ループ帰りの高校生は、まだ無名の切り札 〜数百年ぶりに、明日を知らない〜   作:エルベール

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無言の信頼

裂けたシャッターの向こうは、搬入用の広い通路だった。

 

そこから、腕がもう三本出てきた。合わせて四本。ステージ、北側の非常口、天井の給水管へ、別々に伸びる。

 

その中心に、人が見えた。

 

塊の中心では、黒田修司が胸から下を金属に埋もれさせ、両腕だけを外へ出している。足元には、黒田が狙っていた金属の箱が、角を潰して転がっていた。

 

真壁は、そこへは向かわなかった。

 

ステージへ伸びた腕の真下を走り抜けながら、側面へ一太刀。

 

「真壁だ。イベントホールに入った。人質の避難を優先する」

 

真壁の声は大きくない。無線ではなく地声だった。

 

「北の腕は俺が持つ。給水管の方は落とす。落ちたら水が来る。すぐ移動しろ」

 

そして給水管へ伸びた腕の根元へ、二太刀目。腕は伸びるのをやめ、垂れ下がった。

 

残りの人質が、押し出されるように北側の扉へ流れ始めた。渚が列の後ろで、遅れる人の背中へ順に手を添えている。美緒は、女の子とその母親を挟むようにして歩いていた。

 

 

「指揮官」

 

晶は、そう呼んだ。

 

「あとで聞く」

 

「だめです、今聞いてください」

 

指揮官が振り返る。晶は、なるべく短く言った。

 

「機構の作戦は、さっきまでの配置が前提でした。今は新しい起点が増えてます。人質は扉の前で止まってて、救護班の動線にも線が張られました。真壁さんは暴走体と深町の両方を抑えないと動けない」

 

「無理だと決めつけないで」

 

「決めつけてません。時間の問題だと言ってます」

 

指揮官は、無線を握ったまま、晶を見ていた。

 

「だから、俺が行きます」

 

「あなたは高校生よ。照会結果に説明のつかない項目が五つある。前線へ入れる権限は、私にはない」

 

「知ってます」

 

「知ってて言ってるの」

 

「はい」

 

晶は、走り出さなかった。

 

走り出せば、この人はその処理に時間を取られる。時間は、いま一番高いものだ。

 

「条件を切ってください」

 

「……なに?」

 

「俺がやることを、あなたが決めてください。範囲の中だけでやります。無線も貸してください。俺が勝手に動いたら、あなたが止められるようにしておいた方がいい」

 

指揮官は無線を左手へ持ち替え、空いた手で腰の予備の無線機を外して、晶へ投げた。

 

「ホールの中だけ。落下物と、人へ届くものの処理、それと経路の確保。犯人の確保はしない。真壁さんの戦域には入らない」

 

「分かりました」

 

「それから」

 

指揮官は、晶の手の無線機を指さした。

 

「私が『下がれ』と言ったら、下がる。理由は聞かない」

 

「はい」

 

「本部には、緊急避難的な限定協力として上げる。あとで山ほど書類を書くことになるから、あなたも書いて」

 

「書きます」

 

「行って」

 

晶は、入口の柱へ手を触れた。線を張っている起点は、柱の内側に貼り付いている。筒の形。物理。

 

星点を二つ、柱の上下へ置いた。柱そのものを断つ必要はない。二点を結ぶ線を刃先に、表面だけへ浅く切断を通す。柱の表面が薄く剥がれて、起点の筒が面ごと落ちる。床側の起点も、同じ手順で落とした。

 

入口が開いた。

 

「宮下」

 

「……おう」

 

「ここにいろ。指揮官の近くから離れるな」

 

「お前」

 

直樹は、何か言おうとして、うまく言葉にならないという顔をした。

 

「行くのかよ」

 

「行く」

 

「さっき、機構に任せるって言ってただろ」

 

「言った」

 

晶は、走り出しながら答えた。

 

「今は違う」

 

 

ホールの南半分は、崩れかけの倉庫のようになっていた。

 

割れた測定器。倒れたパネル。落ちた照明バトン。伏せた人が残り、何人かは自力で動けていない。

 

晶は最初に、天井から辛うじてぶら下がっていた照明器具を、人のいない床へまとめて落とした。

 

「南側、落下予備を処理。動けない人が三人。救護、南から入れます」

 

『了解』

 

次は、床だった。床の下を〈星綴り〉で切る。

 

「北側の扉の手前、床を下げました。立ったまま通れます。背の高い人だけ頭を下げてください」

 

『……なにをしたの?』

 

「掘りました」

 

無線の向こうで、指揮官が何か言いかけて、やめた。

 

「列、進め!背の高い人だけ頭を下げろ!」

 

 

「学生」

 

声は、思ったより近くから来た。

 

深町が、ステージから降りて南側へ回り込んできていた。

 

「あんた、〈静止線〉が切れないのは分かってんだよな」

 

「分かってます」

 

「なのに来た」

 

「〈静止線〉以外は切れるので」

 

「二回目やめとけって言ったよな。言われて、床掘ったのか」

 

「声は出してません」

 

深町の目が細くなり、リールが回った。線が、晶の足元へ走る。

 

晶は跳んでいた。回す動作を見た時点で、跳ぶ場所は決めてある。線が張られたのは、さっきまで晶が立っていた床だった。

 

着地したところへ、次の線。左足の爪先が固定される。

 

晶は靴を脱いだ。靴だけが線に取られ、晶は靴下のまま横へ転がる。

 

「器用だな。けど、こっちはまだ張れる」

 

さらに線が走った。晶の左右と頭上を塞ぐ。動けば触れる。動かなければ、次の線で潰される。

 

晶は星点を二つ灯した。右手前の柱、その根元に貼り付いた起点の筒。二点を結んで、表面ごと剥がす。

 

筒が転がり、左側の線が三本まとめて消えた。

 

消えた分を、深町は埋め直した。腰から筒を抜いて、投げて、リールを回す。それだけだった。

 

——割に合わない。

 

星綴りは、選んで、置いて、結んで、初めて切れる。深町は投げて回すだけでいい。

 

床に、機構隊員が一人倒れていた。腰のホルダーに伸縮式の警棒。

 

「借ります」

 

言い終える前に、晶は抜いていた。隊員は目を丸くしたが、止める余裕がなかった。

 

晶は借りた警棒で床の折り畳み椅子を倒し、起点を数センチずらした。線の角度が変わる。

 

「……なるほど。切るのをやめたか」

 

「起点は物なので。切るより、ずらす方が安く済みます」

 

深町は、腰から新しい筒を出した。

 

ここから先は、速かった。

 

深町は晶本人ではなく、晶の次の移動先へ先回りして線を張り始めた。読み合いの間隔が、一手ごとに短くなっていく。

 

「学生。あんた、誰に習った」

 

「独学です」

 

「嘘つけ」

 

晶は前へ出た。警棒を右手に、身体を低く。

 

だが、踏み込むより早く、線が警棒の中ほどを空中で止めた。

 

金属が鈍い音を立てて折れた。晶の右手には短い柄だけが残り、親指の付け根が裂けていた。

 

「機材の限界だな」

 

深町が言った。

 

「あんたの動きに、その棒が耐えられてない。その振り方をどこで覚えたんだって話だよ」

 

晶は、折れた柄を持ち直した。

 

 

真壁士門は、腕の三本目を制圧したところで、南側を見た。

 

学生が一人、折れた警棒の柄だけで深町と向き合っている。

 

普通なら、退けと怒鳴る場面だ。

 

真壁は、怒鳴らなかった。

 

殺していない。天井や床を崩せば、深町は無事では済まない。その手を、取らなかった。

 

四本目の腕が、真壁を背後から襲った。真壁は振り返らずに、付け根へ剣を入れる。

 

本体側の接続を切れば塊は止まる。だが、中心の男まで巻き込む。

 

だから、切らなかった。隊員の装備袋から打撃杭を抜いて、金属腕を床へ縫い止める。

 

短時間なら、剣がなくても保つ。

 

 

晶と深町の膠着へ、真壁の声が割り込んだ。

 

「晶」

 

晶が振り返った。深町も、そちらを見た。

 

名前だった。学生でも、水瀬でもなく。

 

「使え。そっちは任せる」

 

真壁は、右手の剣を放った。

 

ホールの音が、一瞬だけ遠のいた。

 

刃が、照明の落ちた空気を横切ってくる。反りの浅い、片刃の長剣。刃の中ほどに、五年前にはなかった細い傷がある。

 

これは真壁の剣だ。この五年、真壁が使い、真壁の名前と一緒に世の中に知られてきた剣だ。

 

「悪いな。俺は、物を止めるのが専門なんだ」

 

刃が止まった。柄と刃先を取られて、剣が水平のまま空中で静止する。

 

晶との距離は、まだ開いていた。

 

その距離のまま、晶は右手を開いた。

 

手首で、〈星綴り〉のプレートが続けて回る。星を呼ぶ。

 

空中の剣が光になった。輪郭が星の形に散って、その場から消える。深町の線は、何もない空間を止めたまま残った。

 

次の瞬間、開いていた晶の右手が、柄を掴んでいた。

 

重さが、掌へ落ちてくる。

 

昔と同じ重さではない。同じ重さなのに、昔より軽い。腕が伸び、背も握力も違う。五年ぶんの身体が、この重さを別のものとして受け取っている。

 

晶は何度か握り直し、ようやく手に収めた。

 

ホールのどこかで、誰かが息を呑んだ。

 

「なんだ、今の」

 

深町が言った。

 

初めて、声に温度があった。

 

「呼んだのか。あんた、それを呼んだのか」

 

「はい」

 

「呼べるものを持ってる人間が、なんでさっきまで棒切れ振ってた」

 

「この剣は、今は俺のじゃないので」

 

晶はそう答えて、構えた。

 

ホールに残っていた人質と、機構の隊員と、扉の外の救護班と、入口の脇の直樹が、それを見ていた。

 

北側の扉の手前では、渚が振り返り、美緒がその隣で足を止めていた。

 

隊員の一人が、無線へ何か言いかけて、やめた。

 

真壁士門が、多くの人間が見ている前で、自分の剣を高校生へ投げ渡した。

 

その高校生は、途中で止められた剣を、空中から呼んだ。

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