言葉を切った。直樹はそれ以上聞かなかった。

 

四人は展示の列を進んだ。所有者登録制度のパネルには、一般級、実戦級、戦略級、神話級の四区分が色分けされている。

 

「神話級って、いくつあるの?」

 

「公表されていません。国内では十に満たないと言われています」

 

「少なっ」

 

「多かったら困ります」

 

次に並んでいたのは、有名な遺物事件だった。十年前の高速道路事故、八年前の港湾施設事故。それから、五年前に地方都市を一か月封鎖した「大規模時間異常事案」。

 

五年前の項目だけ、写真がなかった。文字も五行しかない。

 

「これ、なんか薄くない?」

 

直樹がその五行を指した。

 

「他のは写真も、そのあと法律がどう変わったかもあるのに、これだけ『詳細は公表されていません』で終わってる」

 

「機密なんだろ」

 

「そりゃそうだけどさ」

 

晶は、その五行を読まなかった。読まなくても、書いてある内容は想像がついた。

 

 

突然、一番奥の展示パネルが、傾き始めた。

 

どちらへ倒れれば誰も潰れないかは、入場したときに見ている。倒れると思っていたからではない。部屋へ入れば、いつもそうしていた。

 

考える時間はなかった。晶は、駆け出しながら右の袖を払った。手首の腕輪で、プレートが回る。

 

高さは三メートル近い。倒れる先には、測定器の列があった。先頭は四、五歳の子どもで、母親は二歩後ろで財布を出している。

 

光の点を二つ灯した。脚の断面へ切れ目を通す。脚が根元から落ち、パネルの倒れる方向が、人がいない方向へと変わった。

 

同時に、晶は子どもの脇の下へ腕を入れて、そのまま横へ跳んでいた。

 

パネルが床を叩いた。派手な音がして、装飾板の一部が割れて飛ぶ。晶はもう一本、短い線を通した。破片が空中で二つに割れて、列から逸れて床へ落ちた。

 

悲鳴が上がったのは、そのあとだった。

 

晶は子どもを下ろした。子どもは何が起きたのか分かっていない顔で、晶を見上げてから、母親を見つけて走っていった。

 

「——ご、ごめんなさい、ありがとうございます、あの」

 

「大丈夫です。誰も怪我してません」

 

機構の職員が三人、駆けてくる。そのうちの一人——四十前後の、階級章の付いた女性が、倒れたパネルの脚の断面を見て、それから晶を見た。

 

断面は、切れていた。折れたのではなく。

 

「君が処理した?」

 

「はい」

 

「所有遺物は」

 

晶は、右の袖をまくって手首を見せた。細い金属の腕輪。輪の周りに、小さな多角形のプレートが並んでいる。

 

職員の目が、その上で一度止まった。

 

 

事情確認は、ホール脇の待機スペースで行われた。

 

晶と直樹がそこへ通され、渚と美緒は「一緒に来た子です」と説明したうえで、ホール内で待つことになった。

 

「僕らは何も見てないんですけど」

 

直樹が言うと、階級章の職員——現場指揮官だと名乗った——は、少しだけ表情を緩めた。

 

「見たことを聞きたいわけじゃないの。彼と一緒に来た人がいるかどうかを確認しただけ」

 

そして机の上に薄型の端末を置き、晶の方へ向き直った。

 

「遺物の緊急使用は、その場で報告義務が生じる。分かってる?」

 

「はい」

 

「使ったこと自体を責めてるんじゃない。あの状況なら、私も同じ判断をした」

 

指揮官は端末を操作した。画面は晶からは見えない。

 

遺物名称:〈星綴り(ほしつづり)

所有者:水瀬晶(みなせ あきら)

監督区分:特別監督対象

 

遺物等級――閲覧不可

 

「……閲覧不可?」

 

直樹が晶を見る。晶は何も言わなかった。指揮官も、それ以上は聞かなかった。

 

「身元引受人、登録あり。……名前が出ない」

 

所属と、特別権限指定職員であることだけが表示され、氏名は伏せられているはずだった。

 

「……累積接続記録」

 

遺物の核石には、誰が、どれだけの時間、何回接続したかが残る。石に刻まれた傷のようなもので、消せない。

 

「あなた、今年で十七歳よね。この記録の運用期間、あなたの年齢より長いんだけど」

 

直樹が、隣で目を瞬かせた。

 

「え?」

 

指揮官は端末を伏せた。表示を晶にも直樹にも見せないためだ。

 

「管理番号の形式も古い。今の制度に切り替わる前のもの。閲覧制限が三か所。それから」

 

指揮官は、そこで一度言葉を選んだ。

 

「運用期間が正常に算定できない、っていう警告が出てる。私は現場に十年いるけど、この警告を見たのは初めて」

 

「そうですか」

 

「そうですか、じゃない」

 

指揮官は苛立ってはいなかった。むしろ、慎重だった。

 

「説明できる?」

 

「できません」

 

「できない、じゃなくて、説明する権限がないってこと?」

 

「両方です」

 

指揮官は、椅子の背へ体重を預けた。天井を一度見上げてから、晶へ視線を戻す。

 

「犯人扱いはしない。あなたは今日、人を助けた。それは記録に残す」

 

「ありがとうございます」

 

「でも、そのまま帰すこともできない。上へ照会を上げる。回答が来るまで、会場付近で待機してもらえる?」

 

「分かりました」

 

「素直ね」

 

「ここで揉めても、指揮官の仕事が増えるだけなので」

 

指揮官は、ほんの一瞬、面白がるような顔をした。

 

「……高校生に気を遣われた」

 

 

待機、と言われたが、ホールから追い出されるわけではなかった。

 

倒れた展示区画は規制線で囲われていたが、フェアそのものは再開していた。

 

晶と直樹は、ホール入口の脇にあるベンチへ移された。荷物はサービスカウンターへ預け直した。渚と美緒は、ホール内の展示をもう少し見てくると言って、奥へ入っていった。

 

「なあ」

 

直樹が、缶のジュースを二本買ってきて、片方を晶へ渡した。

 

「聞いていいやつ?」

 

「どれが」

 

「年齢と合わない記録」

 

晶はジュースを開けた。

 

「言えることだけ言う」

 

「じゅうぶん」

 

「俺は五年前に、ある事件に巻き込まれた。そのときのことが記録に残ってて、それが今の制度と噛み合ってない。それだけだ」

 

「五年前って、お前、十二だろ」

 

「十二だった」

 

「十二の子どもの記録が今の制度と噛み合わないって、それ、お前のせいじゃなくないか」

 

直樹は缶を握ったまま、続きを探すような顔をした。

 

「……いや、分かんないけど。とにかく、深くは聞かない」

 

「助かる」

 

「でも、覚えとくからな。お前が何か隠してるってこと」

 

「隠してる自覚はある」

 

「開き直るなよ」

 

ベンチの正面にある大型モニターで、次の映像が始まった。

 

『機構中央即応部・真壁士門による、暴走遺物の停止事例です』

 

直樹が身を乗り出した。

 

「うわ、本物だ」

 

「知ってるのか」

 

「知ってるだろ普通に。ニュース出てるじゃん。テレビで特集やってたぞ」

 

映像の中で、黒い戦闘服の男が、火花を上げる金属の塊へ近づいていく。塊は四方へ腕を伸ばしていた。

 

『〈継目喰らい(つぎめぐらい)〉が切るのは、物ではありません。遺物の「接続」です』

 

『一太刀につき、一つだけ。位置は、剣が教えてくれるわけではありません』

 

真壁が跳んだ。三太刀。腕が止まり、中心部の光が落ち、塊は倒れもせず、その場でただの金属の山に戻った。

 

「かっけえ」

 

直樹が言った。

 

「三回で終わったぞ」

 

いつのまにか、渚と美緒も戻ってきていた。渚はモニターを、瞬きの少ない目で見ている。

 

「三回目のは、本体との主接続じゃないですね」

 

渚が言った。

 

「二回目で出力を落として、三回目は再起動用の経路だと思います。だから倒れずに止まってる」

 

美緒は、モニターではなく渚の横顔を見ていた。

 

「汐見さん、そんなことまで分かるの」

 

「解説にそう書いてありました」

 

書いてなかった。晶は解説文を読んでいた。そして、晶が見ていたのは別のことだった。

 

映像の真壁は、一太刀目を右から入れていた。昔なら、左から入っていた。その方が速い。

 

映像の隅に、避難していく人影が二つ、一瞬だけ映っていた。

 

——後ろに、人がいたからだ。

 

昔の真壁が剣を振っていた場所には、守るものがなかった。五年で、この男の戦い方は変わった。

 

「水瀬くん?」

 

美緒に呼ばれて、晶は瞬きをした。

 

「ごめん、何?」

 

「すごい真剣に見てるから。憧れちゃった?」

 

「まあ」

 

晶はジュースの缶を握り直した。

 

「そんなところ」

 

 

午後三時四十分。

 

最初に気づいたのは、音が減ったことだった。ステージで続いていた装備の説明が、文の途中で止まっている。

 

晶が立ち上がったのと、ホールの照明が半分落ちたのは、ほとんど同時だった。

 

「え、なに?」

 

直樹が腰を浮かせる。

 

ホールの入口の上——シャッターの下りるレールの、その少し手前の空間で、何かがきらりと光った。

 

線だ。

 

細い、糸のような光が、入口の左右の柱のあいだへ張られた。一本。二本。三本。高さを変えて、四本目。

 

ホールの中で、悲鳴が上がった。

 

「動くな!」

 

声が、ホールの中央から飛んだ。

 

男が一人、ステージの上に立っていた。三十前後、作業着に近い服装で、腰のあたりに巻尺のような金属の筒を複数下げている。そのうちの一つを手に持って、リールを回していた。

 

「線が見えてないだけで、そこら中にある」

 

男が筒を振ると、ホールの中央に新しい線が二本走った。

 

パネル展示の列と列のあいだ。人と人のあいだ。

 

「触れたところが、そのまま止まる。手を出せば手が、走れば脚が止まる。身体は前へ行くのにな」

 

そこで、男は入口の方を顎で示した。

 

「あいつみたいになる」

 

全員が、そちらを見た。

 

出口へ走った男性が、腕を前へ突き出した姿勢のまま、宙で止まっていた。止まっているのは手首から先だけで、身体は前へ倒れ込み、腕一本を軸にして肩から吊り下がっている。

 

男性は声を出していなかった。出せる姿勢ではなかった。

 

ホールの中が、静かになった。

 

「機構の職員、装備を床へ置け。置いたら中央へ集まれ。ここには子どもが十人以上いる」

 

「あと、搬入口側には来るな。こっちの用が済めば、人質は放す」

 

晶は動かなかった。

 

ホールの入口——晶と直樹がいるベンチは、シャッターの外側だ。線は入口の内側に張られている。封鎖されているのはホールの中で、晶たちは外にいる。

 

そして。

 

「先輩!」

 

渚の声がした。ホールの中からだ。

 

渚と美緒は、ホールの奥側にいた。映像が終わったあと、二人はもう一度奥の展示を見に行ったのだ。

 

二人と晶のあいだに、四本の線がある。

 

「汐見さん!小日向!」

 

直樹が入口へ駆け寄ろうとして、晶がその襟を掴んで引き戻した。

 

「入るな」

 

「でも!」

 

「入っても人質が増えるだけだ」

 

ステージの男が、こちらを見た。

 

——外にいる人間を、数えている。

 

 

ホールの中で、線がまた一本増えた。

 

館内放送が切り替わり、避難誘導のアナウンスがモール全体へ流れ始める。ホール以外のフロアから、客が引いていく音がした。

 

機構の職員が走ってくる。さっきの現場指揮官が、入口の手前で足を止め、無線へ短く状況を送った。

 

「イベントホール、遺物使用者一名による人質立てこもり。人質、目視でおよそ八十。線状の固定型遺物。負傷者一名。……ええ、〈静止線(せいしせん)〉の登録者と特徴が一致します。深町遼(ふかまち りょう)

 

直樹が、晶の腕を掴んだ。

 

強い力だった。

 

「なあ」

 

「なんだ」

 

「お前、さっきパネル切ったよな」

 

「切った」

 

「あの線、切れないのか」

 

「線は物じゃない。切れるのは、張ってる方だ」

 

筒の形をした起点が、柱と床と展示台に貼り付いている。それは物だから、落とせる。落とせば、線は消える。

 

そこまでは、十秒で分かった。分からないのは、その先だ。

 

入口の起点を落とすこと自体はできる。しかし開ければ、中の八十人が一斉に動く。動けば、あの男は残りの線を人へ向ける。機構は、まだ突入の準備を始めてもいない。

 

「晶」

 

直樹の声が、少し掠れていた。

 

「お前なら、何とかできるんじゃないのか」

 

渚と美緒が、展示パネルの陰にしゃがんでいる。美緒が近くの子どもの背中に手を置いていた。

 

「できることはある」

 

晶は、入口の向こうを見たまま言った。

 

「でも今は、動かない」

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