織田信時の人生   作:秋月 了

24 / 63
槇島城の終焉――将軍、すべてを失う

 

 

 元亀四年。

 

 足利義昭は、ついに槇島城で兵を挙げた。

 

 将軍でありながら信長に自由を奪われた男は、もはや我慢の限界に達していた。

 

義昭「本願寺は立つ」

 

義昭「武田も、必ず動く」

 

義昭「信長を討つ者は、まだいる」

 

 義昭はそう信じていた。

 

 否。

 

 そう信じるしかなかった。

 

 槇島城へ集まった者たちは、かつての幕府を支えた名門の武士たちではない。

 

 京でかき集めた浪人。

 

 他家を追われた者。

 

 罪を犯し、表の仕事に就けなくなった者。

 

 行き場を失った浮浪者。

 

 将軍の旗の下に集ってはいた。

 

 だが彼らは、将軍家への忠義ではなく、銭と略奪のために集まった者が多かった。

 

家臣「将軍様! 織田軍が参ります!」

 

義昭「何」

 

家臣「信長が、自ら全軍を率いております!」

 

 義昭は城壁の上へ出た。

 

 城の外には、織田の旗が幾重にも並んでいた。

 

 柴田。

 

 丹羽。

 

 滝川。

 

 明智。

 

 羽柴。

 

 そして、信長の本陣。

 

 槇島城は、完全に包囲されていた。

 

義昭「本願寺は」

 

近習「まだ、援軍の報はございません」

 

義昭「武田は」

 

近習「……ございません」

 

 義昭は、歯を噛み締めた。

 

 だが本願寺は、動けなかった。

 

 比叡山焼き討ちの後、信長が忍びを使って流した噂。

 

 寺社勢力の敗北。

 

 門徒たちの離反。

 

 顕如が呼びかけても、以前のようには人が集まらない。

 

 そして武田もまた、来られなかった。

 

 武田信玄はすでに死に、武田勝頼が家督を継いでいた。

 

 だが家中はまだ一つにまとまらず。

 

 何より信玄は、自らの死を三年隠せという遺言を残していた。

 

 その遺言を守るためにも、武田は大軍を動かせなかった。

 

 義昭が待った援軍は、誰一人として来ない。

 

 細川藤孝をはじめ、時勢を読める者たちはすでに信長のもとへ去っている。

 

 城内には、将軍を本気で支えようとする者がほとんど残っていなかった。

 

---

 

 織田軍本陣。

 

 信長は槇島城を眺めていた。

 

信長「義昭は、まだ籠もるつもりか」

 

光秀「本願寺と武田の援軍を待っているのでしょう」

 

信長「来ぬ者を待つか」

 

勝家「哀れですな」

 

信長「哀れではない」

 

 信長は、冷たく言った。

 

信長「自分で選んだ」

 

 信長は手を上げる。

 

信長「攻めろ」

 

 太鼓が鳴った。

 

 織田軍が一斉に動く。

 

 鉄砲が城壁を撃ち。

 

 弓が城内へ降り。

 

 梯子がかけられる。

 

 城門へ丸太が叩きつけられた。

 

 槇島城の兵は抵抗した。

 

 だが、統率がない。

 

 逃げ出す者。

 

 銭を奪って隠れようとする者。

 

 味方を押しのけて城門へ走る者。

 

浪人「もう駄目だ!」

 

犯罪者「将軍など知るか! 逃げろ!」

 

義昭「戻れ! 余を守れ!」

 

 誰も戻らない。

 

 織田軍の攻城は、一時間も続かなかった。

 

 城門が破られる。

 

 城壁が制圧される。

 

 槇島城は、あまりにも早く落ちた。

 

---

 

 義昭は、織田兵に引きずり出された。

 

 衣は乱れ、顔は青ざめている。

 

 その前に、信長が立った。

 

信長「義昭殿」

 

義昭「信長……」

 

信長「援軍は来なかったな」

 

義昭「……」

 

信長「本願寺も」

 

信長「武田も」

 

信長「誰も、お前を助けなかった」

 

 義昭は、震える唇を開く。

 

義昭「助けてくれ」

 

 周囲が静まり返った。

 

義昭「余は将軍だ」

 

義昭「命だけは助けよ」

 

義昭「寺へ入る。どこへでも行く」

 

義昭「もう、二度と逆らわぬ」

 

 そこに、将軍の威厳はなかった。

 

 ただ生き延びようとする、一人の男がいた。

 

 信長は、心底呆れたように息を吐いた。

 

信長「義昭」

 

義昭「な、何だ」

 

信長「選べ」

 

 信長は指を二本立てた。

 

信長「武士として自害しろ」

 

信長「あるいは、将軍の座を自ら返上し、寺で細々と生きろ」

 

義昭「寺へ入る!」

 

 義昭は、迷わなかった。

 

義昭「将軍の地位など、返す!」

 

義昭「だから命を助けよ!」

 

 信長は、何も言わなかった。

 

 ただ、冷たい目で義昭を見ていた。

 

 義昭は続ける。

 

義昭「息子たちも人質に出す!」

 

義昭「書状も出す! もう二度と兵を集めぬ!」

 

信長「よい」

 

 信長は背を向けた。

 

信長「将軍は、ここに終わった」

 

---

 

 義昭は将軍位を返上した。

 

 そして自ら息子たちを人質として差し出し、寺へ入った。

 

 だが、送られた先は京の近くにある、廃村同然の土地だった。

 

 荒れた田。

 

 壊れた家。

 

 人の少ない村。

 

 寺と呼ぶにはあまりにも古びた、小さな建物。

 

 その村は、かつて義昭の政治と争いによって疲弊した土地だった。

 

 将軍だった頃の義昭は、その名を知ることもなかった。

 

 だが今、自分はその土地で生きることになる。

 

義昭「米はないのか」

 

村人「ありません」

 

義昭「寺の屋根を直せ」

 

村人「銭がありません」

 

義昭「余は将軍だったのだぞ」

 

村人「だから、何です」

 

 村人たちは義昭を敬わなかった。

 

 むしろ、恨んでいた。

 

 義昭の名の下で争いが起き。

 

 兵が通り。

 

 田畑が荒れ。

 

 家族を失った者もいた。

 

 半年後。

 

 義昭は村人たちの怒りを受け、暴行の末に命を落とした。

 

 室町幕府最後の将軍は。

 

 誰にも惜しまれぬまま、静かに消えた。

 

---

 

 一方、その頃。

 

 津田新六信時は羽柴秀吉とともに、摂津へ軍を進めていた。

 

 目標は、岩成友通。

 

 三好三人衆の一人であり、なおも織田へ抗う男だった。

 

 友通は城へ籠もり、最後の抵抗を見せた。

 

友通「織田に屈するくらいなら、城とともに死ぬ!」

 

秀吉「意地だけは立派ですな」

 

新六「城を囲め」

 

 一豊と康豊が兵を動かす。

 

 孫一の鉄砲衆が、櫓と城壁を狙う。

 

 伊賀衆は夜のうちに城の周囲を探り、兵糧の運び込みを止めた。

 

半兵衛不在の間も、津田軍は彼の残した仕組みをもとに動いていた。

 

新六「正面は秀吉殿に任せる」

 

秀吉「任されやした」

 

新六「俺は東の曲輪を崩す」

 

秀吉「派手にやりましょう」

 

 攻城戦が始まった。

 

 友通は粘った。

 

 矢を放ち。

 

 鉄砲を撃ち。

 

 城壁の上から石を落とす。

 

 だが、兵糧は尽き。

 

 兵は減り。

 

 城内の者たちは、次第に戦意を失っていく。

 

岩成兵「もう持ちませぬ!」

 

友通「持たせろ!」

 

岩成兵「援軍は来ませぬ!」

 

友通「来る!」

 

 だが、援軍は来なかった。

 

 やがて城門が破られ、津田軍と羽柴軍が城内へ雪崩れ込む。

 

秀吉「岩成友通! 降れば命は取らねえ!」

 

友通「織田に降るくらいなら!」

 

 友通は、燃え始めた城の奥へ戻っていった。

 

 そして城と運命を共にした。

 

 摂津に残っていた三好方の力は、ここに消えた。

 

---

 

 槇島城は落ちた。

 

 岩成友通も死んだ。

 

 足利義昭は将軍の座を失い。

 

 信長包囲網に残る大きな敵は、本願寺と武田だけとなった。

 

 石山本願寺。

 

 顕如は、届いた報を前にして動かなかった。

 

 義昭は敗れた。

 

 三好は消えた。

 

 寺社勢力は衰えた。

 

 武田も、信玄を失っている。

 

 顕如は、薄暗い堂内で目を閉じた。

 

顕如「……もはや後がない」

 

 信長は、止まらない。

 

 寺を焼き。

 

 将軍を退け。

 

 敵対する者たちを一つずつ消していく。

 

 顕如は初めて。

 

 自らが織田信長という巨大な流れに、追い詰められていることを悟り始めていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告