元亀四年。
足利義昭は、ついに槇島城で兵を挙げた。
将軍でありながら信長に自由を奪われた男は、もはや我慢の限界に達していた。
義昭「本願寺は立つ」
義昭「武田も、必ず動く」
義昭「信長を討つ者は、まだいる」
義昭はそう信じていた。
否。
そう信じるしかなかった。
槇島城へ集まった者たちは、かつての幕府を支えた名門の武士たちではない。
京でかき集めた浪人。
他家を追われた者。
罪を犯し、表の仕事に就けなくなった者。
行き場を失った浮浪者。
将軍の旗の下に集ってはいた。
だが彼らは、将軍家への忠義ではなく、銭と略奪のために集まった者が多かった。
家臣「将軍様! 織田軍が参ります!」
義昭「何」
家臣「信長が、自ら全軍を率いております!」
義昭は城壁の上へ出た。
城の外には、織田の旗が幾重にも並んでいた。
柴田。
丹羽。
滝川。
明智。
羽柴。
そして、信長の本陣。
槇島城は、完全に包囲されていた。
義昭「本願寺は」
近習「まだ、援軍の報はございません」
義昭「武田は」
近習「……ございません」
義昭は、歯を噛み締めた。
だが本願寺は、動けなかった。
比叡山焼き討ちの後、信長が忍びを使って流した噂。
寺社勢力の敗北。
門徒たちの離反。
顕如が呼びかけても、以前のようには人が集まらない。
そして武田もまた、来られなかった。
武田信玄はすでに死に、武田勝頼が家督を継いでいた。
だが家中はまだ一つにまとまらず。
何より信玄は、自らの死を三年隠せという遺言を残していた。
その遺言を守るためにも、武田は大軍を動かせなかった。
義昭が待った援軍は、誰一人として来ない。
細川藤孝をはじめ、時勢を読める者たちはすでに信長のもとへ去っている。
城内には、将軍を本気で支えようとする者がほとんど残っていなかった。
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織田軍本陣。
信長は槇島城を眺めていた。
信長「義昭は、まだ籠もるつもりか」
光秀「本願寺と武田の援軍を待っているのでしょう」
信長「来ぬ者を待つか」
勝家「哀れですな」
信長「哀れではない」
信長は、冷たく言った。
信長「自分で選んだ」
信長は手を上げる。
信長「攻めろ」
太鼓が鳴った。
織田軍が一斉に動く。
鉄砲が城壁を撃ち。
弓が城内へ降り。
梯子がかけられる。
城門へ丸太が叩きつけられた。
槇島城の兵は抵抗した。
だが、統率がない。
逃げ出す者。
銭を奪って隠れようとする者。
味方を押しのけて城門へ走る者。
浪人「もう駄目だ!」
犯罪者「将軍など知るか! 逃げろ!」
義昭「戻れ! 余を守れ!」
誰も戻らない。
織田軍の攻城は、一時間も続かなかった。
城門が破られる。
城壁が制圧される。
槇島城は、あまりにも早く落ちた。
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義昭は、織田兵に引きずり出された。
衣は乱れ、顔は青ざめている。
その前に、信長が立った。
信長「義昭殿」
義昭「信長……」
信長「援軍は来なかったな」
義昭「……」
信長「本願寺も」
信長「武田も」
信長「誰も、お前を助けなかった」
義昭は、震える唇を開く。
義昭「助けてくれ」
周囲が静まり返った。
義昭「余は将軍だ」
義昭「命だけは助けよ」
義昭「寺へ入る。どこへでも行く」
義昭「もう、二度と逆らわぬ」
そこに、将軍の威厳はなかった。
ただ生き延びようとする、一人の男がいた。
信長は、心底呆れたように息を吐いた。
信長「義昭」
義昭「な、何だ」
信長「選べ」
信長は指を二本立てた。
信長「武士として自害しろ」
信長「あるいは、将軍の座を自ら返上し、寺で細々と生きろ」
義昭「寺へ入る!」
義昭は、迷わなかった。
義昭「将軍の地位など、返す!」
義昭「だから命を助けよ!」
信長は、何も言わなかった。
ただ、冷たい目で義昭を見ていた。
義昭は続ける。
義昭「息子たちも人質に出す!」
義昭「書状も出す! もう二度と兵を集めぬ!」
信長「よい」
信長は背を向けた。
信長「将軍は、ここに終わった」
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義昭は将軍位を返上した。
そして自ら息子たちを人質として差し出し、寺へ入った。
だが、送られた先は京の近くにある、廃村同然の土地だった。
荒れた田。
壊れた家。
人の少ない村。
寺と呼ぶにはあまりにも古びた、小さな建物。
その村は、かつて義昭の政治と争いによって疲弊した土地だった。
将軍だった頃の義昭は、その名を知ることもなかった。
だが今、自分はその土地で生きることになる。
義昭「米はないのか」
村人「ありません」
義昭「寺の屋根を直せ」
村人「銭がありません」
義昭「余は将軍だったのだぞ」
村人「だから、何です」
村人たちは義昭を敬わなかった。
むしろ、恨んでいた。
義昭の名の下で争いが起き。
兵が通り。
田畑が荒れ。
家族を失った者もいた。
半年後。
義昭は村人たちの怒りを受け、暴行の末に命を落とした。
室町幕府最後の将軍は。
誰にも惜しまれぬまま、静かに消えた。
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一方、その頃。
津田新六信時は羽柴秀吉とともに、摂津へ軍を進めていた。
目標は、岩成友通。
三好三人衆の一人であり、なおも織田へ抗う男だった。
友通は城へ籠もり、最後の抵抗を見せた。
友通「織田に屈するくらいなら、城とともに死ぬ!」
秀吉「意地だけは立派ですな」
新六「城を囲め」
一豊と康豊が兵を動かす。
孫一の鉄砲衆が、櫓と城壁を狙う。
伊賀衆は夜のうちに城の周囲を探り、兵糧の運び込みを止めた。
半兵衛不在の間も、津田軍は彼の残した仕組みをもとに動いていた。
新六「正面は秀吉殿に任せる」
秀吉「任されやした」
新六「俺は東の曲輪を崩す」
秀吉「派手にやりましょう」
攻城戦が始まった。
友通は粘った。
矢を放ち。
鉄砲を撃ち。
城壁の上から石を落とす。
だが、兵糧は尽き。
兵は減り。
城内の者たちは、次第に戦意を失っていく。
岩成兵「もう持ちませぬ!」
友通「持たせろ!」
岩成兵「援軍は来ませぬ!」
友通「来る!」
だが、援軍は来なかった。
やがて城門が破られ、津田軍と羽柴軍が城内へ雪崩れ込む。
秀吉「岩成友通! 降れば命は取らねえ!」
友通「織田に降るくらいなら!」
友通は、燃え始めた城の奥へ戻っていった。
そして城と運命を共にした。
摂津に残っていた三好方の力は、ここに消えた。
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槇島城は落ちた。
岩成友通も死んだ。
足利義昭は将軍の座を失い。
信長包囲網に残る大きな敵は、本願寺と武田だけとなった。
石山本願寺。
顕如は、届いた報を前にして動かなかった。
義昭は敗れた。
三好は消えた。
寺社勢力は衰えた。
武田も、信玄を失っている。
顕如は、薄暗い堂内で目を閉じた。
顕如「……もはや後がない」
信長は、止まらない。
寺を焼き。
将軍を退け。
敵対する者たちを一つずつ消していく。
顕如は初めて。
自らが織田信長という巨大な流れに、追い詰められていることを悟り始めていた。