永禄十年、本圀寺の一件の後。
足利義昭は、将軍でありながら自由を失っていった。
御所へ出入りする者は織田方の目を通される。
兵を集めることも、勝手に書状を送ることも許されない。
将軍の言葉は京へ届く。
だが、その言葉がどこへ届き、何を動かすかは、すべて信長の手の内にあった。
義昭は、それを屈辱と感じていた。
義昭「将軍である余が、手紙一つ自由に出せぬとは」
近習「信長様の御意にございます」
義昭「信長、信長、信長……!」
義昭は唇を噛んだ。
そしてある夜、最も信頼する近習を呼んだ。
義昭「北畠へ書状を送れ」
近習「北畠具教様へ、でございますか」
義昭「そうだ」
近習「しかし、織田の目が」
義昭「見つかるな」
義昭は筆を取った。
織田の勢いを恐れよ。
今、畿内で織田へ逆らう者を集めねば、いずれ各地の大名も呑み込まれる。
将軍の名を借りた、密かな呼びかけだった。
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だが北畠家は、義昭の書状を受け取った時にはすでに遅れていた。
信長は北畠の動きを察し、新六と滝川一益を派遣した。
津田軍と滝川軍は伊勢へ入ると、北畠方の城を次々と落としていく。
新六は正面から兵をぶつけるだけではなかった。
周囲の国人衆へ使者を出し、降る者は許し、兵糧と道を確保した。
滝川一益は敵の城を包囲し、逃げ場を一つずつ奪っていった。
戦は、半年も続かなかった。
北畠具教は降伏した。
しかし、織田へ逆らう旗を上げた責は重い。
具教は自害を命じられ、その首は三条河原に晒された。
北畠具房は新たな当主として残された。
だが、その家臣団の半分は織田に通じる者たちで固められていた。
北畠家は残った。
だが、もはや織田の許しなく動ける家ではなかった。
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北畠の館を改めていた一益の家臣が、一通の書状を見つけた。
家臣「一益様。こちらをご覧ください」
一益「何だ」
書状には、足利義昭の花押があった。
一益「……将軍の書状か」
家臣「北畠具教へ、織田に備えるよう呼びかけております」
一益「津田様へ知らせろ」
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京。
信長は、義昭の前に一通の書状を置いた。
信長「義昭殿」
義昭「何だ」
信長「これは何だ」
義昭の目が、わずかに揺れた。
だがすぐに、何事もなかったかのように顔を上げる。
義昭「見覚えがない」
信長「北畠から出た」
義昭「誰かが余の名を騙ったのだろう」
信長「花押までか」
義昭「余は知らぬ」
信長は、じっと義昭を見た。
怒鳴らない。
笑いもしない。
ただ、冷たい目で見つめ続ける。
信長「そうか」
義昭「……ああ」
信長「ならばよい」
信長は書状を取り上げ、立ち上がった。
義昭は胸の内で息を吐いた。
切り抜けた。
そう思った。
だが、それは間違いだった。
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それ以降、義昭の自由はさらに削られた。
近習は入れ替えられた。
御所の兵は織田方が管理した。
書状はすべて検められ、義昭が誰と会うかも光秀を通して決められる。
将軍でありながら。
義昭は、完全に織田の管理下へ置かれた。
義昭「信長……余を人形にするつもりか」
光秀「将軍様」
義昭「何だ」
光秀「信長様は、将軍様を京から追うつもりはございません」
義昭「それが何だ」
光秀「ですが、織田家を敵に回す道だけは、お選びにならぬ方がよろしいかと」
義昭「余に、従えと言うのか」
光秀「京を守るために、でございます」
義昭は答えなかった。
ただ、光秀の背を憎々しげに見送った。
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翌年、永禄十二年二月。
浅井、朝倉が織田へ宣戦を布告した。
信長は報せを受けると、迷わず軍を動かした。
信長「全軍、北近江へ向けろ」
勝家「浅井と朝倉、まとめて叩くのですな」
信長「浅井は、北近江に籠もっていればよかった」
信長の目が細くなる。
信長「だが俺に牙を向けた。ならば、噛み砕く」
織田軍は北近江へ進軍した。
信長自らが本隊を率い、柴田勝家、森可成、前田利家、丹羽長秀、木下秀吉らが続く。
そして津田新六信時は、一万の兵を率いて出陣した。
半兵衛。
一豊。
康豊。
鈴木孫一。
雑賀衆。
新たに集った将たちも、津田軍の旗の下に並んでいる。
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姉川。
川を挟み、浅井・朝倉軍と織田軍が向かい合った。
朝靄が晴れる頃、敵陣から鬨の声が上がる。
新六の前には、朝倉軍。
その中央には、巨大な太刀を背負った男が立っていた。
真柄直隆。
朝倉随一の剛将。
その傍らには、朝倉軍を指揮する山崎吉家の旗がある。
半兵衛「新六様。朝倉軍は中央を厚くしております」
新六「山崎吉家がいるからだな」
半兵衛「はい。真柄直隆を前に出し、こちらを正面で押し潰すつもりでしょう」
新六「なら、指揮を任せる」
半兵衛「私に、でございますか」
新六「ああ。俺は真柄を止める」
一豊「新六様、まさか一騎打ちを」
新六「敵の芯が、あそこにある」
半兵衛「……承知いたしました」
半兵衛は即座に兵へ命じる。
半兵衛「一豊殿。鉄砲衆の援護を受け、山崎吉家の旗本へ向かってください」
一豊「承知!」
半兵衛「孫一殿。左右の高みへ鉄砲衆を分けてください」
孫一「十字砲火ですな」
半兵衛「はい。敵の中央を動けなくします」
孫一「任せろ」
半兵衛「康豊殿は槍隊を整え、朝倉の突撃を受け止めてください」
康豊「はっ!」
新六は槍を握り、真柄直隆を見据えた。
新六「真柄直隆!」
巨漢の武将が振り向く。
真柄「誰だ」
新六「津田新六信時」
真柄「織田の若造か」
新六「俺と勝負しろ」
真柄は一瞬、新六を見た。
そして、口元を歪めた。
真柄「よかろう」
真柄「その首、朝倉の戦旗に飾ってくれる」
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真柄直隆の大太刀が唸った。
風を裂くような一撃。
新六は半歩だけ身を引き、その刃を受け流す。
地面が砕けた。
一豊「何という太刀だ……!」
新六は踏み込む。
槍を繰り出す。
だが真柄は大太刀で弾き返し、力任せに押し返してくる。
真柄「どうした! 織田の柱と聞いていたが、この程度か!」
新六「まだ、始まったばかりだ!」
再び大太刀が振り下ろされる。
新六は槍の柄で受け、真柄の懐へ潜り込んだ。
だが真柄は肘で新六を弾き飛ばす。
新六の身体が地を滑った。
真柄「立て!」
新六はすぐに立ち上がる。
新六「強いな」
真柄「今さら気づいたか!」
新六「だからこそ、生きて来い」
真柄「何だと」
新六「俺の家へ来い。お前ほどの武を、朝倉とともに沈めるには惜しい」
真柄「ふざけるな!」
真柄は怒り、渾身の一撃を振り下ろした。
新六は避けない。
槍を投げ捨て、両手で大太刀の柄を掴んだ。
力と力がぶつかる。
真柄の目が見開かれた。
真柄「止めただと……!」
新六「お前を殺すために戦っているんじゃない!」
新六は大太刀をねじり上げる。
真柄の手から武器が離れた。
次の瞬間、新六の拳が真柄の鳩尾へ突き刺さる。
真柄は膝をついた。
新六は首へ槍の穂先を向けた。
新六「降れ」
真柄「……殺さぬのか」
新六「朝倉が敗れても、お前の腕は残る」
真柄は、新六を見た。
しばらく沈黙し。
やがて、ゆっくりと頷いた。
真柄「……好きにしろ」
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その頃。
朝倉軍の中央では、孫一率いる雑賀衆が火を噴いていた。
孫一「右、撃て!」
銃声。
孫一「左、撃て!」
別の方向から銃声。
朝倉軍は、左右から撃たれた。
どこに隠れても、火縄銃の音が追ってくる。
朝倉兵「鉄砲が……両側から!」
朝倉兵「前へ出られぬ!」
その混乱の中を、山内一豊が駆け抜けた。
一豊「山崎吉家はどこだ!」
朝倉の旗本が一豊へ襲いかかる。
だが銃撃が敵を崩し、津田の槍隊が道を開く。
その先に、山崎吉家がいた。
吉家「山内一豊ごときが!」
一豊「父の仇へ仕える俺を、笑うか!」
槍と槍がぶつかる。
一豊は押される。
だが退かない。
背後で鉄砲が鳴る。
吉家の側近が倒れた。
一豊は、その一瞬を逃さない。
一豊「これで終わりだ!」
槍が吉家の胸を貫いた。
山崎吉家が落ちる。
朝倉軍の指揮は、一気に崩れた。
半兵衛「朝倉軍、中央が乱れました!」
新六「ならば、浅井へ回れ!」
半兵衛「横から浅井を叩くのですね」
新六「ああ。朝倉が崩れた今、浅井は支えを失う」
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津田軍は横合いから浅井軍へ襲いかかった。
浅井方は、朝倉軍が崩れたことを見て動揺していた。
浅井兵「朝倉が退いている!」
浅井兵「横から津田軍が来るぞ!」
新六が先頭へ立つ。
その後ろを、真柄直隆を捕えた兵が続く。
朝倉の猛将を生け捕りにされた光景は、浅井方の戦意を大きく揺らした。
新六「押せ!」
津田軍の槍隊が浅井軍へ突き刺さる。
雑賀衆の鉄砲が、浅井の旗本を崩す。
半兵衛は兵を細かく動かし、浅井軍の退路を押し潰していった。
半兵衛「右へ寄せてください! 小谷へ退く道を一本に絞ります!」
康豊「承知!」
浅井の戦線は、ついに崩壊した。
そこへ柴田勝家が突っ込む。
勝家「逃がすな! 浅井の兵を、小谷まで追い立てろ!」
森可成が敵の横を裂く。
可成「織田の道を塞ぐ者は、すべて退け!」
前田利家が槍を振るい、逃げる敵兵を押し込む。
利家「新六! また派手にやったな!」
新六「利家! 浅井を小谷へ追い込め!」
利家「言われなくても!」
織田軍は、浅井・朝倉軍を完全に蹴散らした。
浅井勢は多くの兵を失い、本拠・小谷城へ逃げ込む。
朝倉勢も、指揮を失って北へ退いた。
織田軍の損害は、驚くほど少なかった。
信長は戦場を見渡し、ゆっくりと頷いた。
信長「浅井も朝倉も、大したことはなかったな」
勝家「敵は、織田が京を得た後も昔のままだと思ったのでしょう」
信長「ならば、思い知らせればよい」
信長は新六のもとへ歩み寄った。
真柄直隆が捕えられているのを見て、目を細めた。
信長「真柄を生かしたのか」
新六「はい。あの武は、敵に置くには惜しい」
信長「好きにしろ」
信長は新六の肩を叩く。
信長「半兵衛の指揮、一豊の働き、雑賀の鉄砲。すべて使い切ったな」
新六「皆が働いてくれました」
信長「それを働かせるのが、お前の役目だ」
姉川の風が、織田の旗を揺らした。
浅井と朝倉は、まだ滅んではいない。
だがこの日。
織田家単独の力によって、両家の勢いは大きく削られた。
そして津田新六信時の軍は、戦場で確かな存在感を示した。
武。
知。
鉄砲。
人望。
すべてを束ねる若き大将は、信長の天下布武を支える柱として、さらに大きくなっていった。