織田信時の人生   作:秋月 了

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北ノ庄の新政――新六、半兵衛を休ませる

 

 

 一乗谷の戦いを終え、岐阜城へ戻った津田新六信時に。

 

 織田信長は、意外な沙汰を下した。

 

信長「新六。三日、謹慎しろ」

 

新六「……はっ」

 

 信忠を殴った件に対する処分。

 

 そう受け取った新六は、深く頭を下げた。

 

新六「謹んで、お受けいたします」

 

信長「城から出るな。政も軍も、三日は忘れろ」

 

新六「……政も、ですか」

 

信長「そうだ」

 

 信長は、呆れたように笑った。

 

信長「お前は放っておけば、休むことすら忘れる」

 

新六「ですが、越前の戦後処理が」

 

信長「三日で国は滅びぬ」

 

信長「鈴と雫と市、子らのそばにいろ。これは命令だ」

 

新六「……承知いたしました」

 

---

 

 菩提山城。

 

 新六の謹慎は、実質的には久しぶりの休みだった。

 

 朝から子供たちに囲まれ。

 

 鈴に畑の様子を聞かれ。

 

 雫と市に、食事を残さず食べるよう見張られる。

 

新六「これが謹慎か」

 

鈴「信長様は、新六様の扱いをよく分かっておられます」

 

雫「休ませるには、罰だと言った方がよいのです」

 

市「新六様は、休むことを悪いことのように思われますから」

 

新六「そんなつもりはない」

 

鈴「あります」

 

雫「あります」

 

市「あります」

 

 妻たちの声が揃う。

 

 新六は、何も言い返せなかった。

 

 だが三日目の夕方。

 

 城下を歩く新六の顔には、わずかに穏やかな色が戻っていた。

 

---

 

 謹慎が明けると、信長は再び新六を岐阜城へ呼んだ。

 

 評定の間には、織田家の重臣たちが集まっている。

 

 信長は地図を広げ、その北側を指した。

 

信長「越前一国を、お前に与える」

 

新六「越前を……俺に?」

 

信長「ああ」

 

 朝倉家が滅びた越前は、広く、豊かで、そして不安定な土地だった。

 

 旧朝倉の家臣。

 寺社。

 国人衆。

 戦で土地を失った民。

 

 誰を取り立て、誰を抑え、どう国を治めるか。

 

 そのすべてが新しい領主へ委ねられる。

 

信長「拠点は北ノ庄城」

 

新六「はっ」

 

信長「与力として、前田利家と佐々成政を付ける」

 

利家「よう、新六」

 

成政「越前で好き勝手に暴れるなよ」

 

新六「二人がいてくれるなら心強い」

 

利家「へへっ。言ってくれるじゃねえか」

 

信長「越前を、ただの占領地にするな」

 

 信長は、新六をまっすぐ見た。

 

信長「お前の菩提山でやったことを、越前で見せろ」

 

新六「……承知いたしました」

 

信長「朝倉を失った民に、織田に従う方が生きやすいと理解させろ」

 

新六「必ず」

 

---

 

 北ノ庄城。

 

 新六は越前へ入ると、すぐに城へ籠もることはしなかった。

 

 まず村を回った。

 

 水路を見た。

 

 荒れた田を見た。

 

 焼けた集落を見た。

 

 旧朝倉家臣たちの家を訪ね、その不安と不満を聞いた。

 

 そして、越前でも菩提山と同じ改革を始めた。

 

 用水路の整備。

 

 田畑の区画整理。

 

 荒地の開墾。

 

 土地を持たぬ者への分配。

 

 年貢の見直し。

 

 戦で働き手を失った村への支援。

 

 北ノ庄城の評定では、前田利家が腕を組みながら笑った。

 

利家「お前は、戦が終わるとすぐ田んぼの話になるな」

 

新六「民が食えなければ、兵も城も支えられない」

 

成政「越前は雪も深い。菩提山と同じやり方だけでは足りぬぞ」

 

新六「だから、越前の者に聞く」

 

 新六は、旧朝倉家臣へ視線を向けた。

 

新六「ここで生きてきた者が、一番この土地を知っている」

 

 旧朝倉家臣たちは、黙って新六を見ていた。

 

 新しい領主は、自分たちを疑い、追い出すものだと思っていた。

 

 だが新六は違った。

 

新六「朝倉に仕えたことを責めはしない」

 

新六「これから越前を良くしたいなら、俺に力を貸してくれ」

 

 その言葉に、何人もの旧臣が頭を下げた。

 

 そしてその中には、真柄直隆もいた。

 

 朝倉随一の剛将は、新六の前へ出る。

 

真柄「俺を、どう使う」

 

新六「侍大将になってくれ」

 

真柄「敵だった俺をか」

 

新六「お前は強い。それだけではない」

 

 新六は、真柄を見た。

 

新六「兵を見捨てず、最後まで戦った。そんな将を、越前から失いたくない」

 

真柄「……」

 

新六「俺のもとで、越前を守れ」

 

 真柄はしばらく黙った。

 

 やがて、深く頭を下げる。

 

真柄「承知した」

 

真柄「この真柄直隆、津田家の侍大将として働こう」

 

---

 

 越前の発展は、北ノ庄だけでは終わらなかった。

 

 浅井旧領を与えられた羽柴秀吉。

 

 若狭を領する丹羽長秀。

 

 そして朽木元綱。

 

 新六は彼らと何度も使者を交わし、道と川と港を繋げていった。

 

 北近江から若狭へ。

 

 若狭から越前へ。

 

 越前から京へ。

 

 街道は整えられ、関所の不正は取り締まられた。

 

 船が造られ、海の道も開かれていく。

 

秀吉「越前の品を京で売るなら、まず運べなきゃ話になりやせん」

 

新六「だから船を増やす」

 

長秀「若狭の港を使えば、海路も安定いたしましょう」

 

元綱「山道の整備は、こちらで引き受けます」

 

新六「頼む」

 

 越前和紙は京の商人へ運ばれた。

 

 越前焼は、都の屋敷や寺社へ広がっていった。

 

 戦で荒れた越前は、少しずつ物と人が動く国へ変わっていく。

 

 北ノ庄城には、米俵だけではなく、紙、焼き物、材木、鉄、薬草が集まり始めた。

 

 そして新六の名は、戦場だけでなく、商いと政の場でも知られるようになった。

 

---

 

 ある日。

 

 新六は京にいた。

 

 訪ねた先は、医師・曲直瀬道三の屋敷だった。

 

道三「津田様が、病人でもなく参られるとは珍しい」

 

新六「頼みがある」

 

道三「聞きましょう」

 

新六「俺の家臣たちを診てほしい」

 

道三「家臣を?」

 

新六「皆、戦場と政で働きすぎている」

 

新六「傷や熱だけではない。長く生きられるよう、身体に悪いところがないか見てほしい」

 

 道三は、新六をじっと見た。

 

道三「将が、家臣の健康を気にするとは」

 

新六「皆には、長く生きてほしい」

 

新六「俺より先に死なれるのは、もう嫌だ」

 

 道三は、ゆっくり頷いた。

 

道三「分かりました。診ましょう」

 

---

 

 数日後。

 

 道三は、半兵衛を診察していた。

 

 細い身体。

 

 消えぬ咳。

 

 顔色の悪さ。

 

 診察を終えた道三の表情は、重かった。

 

道三「竹中殿」

 

半兵衛「はい」

 

道三「労咳の初期と思われます」

 

 一室が静まり返る。

 

 新六の目が、わずかに揺れた。

 

新六「治るのか」

 

道三「今なら、手の打ちようはあります」

 

道三「ですが働き続ければ、確実に悪くなる」

 

半兵衛「新六様」

 

 半兵衛は静かに頭を下げた。

 

半兵衛「私は、まだ働けます」

 

新六「駄目だ」

 

半兵衛「越前の政も、伊賀衆の整理も、朝倉旧臣の取り立てもございます」

 

新六「駄目だ」

 

 新六の声は、低かった。

 

 だが一切、揺れていなかった。

 

新六「半兵衛。五十になっても働けるように、この一年は休め」

 

半兵衛「一年……」

 

新六「いや、期限は決めない」

 

半兵衛「新六様」

 

新六「無期限の休養だ」

 

 半兵衛の目が、少し見開かれる。

 

新六「お前は、俺の軍師だ」

 

新六「だがそれより先に、俺の家臣で、友だ」

 

新六「働けるから働かせる、なんて真似はしない」

 

 半兵衛は言葉を失った。

 

新六「生きろ」

 

 新六は、はっきりと言った。

 

新六「俺のためじゃない。お前自身のために、生きろ」

 

 道三が、静かに口を開く。

 

道三「竹中殿。この段階であれば、養生すれば望みはあります」

 

道三「薬を飲み、身体を休め、空気のよい場所で静かに過ごされよ」

 

新六「道三殿」

 

道三「はい」

 

新六「金はいくらでも払う」

 

道三「津田様」

 

新六「半兵衛を頼む」

 

 新六は懐から金子を差し出した。

 

道三はしばらくそれを見つめた後、受け取った。

 

道三「承知いたしました」

 

道三「この命、私の腕で繋いでみせましょう」

 

---

 

 半兵衛の休養の知らせは、すぐに岐阜城へ届いた。

 

 信長は新六を呼び出した。

 

信長「新六」

 

新六「はっ」

 

信長「半兵衛を休ませたそうだな」

 

新六「はい」

 

信長「軍師を無期限で休ませるとは、大胆だ」

 

新六「半兵衛は、俺にとって代えの利かぬ者です」

 

信長「だから休ませるのか」

 

新六「はい」

 

 新六は、迷わず答えた。

 

新六「人は、壊れてから治すものではありません」

 

新六「壊れる前に休ませるべきです」

 

信長「医者に診せることが、そこまで大事か」

 

新六「戦で死ぬ者もいます」

 

新六「ですが、病で死ぬ者もいる」

 

新六「病を早く見つけられれば、救える命があります」

 

 信長は黙った。

 

 その脳裏には、戦で失った兄・信広の姿があった。

 

 家臣たちの顔も浮かんだ。

 

信長「……道三は、他の者も診られるのか」

 

新六「はい」

 

信長「よい」

 

 信長は立ち上がった。

 

信長「織田家の家臣と一門は、全員、道三の診察を受けろ」

 

新六「信長様」

 

信長「費用は織田家が出す」

 

 信長は新六を見た。

 

信長「俺のために働く者を、病で無駄に死なせるな」

 

新六「はっ」

 

信長「新六」

 

新六「はい」

 

信長「半兵衛を生かせ」

 

新六「必ず」

 

 北ノ庄では、新しい国づくりが始まっていた。

 

 京では、道三が病を診る。

 

 岐阜では、信長が家臣の命を守るために銭を出す。

 

 天下布武は、城を落とすだけではない。

 

 民を生かし。

 

 家臣を生かし。

 

 その先にある未来を守ること。

 

 津田新六信時は、越前の空の下で。

 

 戦国の国づくりを、さらに大きな形へ変え始めていた。

 

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